天上天下唯我独尊から天上天下全我全尊へ

仏陀がすべてが繋がり合うこの世界の中で「天上天下唯我独尊」と語ったのは、自分が消えたら認識が消え去るから。これは認識に価値を置いた言葉で、人間を人間にしている人間らしさは「認識」にあると思っています。

だけれども、人間の認識は自分の身体や経験に縛られていて、そのままではこの世界の真実の姿を観ることが出来ません。だから心を磨いて自我を手放し自分の視点を超えていくことが大切なのだと思っています。


自分の思惑や感情を手放し目の前の出来事に心を開き、そこから学ぶトキ、変化は自ずから起きて、そして自ずから成長していきます。自分の想像を超えた自分と出会うことが出来ます。

多くのヒトが共に暮らすコミュニティは多くの視点が混じり合うことで自分の視点を超えるようにと導いてくれます。その先にあるのは、この世界の実相への認識。それは無限の深みがあるもので、探求しても探求してもきりがなくて、いつも自分の想像を超えてきて、面白く面白くて仕方がないものなのです。




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上記は昨年の6月、「あなたにとって人間らしさとは?」という質問に対して答えたものです。この世界に認識が生まれたのは、相反するものが存在するからであり、認識を生み出す自我は、天とは相反するものとして存在しています。相反するものとしての自由が与えられた自我は、自分で生きているという錯覚に陥り、天の法則を忘れ、自分の都合の良い世界を作ろうとすることで、天から切り離され、孤独となっていきました。

天上天下唯我独尊

本来、その「我」の中にはすべてのものが含まれているのですが、今の人間はそのことを忘れているから、「自我」を手放し天に心を向けることが大切となります。ですが、それは「自我」と「天」というように固定することではありません。そのことをジイジは以下のように語っています。

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「あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。」というマザーの言葉。それは自我を捨てて、天のままに生きるということです。僕は昔、それを天のマリオネットと表現しました。でも、その考えは今は変わっています。昔、夜、外に出て上を見て、月が出ていれば月、星が出ていれば星、曇っていたら、その上に星や月を想像して語っていました。

「神さま、私はあなたの意志に沿うものです。」

そうすると、そういうことを語っていた時、その間違いに気付きました。「あなたの意志に沿うものです」ということは、あなたという意志があって、そして、それを受けている自分がいるということです。でもよく考えてみたら、あなたという意志はわたしに表れています。だから、本当のそれが通じた時に、私の意志はあなたそのものなのです。

あなたはわたし、わたしはあなた。

その時、「神さま」とそこに気持ちを向けたり、「あなたの意志」というようにそこに特定を持った時に、すでに自分、自我を成立させているのだと気づいたのです。

まわりてめくる。

すべては新しい出来事として学ぶべきことです。常に新鮮で新しい毎日が来るわけですから。

                       「相応しいものになっていく。」より

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本当に通じたトキには、私の意志は天そのものとなります。この世界は、陰と陽の相反する二つのものが互いを成り立たせ合う「対向発生」の原理によって創造されています。天と相反するものとして存在している自我は、天と「対向発生」するために存在するのであり、その奥には天の意志が隠されているのです。その意志を感じることが出来れば、私の意志は天そのものとなり、天と自分は対等な存在となります。

世界を一つの身体にたとえたならば、自分の存在は1本の髪の毛のようなものかもしれません。役割としてはごくわずかなもので、短い期間しか身体に留まりませんが、1本の髪の毛は心臓や肺、身体全体と対等なものです。自分の役割に徹し、身体全体を担うものとしての誇りが1本の髪の毛を身体全体と対等にしていきます。僕も世界に対してそんなふうな存在となっていきます。

自分の「思い」は天の意志の顕れです。それは、その「思い」に固執しろということではなくて、思う存分に表現することを通して天の意図を探っていくのです。自分の「思い」は全体の中の役割として与えられたもので、天の意図は自分の想像を超えていて、常に分からないものです。だからこそ先に行くことを楽しむことが出来るのです。「思い」から自由になることで、自らの「思い」と世界を楽しめる。その姿勢について、ジイジはこんなふうに語っています。

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そこで、僕たちは何をしているのかというと、天の意志を探っている。どういう意向があるのかという流れを観ている。僕がよく皆に言う、頭を使えというのは、ものを偏らずに観て、流れを観ていくということ。何をもって正解として受け入れるかどうかというのはない。現象をもって真実とすべしだから、成ったことを受け入れていく。成ったことで、天の意志を探っていく。

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この世界は相反するものの「対向発生」の原理により創造され、自我は天と相反するものとして生み出されました。時代が分離へと向かう中で、自我は、自らの都合の良い世界を生み出し、天から離れていくことで、自然災害や戦争や紛争など、それに相応しい世界が表現されてきましたが、銀河の夜明けを経て、時代は今、統合へと向かっています。陰と陽、男性性と女性性、天と自我、自分の内と外、相反するものが統合することにより「対向発生」による豊かさを表現する時代へと向かっています。そのトキ、すべての存在の「我」は、天との「対向発生」を生み出すものとなり、一人ひとりの個性が花開きながら調和した世界が生まれます。

天上天下全我全尊

2019年の冒頭にそんな言葉が浮かびましたが、多くの人々の「我」は、いまだ自分の都合を追い求め天とは分離し、社会の分断が進んでいます。

そんな中、僕が暮らす木の花ファミリーは、一人ひとりが自らの「我」を見通すことで、すべての人が全体性を意識し天と対向発生する場を創ろうとしています。最後に、その木の花ファミリーの正月風景を紹介して筆をおきますね。今年1年どうぞよろしくお願いいたします。

1日の朝、みんなで初日の出を見に行きました。

1日のお昼です。
1日のお昼です。
1日の夕食です。
1日の夕食です。
夜は子どもたち企画の元、みんなで遊びました。これはフルーツバスケット。
全世代参加の木の花リレー。まずは小さな子ども。
木の花リレー(小学生)
木の花リレー(子どもを乗せて腕立てをしてから走ります)
木の花リレー(途中で洗濯物を畳みます)
木の花リレー(腹筋をしてから走ります)
2日の夕食は餃子。子どもたちも一緒に600個以上作りました。


元旦の初日の出。雲の隙間から一瞬だけ姿を現してくれました。

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