「まなこい」から11ヶ月

大石寺にて
一昨日の昼間、ひとみちゃんあわちゃん、まりねえ、しゅうくん、みきちゃんと大石寺に花見に行きました。桜吹雪がとってもきれいでその中でのんびりした時間を過ごしました。
※この時の様子は、木の花ファミリーこの話~訪問者掲示板~にも書かれています。是非、読んでみて下さいね。

昨年、一昨年と木の花ファミリーのみんなは大石寺で花見をしていたのですが、僕はそれらには参加していませんでした。特別な用事があったわけではないのですが、なんとなく遠慮してオフィスで留守番をしていました。別に誰も頼んでいないし、そんな必要はなかったのですが。素直に出掛けることをせずに留守番をしていました。こんなところにも当時の僕の心が現れているなと思いました。

ところで、僕は2009年5月20日に木の花ファミリーに移住しました。もうすぐ丸6年になります。5周年となった昨年の5月20日には大人ミーティングにて僕の「まなこい」が行われました。

「まなこい」とは何か?

それは「まな板の上の鯉」の略で、僕はまな板の上の鯉のように抵抗することなく、みんなに自分を晒し料理をしてもらいました。まず僕自身が自分の分析をして、それに基づいてみんなが僕についての分析をするのです。そうすることで、お互いの認識のギャップを埋めて、みんなで客観的な視点を身に着けていくことを目的にしていました。

まな板の上の鯉を演じています。
この「まなこい」の場で僕は以下のようなことをみんなに伝えていました。

  • 自分は基本的に場を創りたくない人。
  • みんなの前で話をしようとするとただの事務連絡だけでも心臓がバクバクする。
  • この場をよくしていこうという提案に乗れない自分がいる。そのため「こんな自分はここにいてはいけないのではないか?」という考えが浮かんでくる。そして、実際に出ていくことをシミュレーションしてみる。「自分が出ていくならば、引継ぎとして最低でも1ヶ月は必要だよな~」とか「ここを出て行った場合、道義として同じような暮らしは出来ないよな~。そうすると、生きていくために適当な仕事を探して無気力で生きていくのかな~。」なんて考えて、「こんなことを考えても仕方がないので、ダメかもしれないけどやれるだけやろう」と言い聞かせて過ごしている。

そんな僕に対してみんなが見える視点を伝えてくれました。

  • こんなふうに言うことでなかのんは失敗した時のための予防線を張っている。
  • 本当は良くしていきたい気持ちがあるのに、それを推し進める力がない。ならば人に心を開いて頼ればよいのに、それもプライドが高いために出来ずにいる。
  • なかのんは無駄な思考、エネルギーを使っている。ここを出ていくことに良いイメージがないのに、そんな考えにエネルギーを使っている。湧いてきた無駄な想いを手放していくということをしているようだが、本当に高い視点を持って、その位置にい続けたら、そんな想いは湧いてくることがなくなる。そこまで自分を高めることが大切。

僕は、自分の気持ちを出さずにいたのです。そして、そのために停滞していました。「まなこい」ではそのことが確認され、自分は「出していきます」と宣言をしました。

その後、僕は変わっていこうと意識をして気持ちも出すようにしていきました。この時、僕は変わっていく自分の姿をイメージしていました。それは、「積極的に発言をして、仕事もバリバリして場に良い空気をもたらす自分」です。そんな自分を目指し努力をしました。でもこれは功を奏しませんでした。どんどん仕事量を増やすことで、いつの間にか仕事に埋没し、いっぱいいっぱいになってしまいました。そんな僕は、昨年の9月(だったかな?)みんなから「オフィス障がい者」の認定を受けました。

どうもなかのんは心磨きが苦手な様子。だから何度みんなが伝えても仕事に埋没することを繰り返している。障がい者と言っても過言ではないだろう。だが、仕事でここに貢献していることは認める。なので、大人ミーティングも出なくてもよいので、好きなだけ仕事をして、ちゃんと休むように。

オフィス障がい者の趣旨はこんな感じです。心磨きを一番の大事にしている木の花ファミリーで、その心臓部である大人ミーティングに出なくてもよいという認定を受けたのです。それぐらい僕は絶望的に変わらない人間でした。

ところが、昨年の12月頃からなぜがみんなに「変わった」と言われるようになりました。この変化については昨年末「天の物語を生きる~1年の振り返りとして」に書きました。それをもう一度ここに引用したいと思います。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕はこれまでずっと自分の物語を生きて来ました。

それは「世界が僕を変える」や「世界と一緒に変化を楽しむ」に書いた英雄物語だったり、「僕といさどんと木の花ファミリー」に書いた「虐げられた状況から逆転する物語」だったりします。その自覚はずっとあって、それを意識的に変えようと努力を重ねてきました。ですが、それらの努力は功を奏しませんでした。僕は変わりませんでした。

そんな中、今年の9月24日、このBLOGを立ち上げました。タイトルは「木の花ファミリーの経済から世界を見る」。「世界を見る」とタイトルをつけたからには、そこに書かれるものは、世界を意識したものでなければならない。そんなふうに思いました。そして普段から世界で起きていることと木の花ファミリーの暮らしを繋げて考えるようになりました。そうすることで、この暮らしの意味をあらためて感じることになりました。そして、その意識を保つために一定のペースでこのBLOGを書き続けました。

すると大人ミーティングが今まで以上に面白い場となってきました。そこから世界が見えるのです。
そんな大人ミーティングの場で、12月の初め不思議な体験をしました。その時、いさどんがみんなに向って語っていたのですが、僕は天から暖かいエネルギーが降り注ぐのを感じたのです。いさどんの話が天の扉を開き、そして、天からエネルギーが降り注いでいたのです。そのエネルギーはとても大きく暖かいものでした。僕はこの時、初めて天の存在を感じました。ずっとあることを知っていた天の存在をリアルに感じたのです。この日から僕は天に意識を向けるようになりました。

天に意識を向けると、自分の感情や枠を超えることが出来ます。自分から自由になって、天の温かさを感じることが出来ます。それがとても心地よく毎日がとても幸せなのです。そんなふうに過ごしていると、周りから「変わった」と言われるようになりました。

このBLOGを立ち上げた時、僕は別に「変わろう」とは思っていませんでした。ただ広い視点を持つことを心掛けて毎日を過ごしていました。その結果、僕はとても幸せになりみんなに変わったと言われます。一方、僕が意識的に変わろうと努力した時、僕は変われなかったし、あまり幸せにもなれませんでした。

その違いは何か?

僕が意識的に変わろうとした時、僕は自分の変わる姿をイメージしていました。評価される自分、出来る自分をイメージしていました。要は自分がかわいかったのです。そして、自分に囚われていました。その囚われが僕の変化を邪魔していたのでしょう。

今は自分に対するイメージは持っていません。「どうなりたい」という思いもありません。ただ、天を意識し感じ続けること。それが僕の一番の望みで、それだけ出来ればよいのです。だから僕はこれから何があってもずっと幸せだろうなと思います。

僕を変えて幸せにしてくれたのは世界であり、天です。
自分では幸せになれませんでした。
だから、これからは天の物語を生きていきます。
それは僕を幸せにし、そしてみんなを幸せにする物語になるのだろうなと思っています(^-^)

☆彡 ☆彡 ☆彡

今も昔も世界中で様々な対立や争いが起きています。多くの人々が平和を願い努力をしているのに、変わらずに戦争や紛争が起こり続けています。それは多くの人々が自分の物語を生き、思い描いた「平和な世界」を実現しようとしているからかもしれません。その「平和な世界」はそれぞれの人にとって都合の良い世界で、みんなが幸せになる世界ではないのかもしれません。多くの人々が天に委ねて天の物語を生きる時、きっと大きな変化が起きるのではないでしょうか?

どんな変化が起きるのか?

それもすべて天に委ねて、ただただ心を世界に開いて生きていく。そんな生き方をする人たちが増えたら、きっと世界は変わっていき、一人一人の個性が生かされた平和な世の中が実現するのだろうなと思います。

そんなふうに思っている今の僕から、「まなこい」当時の僕について振り返りをしてみたいと思います。

仕事に没頭して人との交流がない状態だと、人と関わるのが億劫になります。話をするのも面倒になります。こういう心の状態だと、確かに「ただ事務連絡をするだけ」で心臓がバクバクすることがあります。そして、他人からの働きかけも煩わしくなります。

僕は2月~3月に掛けてとても忙しい時期を過ごします(「世界のお金がみんなのお金になるように」を参照して下さい)。そのため人との交流も少なくなります。「まなこい」をした昨年の5月はその状態を引きずっていたのだと思います。これは心に薄い膜が貼っている状態で、すべての言葉が表面的になって深まっていきません。「まなこい」当時、僕は他人と以下のような会話をしていました。


Aさん : なんて場を創りたくないの?

なかのん : 場を創りたくないから。

Aさん : 話すことに苦手意識があるのかな?

なかのん : 別に苦手意識があるわけではない。

Aさん : 失敗することを恐れているのかな?

なかのん : 失敗することを恐れているのではないと思う。


自分から何かを語りだすことはなくて、相手から質問をされても一言で終わってしまう。自分自身を見ていこうという気持ちがないのです。こんな状態でいくら言葉を交わしても無駄で、中身のない言葉を重ねるだけなのです。

今年の2月も物理的にはすごく忙しく仕事に集中する必要があったので同じような精神状態になりかけました。ですが、みんなの支えの中でなんとか持ちこたえることが出来ました。それでも天との繋がりは薄くなってしまいました。今はその繋がりを再び強めることを意識して生活しています。

毎日1つ。いつもと違う行動が出来たらいいなと思っています。その行動は頭で考えるものではなくて天から降りてくるものです。そんなふうに行動していられたら、ずっと変化を楽しんでいられるでしょう。

ということで最後に再び、大石寺の桜の写真を紹介します。桜は命の儚さ、美しさ、潔さを現わす花です。美しく咲いて潔く散っていく。そして、それは大いなる循環(変化)の中にあります。その心を忘れずに生きていきます。













2 件のコメント:

  1. なかのん ブログ更新ありがとう。改めてなかのんのブログをいくつか読み返させてもらいました。とてもとても良い記事だね。「天の物語を生きる」。こうやってブログを読み返すことで、なかのんが何かを考えていたか、何を考えているかよくわかります。と同時に、僕の中で最近湧き上がってきている感覚と、そうではない状態の時の感覚を思い起こすことができて、なるほどー、っといった感じで共感出来ます。「自己イメージ」=「枠」だと思うのですが、僕も最近は「天に意識を向ける」ことが一番心地よく、安らかな時間になり、人と話す時もそのようにできるだけ意識しています。それがあわりーぬなんだけど^^;これからもブログ楽しみにしています!

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  2. あわちゃん コメントどうもありがとう。「自己イメージ」=「枠」。確かにそうだなと思います。そこから自由であればあるほど軽やかに生きられるのだろうね。お互い「天」に意識を向けて自由に生きていこうね。

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