みんなの真ん中で溶けていく

5月20日、僕が木の花ファミリーに移住して丸9年となります。最近、「9」は面白い数字だなと思っています。「369(みろく)」「567」「432」「333」、これらすべて「9」の倍数ですが、これらの数字はすべての位を足すと、「3+6+9=18」のように「9」の倍数となります。これはすべての「9」の倍数に当て嵌まるようです。

そして「9」はカタカムナで「コ」、転がり出る。それは以下の文章が示すように変化変容を生み出し「ト(10)」、統合・悟りの一歩手前のものです。

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カタカムナによると、宇宙は、八つで飽和安定だね。八鏡文字で言えば、円があってそこに宇宙最極小微粒子の「カ」が集まっていって、そして「ヒフミヨイムナヤコト(1・2・3・4・5・6・7・8・9・10)」とエネルギーが集まることによって現象化して、この世界ができる。「コ」で転がり出て「ト」で統合する、その現象化の前の「ヤ」、つまり八の状態は、とても安定した状態だよね。そうすると、そこでは現象化は起きないんだよ。だからそれをわざわざ九まで進めた。八の飽和安定はそのまま止まっている状態だけど、九まで行くと、常に変化変容を繰り返すということ。それは地球の実体であり、宇宙の実体でしょう。飽和安定した世界も、そこを超えると、現象化ができて、それが宇宙の実体なんだよ。
宇宙というのは、本来はないもの。飽和安定の先に、「ある」ということを認識するために九を創ったのだから、その前の飽和安定の状態では「ない」んだよ。だから「ない世界」なんだよ。何もないんだから。

だけど、「アマ」というのは「ある世界」の元を創った。その「ある世界」ができたことによって、この世界はもともと「ない世界」だったけれど今は「ある」んだな、ということが理解できる。そこでトキとトコロが統合して、悟りになるんだよ。統合とは、理解なんだよ。だからさっきの話でも、「そうか、こういうふうになっているんだ」と理解したところで終わるんだよ。それが悟りだ。


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昔、小学校を卒業する際、校長先生が一人ひとりに色紙を書いてくれたのですが、そこには「苦(9)を超えなければ、充(10)の喜びは得られない」と書かれていました。「9」で転がり出ることで世界に理解が生まれ統合・悟り(10)へと至るわけで、喜びも「苦(9)」がなければ「無(6)」に帰するのだと思います。

5月20日、僕の木の花ファミリーでの暮らしは丸9年を迎えます。そして10年目の統合、一つの理解へと繋がっていきます。10→1+0=1。「10」は「1」でもあり新たな始まりでもあります。

話しは変わって。

2016年の2月、僕の下に天から以下の言葉が降りてきました。

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この世界に降りてくる前に、神さまはあなたに3つの名前を用意していました。
3つの中で真ん中にあったものが「善文」であなたはそれを選んできたのです。
それは正解でした。

善悪の善。善が先に来ます。だけれども少し間違えると悪にもなります。
そのことを心に留めておくことです。

そして、あなたは「中野」の性を選んで両親のところに来ました。
真ん中の「中」。そして野原の「野」。山ではなく広く広がる野原なのです。

みんなの中の「なかのん」

みんなの真ん中でしっかりと固めていくのです。

中(なか)を守るのです。

でも目立つ必要はないのです。
目立つのではなく深く深く沈みこんでいく。
奥で自分を広げて固めていくのです。

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その言葉を受けて当時、僕以下の文章を書いています。

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僕はずっとどちらかというと端っこにいることを好んで来ました。
あんまり自分が真ん中にいるという意識を持ったことはありません。
その意識を転換させる時が来ているのだなと感じています。

真善美を兼ね備えた人間になっていく。
その誓いとして真ん中の字をとって「善(よし)」と付け、
そして卯年の守り本尊である文殊菩薩から字をいただき「文(ふみ)」と付ける。
※僕は卯年生まれです。

これは僕が勝手に創っていた名前の由来ですが、
「善」は真善美の真ん中の字となっているのです。

僕はみんなの真ん中を生きる。

でもそれは目立つことでも際立つことでもなく、

みんなの中に溶けていくことなのだと思います。
目立とうとすると、きっとすぐに偽悪醜の方へと転げ落ちていくことでしょう。



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みんなの中で溶(ト)けていく。

溶ける(トケル)

「ト」はトキ・トコロの統合であり悟り(10)。「ケ」は、存在は感じられるが見えない状態。「ル」は継続。トキ・トコロの統合によりすべては融合され潜象界「ない世界」へと溶けだし還っていく、その状態が絶え間なく続いているのです。

木の花ファミリーで10年目を迎える僕はこれからそんな存在となります。

またまた話は変わって。

最近、僕の周りでは呼吸の大切が語られるようになっています。そんな中、昔、ハワイ島の小田まゆみさんが語ってくれた以下の話を思い出しました。

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ハワイの言葉で「ALOHA(アロハ)」という言葉がありますが、これは英語で言うと「Face with Breath」、呼吸と共にいることです。呼吸と共にいること、それが「こんにちは」という意味となり「愛している」という意味にもなるのです。多くの人は呼吸を意識せずに暮らしていますが、もしすべての人が呼吸を意識して暮らすようになれば、この世界の争いの90%はなくなると言われています。

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呼吸をしなければ、人は生きることが出来ません。人は呼吸に生かされています。ですが、多くの人がそのことを意識していません。呼吸に意識を向けること。それは自分を生かしてくれているものへと意識を向けることとなります。そして、呼吸では特に吐くことが重視されますが、吐き出されたものはこの世界に溶け込んでいきます。そして自分自身は空っぽになります。そこに新しいものをいただいて生きているのです。

同じように僕もこの世界という大海(タイカイ)の中に溶け込んでいきます。

僕は「なかのん」と呼ばれています。

宇宙最極小微粒子「カ」が質的転換「ナ」をし、トコロ軸へと広がっていく「ノ」。その動きが強まっていくのです「ン」。それは一滴として生を受けた僕が自らの立脚点をひっくり返し大海(タイカイ)へと広がっていくことを示しています。

僕はこの世界と共にあります。

この世界を感じ味わい認識を深めていく。そこに評価は挟みません。この世界のすべての出来事を自分自身の表れとして感じて味わっていく。そんなふうにこの世界に溶けだし空っぽになっていこうと思っています(^-^)




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