天に昇り太陽に心を向ける

なかのんが進むとそのままズトンと落ちる」で僕はいさどんの以下の言葉を紹介しました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

何のために文章を書いているのか?

全体のためでなく自分のため、自分のこだわりになり始めている。

変に力が入っている。だから疲れる。

余分な力を入れずにもっとニュートラルになることが大切。

なかのんの中では今でも地球は平らになっている。

だからなかのんが進むということはそのままズドンと落ちるということ。

☆彡 ☆彡 ☆彡


これは「分からないことの先に無限の広がりがある」に対するフィードバックですが、
この言葉から僕が感じたことをもう少し詳しく書いておこうと思います。

「地球が平」というのは天動説の時代であり、
その頃の人類にとって地球が宇宙の中心でした。
地球とは体験の場所であり、地球暦や占星術では「自分」を表す惑星です。
つまり「なかのんの中では今でも地球が平」というのは、
僕が自分中心の視点になっているということです。
自分中心の視点となり自分で物事を進めようとしていたのです。
この状態では、周りが見えなくなるので、
ズトンと落ちる。
つまりはなんらかの滞りに出会うということです。

だから僕は天に昇ると書きました。

天に昇り地球を見れば、
地球が丸く、様々な惑星との関係の中で存在していることが見えてきます。
それは自分の実態を知る体験です。

この時、自分が何よりも太陽の存在に生かされていることが見えてきます。
いさどんは僕にそういう視点を大切にするように伝えてくれたのです。




ということで、僕は天の昇り、この世界で起きることを眺めます。
すると、タイのプミポン国王死去のニュースが目につきました。

僕の友人でアジアの動きに詳しい川崎大輔くんはこのことを以下のように書いています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

タイにとうとうこの日が来たかって感じです。

 プミポン国王死去。88歳で、70年間も国民の厚い信頼と人気があったので、
タイもいよいよ本当の時代の転換期を迎えます。

これによって直近ではタイの経済活動の停滞など影響は1カ月ほどあります。

会社と学校など1週間程度の休みになる可能性が出てます。
70年前は国民が半年ほど、喪に服してたと聞いています。
これからは誰も経験したことのない長い時間が始まります。

また軍が政治に介入しそうです。テロが起きて戒厳令、
クーデターなどの可能性もあります。
直近では空港がテロの対象になっている話も流れてきています。
みなさまお気をつけください。

最終的には、後継者問題でまた国が真っ二つになると考えられます。

王位継承の発表は皇太子で、現在は出ているようです。

タクシンももう我慢できずに帰るでしょう。
皇太子から恩赦をもらうよう働きかけるのでますます混沌とします。

タイが安定しないとその周辺国にも影響が及びます。
ASEAN諸国が不安定になりやすい状況であることは免れません。

混沌とした感じのひとときです。そして、アセアンの転換期でもあります。

国王は全てのタイ国民に尊敬され精神的支えのような存在でした。

御冥福をお祈りするとともに、この転換期を無事に乗り越えられますよう。


合掌



☆彡 ☆彡 ☆彡

プミポン国王はタイ国民の精神的支え、太陽のような存在でした。
その国王が亡くなったのですから、人々が動揺し、不安定になる可能性があります。
ですが、タイ国民にはもう一つの太陽があります。それは仏さまの教えです。

昨年の12月5日、プミポン国王誕生日の日、いさどんはタイでスピーチをしました。
以下はその一部です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

皆さん、こんにちは。わたしは今、とても幸せな気持ちです。
それはなぜかと言うと、今日、この場に出会えたからです。
わたしはいつも幸せを願って生きています。
それは自分の幸せではありません。
全ての地球生命が輝いて幸せでいることを願っているのです。

わたしは日本の富士山麓にある木の花ファミリーから来ました。
わたしたちのコミュニティが始まってから21年になります。
わたしはこれほど皆の心がつながって調和がとれているところを他に知りません。
その理由を考えてみますと、
わたしたちは富士山麓で自然と調和することを常に考え生きてきました。
富士山は日本人の心の柱です。
そして、わたしたちにはブッダの伝えてくれる精神があります。
その二つの柱に支えられ、木の花ファミリーはとても幸せな生活をしています。

そして、はじめに伝えましたように、わたしの心は今、とても幸せです。
皆さん、それはなぜだかわかりますか?
皆さんには、今日お誕生日を迎えられたプミポン国王という大きな山がありますね。
国王様、お誕生日おめでとうございます。
そして、皆さんにも生活の柱となるブッダの精神があります。
ですから、わたしは日本の木の花ファミリーにいるときと
同じような幸せをここで感じているのです。

 ~ 中略 ~

最初に、わたしは日本の富士山から来ましたと皆さんに伝えましたが、
その前にわたしは地球から来ました。そして宇宙から来ました。
では皆さん、宇宙はどこにありますか?
宇宙は今、皆さんのいるここにあります。
皆さんの心の柱であるブッダの精神は宇宙そのものです。
ですから、ブッダイコール宇宙です。皆さんも宇宙人ですよね。
そして、その境地に至れば皆さんもブッダなのです。

「仏の悟りは仏のためにあらず。仏の悟りは一切衆生のためにあり。」
お釈迦様はこの精神をわたしに伝えてくれました。
そして、その精神を生きて、その心をこの世界に示しなさいと言われました。
それで、富士山麓に木の花ファミリーという理想郷を創ったのです。
木の花ファミリーは宗教団体でも寺院でもありませんが、
寺院のように人々が道を求め、宗教団体のように人々が集う場です。
そして、それは自らの悟りを求める道ではなく、皆で共に極める道です。
時代は、個人の悟りの時代から人類全体の悟りの時代へ移行しています。
他者の喜びを自らの喜びとして生きる菩薩の里――
そのような場がこれからの時代のあり方であり、
そのように人々が生きることができれば、真に尊く美しい世界が自ずと表現されるのです。
わたしはここにいる皆さんと共にそのような理想世界を創っていきたいと願っています。




☆彡 ☆彡 ☆彡

ブッダの精神とは宇宙そのもの。つまりは宇宙の法則です。
それは人類共通の太陽であり、柱です。
そこに意識があれば、どのような困難も乗り越えていけるのです。

太陽はいつも教えてくれています。

木の花ファミリー通信Vol.87」には以下のような記述があります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今、世界中で様々な問題が起きています。
例えばどこか遠い国で起こるテロは、
自分とは関係のないものだと思うでしょうか。
地震や台風のような天変地異は、
人間にはどうすることもできない自然の驚異だと思うでしょうか。

私たちの生きる地球は、太陽の導きの元にあります。
太陽は常にその心を送り続け、人間がそこから外れれば、
それにふさわしい現象を地球上に起こし、
「気付きなさい」とメッセージを送っています。
今世界で起きていることの現実を知り、
自分のしていることがそこにどのような影響を及ぼしているのか
ということが観えた時に初めて、人は変化の道を歩み始めます。

~ 中略 ~

これまでは物理的豊かさを追い求め、
医療も経済も拡大していくことばかりが善しとされる時代でしたが、
本当に必要なものだけを選んでいく、そぎ落としの時代に入ったのです。
それは世の中が大きく歪んでいた分、いっときは痛みを伴うかもしれません。
けれどもその先に、生きていることそのものに豊かさを感じられる世界があるのです。

この世界には、流れがあります。
出来事の表面ではなく、その奥に心の目を向ける時、
全ての出来事の背後を常に変わることなく流れ続ける、
大きな流れがあることが観えてきます。
自らの立ち位置を離れ、その流れに乗って生きると、
不思議なほど色々なことが連鎖し、とんとん拍子に物事が進み、
自力で何かを成し遂げようとしていた時には
想像もできなかったような世界が現れるのです。
その流れの中では、余分なものは自然とそぎ落とされ、
人々の中に眠る無限の可能性が花開いて、
様々な個性が響き合いつながり合い、美しく循環していくことでしょう。
それは個人の満足をはるかに超える、
ダイナミックな生命の喜びにあふれた世界なのです。


だから太陽は、私たちに心を送り続けています。


あなたたちが美しく健康であるように

互いを想いみんなでつながって生きるように

そして世界が豊かになるように

いつも私の方を向いていなさい  ──────────


そう呼びかけているのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

プミポン国王の死去も宇宙の流れの中での出来事です。
その奥には、一人ひとりの目覚め、皆で共に極める道が流れています。

大切なのは天に昇り太陽に心を向け続けることです。
そこには余分な力はいらないのです(^-^)










なかのんが進むとそのままズトンと落ちる

昨日の朝、散歩をして富士山と川を眺めていたら、
昨年の5月に書いた「願いから自由になるために生まれてきた」を思い出しました。
以下、そこからの文章を引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この豊かな世界では様々な願いごとが生まれる。
誰かを好きになったり、美味しいものが食べたくなったり、旅をしてみたくなったり。
願いが叶うことは嬉しいことだが、それは一時的なものですぐに次に願いが生まれる。
願いが叶って喜んだり、叶わずに苦しんだり悲しんだり。
それはそれで楽しく豊かな人生なのかもしれない。
でもそれは刺激と反応の繰り返し。
その奥に更なる幸せがあることを僕は知っている。

願いを叶えるために生まれたのではなく、願いから自由になるために生まれてきた。

願いから自由になって、個人的視点から離れる。
そしてこの世界の真実を知り、それと一体になる。
僕はそのために生まれてきた。

それは宇宙や地球と一緒に学び幸せを味わう生活。

そこに至るためにこの暮らしがあり日々心を磨いている。


☆彡 ☆彡 ☆彡

多くの人は目の前の出来事に一喜一憂しています。
それは刺激と反応の繰り返しで、自分の人生が感情に支配されている状態です。
人生が自分のものとはなっていないのです。

例えばアメリカ大統領候補のトランプ氏は歯に衣を着せない発言で人気を集めて来ました。
それは人々がなかなか言うことが出来ない本音だからこその人気だったのだと思います。
ですが今、トランプ氏は窮地に立たされています。
トランプ氏は過去に女性を蔑視した発言をしており、そのビデオが公開されたのです。
今、トランプ氏は非難にさらされています。

確かにトランプ氏の発言は問題あるもので、非難されるのは当然です。
ですが、女性に対する蔑視は男性優位の社会が続いた中で生まれた歪みであり、
社会全体で乗り越える必要がある課題です。
それは一人の人を責めればそれでよいという問題ではありません。

トランプ氏を賞賛する時、人々は自分の中の望みをトランプ氏に託しています。
そして非難する時は、自分の中にある汚れをトランプ氏に見ているのです。

どちらも本来は自分の中にあるものです。
それを外に見て、状況の変化により一喜一憂しているのです。
これは自分自身の特性や想いを外に投げ出してしまっている状態です。
この状態では自分が変化することはありません。
自分は変化しないから、出来事が繰り返されるのです。

自分を直視してその自分を乗り越えていく。

その時、初めて人生が自分のものとなり未来へと進んでいくのです。

そして思いました。

宇宙と自分は一つです。
ならば宇宙や世界で起きることと自分の体験は同じものなのです。
本来すべてが自分のこととして感じられ理解されるはずです。
ですが、実際はそうではありません。
そうではないのは自分と世界が切り離されているからです。
それはこの身体だけが自分だという勘違いから始まっています。
その勘違いにより、人は自分の人生を失っているのです。
なぜなら、この世界、この宇宙で起きる出来事はすべて自分の人生なのだから。

世界と自分が一つになる道。

それは悟りへの道であり、山に登り、川となって流れる道でもあるのです(^-^)

昨日の朝の富士山です。

ここまでは昨晩の大人ミーティングの前に書いた文章です。
そしてこれ以後は大人ミーティング後に書いた文章であり、
新しい自分が書いた文章です。

昨晩の大人ミーティングでは「分からないことの先に無限の広がりがある」をシェアしました。
いさどんは、その最後の方の文章を見て「なかのん道」を感じたといいます。
それはマニアックな方へと行く危険性ということです(^-^;)

以下、いさどんの言葉を箇条書きしますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

何のために文章を書いているのか?

全体のためでなく自分のため、自分のこだわりになり始めている。

変に力が入っている。だから疲れる。

余分な力を入れずにもっとニュートラルになることが大切。


なかのんの中では今でも地球は平らになっている。

だからなかのんが進むということはそのままズドンと落ちるということ。

☆彡 ☆彡 ☆彡


面白い!!!

と思いました。

特に「なかのんが進むとそのままズドンと落ちる」というあたりが。

だから僕は前には進まずに天へと昇っていくのです。

な・ん・て・ね♪

なんにせよ、こんなふうにチェックが入るのは有難いことです。

理屈抜きで納得です(^-^)



分からないことの先に無限の広がりがある

昨晩の大人ミーティングでいさどんは以下のような話をしました。

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生きていると分からないことに出会うことがありますが、人の成長はその時の態度で決まります。
本来、分からないところに行くのは希望です。
ですが、自分に囚われていると、分からないことは悪いこととなり、思考が停止します。
自分の願いを叶えることばかり考えていると、分からないことに対する希望は生まれません。
この状態では都合の悪い出来事は心には残らず、人が変わることはありません。
自分と向き合い分からないことを突き詰めていくと、直観がやってきます。
その直観により人は新しい世界へと開かれ、成長していくのです。

自分と向き合うことをしないと人は成長しません。
道理ではこちらが正しいと分かっていても愚かしい自分を選んでいきます。
自分を否定してでも道理を選ぶ。その覚悟があるかどうかが問われます。
その覚悟が人を正しい道へと導きます。
覚悟が伴う時、突き詰めれば突き詰めるほど直観が湧いてくる人になります。

人生は山登りに例えられます。
山の頂上は一つです。最後は必ず一つに至ります。
狭くとも頂上まで至ると一本道となる。それが天の導きです。
ですが頂上まで行かずに降りることを選択する人もいます。
降りる道は迷いの道です。
無限に正しいがある自我の道。降りる時には自我が増していきます。
そして、自分が自分を翻弄させるのです。

自ら上に登っていく意志が大切です。

変わるように問われた時、どう変わるのか分からないという人がいます。
ならばなぜ問われているのでしょうか?
分からないからこそそちらに行くのです。

多くの人は自分で考えて答えを出してから進もうとしますが、そのような姿勢を止めるのです。
分からない方へ進んでいく。そしてその答えを見ていく。
それはいただく精神であり、その精神が行き詰まりを解消するのです。

この世界の成り立ちを観たら、先に宇宙や地球があり、その後に自分の意志があるのです。
自分で考え答えを出すのは、この世界の成り立ちに沿ってはいません。

パリ協定の発効が決まり、11月にはCOP22で話し合いが行われる予定ですが、
いただく精神のない今の姿勢のままでは解決に至ることはないでしょう。

これからも矛盾は積み重なり、問題ごとは起こり続けます。

分からない方に進んでいく。

いただく精神。

人類が次の時代を迎えるためにはそういうものが必要なのです。

そしてそれは一人ひとりの道であると同時にみんなで歩く道です。
それがこれからの時代の悟りであり、その悟りが未来を切り拓いていきます。
そこに求められるのは一人ひとりの意志であり、その確認をしているのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡


この話を聴きながら、いさどんが昔してくれた以下の言葉を思い出していました。

☆彡 ☆彡 ☆彡


『頭で』思い描いた願望に集中し実現したとする。 
一般的にはそれは望ましいことだよね。 
でも、望みが叶えば、叶う程、

『望み通りの世界』という狭い世界に閉じ篭ることになる。 
頭で思い描いた狭い世界に閉じ篭ることになる。 
だから『頭で』思い描いた願望なんて捨てた方がいい。 
そしたら無限の世界に自分は開かれていく。 
自然は豊かで僕たちを満たしてくれる。 
自然と調和していく。 
そのために望みは捨てていく。 




☆彡 ☆彡 ☆彡

この世界は無限の広がりを持っています。
人間の思考では分からないことだらけです。
ですが、その分からないことの先には無限に広がる世界の豊かさがあるのです。
そこへの道は喜びへの道です。

それなのに、多くの人は分かってから進もうとします。
加えて、自分の状態が愚かだと分かったとしてもそこにとどまろうとします。

それは多くの人が自分の想いや感情に飲み込まれたまま無自覚に生活しているからです。
日常の何気ない行動に自分の色眼鏡が反映されています。

だから自分を離れて見る視点が必要であり、それは努力して育んでいく必要があるのです。

自分を離れて見る。

その視点により、自らにメスを入れ、分からない方に進んでいくことが出来るようになります。
その時、人は進んだ分だけ世界に開かれ変化していくのです。

僕は最近、大人ミーティングで自分の書いたブログをシェアすることが多いのですが、
そのことに意味があるのか迷いが生じていました。

ただ発表して感想をもらうだけならその場はあまり豊かとは言えません。

その時間をみんなで創り上げていく。

そんな時間にしたいと思っているのですが、出来ずにいました。
そしてそのことが悩みとなっていました。

ですが、これは頭で思い描いたものを実現しようとしていたことに気づきました。
あくまで自分の想いからの視点なのです。

僕のシェアするブログは毎回違うものであり、1回1回新鮮なものです。
それがその場に何をもたらすかはシェアしてみなければ分からないことです。

何が起きるか分からない。

僕自身がそんな世界に開かれていくことがまずは大切なのです。

加えて、僕はまだ自分を充分には突き詰めていません。
まだまだ奥があります。
そして、奥を突き詰めれば突き詰める程、それは僕の文章に反映されます。
だから僕の文章はこれからどんどん変化していきます。
ならば、それをシェアした時、場にもたらすものも変化していくはずなのです。

たから思惑をもたずただただそれを続けていこうと思いました(^-^)




空っぽとなり一人ひとりの物語に寄り添う

数日前、「完全解剖ティラノサウルス~最強恐竜 進化の謎~」をみんなで観ました
最新の研究を踏まえたティラノサウルスの物語はとても面白く興味深いものでした。
そして、この番組を観た後、いさどんは以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ティラノのことを考える。恐竜が絶滅した後もずっと物語があって、我々につながっている。
すべてが物語でつながっている。それで僕は、すべての物語に寄り添いたいと思った。
そうでなければ、この世界の実態はわからない。

☆彡 ☆彡 ☆彡

いさどんは常日頃から宇宙や地球の物語について語っています。
それを聴いてきているので、僕もそれらを意識するようになっています。
ですが、いさどんはティラノサウルスの物語にまで想いを寄せているのです。
その心の広さを感じると共に自分自身の日常を振り返ってみました。

宇宙や地球だけでなく、僕の身の回りには様々な物語が溢れています。
毎日を一緒に過ごし生活を共に創っている一人ひとりに、
過去から現在、そして未来へと続く物語があるのです。

ですが僕は、一人ひとりの今の心に反応し、
その人の物語には想いが至っていなかったことに気づきました。
そして目の前の人の物語を感じ、それに寄り添ったならば、
日常生活に奥行が生まれ、なんでもない瞬間も豊かになることに気付きました。

それぞれの人の過去に思いを馳せ、今を感じる。
そして未来を想像していく。
それはとても楽しく豊かなことです。

自分の視野が少し広がりました(^-^)

ところで地球の物語として今、温暖化が進んでいます。
それに対する人類の物語として、パリ協定が来月の4日に発効することが決まりました。
これは人類の未来にとって不可欠な取り組みであり、真剣さが求められるものです。

ですが、日本のニュースを観ると、日本は批准が遅れたため不利になったというものや、
これが炭素社会から新しい社会に向けてのビジネスチャンスになるというものを見かけます。
キルバスやツバルなど海面上昇による水没の危機にある国々がある中、
これはあまりにも自分本意な姿勢であり、その奥には競争の心も感じました。

この世界では、心が現実を生み出します。

自分本位な姿勢や競争の心が経済発展を生み出し、
その弊害として経済格差や環境破壊が進み、地球温暖化ももたらしているのです。

その心のままパリ協定が発効しても有効な取り組みに繋がるとは思えません。

自分たちの利益を離れ未来を見据えていく必要があるのです。

地球温暖化。それは空気の問題です。

本当の空っぽへと至る道」にも書いた通り、
一昨日の大人ミーティングでは「空気」が話題となりました。
そこで語っているいさどんの言葉をもう一度引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡


なぜ、今、空気はこの状態なのか。それは生命の歴史と連動していて、
空気の成分は変化してきている。
そうすると、そこにいる生命の存在も変わってきていて、
空気も汚染されてきた結果、人間の歴史も変わってきている。
つまり、我々は空気だ。
空気は絶対なくてはならないものだが、
空気の存在によっては生命は対応できず、絶滅もする。
だから、空気の存在は時代が動いていく中で、とても大きな役割を果たしている。
空気は何でもなくあるようで、ものすごく大きな存在。
気付けば気付くほど、その存在は大きく、あまりにも身近にありすぎて解釈できない。
この空気と対話したり、空気の存在を解明したら、何か新しい世界が観えてくるのではないか。

☆彡 ☆彡 ☆彡

自分たちそのものであり、自分たちを生かしてくれている空気。
それを変えていくには自分たちが変わっていく必要があるのです。

先に挙げた競争の心ですが、それは自我の産物であり幻想です。
幻想により人々は奪い合い、世界を貧しくしています。
ですが自然界では本質的な平等が実現し、すべてのものは生かしあっています。
人はその本来の姿に目覚める時が来ているのです。

いさどんはかつて以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

皆さんは「コモンズ」の研究をされているわけですが、
私たちは土地などの物理的なもののみならず、精神性まで共有する生活を送っています。
ですから、悲しみや喜び、そして学ぶということも皆で共有するわけです。
そして、それは決してここだけのものではなく、
自然の仕組みを紐解いていくと、この世界自体がまさしくそういった姿になっています。

今日は、皆さんとそこのところを共有したいと思い、今この場にいます。
例えば、私たちはひとつの太陽のもとにいのちを紡いでいます。
さらに、ひとつの海のもとにも、私たちはいのちを紡いでいます。
太陽が降り注ぎ、雨が降り、そして大地に植物が芽生えてきます。
その芽生えてきた植物は私たちのいのちに変わるわけです。
そして、私たちは嫌いな人とも共通の空気のもとに生きています。

それから、この空間です。
私たちはこれを大地の上にある生活空間と思っていますが、
実は宇宙空間も私たちは共有しているわけです。
今、共通して私たちは1秒間に30km移動しています。
それを1年続けると、太陽のまわりを一周することになります。
そして、秒速470mでこの星は自転しています。
それで、今日のお昼に出会ったみなさんと一緒に夕暮れを迎えようとしています。

そうやって、私たちはこの世界の仕組みから自分たちを観てみると、
共有していることが沢山あるのです。
その中でも、もっとも共有しているものが時空です。
過去から未来へ時間が刻まれていく中で、私たちは瞬間を共に歩んでいるわけです。

その中で、地球の生態系は様々な生命がそれぞれオリジナルないのちを表現しています。
それは生態系として循環しているわけですから、小さく観ると弱肉強食になります。
しかし、ライオンとシマウマの関係で言えば、
お互いが存続するために絶対必要なものとして、
いのちのバトンタッチ、リレーがされているということなのです。
ライオンに食べられたシマウマは確実にライオンのいのちに変わっていくのです。
そういった生き物は自らの体を大地に返し、植物になり、それが循環しています。
宇宙も含めて、私たちは共通した中にいると考えたときに、
自らと他者との区別がどこにあるのだろうかと私は思います。





☆彡 ☆彡 ☆彡

私たちはすべての存在と時空を共有し、そこから多種多様な物語が生み出されています。
そのすべてを包み込んでいるのが空気であり、それが今、汚染されているのです。
それは私たち一人ひとりの心の現れであり、
その汚染を浄化するには、私たち一人ひとりの心を浄化していく必要があります。
それは真の「空っぽ」へと至り、世界と、そして空気と一体となっていく道のりです。

「空っぽ」となりすべてを包み込み、すべての物語と寄り添っていく。

自分の物語がみんなの物語となり、みんなの物語が自分の物語となり交じり合っていく。

そうなった時、地球温暖化をはじめとする今ある問題はすべて解決しているでしょう。

僕は今、そんな未来を予感しています(^-^)

いさどんティラノ。ティラノサウルスに想いを馳せているのでしょう。




本当の空っぽへと至る道

1年前、僕は以下の文章を書きました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

忘我。自分を忘れるほどの熱狂、狂気。
僕の中にはその状態を求める気持ちがあり、
それが時に無理な行動に繋がり、自分を壊していきます。

思考の停止状態。それは空っぽの状態とも言えるかもしれません。
ですが、この空っぽは自分を保ったまま、自分が消耗する空っぽです。

この狂気への憧れの残骸が現れて、ここ3ヶ月、僕は苦しみ消耗しました。
ですが、それももう終わりです。

自我を超えた本当の空っぽは別のところにあります。
それは日々、客観的視点に立ち、自分の感情を眺め、コントロールしていく。
その積み重ねの中で育まれていくものでしょう。

きっとそれは極端とは無縁の世界です。

その本当の空っぽを実現出来た時、生み出される世界。
それは持続可能で人と人が繋がるとっても豊かな世界。
人が集まれば集まるほど豊かで美しくなっていく世界。
その姿は今、いさどんが見せてくれています。

だから僕は一歩ずつそちらに向かって歩んでいきます。(^ー^)


空っぽへのあこがれ」より


☆彡 ☆彡 ☆彡

これは「あなたの未熟もみんなに役立つ」で紹介している僕の課題についての宣言でした。
そしてこれはいさどんがしてくれた以下の話を受けてのものでした。

☆彡 ☆彡 ☆彡

なかのんは、自分の状態は問題だということは言います。
だけれども、駄目なところに情を掛けて執着してしまっているのです。
そこはシビアになって抜け出さないと次の段階に行けません。

そこに情を持って執着していると、言っていることとやっていることが違ってきます。
それは矛盾を創ります。
そんなことをずっとやっていたら霊的には罪を犯すことになります。

問題があると認識しているならば、そのことを認めて改善する意志を明快に示すことです。
そして、常に問題を意識して生きるのです。
毎日を冷静に見ていく。緻密に見ていく。
客観的に自分を離れてみていくことが必要なのです。

 ~ 中略 ~

客観的に見たら、そんな行動を取るのはおかしなことでしょう?
それなのに、なぜそのおかしな行動を取るかといったら、
その未熟な自分に執着しているからです。

それで、僕の話をしますが、僕も昔、同じところを通ってきました。
僕は、お釈迦さま、そして神さまに出会い、道理を伝えられてきました。
お釈迦さまが語られるのは仏道、道なのですよね。
プロセスをずっと見ていく客観視点を育てられます。

そうすると自分の感情が苛立っている状態を観なければいけなくなります。
普通の人は感情が出てくると、感情のままに出して、
それを主張することが自由だったり束縛されていない状態と思ったりしています。
ところが、僕にはもう一つの目線がありました。
それも強制的に示される目線です。
そちらの方から「お前の今の感情はこうだぞ」と言われると、
僕みたいな道理人間、理屈人間は理屈で負けてしまうのです。

それでどうするかというと、僕は理に叶った方に行こうとします。
自分の主張が愚かであっても、そこに執着したい自分がいますが、
理に適った方に行かなければなりません。
そのように、そちらを選べば選ぶ程、情がわいている自分を否定することになります。
理に適った方を選んでは自分を否定していく。
その繰り返しになりますが、その覚悟が出来ていないとだんだん辛くなるのです。

そこで「俺はつらいんだー」となって爆発したことがありました。
そうすると、お釈迦さまは「それなら止めるか?」と尋ねてきました。
「なんてひどい薄情なことをいうの?あなたは」と思いました。

そこでまた道理を考えました。
僕が執着して道を歩むことに辛い想いをしていることに対して、
そのまま執着して進むことは、その道を外れるということになります。
止めるか?という話に乗るのもこの道を外れることになります。
どちらの自分も認めることが出来ません。

道理のところに行くことによってのみ楽になれる。
自分で自分を本当に意味で認めることが出来るのです。

認めたくない自分に執着をしてそのままで行こうとしますが、
それはすごいバカなことをやっているのです。
それでも執着している時はつらいものです。

僕はその想いを怒りに変え、伝えました。

「何を言っているのですか。止めるわけがないではないですか。
これを知らずにいかない人は世の中に沢山いますが、
一度、これを知って行かないものがいるでしょうか?
絶対やめない。見ておれ。やめんから。」

逆切れしたのですよね。

さっきのなかのんの言葉もある意味逆切れですよね。
だけれどもなかのんは自分と向き合わない方向に切れていました。

僕は「絶対にあなた(お釈迦さま)のところにいく」という逆切れ。
同じエネルギーの掛け方でも違う方向に向かっているのです。

僕は辛いから泣きました。でもその涙は自分にとって肯定的です。
そこまでやるんだ。
その想いが自分を強くしてくれます。

なかのんの逆切れは心を強くするものではなく、ある意味逃げています。
そうやって逃げていくと悔やみの心が出てきます。

また自分が否定する、本当はそうではないという方向に行ってしまった

その繰り返しになり、だから定期的にその想いが湧いてくるのです。
自分が嫌いな自分を演じて、自分で苦しんでいる状態です。

※いさどんとお釈迦さまのエピソードは「木の花記~金神さまの巻~」をお読みください。

空っぽへのあこがれ」より


☆彡 ☆彡 ☆彡

自分への執着、それは自分の感情に対する執着とも言えます。
自分の姿がみっともなくとも、自分が感じていることに従いたい。
そんな気持ちを超えることが出来ずにいたのです。

1年前、そんな自分を超えると決意しました。
そして、日々を大切に積み上げていきました。
ところが今年の8月、もう一度滞りを経験することになります。

情けない。どうしようもない。

こんな気持ちが生じましたが、これが僕の転機となりました。
この時、僕は自分の中を識別してそぎ落とすことが出来たのです。

情けない、嫌になる、投げ出したい。

そんな自分の感情を離れて、外から自分を眺め、
自分の中のいらない部分(ネガティブな感情や我欲)をそぎ落としました。
そして、自分と向き合う意欲は維持し続けました。
この時、僕は「超えた」と確信することが出来たのです。

滞りはチャンスであり、滞りを通して、僕は自分を変えて行きました。

そして、今の自分がいます。


ところで昨晩の大人ミーティングでは「空気」が話題になりました。
いさどんは「空気」について以下のように語っています。

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なぜ、今、空気はこの状態なのか。それは生命の歴史と連動していて、空気の成分は変化してきている。そうすると、そこにいる生命の存在も変わってきていて、空気も汚染されてきた結果、人間の歴史も変わってきている。つまり、我々は空気だ。
空気は絶対なくてはならないものだが、空気の存在によっては生命は対応できず、絶滅もする。だから、空気の存在は時代が動いていく中で、とても大きな役割を果たしている。空気は何でもなくあるようで、ものすごく大きな存在。気付けば気付くほど、その存在は大きく、あまりにも身近にありすぎて解釈できない。この空気と対話したり、空気の存在を解明したら、何か新しい世界が観えてくるのではないか。

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僕は、冒頭の文章の中で「空っぽ」という言葉を使っています。
空っぽの「空(から)」は「空(そら)」でもあり、「空気」の「空(くう)」でもあり、
色即是空の「空(くう)」でもあります。

空っぽになるとは空気のようになることであり、空(そら)のようになること。
それらは地球上ですべての存在を包み込み、そして見守っています。
その中ですべての存在は相互に関連し合い依存し合っているのです(「空(くう)」)。
つまり、空っぽになるとはすべてのものと関連し合い一体となることなのです。
そのためには「僕」を超えていく必要があります。

数日前、「天を歩く」を大人ミーティングでシェアした時、いさどんは以下のように言いました。

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確かになかのんのブログには「僕」が多く使われています。
それはなかのんが自分を調整する必要がある段階だからで、仕方がないことです。

この文章に関して言えば、今、聴いていて、
8mmフィルムの映像がコマ送りで流れている様子が浮かんできました。

天を歩く。

天とは宇宙であり、地球も宇宙の一部です。
そして地球の反対側の人たちは、僕らが地面と思っている方向を天と呼んでいます。
すると僕らは毎日、天を歩いているのです。

そのことに気づくかどうかです。

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「僕が多い」という言葉を貰ったということは、その状態を超える時が来たということです。
自分の調整にはエネルギーを使わず、すべてのものと関連し合い一体となる。
それと同時に、空(そら)や空気のようにすべての存在を包み込み、見守るあり方。
それが本当の空っぽであり、そこを目指せというメッセージを今貰っているのです。

「僕」を離れて、空気を読んで必要ならば空気を変える。

そんな気持ちで日々を生きることが、本当の空っぽへと至る道だと思いました。

1年前にした「空っぽ」への決意。

それを新たに、これからもこの道を歩みます(^-^)









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