人生とは場創りである(2)

今日、5月20日で木の花ファミリーに移住して丸9年となりました。これから10年目の日々を送ります。「10」はカタカムナで統合・悟り、そして「10」は「1+0=1」で新たなる旅の始まりでもあります。木の花ファミリーで暮らした9年間を一つの気づきとして昇華させ、これから一つ次元の上がった旅が始まります。

木の花ファミリーに移住して丸5年となった2014年5月20日、僕はみんなに対して「場創りをしたくない」と宣言をしました(「まなこいから11ヶ月」を参照)。そんな僕が今年の2月、「人生とは場創りである」と語るようになりました。場創りをしなければ生きる意味がないのです。

自分の希望や願望で動くのではなく、場を大切にすることで自分の価値を高めること。そうすると思いもよらない出来事に出会い感動し、当初の願望はどうでもよくなっていきます。それがこの9年で僕が得た気づきです。

これから新たな旅が始まりますが、その前日の夜、木の花ファミリーのみんなと「モアナと伝説の海」を観ました。この映画については以前、「天下泰平ブログ/モアナと伝説の海、そしてスサノヲ」で読んでいて心に残っていました。以下、少し文章を引用します。

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「モアナと伝説の海」は、もともとはポリネシアに伝わる神話をモチーフにしたようですが、その内容はいくつも日本の神話を感じさせる物語であり、特にメインに感じた神様は「スサノヲ」でした。

荒ぶる神、スサノヲ。

国生み神話の神である父神イザナギと母神イザナミ。

イザナギから生まれた三神のうち、アマテラスは高天原を、ツキヨミは滄海原を、そしてスサノヲは大海原を治めることを任されました。

スサノヲ=海の神=ポセイドンでもあり、日本神話にしろギリシャ神話にしろ、インドの神からユダヤの神に至るまで、世界神話には何かしらの共通性があります。

モアナでは、風と海を治める半神半人として「マウイ」という人物が出てきますが、彼はおそらくスサノヲがモデルだと思います。

荒ぶる神であるマウイは、この世界を作った女神の心を盗み、無人島へと1000年間も幽閉されていました。

女神の心がなくなった世界は、闇に覆われ、世界が破滅する危機を迎えます。

この辺りは、アマテラスの岩戸隠れを連想をさせる展開です。

またマウイが神であるためのアイテムとして「釣り針」が登場しますが、これもまたスサノヲの象徴である「剣」を連想させるものであり、やはりマウイ=スサノヲを強く感じさせます。

物語の中で最重要人物(神)となっているのが、この世界を創った女神テ・フィティ

本来の姿は、横たわった女性の島ですが、心をマウイ(スサノヲ)に盗まれたことで、悪魔の神テ・カァへと変貌し、心を探し求めて荒れ狂っています。

まるで、地から溢れるマグマの神。それこそ、ハワイ島のキラウエア火山に鎮座する火の女神ペレそのものであり、おそらくは悪魔の神テ・カァのモデルはペレかと思います。

火の悪魔、火の女神に挑むのが、水の神に選ばれた主人公のモアナ。

クライマックスでは、モアナが海を割るシーンがあり、海の底を歩いていきますが、これは完全に旧約聖書に登場するユダヤ人モーセの姿そのもの。

最終的に水の神と火の神の陰陽統合によって、心を取り戻して本来の創造の女神テ・フィティに戻り、世界も平和を取り戻しますが、水の神セオリツヒメの時代や陰陽統合の時代背景も考えると、かなり奥が深い映画のように感じます。

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5月3日、いさどんがジイジとなった時にハワイ島のキラウエア火山の噴火が始まりました。5月17日にも爆発的噴火が起き、今も被害が広がっています。そのタイミングでこの映画を観ることに意味をみかちゃんの言葉で確認しました。

この物語では、マウイが女神の心を盗むことからこの世の闇が始まりますが、マウイは人間に火を与えた存在でもあり、女神の心も人間の欲望を満たすために盗んだのです。つまり人間が自らの我欲を追い求めることが女神から「心」を奪うこととなり、結果、この世界に闇が広がっているのです。それは現代社会の姿と重なります。

闇が広がる中、モアナは海から選ばれます。それはモアナという存在を超えた大いなる流れ、意志の導きです。モアナは一度、それを放棄しますが、自らの意志で再びそれを選びます。それはマウイも同様で、大いなる意志の導きを自らの意志で選ぶこと。そこに生きることの意味があるように感じました。

この映画を観た後、ジイジは、男神アマテラスやセオリツヒメの復活について語りましたが、それは宇宙の大いなる流れの中にあります。その流れの中でそれぞれに与えられた使命、それを感じ、自らの意志でそれを選ぶことで未来の扉は開かれます。

自らの使命。それはきっと、自らの希望や願望ではなく、場を大切にし自らの価値を高めることで自ずから見えてきます。だから僕は、これからも場創りを大切にしていこうと思っています。

木の花ファミリーのみんな@田楽祭田植え祭り


みんなの真ん中で溶けていく

5月20日、僕が木の花ファミリーに移住して丸9年となります。最近、「9」は面白い数字だなと思っています。「369(みろく)」「567」「432」「333」、これらすべて「9」の倍数ですが、これらの数字はすべての位を足すと、「3+6+9=18」のように「9」の倍数となります。これはすべての「9」の倍数に当て嵌まるようです。

そして「9」はカタカムナで「コ」、転がり出る。それは以下の文章が示すように変化変容を生み出し「ト(10)」、統合・悟りの一歩手前のものです。

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カタカムナによると、宇宙は、八つで飽和安定だね。八鏡文字で言えば、円があってそこに宇宙最極小微粒子の「カ」が集まっていって、そして「ヒフミヨイムナヤコト(1・2・3・4・5・6・7・8・9・10)」とエネルギーが集まることによって現象化して、この世界ができる。「コ」で転がり出て「ト」で統合する、その現象化の前の「ヤ」、つまり八の状態は、とても安定した状態だよね。そうすると、そこでは現象化は起きないんだよ。だからそれをわざわざ九まで進めた。八の飽和安定はそのまま止まっている状態だけど、九まで行くと、常に変化変容を繰り返すということ。それは地球の実体であり、宇宙の実体でしょう。飽和安定した世界も、そこを超えると、現象化ができて、それが宇宙の実体なんだよ。
宇宙というのは、本来はないもの。飽和安定の先に、「ある」ということを認識するために九を創ったのだから、その前の飽和安定の状態では「ない」んだよ。だから「ない世界」なんだよ。何もないんだから。

だけど、「アマ」というのは「ある世界」の元を創った。その「ある世界」ができたことによって、この世界はもともと「ない世界」だったけれど今は「ある」んだな、ということが理解できる。そこでトキとトコロが統合して、悟りになるんだよ。統合とは、理解なんだよ。だからさっきの話でも、「そうか、こういうふうになっているんだ」と理解したところで終わるんだよ。それが悟りだ。


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昔、小学校を卒業する際、校長先生が一人ひとりに色紙を書いてくれたのですが、そこには「苦(9)を超えなければ、充(10)の喜びは得られない」と書かれていました。「9」で転がり出ることで世界に理解が生まれ統合・悟り(10)へと至るわけで、喜びも「苦(9)」がなければ「無(6)」に帰するのだと思います。

5月20日、僕の木の花ファミリーでの暮らしは丸9年を迎えます。そして10年目の統合、一つの理解へと繋がっていきます。10→1+0=1。「10」は「1」でもあり新たな始まりでもあります。

話しは変わって。

2016年の2月、僕の下に天から以下の言葉が降りてきました。

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この世界に降りてくる前に、神さまはあなたに3つの名前を用意していました。
3つの中で真ん中にあったものが「善文」であなたはそれを選んできたのです。
それは正解でした。

善悪の善。善が先に来ます。だけれども少し間違えると悪にもなります。
そのことを心に留めておくことです。

そして、あなたは「中野」の性を選んで両親のところに来ました。
真ん中の「中」。そして野原の「野」。山ではなく広く広がる野原なのです。

みんなの中の「なかのん」

みんなの真ん中でしっかりと固めていくのです。

中(なか)を守るのです。

でも目立つ必要はないのです。
目立つのではなく深く深く沈みこんでいく。
奥で自分を広げて固めていくのです。

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その言葉を受けて当時、僕以下の文章を書いています。

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僕はずっとどちらかというと端っこにいることを好んで来ました。
あんまり自分が真ん中にいるという意識を持ったことはありません。
その意識を転換させる時が来ているのだなと感じています。

真善美を兼ね備えた人間になっていく。
その誓いとして真ん中の字をとって「善(よし)」と付け、
そして卯年の守り本尊である文殊菩薩から字をいただき「文(ふみ)」と付ける。
※僕は卯年生まれです。

これは僕が勝手に創っていた名前の由来ですが、
「善」は真善美の真ん中の字となっているのです。

僕はみんなの真ん中を生きる。

でもそれは目立つことでも際立つことでもなく、

みんなの中に溶けていくことなのだと思います。
目立とうとすると、きっとすぐに偽悪醜の方へと転げ落ちていくことでしょう。



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みんなの中で溶(ト)けていく。

溶ける(トケル)

「ト」はトキ・トコロの統合であり悟り(10)。「ケ」は、存在は感じられるが見えない状態。「ル」は継続。トキ・トコロの統合によりすべては融合され潜象界「ない世界」へと溶けだし還っていく、その状態が絶え間なく続いているのです。

木の花ファミリーで10年目を迎える僕はこれからそんな存在となります。

またまた話は変わって。

最近、僕の周りでは呼吸の大切が語られるようになっています。そんな中、昔、ハワイ島の小田まゆみさんが語ってくれた以下の話を思い出しました。

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ハワイの言葉で「ALOHA(アロハ)」という言葉がありますが、これは英語で言うと「Face with Breath」、呼吸と共にいることです。呼吸と共にいること、それが「こんにちは」という意味となり「愛している」という意味にもなるのです。多くの人は呼吸を意識せずに暮らしていますが、もしすべての人が呼吸を意識して暮らすようになれば、この世界の争いの90%はなくなると言われています。

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呼吸をしなければ、人は生きることが出来ません。人は呼吸に生かされています。ですが、多くの人がそのことを意識していません。呼吸に意識を向けること。それは自分を生かしてくれているものへと意識を向けることとなります。そして、呼吸では特に吐くことが重視されますが、吐き出されたものはこの世界に溶け込んでいきます。そして自分自身は空っぽになります。そこに新しいものをいただいて生きているのです。

同じように僕もこの世界という大海(タイカイ)の中に溶け込んでいきます。

僕は「なかのん」と呼ばれています。

宇宙最極小微粒子「カ」が質的転換「ナ」をし、トコロ軸へと広がっていく「ノ」。その動きが強まっていくのです「ン」。それは一滴として生を受けた僕が自らの立脚点をひっくり返し大海(タイカイ)へと広がっていくことを示しています。

僕はこの世界と共にあります。

この世界を感じ味わい認識を深めていく。そこに評価は挟みません。この世界のすべての出来事を自分自身の表れとして感じて味わっていく。そんなふうにこの世界に溶けだし空っぽになっていこうと思っています(^-^)




価値あるものとして自分の想いを表現する

昨日、5152049分に牡牛座新月となり、そして今日、516020分に天王星が牡牛座に移動しました。2011312日から続いた天王星牡羊座時代が今日終わりました。牡羊座は12星座の始まり、自分自身の原点を表す星座です。そこに革命の星、天王星が7年間働き掛けていました。その最終日の昨日は新月、新月はリセットを表します。そのタイミングで僕は自分自身の原点の革命、リセットの確認をしました。それは2015102日の大人ミーティングです。この時の僕は人生最大の課題に翻弄され壊れかけていました。そして疲れて投げやりになり大人ミーティングでコメントを求められてもそれを断っていました。そんな僕に対してジイジ(当時はいさどん)は以下のように語りました。

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話すことがないというのはあなたの都合であって、そのあなたの都合が全体にどんなものをもたらすのか?そういうことを自分で感じてコントロールする段階に行かないといけません。今、自分にはまっているからそういうことを言っているわけだけれども、全体性というものを大事に考えていたら、そういうことは言わないはずです。

今のあなたの状態は定期的に起きてくるもの。定期的に起きてくるならば、今はそこのポイントのところに向う良いチャンスだと思うが、それをやらないといつまでも超えることは出来ません。今、何をやれという具体的なことは何も言いません。ですが、あなたのその姿勢では問題です。きちんと向き合い超えていく。それが覚悟というものです。一人一人が自分と向き合ってみんなで場を創っていくのです。そういうことをしないと次のビジョンは実現出来ないのです。

日頃、自分が安定している時に極めていこうという志と、一度何か滞って、自分から見て自分自身の印象が悪い時の開き直り、そして、やる気のなさがあなたの場合、極端になっています。ですが、それは本当は逆なのです。日頃の時ももちろん大事ですが、自分がやる気がなくなった時に自分と向き合う。そこが一番のポイントです。

日頃、一生懸命に積み上げていたものが、その状態だとある瞬間に全部ぶち壊してしまいます。このあなたの本質が変わっていないのは、覚悟を決めてそこに向き合っていないからです。

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こんな話がされている時、みちよちゃんは以下のオーロビルのマザーの言葉を訳していたそうです。

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The Mantras of Bliss and Transformation !

Are you ready to change yourself completely? 
You will have to throw off your ideas,ideals,values,interests,and opinions.
Everything will have to be learnt anew.
If you are ready for all this,then take aplunge;
otherwise don't try to step in.


至福と変容のマントラ

完全にあなたを変化させる準備ができていますか?
あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。
全ては新しいものとして学ぶべきことです。
もしあなたがこうした全てに準備ができていたら、飛び込んで。 
さもなければ、それには踏み込もうとしないことです。

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その言葉はまさに当時の僕に向けられた言葉で、この言葉を受けて、ジイジは以下のように語りました。

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僕があなたに伝えていることは、決してあなたに不愉快を与えるものではありません。どれ程の想いを込めて、そして願って、あなたの追い風になろうとしているか。そういうことが分かったら、今の状態でいる自分が、いかに恥ずかしいことで申し訳ないことであるかに気づくでしょう。

「あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。」というマザーの言葉。それは自我を捨てて、天のままに生きるということです。僕は昔、それを天のマリオネットと表現しました。でも、その考えは今は変わっています。昔、夜、外に出て上を見て、月が出ていれば月、星が出ていれば星、曇っていたら、その上に星や月を想像して語っていました。

「神さま、私はあなたの意志に沿うものです。」

そうすると、そういうことを語っていた時、その間違いに気付きました。「あなたの意志に沿うものです」ということは、あなたという意志があって、そして、それを受けている自分がいるということです。でもよく考えてみたら、あなたという意志はわたしに表れています。だから、本当のそれが通じた時に、私の意志はあなたそのものなのです。

あなたはわたし、わたしはあなた。

その時、「神さま」とそこに気持ちを向けたり、「あなたの意志」というようにそこに特定を持った時に、すでに自分、自我を成立させているのだと気づいたのです。

まわりてめくる。

すべては新しい出来事として学ぶべきことです。常に新鮮で新しい毎日が来るわけですから。

これを世間の価値観で生きる人たちはなんだろう?と思うかもしれませんが、すべての人が行きつく先はそこなのです。まだ社会がそこまで熟していない時に、我々が先駆けとしてこれをやっています。その構造が分かるならば、本当にそのことの貴重さ、尊さ、有難さを思って、あっさり一目散にそこに向かうでしょう。

なかのんはブログで立派なことを書いています。今の状態でそれを書くことは、偽物を書いて罪を犯しているような話で、それは自分の価値をどんどん落としているのです。でも、だからブログを書くなということではないのです。ブログに相応しいものになるとしたら、そんな状態でいるはずはないのです。

そこは僕のためではなく、あなたの価値を上げるということと、世の中の為にあなたに目覚めて欲しいと僕は願っています。

そして価値あるものとしてあなたのいろいろな思いが表現されていく世界を実現しなければなりません。愚かしいところで、目覚めない状態で自分の願いを叶えるということは、自分にとっても世界にとっても何もいいことはありません。そこを分かるということだと思います。

我々は何をするかというと、僕と同じような話をみんなにしろって言っているのではないのです。「みんなで」という気持ちで暮らし、それを人々に見てもらいたいのです。こんな素晴らしい世界がいっぱいに広がって欲しいから、人々に見て欲しいのですよ。たったそれだけです。

それは日常、みんなが気持ちよく「さーと」心が通っていって、「ああこれだったんだね。これがやりたかったんだね。」そういうことを言葉ではなく空気を感じて、「神さまの目的はこういう世界だったんだ」と理解することです。

これはとても身近にあって、アカデミックでもなんでもありません。哲学とか立派な話でもなんでもありません。

「あぁ、いい空気だね。」
「こういうところに生涯身を置きたいね。」
「こういう生き方を自信を持って、安心の場所でやりたいね。」

そう感じたら誰だって出来るんですよ。

僕はこういう話をしばらく避けてきましたが、みんなが僕の気持ちに共鳴するならば、僕からどんどん発信されて、「そうだね、そうだったね。」となるんだったら、いくらでも話す価値があるなと思うのです。

でも待ちの姿勢で話を聴いて、良い話だったねとなって後で忘れていくならば、僕もジレンマを感じてしまいます。みんなで良い響きを生み出していく。そんなふうでありたいです。

なので、お願いだから、人の心を調整するような時間をこの場に持ち込まないで下さい。自分の心は自分で調整して下さい。もうそういう段階です。それでも、残念ながら、充分に果たせなかった時に、それを投げやりにならないで、表に出して、みんなにそれを正す方法を請うて下さい。自分に実力がないのですから。

そして、みんなに助けてもらって、心から「ありがとうございます」と言って進んで下さい。そうしたら、あなたの未熟も「良い場創りに役だったね。」ということになります。

みんなが他者のことを思い合う。そういう心の表現に繋がるのですから。

だから未熟でもいいのです。本当にみんなに託していく。そういう場創りが大切です。そしてそういう場はいつでも表現出来るのです。道を難しい道だと思わないでください。


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今思うのは、やる気がなくなった時というのは、自分にとって都合の悪いことが浮上している時であり、そこに向き合うことが変革へと繋がるのです。壊れていく自分を見ていく。そして向き合っていくことで自分の原点にメスを入れ自分を変えていけるのです。

ですが僕はなかなかその作業をすることが出来ませんでした。そんな僕についてジイジは「往生際が悪い、覚悟が出来ていない、自分に執着している」と表現していましたが、まさにその通りで、僕はずっと自分の感情に執着をしていたのです。自分の奥から湧き上がる情動、自分と向き合いながらも最後の最後でそれに従うことを選んできました。ですが、本当の自分は情動の奥にいるのです。情動は自分から自由を奪うものでありその奥へ行くことで初めて目覚めることが出来ます。自分の感情に執着していた当時の僕はそのことに気づいていませんでした。だから努力をしていても最後の最後でその努力をぶち壊してきたのです。今はその構造が見えています。

2015102日、僕は自分自身の感情に翻弄されることで自分の努力をぶち壊しました。それは本当にひどい状態でした。そんな僕にジイジが語る言葉により僕は自らの愚かさに気づきました。それから僕はやる気がなくなった時、壊れていく自分を見てきました。それは自分の原点にメスを入れる作業であり、これからもずっと続けていくことです。

そして天王星は牡牛座に移動しました。牡牛座は五感の美しさ、豊かさを表現する星座です。これからそこに革命を起こしていきます。それは高い志の下、価値あるものとして自分のいろいろな想いを表現することできっと実現します。「みんなで」という気持ちで豊かさを表現していこうと思っています(^-^)


木の花ファミリーのみんな@田楽祭田植え祭り

魂の変遷を見ていく

先日に大人ミーティングで、「心の水爆」という言葉が話題に上りました。これは昨年の9月、ジイジ(当時はいさどん)が大町へ行った時に語った言葉で以下のように表現しています。

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それはプロセスも何もいらないんだよ。だってそうじゃん。人間の思考回路を見てごらんよ。すべてにプロセスがあり、こういう原因があってこういう経緯でこの結果になって、というのが連続して、ずーっと物語を刻んでいるんだよ。それは宇宙の法であり、何かと言ったら因果の法則を立証しているわけだ。原因があってそれにふさわしい結果が起きて世界はこのようになってるんですよ、と。
ということは、現状が良くないものであるとしたら、そこから抜け出るにはどうしたらいいか。こうするとこうなるからああしてこうして・・・などと頭を回しても、それは今の結果を作ってきたのと同じ思考回路だから、結局同じ結果になるんだよ。そうではなく、この思考回路の物語をここで爆発させて、終わらせるということだ。

「わかったぞ!だからこうしよう」なんてことを繰り返していても、結局は同じことなんだよ。そこで爆発させると、物語が終焉を迎える。だから、これは言わば小型の水爆。霊的水爆だよ。


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自我を持つ人間は思考回路の物語を生きています。そしてそこから人生の変遷が生まれます。ですが、人間の思考回路の奥には、魂の変遷があり、人はそれにより生かされているのです。心の水爆を爆発させる。それは思考回路の物語を終わらせ魂の変遷へと自分自身を委ねていくことなのだと思いました。魂の変遷とは何か?「21世紀の死生観・2~真学校でもっとも伝えたいこと」には以下のような記述があります。

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例えば今のあなたが、お父さんやお母さんは大切だ、おじいちゃんやおばあちゃんがいたから自分がいるのだ、自分の一族がいたお陰で今の自分がある、と思ったとします。もっと言えば、自分の国があったから自分はいるのだ、と思ったとします。それは、この図(生命の織物2)でいうと縦のラインですね。
ところが魂の遍歴を観ていくと、前世、前々世というように、横のライン上にもさかのぼって自分はいます。前世では、今世で戦争をした相手の国に生きていたかもしれません。縦だけではなく、この横のラインにも、宇宙の始まりから終わりまでの情報があり、その中にあなたがいます。前々世では、アボリジニだったかもしれないし、ネイティブアメリカンだったかもしれません。今世では今のあなたの人生があるわけですが、来世でどこに生まれるのかは、今世の結果によります。いろんなことを経験してきた結果、今のあなたがあり、今の経験の結果が、未来のあなたをつくっていくのです。
そのように観ていくと、あなたはどこか特定の場所に所属しているわけではなく、「地球が我が家」ということになりませんか?

ですから、ご先祖様とは、過去に存在したすべての人々がご先祖様です。子孫とは、未来に存在するすべての人々が子孫です。もしくは、すべての生命のことです。先ほど、縦のライン上を受け継がれてきたDNAの話をしました。宇宙の始まりから宇宙の終わりまでの情報が、細胞一つひとつのDNAの中に入っています。同じように、この横のラインを左へずっと辿っていけば、宇宙の始まりにたどりつきます。右へずっとたどっていけば、宇宙の終わりにたどりつきます。「私」という今の自分が、魂の輪廻をくり返しながら、宇宙の始まりから終わりにまで関わっているのです。そして、その織物の糸をつなぐつなぎでもあるのです。
私たちの内にはさらに、目には見えない霊的なDNAが伝承されています。目には見えませんが、霊的なDNAの情報ボックスというものがあり、それを名付けて「宇宙図書館」と言います。そこには様々な情報が整理されており、未だ使われていない90%の脳を使ってそこにアクセスすると、すべての情報が出てくるのです。私たちは、そのような物理的、霊的複雑な仕組みのもとに存在しています。
肉体のDNAの解析と同時に、霊的なDNAにアクセスし、人類の営みを進化させるのが2000年から3000年にかけての人類の歩みです。その中で、物理的テクノロジーも進化していきます。そこに霊的なテクノロジーが重なっていきますから、3000年になるころには我々は今は想像もつかないような世界を見ることになるでしょう。

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魂の変遷を見ていく。それは全宇宙の物語の一部を担うということです。そしてそれは自我による思考回路の物語の奥に常に流れています。

近代自我による思考回路は自らを世界から切り離すことで、多大な欲望と共に孤独や疑心暗鬼を生み出してきました。加計学園や森友学園の問題は政府の信頼を揺るがしていますが、それは近代の思考回路の産物とも言えます。だからこの問題を表面的に罰したとしても人類の思考回路が変わらない限り、問題は形を変えて起こり続けると思います。だから心の水爆を爆発させ思考回路を壊していくのです。この時大切なのは、壊れていく自分を見ていくことです。見ていくことで今の実体を学び次へと生かしていけるのです。

太陽系は今、銀河の夜明けを超えて光の時代へと向かっています。それが宇宙の物語であり、近代自我による思考回路はその流れの中で大きな矛盾を生み出しています。自我という偏りを思う存分追求してきたのが近代ならば、これからは偏りから繋がることも大切さを学ぶ時代です。ここでまた「21世紀の死生観・2」からの文章を引用します。

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『偏りから、つながることの大切さ(宿命)を学ぶようになっている』とあります。宿命というのは、私たちがつながるようにできています。単独で自らの都合だけで生きてはいけませんよ、という世界になっているのです。「自分勝手に生きてもいいじゃないか」と言っても、世の中があるからそういう我儘もできるわけです。空気が無しで生きていけるのか、太陽が無しで生きていけるのか。私たちが生きているということは、必ず他のものに生かされているということです。宇宙は常に対向発生です。他者と関わり、力を合わせることで宇宙が成り立っているのです。その物理性の根本が、愛なのです。
ところが地球上に、ヘンなものが現れました。そんなに歴史は古くありません。しかし、ものすごい勢いで繁殖し、この世界に大きな影響をもたらしています。それが人間の存在です。「自分が」「自分が」と言って、宇宙の仕組みを無視しているのです。
それでも長い宇宙の歴史から言えば、これもほんの一瞬のことです。今は、人間が自我の方向へ暴走したことにより、人間社会は行き詰まりをもらっています。しかし、天はそういった愚かしい人間の中から、賢い者たちを選抜し、次の時代への準備をしています。今、銀河の冬至を越え、冥王星の248年のサイクルが終焉を迎え、次の時代を担う人々が確実に生まれてきています。ということは、私たちは既に、希望ある時代へと足を踏み入れているのです。

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5月15日20時49分牡牛座新月、そして5月16日0時20分に天王星が牡牛座に移動します。新月はリセット、そして天王星は革命の星。それが愛と美しさを司る牡牛座でエネルギーを発揮します。その節目を前に、壊れること、そして生を超えた魂の変遷に想いを馳せてみました(^-^)




「定め」とは変化し続けるということ

5月7日の大人ミーティングでは、ジイジブログ「線路は続くよ天までも」がシェアされました。そこでは人間の自由について以下のように表現されています。

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人間は、人生を30%の定めのもとに生まれてきます。そして残る70%は、自由が与えられています。その70%の自由によって、自ら落ちていくものもいます。
30%は、この世界を生きる上で、自分の力ではどうにも変えることのできない宿命です。それはいただくものです。その30%を、徹底して生きればいいのです。ところが人間は、70%の自由にばかり心を奪われ、30%を忘れてしまうのです。そうすると、自らの存在価値すら失い、取り返しのつかないところまで進んでしまうのです。
70%の自由を正しく使えるか、間違って使うかについては、それぞれの個性の違いはありますが、仕組みは皆同じ条件です。正しく使えない者は、それにふさわしい痛みを与えられます。そこでの痛みは、救済です。その救済の手に乗れば、痛みを学習として、正しく進むことができます。一方、70%の自由を正しく使う者は、現象として痛みをもらいません。痛みが伴わないことにより、進んでいる方向の正しさを確認していきます。痛みを伴わないと、人は奢って「これでいいのだ」と自我を増幅させるものですが、どんなに正しい道を歩んでいても、常に「これは天のご意向だ」という心があれば、ずっと痛みや問題ごとなく歩んでいけるのです。

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人生の30%は定め。そのことについて大人ミーティングでジイジは以下のように語りました。

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定めの30%は「1・2・3(ヒフミ)」。人間の基本です。動物ではなく人間として生かされている。人間は水や空気、食べ物がないと生きることが出来ないとても不自由な存在です。いろいろな制約があります。その事実にしっかりと向き合うことが人間を正しい方向へと導き、70%の自由へと生かされていくのです。

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30%の定めは人間の基本、そして「定めはいただくもの」とも述べられています。この「いただく」ということについて別の場所でジイジ(当時はいさどん)は以下のように述べています。

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宇宙は、常に変化することで成り立っています。波動が高いところでどんどんどんどん変化すること ─── それが活性化です。人間が自我を持ち、欲を持つと、変化しないことを求めるようになります。何かに囚われ、現状を守ろうとするのです。しかしその自我の欲が満たされても、人間は成長しません。むしろ、その欲に支配されて、不自由に生きることになるのです。
けれども、人間が自らを手放し、自分から解放することにより、自我の枠から離れることができます。この、自分自身を手放すことを、シヴァのはたらきと言います。シヴァとは、破壊の神の物理性です。宇宙は、この世界をどんどん変化させていきます。それは、無限の宇宙の中で、トキ軸を柱にし、常に先へ先へと、未知なるところに向かって旅し続けているということです。それが生命の宿命であり、宇宙を生きる上で正常な状態なのです。その中で、私たち人間も、自らの価値観を絶対とするのではなく、宇宙が変化していく流れをいただいていく。「いただく」ということは、古いものを捨てるということです。

宇宙を生きるとは、どういうことでしょうか。それは、自分を手放すということです。ところが、現状に執着する人にとっては、それは苦痛となります。そして宇宙の流れに逆らってでも、現状を保とうとするのです。そうすると、宇宙はその人に問題ごとを与えます。それは宇宙の法則からのメッセージです。そしてそれが、神様が私たちに与えてくれている、愛です。あなたを捨てなさい。そして私と共にありなさい


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「いただく」ということは、古いものを捨てるということ

定めとは変えることの出来ない宿命。その宿命とは変化し続けるということです。その事実を受け入れること。そして出会う出来事に応じて変幻自在に自分を表現すること。それが本当の自由で、主体は常に「世界」の側にあります。

そして定めの30%は「1・2・3(ヒフミ)」で人間の基本です。その言葉から思い出すのは、「ひふみの法則」。以下、そのことを説明した文章を引用します。

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宇宙には天が意図した「ひふみの法則」というものがあります。
無意識に統合の時代を生きていた時代(ひふみの「ひ」=源)から、我々は「個」の体験を重ねるという分離の時代(ひふみの「ふ」=分離)を過ごしてきました。そして、今、まさに私たちは「生」の本来の目的を想い出そうとしているのです。(ひふみの「み」=意識をもって統合の時代を生きていく)。
『全ての生命(いのち)が響きあう場所で天に導かれて愛を生きる。』
競争やエゴ、自分(たち)さえ良ければ、今さえ良ければ、という世界ではなく、皆がひとつの真実の方向に向かって響き合う、「大いなる循環」の中で自らの輝きを活かしていく時代の到来。
 ~ 中略 ~自分自身を籠の中に閉じ込めているのは、「自分のやり方こそがベストだ」と信じ込んでいる自分自身なのです。その観念を一旦天へと戻して、認めたくない自分やもう二度と感じたくはない感情と再び出逢い、向き合い、その奥に在る、分離の時代には成しえなかった
『自分の中にある本当の想いや愛と繋がりなおす。』

そういうチャレンジを体験することが、閉じ込めた籠の中から輝ける自分自身を解き放つことにつながっているのです。


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こんなふうになって欲しいと世界を選り好みする自分、その自分が本当の自分を籠の中に閉じ込めます。なぜなら世界は自分そのものだから。定めをいただき変化し続ける中で認めたくない自分が浮上することもありますが、そこと向き合う中で本当の自分が解き放たれます。そんなふうに生きることが人間としての基本、僕はそんなふうに生きています。


富士山@2018年田楽祭

大海として生きる

2013年12月、天から僕の下に「海(カイ)」という名前が降りて来ました。この名前、それ以来ずっと意識にありましたが、特に使うということはありませんでした。

それから4年後。

2017年の立春正月、僕はひっくり返ったのですが、それ以降、僕はブログで自分のことを海と表現するようになりました。例えば、以下のような感じです。

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僕は海。そして浮かんでは消える波として人生を送ります。

波としての自分に焦点を当てれば、それは自分の人生と感じるかもしれませんが、僕は本来、海そのものなのです。だから、波(自我)としての自分は他のすべての波(自我)と同様で、世界の彩りの一つに過ぎず、それはみんなのものなのです。

僕は自分を通してみんなの人生を生きる。

それは僕の人生が僕だけのものではなくみんなのものでもあるということです。




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そして昨日書いたブログでも自分を海と表現しています。

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世界の中に浮かび上がった波としての自分。それが自我。その自我を天に向かって導くこと。それが今生の自分の役割です。長い間、波としての自我を自分と勘違いして来ましたが、それは本来の自分ではなく、愛し導く対象として与えられたものです。自我は反応体で目の前の出来事に独特のパターンで反応しますが、その反応を識別し、調和へと導くこと。それが僕に与えられた使命です。

自我は盲目だから、今までいろいろなトラブルを起こしてきましたが、僕はそれらすべてを刻み込んだ上で許します。なぜならそれらは見えない中で現実に翻弄されながら一生懸命に生きてきた結果だから。ですが、これから先は不調和な振る舞いは許されません。なぜなら、海としての僕が波としての自我を導くからです。もうこれ以上、自我が愚かな行いをすることを許しません。僕の自我は天へと導かれます。


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2018年5月4日の朝日です。

僕は海。2013年に天から頂きそのままになっていた名前を身近に感じるようになっていました。そして、昨日の朝、昇ってくる朝日を前にして新たな名前が天から降りてきました。その名前は「大海(タイカイ)」。大きな海。

僕は今年の2月、祖母が亡くなった時、「自分自身が大海の表れであるように」という文章を書いています。大海という言葉を使った趣旨は以下の通りです。

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人間はみんな一滴としてこの世に生を受け、そしてこの世を旅立つ時、この世界という大海と一つとなります。ですが、あの世に旅立つ前にこの世にいながら大海と一つとなって歩むことも出来ます。それが心磨きの道だと僕は思っています。

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大海として生きる。それはずっと心磨きを続けるということです。

話しは変わって。

最近、僕のまわりで「自立」や「自分の足で立つ」という言葉が聞かれるようになっています。それで思うのは、こういう時、波としての自分が立つことをイメージすると、世界から際立ち離れていくのではないかということです。そもそも波は浮かんでは消えるもの。それをずっと保とうとするのは不自然な努力となります。

大海とはこの世界そのもの。大海として生きればすべてが自分だから、自分という波が立つ必要はなくなります。大いなる流れに合わせて浮かんでは消える、ただそれを繰り返すだけ。大いなる流れを柱とし、自分に芯を通し、出会う出来事を通して変化変容を繰り返すだけなのです。

海(カイ)から大海(タイカイ)へ

カタカムナでは、「カ」は無限絶対空間に於いて普遍的に存在する極微小の最小単位、その「位置(イ)」が定まった状態が「カイ」です。2013年、「カイ」という名前が降りてきたのは、自分があるべき位置に収まった証と言えます。そして、昨日の朝、「タイカイ」という名前が降りてきました。「タ」は分離独立。すべてのものは、エネルギーの蓄積が高まると、二つに分かれて独立する性質があると言います。大海(タイカイ)とはこの世界そのもの。この世界そのものでありながら分離独立した位置に立つ。それはこの世界の中で自分独自の役割を担うことであり、それこそが真の自立です。

この世界そのものでありながら分離独立した存在、大海(タイカイ)。

僕はこれから大海として生きます。


自我を天へと導く

5月3日はいさどんの67歳の誕生日。この誕生日を機に『いさどん』は『ジイジ』となりました(「いさどん」から「ジイジ」へ参照)。この大きなターニングポイントの前日の夜、みんなで「八番目の聖者 ~道はひとつ、心はひとつ」を読みました。この話は瞑想中のいさどん(当時)の前に7人の聖者が現れたお話、そして席が一つ空いていて、そこにいさどんが立つように言われたお話です。以下、少し文章を引用します。

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八番目に立つ聖者が、その七人の聖者のようにひとりひとりじゃないんだと。それは、19931228日に小包でいただいた言葉、「尊きものを見つけて、そこに行き、救われることよりも、自らが尊きものとなって、他を救えるものとなれ。これからは、ひとりびとりがイエスやブッダであるぞ」その言葉につながっている。

お釈迦様が、「ガンジスの川の砂のごとく衆生はおる。そのすべてに仏性あり」と言われた。「どんな人間の中にも、仏になる種が入っておるぞ」というふうに言われた。それはよくあるお釈迦様の言葉として、世の中にもそれを知っている人は沢山いると思う。

しかし、僕にお釈迦様は、そのあとの言葉を言われた。「ただし、その道を歩んだものにだけな」と。「すべてのものの中に真実の種があり、すべてのものに悟りへ行く道があるんだけれど、その道を歩まないものにはないぞ」と言われた。

そして、「これからは、ひとりびとりがイエスやブッダであるぞ」ひとりびとりが自分の中にある、宇宙の中心からくる神性、真理の種を開花させて、自分の中から光を外にほとばしらせる。そして、人に救われることばかりのもの、亡者として生きるのではなく、自分の中から光を出して他を救えるようなものになる。自分で自分を救えるもの。それが連鎖していけば、誰も救われる必要がない。ひとりひとりが目覚めて、キリストとしてブッダとして人々があったならば、この世界は救うものも救われるものもなく、それこそが理想の世界。地上天国になる。

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この文章はみかちゃんの提案によりみんなにシェアされましたが、提案した理由についてみかちゃんは以下のように語りました。

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八鏡文字

カタカムナで8(ヤ)は飽和安定、ヒフミヨイムナヤ(1・2・3・4・5・6・7・8)まで来て八鏡文字が完成します。八方ふさがりや闇(ヤミ)(8・3)という言葉がありますが、「8」まで来ると安定しますが、それは動きのない状態とも言えます。ですが、それは動き出す準備とも言えて、「9(コ)」で転がり出ることで「10(ト)」の統合、悟りへと至ります。これはヒトの歩む道を示しています。

過去の聖者が7つの席を埋めています。そして8番目の席、そこに一切衆生が座ることにより八鏡文字は完成し、世界は統合、悟り、コミュニティの仏陀へと転(コ)がり出ていきます。その時、人々は個(コ)の花を生き生きと咲かせています。7年前、いさどんの生前葬ではそのことを表現しましたが、現状は不十分です。そこから7年が経った今、本当にこの場でそのことを実現する時が来ています。

みかちゃんによる「八番目の聖者」の説明

冥王星の周期、庶民の目覚め、白陽期の開始は八鏡文字の「8」の場所になっています。

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『いさどん」が『ジイジ』となった大きなターニングポイントを迎え、時代はさらに目覚めへと進んでいます。その時代の流れの中で自分は以下のように思っています。

世界の中に浮かび上がった波としての自分。それが自我。その自我を天に向かって導くこと。それが今生の自分の役割です。長い間、波としての自我を自分と勘違いして来ましたが、それは本来の自分ではなく、愛し導く対象として与えられたものです。自我は反応体で目の前の出来事に独特のパターンで反応しますが、その反応を識別し、調和へと導くこと。それが僕に与えられた使命です。

自我は盲目だから、今までいろいろなトラブルを起こしてきましたが、僕はそれらすべてを刻み込んだ上で許します。なぜならそれらは見えない中で現実に翻弄されながら一生懸命に生きてきた結果だから。ですが、これから先は不調和な振る舞いは許されません。なぜなら、海としての僕が波としての自我を導くからです。もうこれ以上、自我が愚かな行いをすることを許しません。僕の自我は天へと導かれます。

そう、僕は愚かで未熟な自我を抱えていますが本当の自分に目覚めています。それは木の花ファミリーの暮らしの中でいさどんをはじめとするみんなに育まれたから。上記の文章に続いていさどんは以下のように語っています。

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僕は、この世界を救うものとして、この世界に派遣されるような立派なものではない。この世界を救うようなもの、イエスやブッダや他の聖者のような立場に立てるのだろうか。僕の中から、そんなおこがましいと自分をへりくだる心が湧いてきて、どうもしっくりいかない。それをずっと考えてきた。

富士山の頂上で、「その心、これからは、日の本の国全体に説くがよい」と言われた時も、「そんな、私にそんな大それたことができるわけがありません。
私にどうして、そんな能力がありましょうか」と、そうやって言われるたびに、
ずっとその言葉を否定してきた。

でも、最近になって思うのは、人間いさどんがひとりでそれをすることはできない。けれど、このいただいた心を自分の隣の人に伝えることはできる。ちょうど、自然の仕組みが利他であるように、自然は自らが存在することによって、自分が関わる両隣のために生きている。その仕組みが、いのちの仕組みとして、この世界すべてをつなげている。それが、いのちの仕組みであり、神様がこの世界をそれで治めておられる。

そして、この尊い仕組み、尊い心を自分が今もっている。それを両隣の人に伝えることができる。そして、この精神、想いは、人と人、いのちといのちのつながり、ネットワークにひとたび解き放たれれば、それが連鎖して、この世界にすべて行き渡る。そうなった時に、この世界が理想の世界になる。

「その心を日の本の国全体に説け」と言われたこと。そして、「尊きものを見つけ、そこに行き、救われることよりも」という言葉からくる、ひとりびとりがイエスやブッダ、すべての衆生に仏性がある、ということ。それは、この宇宙のもとにある一番のエッセンス。その心にひとりひとりがなれる。

そうして、八番目の聖者というのは、ひとりの人間ではなく、すべての人々の中にある仏性、神としての心。宇宙の根源から分かれてきて今がある。それを思い出した時に、すべての人の中に八番目の聖者たる資格がある。

それに皆が目覚める時代、それが今の時代。自分も八番目の聖者だけれど、すべての人が八番目の聖者である。そういう時代が幕を開けようとしている。そういう時代がこれからの時代なんだ、ということがわかってきた。

その見本とする生活が今ここにある。ベトナムの僧侶、ティク・ナット・ハンが言った言葉、「次のブッダは人間の姿で現れることはないだろう。次のブッダはコミュニティの姿で現れるだろう。それは他者を理解しようと努め、互いを慈しむ優しさを持ち、大事なことを常に意識しながら、人々が暮らすコミュニティである。これこそ地球の命をつなぐために私たちにできる、最も大切なことではないだろうか」という言葉にもつながる。

僕は、瞑想の時代にお釈迦様に問うた。「こうやって私もいつか人々の心の問題に答えながら、人々が集まり、組織ができ、新興宗教の教祖のようになるのでしょうか。」そうしたら、お釈迦さまが言葉を返されて、「これからの時代、組織をつくるのではないぞ。人々が集え。集い語り合え。語り合う中から真理が生まれる時代である。そういった中から世は開かれる」と言われた。

「そのひとりひとりはすべて今の仲間、そして地球にいる仲間たち」、そこに気づくことができた。

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いさどんが尊い心を両隣の人に伝えてきたように、そしてこれからも『ジイジ』としてその実践を続けるように、僕も自我を天へと導くことで育まれた尊い心を伝え続けていこうと思っています。

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