この世界は鏡(かがみ) ‐ 神(かみ)と我(が)が出会う場所

木の花ファミリー通信2018年冬号のテーマは、「死生観第四部・性~すべてのはじまり」です。以下、その一部を引用します。

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私たちの生きる世界は、陰と陽の相反する二つのものが互いを成り立たせ合う「対向発生」の原理によって創造されています。この宇宙創造の原理を、性と言います。性という字は、「忄(こころ)」が「生きる」と書きます。「忄(こころ)」は、中心に天から柱が降り、その左右に陰陽の相反するエネルギーが生まれることを表しています。それは、天(宇宙)の心です。そして中心に立つ柱は、この世界を成り立たせている天の法則です。天の柱のもとに、陰陽の対向発生によって現象化が起きる仕組みを、天の心と言います。

そもそも、私たちはなぜ生きているのでしょう。それは、私たちを生み出し存在させているこの世界が、先にあるからです。

現代の多くの人々は、自分の力で生きていると思っています。しかし真実は、この世界があるから自分が存在しているのであり、この世界に存在するありとあらゆる生命、物質、現象、そして私たち人間も、すべてはこの世界を創造する天の法則のもとに生まれ、その法則により維持され、世界が成り立っているのです。その仕組みに沿い、それを柱として生きる生命の本来あるべき姿が、性という文字に示されているのです。

ところが現代の人々は、性を大きく取り違えています。自らを生かしている世界の仕組みに沿うのではなく、内から湧き出す自我の欲望を満たすうちに、人々は法則の存在を忘れ、性をストレス解消や快楽を得る手段ともするようになりました。そのように欲のままに行うことで後ろめたい心が生まれ、性は隠し事となり、歪められ、ついには売春やレイプのように本来の姿からはほど遠いことまで起きるような、真実とはかけ離れたものとなってしまったのです。性という創造のメカニズムが狂うことで、そこから生まれる世界のすべてが狂っている ──── それが現代社会の根本にあり、そのあり方を切り替えない限り、世界が健全になることはあり得ないのです。

私たちは性を通してこの世界に生まれ、性を通して次の時代に命をつないでいきます。それは、私たちが生命として誕生し、世界を維持し、時代をつなげていくために欠かすことのできない命の根本原理であり、神聖なものです。私たちの原点は性にあり、本来、人間に備わっている本能的欲求は、人間の尊厳を高め、生命世界に寄与するためにあるのです。

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この世界は、陰と陽の相反する二つのものが互いを成り立たせ合う「対向発生」の原理によって創造されていて、この宇宙創造の原理が「性」であり、すべての現象はそこから生まれます。人間の自我もそのような原理の中で生み出されたものであり、それは天と相反するものとして存在します。その存在目的は、天から離れるためではなく、天と共に新たなものを生み出すためにあるのです。ところが、自分で生きていると錯覚した人間は、天の法則を忘れ、自分の都合の良い世界を作ろうとすることで、天から切り離され、孤独となっていったのです。天とはこの世界そのもの。自我にとってすべての存在は本来、「対向発生」を生み出すパートナーであり、この世界で出会う出来事はすべて深遠なる真理へと向かう旅の途上にあるのです。そのことを木の花ファミリー通信2018年冬至号には、以下のように述べられています。

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万物は、パートナーシップの仕組みによって成り立っています。私と宇宙、私と太陽、私と月、私と地球、私と土、私と空気、私と水、私と生命、私と心臓、私と手、私と足、私と動物、私と植物、私と微生物、私と誰か、そして、私とすべて。私たちはいつも、すべての存在と共に生きているのです。それぞれの関係性に、遠い近い、濃い薄いはありますが、どれも欠かすことのできない大切なものであり、それがあるからこそ、今、私たちはここに存在しています。この世界に、単独で存在しているものは何ひとつありません。なぜなら、宇宙の本質はつながることにあるからです。つながるとは、善意であり、私とすべては善意による深い絆で結ばれ、そのつながりの中で生かされているのです。

そのようにこの世界の成り立ちを捉えた時、世界に孤独は存在しないことが観えてきます。今、多くの人々が、自分と世界をつなぐ絆を見失っています。目に見えるものだけが大切になっていく時代の流れの中で、たくさんの存在とのパートナーシップによって生かされていることが観えなくなった人々は、「自分一人の力で生きている」と錯覚するようになり、自分だけの幸せを追い求めるようになりました。その結果、社会に格差をもたらし、優劣の概念を生み、私たちの命を育んできた地球生態系さえ傷付けるようになりました。地球生態系は、今も変わらず私たちの命を育んでいるにもかかわらず、その絆は人間の側から一方的に分断されています。こうして現代は、多くの人々が絆を見失った孤独な人生を生きるようになりました。


しかし真実は、私たちは宇宙根本原理の性という、天の心を顕わす仕組みを通し、それぞれにふさわしい位置と役割を与えられ、他のたくさんの存在たちと共に、この世界へと生み出されました。その無数のパートナーシップが連鎖していくことで世界は成り立っており、最終的には、すべての存在が天との対向発生の中にあるのです。そのことに気付いた時、世界にはもはや、孤独は存在しません。そしてあなたの周りに存在するすべての関係が、宇宙の深遠なる真理へと向かう、深い学びの機会を提供してくれます。良いと思えることも悪いと思えることも、すべてはあなたとのパートナーシップを通し、真実に目覚めさせるための善意の心から発生しているのであり、その対向発生の中心には必ず、天の柱があるのです。

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人間は長らく、自分の都合の良い世界を求めることで、多くのものを封印し、一面的な世界を創って来ました。国常立尊(クニノトコタチ)、瀬織津姫(セオリツヒメ)などの神様はその象徴で、道理や女性性が封印されることで、欲望に基づく物質的豊かさ一辺倒の世界が生まれ、心が蔑ろにされてきました。今、世界各地に起きている自然災害は、そんな人類の姿勢に対する相応しいメッセージであり、気付きを促しているのです。

今、国常立尊(クニノトコタチ)や瀬織津姫(セオリツヒメ)の封印が解かれることで、道理や女性性が復活した世の中が訪れようとしています。神とは物理性であり、この世界の法則そのもの、つまりは天の法則です。天と相反するものとして生み出された人間は、神様を封印することで、天の法則を蔑ろにしてきましたが、これからは天の法則の元、相反するものが互いを生かし合い、新しいものを生み出し続ける時代となっていきます。

神(かみ)の中に我(が)が入ると鏡(かがみ)となります。この世界は、神 - 天の法則と我が出会う場所、鏡なのです。そのことをジイジは以下のように表現しています。

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生きるとは、自らの魂が生み出す「思い」を表現することです。思いは、それぞれの響きを持っています。私たちが生きて、思いを表現すると、その思いの響きがこの世界の何かしらに当たり、ふさわしい現象となって自らに返ってきます。自分がどのような響きを発するかによって、世界はその響きに正しく応え、ふさわしい出来事を与えてくれるのです。そうすると、人生で出会うすべての出来事は、自分自身を観ていると言えます。つまり、この世界は鏡なのです。

 ~ 中略 ~

生まれてきて、生きることは、命の仕組みです。それは宇宙の法則の中にあります。人生を生きるといろいろなことに出会いますが、その出会いは、自らの魂が何を発したかによって、それにふさわしい出来事が返ってきたということです。返ってきたものを見て、私たちは自分自身を知るのです。


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この世界は鏡、そこは、神 - 天の法則と我が出会う場所であり、パートナーシップの仕組みの元、すべてが善意による深い絆で結ばれている世界です。そこで人は、我(が)を存分に表現する自由を与えられていますが、それは天の法則から離れるためではなく、天の法則を学び、天との「対向発生」を生み出すためにあります。そこで僕が取る姿勢は、「思い」を表現しながら流れを観ていく姿勢で、ジイジの言葉を借りるとこんな感じとなります。

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そこで、僕たちは何をしているのかというと、天の意志を探っている。どういう意向があるのかという流れを観ている。僕がよく皆に言う、頭を使えというのは、ものを偏らずに観て、流れを観ていくということ。何をもって正解として受け入れるかどうかというのはない。現象をもって真実とすべしだから、成ったことを受け入れていく。成ったことで、天の意志を探っていく。

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性とは、陰と陽の相反する二つのものが互いを成り立たせ合う「対向発生」により新しいものを生み出すこの宇宙創造の原理のことですが、それを健全なものとし、世界を健全にするために、我を持つ自分と相反する存在である天の意志を探り、天の意志に沿っていくのです。そして「思い」を表現しながら、常にいただいた結果を今の自分の答えとし逞しく生きていきます。




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