集い語り合う中から生まれる真理

北朝鮮が核実験を実施し母なる大地を震わせた9月3日、木の花ファミリーでは稲刈り神事が行われ、大地からの収穫に感謝を捧げていました。自分たちの利害や損得で勝手気ままに振る舞い続けている人間ですが、大地は恵みを与え続けてくれています。

太陽や自然は見返りを求めることがありません。ただ与え続ける利他の精神の見本となっていますが、それがずっと続く保障はどこにもありません。実際に今、各地で異常気象が起こっています。

人間は自分の意志で生きていると思いがちです。そしてその心が傲慢な行動へと繋がりますが、この世界に存在するものは皆、自然や他者に生かされ存在しているのです。

お米をはじめとする作物はそんなことを教えてくれます。



ところで北朝鮮は核実験の前にミサイル発射を繰り返していましたが、それについては、以下のような説もあるようです。

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ワイドショーやニュースは北朝鮮からミサイルが飛んできたと大騒ぎしますが、大企業の経営者や銀行の幹部達は全然あわてていません。

なぜなら、北朝鮮という国がアメリカやニホンから何兆円もの援助金をもらっていると知っているからです。

そして北朝鮮はその御礼として定期的にミサイルを発射し、これによって国は「危険な状態ですから防衛予算を引き上げましょう」と国民を説得し、アメリカはニホンに武器を売ることができるわけです。

このように各国の支配者が連携して国民をだます嘘の劇を「ドラマトゥルギー」と言います。


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この話が本当かどうかは分かりませんが、仮に本当だとしても人間が地球上で勝手気ままに振る舞い地球を痛めつけていることは事実です。そして、一つボタンを掛け違えたら戦争に発展しないとも言えません。今、人間は自らの愚かな振る舞いによって自らを滅ぼす可能性すら持っているのです。

例えば、上記の話を信じる時、その奥にはどんな心があるかを見てみるといいと思います。もし騙されていたとしても攻撃されることはないことになります。そこからほっとする気持ちが生まれるかもしれません。もしくは、今の世界の酷い状況を一部の支配者に擦り付ける気持が生まれるかもしれません。どちらにしても今の世界の状況に対して責任を負わないことになりますが、その姿勢が今の世界を生み出しているとも言えるのです。

9月3日の夜、僕たちはみんなでいさどんブログ「八人目の聖者~道は一つ、心は一つ」を共有しました。以下、その一部分を引用します。

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尊きものを見つけ、そこに行き、
救われることよりも、自らが尊きものとなって、
他を救えるようなものになれ。
これからは、ひとりびとりがイエスやブッダであるぞ

 ~ 中略 ~

お釈迦様が、
「ガンジスの川の砂のごとく衆生はおる。
そのすべてに仏性あり」と言われた。
「どんな人間の中にも、仏になる種が入っておるぞ」
というふうに言われた。
それはよくあるお釈迦様の言葉として、
世の中にもそれを知っている人は沢山いると思う。
しかし、僕にお釈迦様は、そのあとの言葉を言われた。
「ただし、その道を歩んだものにだけな」と。
「すべてのものの中に真実の種があり、
すべてのものに悟りへ行く道があるんだけれど、
その道を歩まないものにはないぞ」と言われた。

そして、
「これからは、ひとりびとりがイエスやブッダであるぞ」
ひとりびとりが自分の中にある、
宇宙の中心からくる神性、真理の種を開花させて、
自分の中から光を外にほとばしらせる。
そして、人に救われることばかりのもの、
亡者として生きるのではなく、
自分の中から光を出して他を救えるようなものになる。
自分で自分を救えるもの。
それが連鎖していけば、誰も救われる必要がない。
ひとりひとりが目覚めて、
キリストとしてブッダとして人々があったならば、
この世界は救うものも救われるものもなく、
それこそが理想の世界。地上天国になる。

 ~ 中略 ~

ベトナムの僧侶、ティク・ナット・ハンが言った言葉、
「次のブッダは人間の姿で現れることはないだろう。
次のブッダはコミュニティの姿で現れるだろう。
それは他者を理解しようと努め、
互いを慈しむ優しさを持ち、
大事なことを常に意識しながら、
人々が暮らすコミュニティである。
これこそ地球の命をつなぐために私たちにできる、
最も大切なことではないだろうか」
という言葉にもつながる。

僕は、瞑想の時代にお釈迦様に問うた。
「こうやって私もいつか人々の心の問題に答えながら、
人々が集まり、組織ができ、
新興宗教の教祖のようになるのでしょうか。」
そうしたら、お釈迦さまが言葉を返されて、
「これからの時代、組織をつくるのではないぞ。
人々が集え。集い語り合え。
語り合う中から真理が生まれる時代である。
そういった中から世は開かれる」と言われた。
「そのひとりひとりはすべて今の仲間、
そして地球にいる仲間たち」、

そこに気づくことができた。

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今まで多くの人が他者に救いを求めてきました。宗教に救いを求めたり、政治や経済に救いを求めたり、環境の変化により自分が救われることを求めてきました。そして、今の状況に責任を負わず、自我の赴くままに行動して来ました。その結果が今の世界の姿です。

自我の赴くままに。人は自我から生まれる欲望に翻弄され続けてきました。

これからは一人ひとりが目覚め、自らに柱を通し、自らを救っていく必要があります。柱とは自我から離れた視点、この世界の法則、循環の中で支え合い生かし合う暮らしです。その暮らしの中で自我は溶かされ世界へと流れていきます。それが集い語り合う中から生まれる真理であり、その真理は固定したものではなく次から次へと新しく生み出されていくものです。それが、木の花ファミリーが表現しようとしている世界であり、世界を真理の光で照らしていくのです。

北朝鮮の暴挙。これは金正恩氏が自我の赴くままに行動し、自我に翻弄された姿です。

その自我は、人々(国々)が繋がりを取り戻した時、大いなる循環の中に溶かされていくことでしょう。



雨に地球の心を感じる(2017)

朝、散歩に行こうとしたら、ひみちゃんが走り寄って来ました。


 「どこいくの?」

 「散歩」

と会話を交わし、そのまま2人で30分ぐらい歩きました。

夢の話などいろいろな話しをしましたが、その中に、太陽の国のお話もありました。

「太陽の国の王様は怖いけれどもとっても優しい。悪い人には怖いの。でも太陽の国には刑務所とかはなくて、王様はただ怒るだけなんだ。」

ひみちゃんはそんなふうに語っていました。そんな話をしながら歩いていると、雨が降ってきて、雨脚は次第に強くなってきました。

「北朝鮮と韓国が戦争をするって言っているから、地球が怒っているの。
だから雨が降ってきた。怒っているから強く降っているんだよ。」

ひみちゃんはそんなふうに語りました。傘を持たずに出かけたため、2人でしばらく地球さんの怒りの雨を浴びることになりました。

「ちゃんと地球さんのメッセージを受け止めないといけないね。」

二人で確認し合いながら歩き、最後は走って「おひさまハウスひまわり」まで戻りました。そして、タオルで拭いて、その後もしばらく二人で遊んでラジオ体操をしてバイバイしました。朝からとても豊かな時間を過ごしました(^-^)


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上記は2年前の8月、小学生のひみちゃんと交わした会話です。当時、軍事境界線付近で地雷が爆発したことを機に南北朝鮮の対立が悪化し、戦争が起こるのでは?と懸念されていました。この危機は緊張緩和の合意がなされることで避けられましたが、今の北朝鮮を巡る緊張は当時を上回っています。そんな中、アメリカ南部は大型ハリケーン「ハービー」が襲われ豪雨により大きな被害を受けました。

このタイミングの大雨からは地球の怒りを感じます。

今年の6月。アメリカのトランプ大統領は地球温暖化対策であるパリ協定からの離脱を宣言しました。近年多発している大型ハリケーンや台風は温暖化との関連が想定されています。そのためトランプ政権は、ハービーによる被害をきっかけに、大統領への批判が強まることを警戒しているようです。

自らの威厳を保つためにミサイル発射の実験を繰り返す金正恩氏は、世界から非難を浴び、国連から制裁を受けても今のところ姿勢を改めていません。その金正恩氏が対抗心を燃やしているアメリカのトランプ大統領の姿勢も同じようなものといえます。パリ協定からの離脱は世界各国から非難され、ハービーに襲われ大きな被害を出していますが、トランプ大統領が姿勢を改める様子は今のところないのです。

今、世界を騒がしている金正恩氏とトランプ大統領。

2人とも自国の利益やプライドばかりを追求していますが、それは現代の人々の姿勢が集約されたものと言えます。多くの人が日々の暮らしの中で、自分の利益や都合を優先しているため、そのような指導者が選ばれ、国々が対立するようになっているのです。

それに対して、母なる地球が怒りを表現しています。

地球は僕らが生きる土台。それなしには生きることが出来ません。そんな地球からのメッセージを受けて生きるためにはどうすればいいか?雨が恵みの雨となるように。その答えとして、久しぶりに地球談話を紹介しますね。

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「地球談話~真の平和を地球にもたらすには~」
2015.8.15

真の平和を地球にもたらすために、今わたしたちにできることは何でしょうか。それは広い世界観を持ち、個々の自我を超越することです。人間が自我の狭い枠に囚われている時、他者との違いによって他者に違和感を持つようになります。それが対立や争いの始まりです。しかし、わたしたちが存在しているこの世界は無限に広大な世界であり、そこは多様ないのちのネットワークで成り立っています。その調和のネットワークは、個を存在させるために全体があり、全体を存在させるために個がある相似形の仕組みによって成り立っているのです。
この世界の真実は、全てが一つということです。ですから、全てのものと自分自身との区別はないのです。このように人々の世界観が広がれば、平和な世界を創り上げようとしなくても、地球上に平和は自ずと訪れるものです。
日本の漢字に「働く」という文字があります。これは「労働」を意味します。しかし、真の意味は「傍(はた・他者)を楽(らく)」にすることです。働くことはある意味生きることですから、生きるとは自分を超えたネットワークの中で役割を果たし、他者のため、世の中のために生きることなのです。ですから、生きることは世界に平和をもたらすことになります。
ところが、今の世界は国なら国益、個人なら自身の利益を優先しているため、国家レベルの大きな戦争から個人レベルの小さな争いに至るまで、平和が保たれない状態になっているのです。それは人間の世界観が狭いことが原因です。対立や争いは、自我が優先された人間の姿勢から生まれてくるのです。
地球上の生命進化の歴史を観ると、過去6億年の間に6回大量絶滅が起きています。そしてその統計からすると、近い将来生命が絶滅する可能性があると言われています。過去から現在に至る地球生命の中で最も高い能力と大きな影響力を持つのが人間です。地球生命の頂点に立つ人間は、暴走することによって次の絶滅をもたらす可能性もあれば、絶滅の危機を超えてさらに進化した世界をもたらす可能性もあるのです。
21世紀に入り、わたしたちはいくつもの大いなる転換点を迎えています。太陽は天の川銀河を22600万年かけて1周し、その間に約9000回の螺旋を描きます。その1螺旋は25800年です。20121221日、25800年ぶりの銀河の冬至を迎え、宇宙的には闇と争いの時代から光と調和の時代に入りました。さらに、冥王星は太陽のまわりを248年かけて1周します。2008年、冥王星の1周期を経て、ヨーロッパ産業革命以降250年間続いた西洋物質文明は終焉を迎えました。そして今、東洋精神文明が開花していく時代が始まったのです。
宇宙的には、すでに一人ひとりが目覚める段階に入っています。それゆえ、多くの人々は今までの価値観に疑問を感じ始めるようになり、新たな時代に向けての価値観が求められているのです。人類一人ひとりの精神革命が国を変え、そして世界を変えます。あなた自身が変わることが世界を変えることの始まりです。それは宇宙の意志であり、時代のサイクルの表れです。したがって、個人レベル・国家レベルそして地球規模で起きる全ての出来事も宇宙の意志であり、時代の流れの中にあるのです。そのように時代を読む捉え方は、わたしたちの個人的エゴからの解放と広い世界観を持つことによって可能となるのです。人類は肉体という物理的には小さな器の中にいたとしても、最終的には宇宙全てが自分自身であるという意識に到達することもできるのです。
21世紀中に人類はその意識レベルに到達することでしょう。それはこれからの1000年間で、物質的豊かさを追求する時代から、わたしたちの内面にある未開発の能力を開花させる時代へ移行していくということです。それを司るのがまだ使われていない人間の脳の90%です。わたしたちの内面に眠る未開発の能力が開花すれば、宇宙の意志・時代の流れを感受する直観が働き、地球にいながらにして宇宙を理解することが可能になるのです。そこでは宇宙を探査するテクノロジーの可能性は大いに広がることでしょう。新たな時代を生きるわたしたちは、近代的テクノロジーと物質的豊かさに加え、高い精神性とともに進化していくことができるのです。

21世紀はわたしたちが地球人として、さらに宇宙人としての意識を持ち、この世界に貢献していく時代の始まりです。今わたしたちは、次の地球生命の絶滅のきっかけをもたらすものになるのか、それとも新たな時代をもたらす存在となるのかの転換点を迎えています。そして、人類が次の時代が示す精神性を地球上に表現した時に、平和はもたらされることでしょう。

木の花ファミリーのばあずと子どもたちとらぶちゃん

「醜い」を見ていって、「美しい」を表現する

的が外れていても一生懸命な姿は人の心を打つ。
しかし的が外れた者は的を射た者に聞かなくてはならない。

だが、聞いたことばかりをしていてはいけない。

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木の花ファミリー創立メンバーのまりちゃんは、昔、いさどんからこんな言葉を貰ったそうです。分からなくても一生懸命にいさどんに食らい付いていったまりちゃん。その様子はいさどんブログ「15年目の合格」に描かれています。以下、一部引用しますね。

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本当に出来が悪かった。まれに何も滞りのない1日が過ぎようとしていても、「今日は何か心配りをしたのか」のいさどんの一言から始まり、「正直、素直」が身についていない私は、正解を出そうと悪戦苦闘、最後は自分の正直が何なのか、分からなくなってしまう始末。丁度、昔のジャッキー・チェンの映画で、師匠は全部を語らず平然としている中で、師匠にへばりついて痛い目をしながら技を学んでいく、あんな感じです。

その日々の中で、いさどんに言われてきたのは、「空気のような存在にならなければいけない。そこに居るのかいないのか分からないが、なしでは生きていけないものだ」。つまり、自己主張するのでもなく、でしゃばりもせず、しかしそこにいて、この道には欠かせない者になれ、ということ。

いさどんは今のように全部を語らないので、私が自分で考えようとしない時には、「勘違いするな、寄り添っていくのが似合う魂と、一人で立つ魂がある」、つまり私は後者であるということ。

「グレードは違うが、俺と同じコンピューターをもっている」。つまり、的外れをなくし、いさどんと同じものの解釈ができるようになるはずだということ。

私はこの3点をいつも心に留めて、学び続けました。

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いさどんの側で考え続け学び続けたまりちゃんは、今まさに空気のような存在となっています。先日、そんなまりちゃんと沢山話をする機会があり楽しい時間となりました。まりちゃんとはいろいろな話をしましたが、特に印象に残っているのは、以下のまりちゃんの言葉です。

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広島、長崎の原爆記念日があり、終戦記念日がある8月は毎年、戦争に向き合う季節。

戦争での人間の酷い行いは人間の可能性を示していて、人間はそこまで行くということ。それは誰の中にもあること。それを否定するのではなく、それを知って、淡々と受け取って、だからこそ尊い道を行く。この世界の全部を知って、醜いを否定せずにその上で美しいを表現していく。そこに感情は挟まない。それは受け入れるというのとも少し違う。受け入れるというと「無理して自分の中に入れる」という感じが含まれるが、ただ淡々と「醜い」を見ていって、そして「美しい」を表現する。

それは一人ひとりの人間にも言えて、自分の中の最悪を知って、それを否定せずに認識し、その上で尊い道を行く。酷い自分の実態を知ることが変化、成長への一番の近道。

例えば、「やっていきます!」とか宣言する人とかいるけれども何をやっていくんだろう?と思う。宣言なんかするよりもしっかりと自分を見つめていけば、自ずとやることは見えてきて、変化していく。宣言する人ってけっこう酷い自分を認めずに切り捨てようとしている。それは良いものでありたいと思っているだけで、結局何も変わらない。

自分の中の対極の可能性、醜いを知って、その上で美しいを目指す。ただそれだけ。

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これが僕ら木の花ファミリーが心掛けている生き方です(^-^)

(右から)いさどん、まりちゃん、あまのくん



時代の意志を受けて生きる

ずっとずっと続く天の物語があって、その一部として僕はこの世に生を受けました。だから僕が生まれた意味を本当の意味で読み解くには、天の物語を読み解く必要があります。そして天の物語を読み解くには、天の流れを感じる必要があります。

天の流れは天体の動きとなって示されます。その大きな流れとしては、2012年12月21日に迎えた銀河の冬至、その前後7年間の銀河の夜明けがあります。銀河の冬至、闇のピークへ向けて、人間は個々の欲望を追求し分断と対立を極めていきました。ナチスのヒトラーはそんな中で生まれた人ですが、ヒトラーについていさどんは以下のように語っています。

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ヒトラーが上行菩薩であるという捉え方もこの世界にはあるのです。ヒトラーという魂が地上に降りる前、天の神様はたくさんの優れた魂たちに、「この役割は地上では人々のうけは悪いが、大切な役割であるゆえ、誰かそれを引き受けてくれる者はおらんのか?」と尋ねました。しかし、地上で悪人とされる役割を引き受けようとする者はなかなかいなかったのです。そのときに、勇気ある魂が「それではわたしがその役割を引き受けましょう」と言って、地上に降りてきました。そして見事、その難しい役割を成し遂げたのです。役割を終え、天に還っていったとき、天にいる魂たちからは「難しい役割だったが、おまえはよくやった」と褒め称えられ、その魂は上行菩薩として悟りに至りました。わたしたちの中には、ヒトラーという存在は悪の権化としての認識が定着していますが、あのような出来事を起こす人間がいることによって、人々は自らの行いを戒めることができるのです。

もしも、そういった悪人の人生を生きる者たちがわざわざそれを役割として生まれてきているとしたならば、善人と言われる人々はそういった悪人の役割をする人々に支えられて、善人の立場にいることになります。ですから、この世界には善も悪もなく、ただ人間の可能性の枠の中の役割があるだけなのです。そういったことを自らの感情や特定した視点から判断するのではなく、広い世界観のもとにすべてのことを情報として判断し理解した上で、活かしていくことが大切なのです。



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人はみんな生まれる前に使命を与えられますが、誕生の瞬間にそれを忘れる。

そんな言葉をよく聴きます。使命を忘れた人間は、狭い自我に基づいてこの世界を経験し、感情を育み、目の前の出来事に一喜一憂するようになっていきます。自我は様々なことを願い、望みます。それらは叶うこともありますが、叶わないこともあります。

自我の望みが叶わないことは最大の祝福です。

なぜなら、それは自我を超えるきっかけとなり、忘れてきた使命を探るきっかけとなるからです。どんな使命であったとしても、それは人間の可能性の枠の中の役割です。それを引き受ける覚悟が人を尊いものとしていきます。

ヒトラーはその時代の要請に応じた使命を生き抜いた。だから尊いと言えるです。

今、木の花ファミリーで暮らす僕の使命は?

2年前の8月。夜空を歩きながらいさどんはみちよちゃんに以下のように語っています。

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ぼくたちは
とても大それたことをしているんだよ。

大それたということは、
恐れ多くも、ということを言っているのではなく、
非常に重要で誇らしい生き方をしているということなんだよ。

いずれ、
人々が到達すべきことを
先に知ってしまうということは、
まわりにはまだ知らない人がたくさんいるということなのだから、
孤独にもなる。

しかし、
世界観が広ければ、
そのカラクリがわかっているのだから、
たとえどのような無理解に出会ったとしても、
やり続けることができるんだよ。

時代を切り開いていくことが使命だとわかっていたらね。

そうやって
世の中は開かれていくし、
惑星の動きや時代もそれを後押ししていくんだよ。

そこで、
そのようになっていくから
放っておけばなるのかといったら、
必ずそのようになるときには
ぼくたちの生きる現象世界では、
誰かがそれを受けて示すことが必要になる。

それを示すものたちは
どのような意識であるのかというと、
星の意志や時代の流れを
受け取れるものであるわけだ。

それが高い意識であり、
天とつながることだよ。

しかし、
その役割を受けたものであっても、
役割を怠っていたら、
代わりは他にもいるということでもある。

星のサイクルのように、
時代の流れのように、
時は刻んでいく。

木の花は、
確実に時代の意志を受けている。

なぜなら、
それを提唱している僕がそういう人だから。

そして、
それに共鳴した人たちと共に
歩んでいるのだから。

だから、
わからないからわかりたいとか、
こういった立場に立ちたいとか、
自我に囚われることは禁物だよ。

星の意志や時代の流れを受け取るものとして、
そこでは明快な覚悟があるからこそ、
時代の意志(天)と共に歩めるんだよ。


☆彡 ☆彡 ☆彡

すべては人間の可能性の中の役割。そして、時代は闇のピークを過ぎ、光へと向かっています。それは宇宙全体が光へ向かって上昇しているということです。自分の与えられた役割が自我の思惑と違っていたとしても、それは光へと向かう途上にあるものです。だからただただ有難くいただくだけです。それが自分ごとを離れるということであり、尊い道を歩むことに繋がります。

自我の望みが叶わないことは最大の祝福です。

感情が波立ち自分の未熟を知り、そして自我を超える道へと進めます。

人は皆、使命を忘れて生を受け、そして狭い自我に閉じ込められ、目の前の出来事に一喜一憂するようになります。喜びも悲しみも浮かんでは消える儚いもの。それに囚われ苦しんでいきます。ですが自我を超え、自らの使命を思い出し、ただ淡々と役割をこなしていけば、人は常に宇宙の流れ、時代の意志と一体となります。

出会う役割が自分の使命。その役割を果たすことで天と共に歩んでいます(^-^)







炎の中で座る~相反するものの統合~

何か必要なことを推し進めようとする時、自分の中に漠然とした抵抗感が生まれる時があります。何が・・・という理由があるわけではないのですが、なんとなくそれを避けようとする気持ちが生まれます。それはきっと、僕の元々の性質が受け身であるからなのだと思います。

話しは大きく変わって。

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エジプトよ。あなたは一人ではないよ。みんな民主主義に向けて努力していることを忘れないで。民主主義は専制政治に対する抵抗から始まった。専制政治は目の前の現実。だから戦おう!でも専制政治はみんな(+すべての組織)の中にあるロールでもある。みんな、時には自分や誰かに対して専制的になる。民主主義がずっと続くように。内なる戦いに踏み出そう。そして自分の中にある専制的な要素を取り除こう。そして、他者の視点を取り入れていこう!なぜって?それらはたいていあなた自身の声だから。世界から飛び出そう!そして心の奥底へ分け入ろう。一緒に戦い愛を深めていこう!

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上記は2013年8月、クーデター後の混乱の中にあったエジプトに向けたアーノルド・ミンデル(アーニー)の言葉です。当時、翻訳してFacebookでシェアしたのを久しぶりに目にしました。アーニーが実践するプロセスワークでは深層民主主義を掲げており、一人ひとりの心の奥底からの同意を目指しています。そして、その実践の一つとしてワールドワークというものがあります。ワールドワークでは、グループでの対話を通して一人ひとりの心の奥に入っていきます。世界で起きていることを一人ひとりの心の反映と捉え、現実社会と一人ひとりの心をクロスさせながら対話を深めていきます。アメリカのロサンジェルスの各地で暴動が起きた頃、アーニーはそのロスでワールドワークの実践をしたことがありますが、ワールドワークが行われた地域では暴動が起きなかったということを聴いたことがあります。ワールドワークの場では時に激しい対話も行われますが、その激しさの中で対立のエネルギーが昇華されていくのだと思います。

"Sitting in the fire"
 炎の中で座る。

アーニーはワールドワークの実践をそう表現しています。

僕は昔、プロセスワーク、特にこのワールドワークの実践に大きな可能性を感じ、プロセスワークの学びを深めていました。ですが、ワールドワークはあくまでセミナーでありイベントです。日常に大きな影響を与えたとしてもそれは非日常の場となります。それだけだとどうしても限界があります。もし本当に深層民主主義の実現を目指すならば、その取り組みを日常の場へと広げていく必要があります。

老若男女約100名で毎日を共にしている木の花ファミリーの暮らしは日常が深層民主主義へと至る実践です。目の前に起きる出来事を通して、みんなで学びを深めていく。その際、一人ひとりの心の奥を探り、天の流れに沿っていきます。表面上は違いがあって、それが時に対立に発展したとしても、この世界の元の心は「ひとつ」です。天の流れに沿うことですべての意見が調和の下に変化変容を繰り返し、それは美しいハーモニーとなっていくのです。

民主主義は人々の多様性を尊重しますが、人間の自我の心により表面的な違いが際立ち、対立や分断、孤独に繋がることがあります。これは心の奥、天の流れを無視することによって生まれる状態で、今の世界の姿と言えます。

冒頭で取り上げたように2013年、エジプトでクーデターが起きました。あれから4年経ちますが、世界はさらに専制的となり対立や分断、孤独が深まっています。アメリカのトランプ大統領、ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、北朝鮮の金正恩氏、トルコのエルドアン大統領などはその象徴と言えます。利害関係に囚われ対立し挑発し合う世界のリーダー達。それは損得感情でいっぱいになった人々の姿の反映と言えます。人々は心の奥へは飛び込まず、目の前の出来事に一喜一憂し、翻弄され、行先を見失っているのです。

蜜蜂のように生きる」に書いたように、蜜蜂の世界では無数に存在する働き蜂が群れの方向性を決めています。1匹1匹の働き蜂が奥の部分で通じ合い、気候や天候、自然の流れを読んでいるのです。それは天の流れの下、一つにまとまった姿であり、その姿が美しいハーモニーを奏でていきます。人間一人ひとりも、自我の心、「自分が・・・」という心を超えて奥へと飛び込んだ時、天の流れの下、一つになっていくことが出来るのです。

それは本当の自分へと至る過程でもあります。人間の自我は、目の前の出来事、表面的な喜怒哀楽に心奪われ、損得勘定に走りますが、その奥にはこの世界に生かされている自分がいて、それはすべての存在と繋がっているのです。世界が自分であり、自分が世界。自分自身はこの全世界の一つの表現であり、自分の中にすべての世界が含まれ、自分は世界の一部となります。一人ひとりがそこに目覚めた時、調和の下に多様性が展開され、きっと今ある分断や対立は超えていくことが出来るでしょう。

そこで冒頭の話に戻ります。

何か必要なことを推し進めようとする時に僕の中に漠然とわく抵抗感。僕が持つ受け身な心。これは僕の自我の偏りです。基本、受け身だからこそ積極的に動いていくことが大切なのだと思っています。そうすることで受け身と能動、相反する姿勢が僕の中で統合されていきます。陰と陽、相反するものがこの世界、そして自分を生み出していますが、自我は偏りを持って世界と自分を捉えます。その偏りに閉じこもることで、分断や対立は生まれていくのです。だから常に相反するものに心を開いていく必要があります。その姿勢が自我を超えていくということであり、それは絶え間なく続くプロセスの中にあります。

自分の中に湧き上がる心、その出どころは様々です。そこを見極め相反するものを自分の中で統合していく。そして宇宙の流れに沿っていく。その姿勢がこの世界に統合をもたらします。なぜなら、世界は自分の映し鏡だから。

僕は今、そんな道を歩んでいます(^-^)

川の上流へと向かって歩いています。




蜜蜂のように生きる

カフェ&ショップ・ロータスランドははちみつを看板商品としていて、様々な種類のはちみつやはちみつ関連商品を販売しています。販売スタッフは、お客様が求めるはちみつの知識を提供する必要があり、その再確認の場として、先日、いさどんによる養蜂プレゼンが行われました。僕はロータスランドのスタッフではありませんが、木の花を訪問するお客様の見学ツアーの担当をしています。養蜂の知識は知っておく必要があるため、その場に参加しました。いさどんからは様々な話がされたのですが、ここでは最後に語られた言葉を引用したいと思います。

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蜜蜂に接するには蜜蜂のことを理解しなければならないのです。人間が、きっとこうだろうと自分の欲を掛けて接したら絶対に蜜蜂を駄目にします。蜜蜂の都合で、それにそっていかなければ長続きはしません。蜜蜂は人の心が本当に表れる生き物です。最近よく、蜂を飼っている人がうちに来て、なんでここの蜂はこんなに大人しいの?と聞きますが、それは飼う人の性質が表れているのです。雑に扱えば蜂だって荒くなります。

蜜蜂は一つの群であって、一匹一匹は細胞と言えます。細胞は各部署をしっかりと分担して役割を果たしています。その役割は個々の役割ではあるけれども、そこには自我はなく、全体のための役割をしています。それは我々の身体と一緒です。細胞がいろいろな役割をしてくれているため身体全体の健康が保たれています。それは木の花ファミリーが心掛けている姿勢です。蜜蜂の存在自体が木の花の在り方と一緒なのです。これは地球の生態系とも一緒だし天体の星の関係とも同じです。蜜蜂ほど、我々が生きることの見本となり、それを分かりやすく表現しているものはいません。それが、我々が養蜂家であることの一番の意味だと思っています。

天から降ってくる甘い露のことを「甘露(かんろ)」と言います。地上が天国となり人間が受け皿となったら甘露が降りてくると言われていますが、はちみつはまさしく寒露と言えます。人間が単独でどんなに努力をしても花から蜜を取り出してこの豊かなモノを手にすることは出来ません。ですが、自然を理解し蜜蜂と共同作業をするとあの甘露を恵みとして貰えるのです。それは普通の畑で種を蒔いて、育てるのとはまた違う共同作業が必要です。だから本当に蜂の側に立った、畑でも一緒ですが、作物の側に立った配慮の仕方によってはじめて実現することです。

実践の話をすると、病気の話や管理の話になっていきますが、例えば蜜蜂は言葉を持っています。蜂の字ダンスがそれです。分業が細かく行われ、働き蜂は成長に伴い役割が変わっていきます。女王蜂は女王と呼ばれていますが、違う見方をすれば、働き蜂の奴隷とも言えます。働き蜂は寿命が短く新陳代謝で変わっていきますが、この蜂たちが天候を読んで、日照りが来るぞとか蜜源がないぞと判断した時には女王蜂に産卵を止めさせます。今年はいいぞとなったら、早めに産卵を促します。これは全部、女王蜂の意志ではなくて、一番寿命の短い働き蜂の意志によって行われています。特別ではないたくさんいるものたち、我々で言えば細胞ですよね。細胞11個が意志を持っていて全体を運営していると考えられます。

我々の身体も細胞一つ一つを目覚めさせるような精神性を貫き通したら、身体全体がセンサーとなります。天候を読んで危険を感じる。身体が何をどうすればいいかを教えてくれるのです。犬は人間をはるかにしのぐ嗅覚を持っていて、タカなど猛禽類の視力は人間をはるかに超えますが、人間は、すべての生き物が持っているすべての能力を有すると言われています。なぜ今の人間がそれを有していないかと言ったら、それだけ何かがボケているからです。人によっては手に目があったり、肌で何かを感じたり、神技をしますよね。人間の中にはすべての能力の最高傑作があります。だけれども、それを人間が発揮できないのは、内にあるもの、天体の会話を受けるアンテナが麻痺して機能していないからです。だから磨けば磨くほど、そういうものが出て来ます。

昔は危険の中で生きていたから、能力を発揮して生きていました。だんだん楽をして便利になって、緊張せずに生きていけるようになったためにそれらはなくなりました。今の便利な世の中で、高度な人間の能力を発揮したら、とても豊かな世界が出来る可能性があります。

時代はそのような時代を迎えています。ですが今、世界を見ると、同じ地球、同じ太陽、同じ水の下、一つの宇宙船に乗って皆で旅しているのに、核爆弾がどうのこうのと言っています。あのようなものが世界のリーダーになっているのですから、人類は未だに未熟なのです。だから本当に自我が取れて見本となるものたちがそろそろ出て来なければなりません。蜜蜂はその見本となっており、我々は蜜蜂のように生きるのです。

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人は、自然を理解し蜜蜂に寄り添うことで甘露であるはちみつをいただくことが出来ます。同じように、人生の様々な場面で、宇宙の法則を理解し、出来事に寄り添うことで天から甘露が降りてくるのだと思います。その受け皿となるためには、自分の都合、自我の心を手放していく必要があります。

心磨き、自分を知り、自分を手放せば手放すほど、奥に眠っている能力が目覚めていきます。そこに天から甘露が降りてくるのです。

蜜蜂は、個体の維持ではなく群れの維持のために動きます。それは個体と群れが一体であり、個体は常に自分を超える大いなるシステムの中に自分を位置付けています。それが個体に安定感を与え、全体で美しいハーモニーを奏でています。

同じように人間も自我を超えたら、自分がこの世界、宇宙と一体であることが見えてきます。生きることは、自分を超えた大いなるシステムの中で役割を果たすことであり、過去から未来へと繋がる時代の流れの中で、自分一人分の物語を紡いでいるのです。この位置に立った時、人間の能力は最大限に発揮され、出会う出来事はすべて天からの恵み、甘露となります。

ここでまたいさどんの言葉を引用したいと思います。

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人間性と目線によって同じ現象がどんなふうにでも受け取れる。苦痛は天の恵みだよ。我々が健全に生きていくための手助けだから。だけれども、どんなに恵まれていてもそれを不満に感じ、恵みどころか不愉快なものにしていく人もいる。だから、見る人の目線、意識の位置、姿勢が変わるとどんなものにもなる。

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物質的にはとても恵まれている現代社会ですが、人々の心の中は不満でいっぱいとなっています。社会の分断が進み、立場の違いで人々は対立し、戦争やテロ、暴動や不祥事などのニュースが日々飛び交っています。これは恵みに不満を感じている状態と言えますが、多くの人々は自我に囚われ、目線が狭くなっているのです。そのため、一つ一つの細胞である一人ひとりの人間が真の役割を果たせなくなっています。

一人ひとりの人間が真に目覚めた時、苦痛すら天からの恵みとなり、全体の中で生かされていきます。今、社会を覆っている大きな苦しみや混乱さえも、人々が目覚めたら生かされ未来へと繋がっていきます。出会う出来事すべてを自分自身の顕れとして受け取り学ぶ姿勢が、この世界を弥勒の世、桃源郷にしていきます。そして、そこに甘露が降りてくるのです。

これは蜜蜂が教えてくれるメッセージ。僕らは常にそれを意識し生きています。

蜜蜂のお世話をするいさどんです。




海としての自分を生きる

公立中学校で学校事務職員をしていた頃、職員室で当時の教頭先生に対して怒りをぶつけたことがあります。僕に頼りがちで調子の良いことを言って仕事を振り続けていた教頭先生に対し、僕は不満を溜めていました。そして、勇気を振り絞って、「しっかりしてもらわないと困る」と伝えました。教頭先生は、そんな僕に対し謝罪をし、その後、お互いに協力し合って仕事をするようになりました。この時、心が通じ合ったように感じ、僕はこういうことを伝えたのだから、「さらにしっかりしなければならない」と気持ちを引き締めたのを覚えています。

この経験は、僕の中で大切な思い出として残っていて、自分は成長したように感じて来ましたが、それは僕からの視点です。僕は今、この体験を違ったものに感じています。

僕が普段から筋を通して淡々と必要なことを伝えていたら、教頭先生も淡々とそれに応じていたと思います。教頭先生が過度に僕に頼ることも僕が不満を溜めることもなかったでしょう。つまり上記の状況は必要なことを伝えない僕が創りだしたものなのです。そして、僕は「勇気を振り絞って」伝えます。これは「追い詰められた状況から逆転する」という僕好みの英雄物語と言えます。僕は自分を被害者の位置に置くことで、教頭先生を加害者に仕立て上げています。そして、勇気を振り絞ります。これ、当時は全く無自覚ですが、自分の英雄物語、成長物語に相手を巻き込んでいるとも言えるのです。そして、教頭先生はみんなの前で僕のような若造に怒鳴られます。それはとても恥ずかしい体験で、普段から僕が毅然としていたら本来必要ないものなのです。

成長の過程とはいえ、相手に不必要な傷を与えた。

僕は今、この体験をそんなふうに思っています。

冒頭の僕の話、僕の成長話として共感してくれる人もいるのではないかと思います。もしこの話に多くの方が共感してくれたとしても、それは客観的な視点ではありません。客観的視点、それは天からの視点、個人的感情を超えた視点です。常にこの視点に沿って自分を改善していこうと思っています。

感情は浮かんでは消える波のようなものです。大きな波、小さな波、いくつもの波が同時に存在していますが、特定の波に飲み込まれると、そこからの視点がすべてとなり、海である自分を見失います。僕は今まで何度もそんな経験をしていますが、昨年の8月、そのような状態になった僕に対して、いさどんは以下のように語りました。

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自分というものを内からだけ見ていてはいけません。

外から見える自分と内から見える自分というものが、
自由自在に行ったり来たり出来る状態になることが大切です。
ブログを読んでそれが少し出来るようになってきたことを感じました。

この道を極めることが大切です。
そこに向けて真っ直ぐに行くと人の価値が上がります。
そして価値が上がると自然にみんなから支持されるようになるのです。
その位置で願いが叶っていくことが大切です。
想うと叶うというのはそういうことです。

ところがあなたの場合、叶わない現状にありながら、
願いを叶えたいという願望や欲望になっているものだから、
宇宙の法から外れてしまったのです。
だからそれは「自分のこと」であり、我欲となっていくのです。
宇宙は「もっと叶えたい。あなたの望みは全部叶えたい。」と願っています。
その代わり宇宙の法に沿って願えということです。

だけれどもあなたの願いが叶うところまであなたが高まった時、
あなたにとってその願いはどうでもよくなっていることでしょう。
だから、今、あなたが持っている願いはどこかにボタンの掛け違いがあるのです。
そのためエネルギーを使えば使うほど価値を下げる状態となっています。
それはエネルギーの出どころが間違えているということです。

あなたは自分の心の足りない部分を埋めようとしています。
それは相手を見ているのではなく自分を見ているのです。
その願いは自分の矛盾から発生しているものです。
自分の中に矛盾がなければ、矛盾を埋めようという想いは出て来ません。
ただ淡々と生きていれば、そしてそれが清々しければ、
相応しく人が集まってくるのです。
そうではなく努力して人にアプローチする行為は、
自分を埋め合わせようとしている行為なのです。

あなたの矛盾は爆弾のようなものであり、あなたはそれを抱えています。
そうするとここに出会うことであなたがどれほど救われているか。
そう思いここに出会った価値を上げるとしたら、本物となることです。

そのためには正確に振り返ることが大切です。
逃げずに自分というものに真正面から向き合い、
誤魔化さずに正確に見ていくのです。
そうすれば自分が仕上がっていきます。

あなたは自分の爆弾を忘れてはいけません。
クリアしたからと言ってなくなったと思ってはいけません。
心を磨くという志を持っている限り、
自分の中にしっかり古傷としてもっていないと
調子にのったり、忘れたりします。
そうすると古傷が疼いた時にチェック出来ない状態となるのです。

だからしっかりと向き合いクリアしそれを忘れずにいて下さい。


☆彡 ☆彡 ☆彡

人は感情という波を通してこの世界を経験し、そして自分を認識します。それが内から見える自分です。ですが、人は本来、海そのもので全世界と繋がっています。その視点から自分を眺めることが外から見える自分です。

感情の波に飲み込まれると人は海としての視点を失います。そうすると自分自身がちっぽけな波となって不足感に襲われることになります。そうして外に対象を求めるようになります。冒頭の教頭先生の話も、卑屈な感情に飲み込まれた僕が生み出した現象であり、教頭先生は自分自身の矛盾です。だから当時の僕は教頭先生を通して、自分自身の矛盾を見ていたのです。そしてそれは爆弾(怒り)へとなって現れました。

この世界で出会う出来事はすべて自分自身の現れであり、相応しく与えられています。

願いも感情と同様、浮かんでは消える波のようなものです。叶うものは自ずから、自動的に叶うし、叶わないものは叶いません。それは天が相応しく与えるものであり、叶うか叶わないかはあまり重要ではありません。大切なのは、どんな時も海としての自分を見失わないことです。海であり続けたら自分の中に矛盾が生じることはありません。変化変容を繰り返す宇宙の法則に従い常に成長し続けることが出来ます。

自分というものに真正面から向き合い誤魔化さずに正確に見ていく。

それは波に飲み込まれずに海としての自分から波を見通すことです。かつて波に飲み込まれたことがある。その古傷を忘れずに僕は海として生きます(^-^)


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