やっぱり天の物語を生きる ~オウム真理教の事件から~


オウム真理教の教祖である松本智津夫死刑囚。その三女である松本麗華さんの手記「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチェリーの手記」〔講談社)が出版され話題になっているようです。

僕はこの話題をきっかけに、松本麗華氏へのインタビューなどいくつかの記事を読み、動画を見ました。そのうちの一つ、池本孝慈さんのブログ記事、『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチェリーの手記』松本麗華〔講談社)はとても良質なもので共感出来ました。


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【地下鉄サリン事件から20年】麻原彰晃の三女・アーチェリーが語る (聞き手:田原総一郎)

麻原彰晃の三女「アーチェリー」が本名・松本麗華としてニュースzeroに顔出し出演

麻原彰晃の三女”アーチェリー”の告白『オウム・父麻原・事件』ウェークアップぷらす

地下鉄サリン事件20年 松本死刑囚の四女に話しを聞きました。(FNNNewsCH)

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松本麗華さんは、オウム真理教が起こした一連の事件について、教団が行ったことは認めながら、父親が指示を出したことについては、判断を留保し、「分からない」と述べています。松本智津夫死刑囚の四女、聡香さん(仮名)は、この麗華さんの態度に対して疑問を呈し、麗華さんが語っていることに関してデタラメだと批判しています。これはどちらかが嘘をついているというわけではなくて、同じ場所にいて二人はまったく違う現実を経験したのだと思います。

一つの出来事に対して受け止め方が人によって違うのはよくあることです。その時のその人の立場、心の状態、性格。それによって一つの出来事も全く違って表現されることはよくあります。当時、11歳の麗華さんと、5歳の聡香さんが全く違った体験をしていたとしても不思議なことではありません。

たとえば、僕たちは豊かな日本で暮らしています。ですが、感じるものは人それぞれで、物質的豊さを享受し楽しむ人もいれば、そこに虚しさを感じ生きる意味を探求する人もいます。自分を知り心穏やかに暮らす人もいれば、道を踏み外し見失う人もいます。そんな日本社会の中でオウム真理教も生まれています。

僕は麗華さんも聡香さんも自分がリアルに感じたことを語っているのだと思っています。そこには父親に対する愛情もしくは憎しみというバイアスが掛かっているとは思います。ですが、そこには嘘はないと思います。そして、経験者が持つそのバイアスがそのまま表現されることで、そこで何が起きたのか、オウムとは何だったのかをより深く知ることが出来るのではないかと感じました。

今の麗華さんの態度について、色々な識者が麗華さんを批判していました。道徳観念からしたら、父親の事件への関与を保留にし、遺族に謝罪をしていない麗華さんの態度は非難されるものなのかもしれません。ですが、立派な道徳観念通りに行動できる人間がどれだけいるのでしょうか?その道徳観念は人間の本質を掴みきれているのでしょうか?

日本社会が生み出したオウム真理教。その存在は、アレフとなって今も続いています。何がそれを生み出しているのか?それを突き詰めることは大切な取り組みです。松本智津夫死刑囚の娘であることを受け入れ、実名を公表し、表に出て語り続ける麗華さん。これからもオウム真理教や地下鉄サリン事件、そしてその被害者や遺族の方々に向き合い続け続けることになります。それはとても重く厳しい道のりでしょうが、今後の麗華さんの人生により、オウムを生み出した日本の闇に光が当たり、人々がそれを乗り越えていく。そんな可能性も感じます。

麗華さんは、「オウム真理教と一般社会にそれほど違いはない。そんな中でなぜ事件が起きたのかを考える必要がある」と述べています。そして、田原総一郎さんは、地下鉄サリン事件と太平洋戦争とを重ね、かつて日本全体で同じような状況が起きたと話しています。

おかしいと思いながら、誰も反対出来ずに間違えた方向に進んでしまう。

集団や社会はそのような特徴を持つことがあるようです。例えば今、地球環境の悪化が叫ばれる中、多くの国の政策で経済成長が大切にされています。大きな視点で見れば、これも同じような現象と言えるのではないでしょうか?この状態を超えるにはどうしたらいいのでしょうか?

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木の花ファミリーの暮らしは、この質問の答えになっています。
ここから少し僕や木の花ファミリーのことを書いてみようと思います。

今年の正月。「やっぱり天の物語を生きる~新年の挨拶として~」を書いた僕ですが、日々の忙しさの中で、天を感じるゆとりをなくし、「困難を克服する」「すごい人になる」という自分の物語を生きるようになっていました(「世界のお金がみんなのお金になるように。」を参照)。3月16日、確定申告書類を税務署に提出し一息ついた僕は、さっそく滞りを頂きました(「世界のお金がみんなのお金になるように。PART.2」を参照)。わかりやすいなと思いました。

木の花ファミリーブログ「宇宙を生きる子供達へ」にも書かれていますが、天とは宇宙のことです。宇宙の運行が季節をもたらし、時代の流れをもたらします。そこに心を開き、流れをいただくことで物事はスムーズに進んでいくのです。

自分の願いが叶う。それは嬉しいことかもしれませんが、自分の想像の枠を超えません。ですが、天の物語を生きる時、何が起きるか想像をすることが出来ません。自分の想像をはるかに超えたわくわくする出来事に出会えるのです。

物事がスムーズに進み、しかもわくわくする。

そんな天の物語を生きるためには自分を手放す必要があります。自分の物語を生きるようになってしまっていた僕は、それを手放し、天に心を向けて、その感覚を少しずつ取り戻しています。

そして、僕と同じテーマが木の花ファミリー全体にも言えるのです。一人一人のメンバーが、自分の感覚や感情に捕らわれて全体視点を失っているとその場は停滞します(その様子は、木の花ファミリーブログ「真夜中の女子会」に描かれています)。みんなが心から「それでいいね」という状態にならずになんとなく物事を進めていく。そういう状態に陥ることもあります。この延長に「おかしいと思いながら、誰も反対せずに間違えた方向に進む」ということが生まれるのだと思います。

一人一人が天に心を向けることで、全体でこの状態を超えていくことが出来ます。はっきりと意志を示し、みんなで一つの方向に進んでいくことが出来ます。僕たちは何度かその一体感から生まれる喜びを味わっています。今のところすぐに忘れてしまうのですが・・・

僕たちはみんなで自分を超えられることを知っています。まだまだ未熟ですが、そこを目指し続けています。そんな僕たち木の花ファミリーの暮らしは、これからの時代の希望となり、多くの人々を幸せにしていく。そう確信しています。


木の花ファミリーのみんな




世界のお金がみんなのお金になるように。PART.3

3月21日春分の日。木の花ファミリーは21歳の誕生日を迎えました。

その日の夜は、まず子どもたちと一緒に、昨年ともちゃんが作成してくれた記念映像『木の花ファミリー ~20周年を迎えて』をみんなで観ました。そして、その後、いさどんBLOGに掲載されている『心が大きな人になるにはどうしたらいいの?~12歳のかのこちゃんから宇宙人ピトピへ』をみんなで読みました。

(※)かのこちゃんについては、天然生活in木の花ファミリー「木の花ファミリーで起こったこと~どんな種を蒔きますか?~」でも紹介されています。是非、こちらもお読みください。

BLOGの中で宇宙人ピトピは12歳のかのこちゃんに以下のように語ります。

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宇宙の中を動いている地球。

地球の上にいて、「ここは私の土地だ」と主張しても、宇宙から見るとその場所は1日に260万kmも移動しています。宇宙から見たら、その場所は常に動き続け、変化し続けているのです。

同じ家に暮らし続けると、固定した場所で暮らしていると思えるかもしれません。そして、そこを「私の家」、「私の土地」と表現するようになります。ですが、「私の土地」と主張している場所は常に移動し続け、変化し続けています。「私」は常に新たな場所に移動し続けているのです。

そして、それは「私」についても言えて、今の「私」は生まれたばかりの「私」とは全然違うものになっています。常に変化し続けていて、固定した「私」は存在しないのです。

そして、変化は常に宇宙の運行に基づいていて、自分の意志を超えています。
日が登り、日が沈み、季節が移り変わる。
そんな中、地球は変化し人々も変化していくのです。

そのような視点を得て、宇宙を意識して暮らす時、人間の心は大きくなります。
自分の欲を超えて、細かいことでは悩まなくなります。
そうすると、知恵が沸いてきて、人々にアドバイスが出来るようになるのです。

心を学んで自分を成長させることが大切で、勉強は心を大きくするための土台になります。

今まで長い間、人間は地球上でわがままを表現して来ました。
そのため、これから環境や経済、政治や医療、福祉。
様々な分野で色々な問題が生じてくるでしょう。

実際、台風は強烈になり、集中豪雨も激しくなってきています。
その環境では、だんだん食べ物を作ることも難しくなっていきます。
みんなで助け合わないと生きていけない時代がやってきます。
そんな中、かのこちゃんのような人が必要とされ、今の時代に生まれてきているのです。

わがままを止められない人たちは、まだお金を追い求め、競争し、バラバラに生きていますが、
あなたのような人たちが新しい時代を切り拓き、誰もが豊かに暮らせる世界が訪れるのでしょう。

新しい時代をあなたたちに任せたら、希望が湧いてきます。

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こんな話を「面白い!」と言ってかのこちゃんは聞いています。

そして、この日の夜、いさどんは、地球儀を抱えてさらに詳しく宇宙の話をしました。
その話を聴いた小学4年生のみのりは「いさどんの話す言葉は難しかったけど、言っていることの意味はわかった」と話します。(Facebook木の花ファミリーの投稿をお読み下さい。)

子どもたちの語り掛けるいさどん
こんなふうに心の大きな子どもたちが育っています。
彼女たちがこれからどんな世界を創っていくのかとても楽しみです。

さて、いさどんBLOGにもあるように、この世界には「自分のもの」は存在せず、すべてのものは「宇宙のもの」であり、「みんなのもの」なのです。


お金も同じです。

木の花ファミリーに今あるお金は、世界の人々のお金であり、それが今ここに流れてきている。そのように考えています。そして僕たちは、そのお金を、世界を豊かにするために使っていくのです。

3月22日。月に一度の自然食レストラン「恵みいただきます」が開催されました。
このイベントは、2013年8月から再開していますが、今まで僕たちは新しい食器や調理器具、そして会場の飾りつけなどでたくさんの出費をしています。それは利益率を考えると、割に合わない出費と言えます。
ですが、その出費が豊かな食事会を生み出し、お客さんに感動を与え、楽しい交流の場を生み出すのです。そう思うと惜しみなく使っていくことが出来ます。

そんな僕たちの心は天に通じ、人々に通じていきます。そして、支援して下さる方が現れます。

必要なものは必要な時にやってくる。

そんな信頼と安心感の元で、僕らはこの暮らしを営みその豊かさを世界に広げているのです。
その豊さを「恵みいただきます」当日の写真から感じていただけたらと思います。

お客さまに提供した料理です。

卓上の飾りつけです。
わけぎと紫芋のサラダです。

菜花です。

菜花とつくしのたわらお結びです。

桃の花です。

きし麺チームのみんなです。

キッチンスタッフのみんなです。

会場の様子です。

ホールスタッフです。子どもたちも手伝っています。

盛り付けをしています。


最後にみんなで撮った集合写真です。


 とりあえずこんな感じです。

さらに多くの写真をみたい方は「Facebook木の花ファミリーのアルバム」をご覧ください。
また長期滞在をしているあわちゃんが恵みいただきます当日に得た気づきを「ウルルン木の花ファミリー滞在記」に書いています。こちらも合わせてお読みください。

木の花ファミリーには多種多様な人々が集まりそれぞれが自分の切り口でこの暮らしを表現しています。その物語をお楽しみください。


世界のお金がみんなのお金になるように。PART.2

3月16日、僕は「世界のお金がみんなのお金になるように」という記事を投稿しました。そして、その日の大人ミーティングでシェアしようと思い、プロジェクターを使いスクリーンに映す準備をしておきました。ですが、いざシェアしようと思った時、パソコンの操作が上手くいかなくなるという現象をいただき、みんなにシェアをすることが出来ませんでした。そして、話題は次のものに移っていきました。

僕の中には投げやりな気持ちが生じました。そして、しばらく胸が熱くなっていましたが、気持ちを静め、その現象を振り返りました。

農事組合法人の決算&税の申告、個人の確定申告と忙しい日々が続く中で、心を見ることがおろそかになっていた。だからこういう現象をいただき、心を揺さぶって貰えたのだと思いました。これはとても面白く有難いことで、自分を知り、気持ちを引き締めることが出来ました。

この日の大人ミーティングでは、2月15日~3月14日まで行われた「1ヶ月の真学校」の受講生アンケートをみんなで共有し、それに長い時間を使いました。

僕は自分のブログをシェア出来るようにあらためて用意をし直していたのですが、夜も遅くなってしまっていたため、ブログのシェアはせず、上記の振り返りだけをみんなに伝えました。

そして次の日。ブログのシェアについてどうしようか考えました。

流れではないのかな?とも思えたのですが、木の花の経済についてみんなで共有する機会になるので、やはりシェアしようと決めました。ところが、大人ミーティングを迎えた時、ミーティングの議題を書くホワイトボードからは、昨日僕が書いた「ブログシェア」の言葉が消されていました。そして、ファシリテーターから、「もうブログのシェアはいいよね?」と声を掛けられました。

「やっぱり流れではないのだな」。僕はそう思って「うん、いいよ」と返事をしました。

ところが昨日、僕のブログを読んだいさどんから「この内容はみんなとシェアするといい」という言葉を貰いました。ということで、再びシェアをすることにし、ホワイトボードに書きました。

昨日の大人ミーティングでは、一つの出来事に対して右往左往する一人一人のメンバーの心が話題になりました。それはブログのシェアを巡る僕の心の動きそのものでした。僕は流れに従っているつもりで状況に翻弄されていたのです。

結局、昨日もブログのシェアはしませんでした。というのは、みんなで木の花の経済を共有し深めるのは別の機会の方がいいように思えたからです。

読もうと思ったブログが読めない。

そのことを通して、僕は心に芯が通っていないことを再認識し、学びを深めることが出来ました。

すべての出来事を相応しく与えられる。

そのことを実感しとても面白くなりました。やるぞーと思いました(^-^)


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ところで、僕は木の花ファミリーに移住する前、公立中学校で事務職員をしていました。
県に採用されて、市町村立の学校で勤務していました。

そのため仲間と、
「県民のお金を給料としていただいている」
「市民のお金を使って学校を運営させていただいている」
と話していました。

でも考えてみるとそれは公務員だけの話ではないのです。
なぜならお金は以下のように世の中を流れているからです。

国民(県民・市民) →(税金)→ 国(県・市) →(事業委託)→  業者 
→(給料)→ 従業員(国民) →(税金)→ 国(県・市) ・・・・・

サラリーマンの給料も、自営業者の収入も、国や県、そして他の市民のお金だった時があるのです。それをあらわしているのが、「世界のお金がみんなのお金になるように」でも紹介している以下の図です。


みんながみんなのお金で暮らしている。

それがこの世界の姿です。

ですが、個人の意識が強くなりすぎると、そのことを忘れ、みんなのお金を自分のところに溜め込むようになり、争いが生じるのではないでしょうか?

困った時はお互い様。

そんな信頼関係があれば、経済援助ももっと純粋なものになって有効に機能するのだろうなと思います。そして貧富の差がなくなるのではなく、意味をなさなくなるのだろうなと思います。


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大人ミーティングでのブログのシェアが遅れています。でもそれはこんなふうにお金に対する考察を事前に深めておく機会になっています。それはそれでいいのだろうなと思っています。

世界のお金がみんなのお金になるように。

木の花ファミリーで金庫番になって・・・」でも紹介していますが、木の花ファミリーの経済は以下のようになっています。

みんなのお金をみんなで集めてみんなで使います。

みんなのお金は個性豊かな一人一人のメンバー、そして農事組合法人やNPOのお金でもあります。

今日、木の花ファミリーメンバー40名分の確定申告書類を税務署に提出して来ました。木の花ファミリーメンバーの多くは農事組合法人の組合員ですが、法人と組合員との間に雇用契約は結んでいません。一人一人が独立した経営者として法人の運営に関わり、従事した分量に応じた配当金を受け取ります。組合員は、その配当金に基づいて確定申告をするのです(農業所得)。加えて、私たちは、本の出版やCDの製作販売、施設や田畑の見学への対応、不動産賃貸など農業以外の収入も得ています。それらについても毎年申告しています。

一般用、農業所得用、不動産所得用の3種類の青色申告決算書を作成し、それぞれ必要なメンバーに振り分けていきます。その他、年金収入や外勤メンバーの給与などを確認し、一人一人の年間の所得を割り出していきます。この作業はとても面白いです。木の花ファミリーのお金はみんなのお金です。でも、そのお金は均質ではなく、一人一人の個性に彩られているのです。数字からそれを感じてちょっと感動します。自分が作成した決算書を見て、「これも芸術だよな~」なんて思ったりもしました。(※お金とは何か?~「自分のお金」と「みんなのお金」もお読みください。)

誰か他のメンバーが持っているお金も、農事組合法人やNPO法人が持っているお金も、すべて「世の為、人の為」に使われ、世の中に循環していきます。だから、みんなどこにお金があっても気にしません。この安心感と信頼はこの暮らしの魅力でしょう。この温かい暮らしの中で、僕は能力以上の力を発揮して暮らしています。2月締め切りの農事組合法人の決算並びに法人税の申告を通してそのことを感じました。

農事組合法人木の花ファミリーは、お米や野菜、小麦や雑穀、豆類など多種多様な商品を販売し、農家民宿や農家レストランを展開しています。それだけでも経理は細かくなりますが、さらに静岡県と長野県と2つの県に事務所を構え、そして先にも触れた通り、組合員に給与を支給しない従事分量配当性を採用しています。そのため税の申告には特別な事務処理や書類が必要となるのです。(申告書の提出先も、国、静岡県、長野県、富士宮市、大町市と5つになります。)

加えて、農事組合法人木の花ファミリーは、上記の図にあるように、NPO法人ぐりーんぐらすや個々の組合員と連携して様々な事業を行っています。なので、NPO法人の経理や個々の組合員の経理にも目を配っておく必要があります。※それらも僕が経理を担当しています。

毎年2月は上記のような作業をするのですが、これは自分の能力の限界に対する挑戦となります。そして、エネルギーも身体の芯から絞りに絞り出すことになります。

そのプレッシャーはとても大きく、今年、僕はプレッシャーに押しつぶされそうになりました。この時は、決算に集中しなければ・・・とオフィスに籠り、みんなとの交流をなくすことで逆に自分の中からエネルギーを枯渇させてしまっていたのです。そんな状態の僕をファミリーのみんなは温かくほぐしてくれました。
(※この時のことは1ヶ月の真学校ブログ「ケア卒業生の学び」でよしてるくんが少しだけ書いてくれています。是非、こちらもお読み下さい。)

そんなみんなの温かさに支えられて、僕は忙しい時期を乗り切ることが出来ました。この場の持つエネルギーを改めて感じました。農事組合法人の決算は、ここで暮らしこの場のエネルギーを貰っているからこそ出来る仕事で、それがなかったらこんな「すごいこと」は出来ないだろうなと思います。(自分で「すごい」というのもなんなのですが・・・)

さて、能力以上の力を発揮する。それも素晴らしいことかもしれませんが、毎年2月が大変な状況にあることも事実です。当然、改善をしていく必要がありますが、そもそもこの状況を生み出したのは自分自身なのです。

2011年1月。当時、個人事業主の集まりとして経営をしていた木の花ファミリーに法人設立の話が浮上しました。この時期、僕はみんなの確定申告の計算をしていたのですが、まだまだ余力が残っていました。そしてより創造的な仕事をすることを望んでいました。僕はすごい人になりたかったのです。そこで、農事組合法人の設立事務を「やりたい」と言ってやらせて貰いました。そして、2011年3月。無事に法人を設立。これにより僕は、農事組合法人の行政対応から登記事務、そして経理に及びまですべてを引き受けるようになりました。そして、それはNPO法人ぐりーんぐらすも同じ状況にありました。

2012年2月。農事組合法人の初めての決算&税の申告。初めてのことで分からないことだらけの中、税務署に質問したり、自分で調べたりしながら仕事を進めていきました。そしてなんとかやり遂げた時、自分の能力のすべてを使い切ったことを感じ、達成感を味わいました。

その後、農事組合法人は2013年3月長野県に事務所を構え、NPO法人は便利屋など収益事業を開始し、事業が拡大し、税の申告も必要になっていきます。そんなふうにより多くのスキルが求められるようになっていきます。能力の限界に挑戦し続ける日々となり、余裕は少しずつなくなっていきます。

自分の納得がいく仕事が出来るようになった僕は、望んでいた「すごい人」になりました。ですが今、ひとりで極めた仕事を抱えて余裕を失っているのです。余裕がないと心の成長を求める気持ちが弱まります。一番大切なことがおろそかになってしまうのです。

望みは叶った。でも余裕を失う。

自分自身の理不尽さを感じるところです。

自分のやっている仕事を出来るだけ多くの人と共有することで楽になっていく必要があるのでしょう。それは、組織全体の成長にも繋がることです。

ちょっと前に、NPO法人フローレンスの駒崎代表とサイボウズ株式会社の青野社長の対談「残業はエクスタシー!? イクメン経営者に学ぶ働き方革命」を読みました。今は定時に帰り、子育ても楽しんでいるお二人ですが、昔は遅くまで仕事をしていたそうです。その頃のことについて、青野さんは「残業に自分のエクスタシーを求めていただけで、本当の意味で生産性を追求していなかった」と振り返りをしています。そして駒崎さんは「ベンチャー経営者は忙しくなけらばならない」という思い込みのヘットギアをしていたと述べています。

自分の満足を求めること、そして思い込み。

それらを超えた時、まったく新しい世界が開けるのだと思います。

3月7日、僕は40歳の誕生日を迎えました。そして、「不惑」を書きました。
そこでも書いた通り、今当たり前に思っていることもどんなふうに変化するか分かりません。
世界に心を開いて、変化に身を委ねていこうと思います。

最後に、前述した木の花ファミリーで実現している安心な社会。それは日本全体でも世界全体でも実現可能だと思うのです。例えば、日本の場合以下のような感じです。


みんなが日本のため、世界のためにお金を使い、みんなで豊かな世界を実現していく。そんな信頼感があったら、誰がお金を持っていても、どこにお金があっても気にする必要はありません。そして、有効に循環するならば、この世界は充分に豊かなのだと思います。
(※例えば、こんなページを見つけました。→ 「軍事費で出来ること」)

日本や世界は広すぎる。そんなの実現できっこない。

こんなふうに思う人もいるかもしれません。ですが、これも思い込みです。
思い込みを外して、ただただ世界に身も心も委ねたら、きっと奇跡が起きるはず。

そんな未来を共に築いていきましょう!



不惑

昨日3月7日は僕の40歳の誕生日でした。
木の花ファミリーでは、誕生日の日にはキッチンさんが特別なプレートを作成してくれます。
僕はチャーハンをリクエストしたのですが、
そのチャーハンを丸ごと1個のかぼちゃに詰めた料理を作ってくれました。
子どもの頃、大嫌いで「絶対に食べない!」と言い張っていたかぼちゃですが、
今では一番好きな食材で、昨日はその味を思い切り楽しみました。

大嫌いなものが大好きになる。

人は変化するものですね。今当たり前に思っている習慣も、
変わることはないと思っていることも、
未来にはどうなっているのか分かりません。
だから何事も決めつけずに心を開いてこの世界を味わっていこうと思います。

世界に心を開いていれば、世界が僕を変えてくれる。
そして、それは心豊かな道となるでしょう。

これからもよろしくお願いします。


キッチンさんが作ってくれたプレートです。チャーハンかぼちゃ詰めはやじーの作品です。

みんなと一緒に写真を撮りました。

ちなみにこの日は1ヶ月の真学校を受講中のいぶちゃんの息子、たろうくんの誕生日でもありました。たろうくんのプレートはオムライスです。こんなふうにそれぞれに合わせてプレートを用意してくれるキッチンさん。本当に素晴らしい場所に暮らしていることを実感します。

たろうくんのプレート「オムライス」です。


たろうくんもみんなと写真を撮りました。


病をいただく。

1月31日、富士浅間木の花祭りでみんなと思い切り舞い踊り楽しんだ僕は、その2日後39℃を超える発熱をいただき、インフルエンザA型の診断を下され、病床に臥せっていました。今、熱は37℃まで下がっています。

木の花祭りの一場面:今年は金神さまが登場しました。

2月4日、満月の立春正月。神事を行いみんながこの生き方の意味を確認する中、病床に臥せり参加出来なかった僕は、以下のようなことをしたり考えたりして過ごしています。

※立春正月の際のいさどんの挨拶はいさどんブログ「2015年立春正月のいさどんの挨拶」に掲載されています。こちらも合わせてお読みください。




(1)井筒俊彦さん(1914-1993)の著書、「意識と本質」を読む

井筒俊彦さんは、アラビア語やギリシア語、ヘブライ語などを含め、20ヶ国以上の言語を使いこなし、洋の東西を問わず世界の様々な思想に精通した大天才で、特にイスラムの聖典「コーラン」の研究に関しては世界的な権威となっています。その井筒さんが自身の根を「東洋」と認め、「複雑に錯綜しつつ共存する複数の哲学系」を持つ東洋哲学を、自分の内面に引き受け構造化し、新しい哲学を生み出す試みをしました。それが「意識と本質」です。大学時代に読んでたくさんの学びを得たこの本を、時間が出来たのであらためて読むことにしました。

日本人は、学問の上でも生活習慣の上でも西洋の影響を多大に受けています。その日本人が大和言葉(日本語)によって東洋的なるものを考え直す時、東西思想の出逢いが生じます。井筒さんはそのような意図も持ってこの試みをしました。ここでは詳しくは書きませんが、「意識と本質」には様々な意識レベル(表層意識~深層意識)におけるこの世界の捉え方が概観されています。西洋と東洋が出会い互いに理解し合う。多種多様な価値観による衝突が起きている現在を思った時、井筒さんの試みは違いを超えて理解し合うためにとても大切な仕事になっていると思います。

不惑(40歳)を1か月後に控えた今、この本を読むことで自分の思考の基盤を整える機会としました。ここでの学びとカタカムナを照らし合わせると新しい世界が見える。そんな可能性を感じています。

ちなみに東洋と言えば、「東洋の叡智が花開く時代」という記事が木の花ファミリーブログにアップされています。木の花ファミリーの暮らしから見える「東洋の叡智」について伝えているこの文章。是非、合わせてお読みいただけたらと思います。


(2)イスラム国に想いを馳せる

イスラム国による邦人人質事件は、人質2人の死亡、そして、ヨルダン軍のパイロットもすでに死亡していたことが分かり、その報復としてリシャウィ死刑囚は他のイラク人囚人と合わせて処刑されました。加えて、ヨルダン軍は報復の空爆も開始したようです(Yahooニュース参照)。事件は最悪の結末を迎え、そして今、憎しみが憎しみを生む負の連鎖が生じつつあります。

イスラム国への空爆は以前から行われていることですが、「イスラム国への空爆」と聞いても、僕はずっと痛みを感じることはありませんでした。そのことにふと気がつきました。

自分たちの意識がイスラム国を生み出している。
世界の複雑な関係の中でイスラム国は生まれている。

僕は普段そう語りながら、先進国日本で暮らすありがたみを享受し、イスラム国を自分から切り離していたのです。そして、心の中ではこのままなくなって欲しいとも思っていたのです。ですが、もしイスラム国が攻撃によって壊滅したとしても、1人1人の意識が変わらなければ、新たな脅威は生まれ続けることでしょう。

私がイスラム国。

そう宣言し、自分を見つめる時、もっと違った世界が見えるのではないか?
その残虐性、その狡猾さ、そしてその歴史や背景。
それを自分自身のものとして追体験することは、とても難しいことだけれども、
真の平和を築いていくためには必要なことなのだと思います。

私がイスラム国。

そう宣言する時、確かに自分の中にその残虐性、狡猾さ、そして、その苦しみとそれに対する無感覚は存在するのです。そして、それは人間が共有している闇なのではないでしょうか?そこをしっかりと見つめていきたいと思っています。

注意していただきたいのは、僕はイスラム国を空爆するなと言っているわけではありません。現に脅威にさらされている人たちが多数いる中、それは必要な措置であり、命懸けで任務についている方々の安全をお祈りしています。ただ、それと同時に、自分たちを振り返ることで、今までとは違う未来が生み出せる。そんなふうに思うのです。

現代社会が生み出したイスラム国。それを自分の事として振り返る。そしてそれを未来に生かしていくことが大事なのだと思います。病床にて改めてそのことを思いました。

※イスラム国についてはファミリーメンバーのともちゃんもFacebookに記事を書いています。
そちらも合わせてお読みいただけたらと思います。


(3)病をいただいたことを振り返る

2月は農事組合法人木の花ファミリーの決算報告の時期であり、1年間で最も忙しい季節です。この時期に仕事が出来なくなっている現状を振り返ってみました。

経理を担当している僕は、「いなくなっては困る」と言われることがあります。これは必要とされているということで嬉しいことでもありますが、「縛り」でもあります。僕は出ていくことが出来ないからここにいるわけではなく、自由意志でここにいるのです。そして、ここを出ていくことはありませんが、いつ天からお迎えが来てもいい状態で暮らしていたいとは思っています。ならば、自分がいなくてもコミュニティが機能する必要があるのです。そのためには、もっと自分の仕事を削り落とす必要があります。今回のことは、その一つのきっかけと言えるのではないかと思いました。健康だったら、僕は自分で仕事をやり続けてしまうので・・・・



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こんなふうに天からいただいた病を振り返り満喫している今日この頃ですが、先にも書いた通り、今月は農事組合法人木の花ファミリーの決算報告&確定申告が控えています。木の花ファミリーの農業及びそれに付帯する事業(農家レストラン・農家民宿など)を数字で表す神聖な作業です。毎年、この時期は感極まって涙が出てくるのです。病が癒えたら、その作業に集中するので、このブログは、しばらく(1か月ぐらい?)お休みをします。いずれまた書き始めるので、その時はまたおつきあいいただけたらと思います。

どうもありがとうございました。

ちなみに、木の花祭りについてみんなで振り返っている時間、「大切なのは日常。毎日、真っ白で生きていられたら祭りをやっている状態。自我のない状態。そういう状態で生きていられたら、幸せでいられる」なんてことを話していました。

決算も祭りです。

みなさまも祭りのような毎日をお過ごし下さい。ではまた!


木の花祭りのワンシーン ~みんなで舞い踊っています~




カタカムナを生きるとは?

一昨年の11月、木の花ファミリーはカタカムナと出会いました。その後、昨年の4月から講師に芳賀さんを迎えてカタカムナを勉強し、学びを深めていきました。1月26日、27日の2日間。自分たちの学びの状況、そして、カタカムナを生活に取り入れ、生きていくとはどのようなことかを確認するため、芳賀さんも交えて話し合う時間を持ちました。

カタカムナを生きるとは?

このことを考えるためにはお互いについて深く理解し合う必要があります。芳賀さんに僕たちのことをより深く理解してもらうために、まず以下の文章を読みました。

2015年「船出の年」を迎えて (いさどんブログより)

東洋の叡智が花開く時代 ~雑誌「世界建築」より (木の花ファミリーブログより)

いさどんの心と鬼の面 (宇宙の秘密みかこのブログより)

僕といさどんと木の花ファミリー (このブログの記事です)

カタカムナから観た経済システム (このブログの記事です)

今 地球上に生きる全人類の皆さんへ (いさどんブログより)

そして、芳賀さんからも人生をカタカムナに掛けてきた想いが語られ、お互いをより深く理解し合う時間となりました。その中で確認し合ったことは以下のようなことです。

みんなで丸くなって話し合っていました。
大切なのはカタカムナを生きることであり、カタカムナの知識はあくまでそのためにあります。知識ばかりに目を奪われると、本来の目的、カタカムナを生きることから離れてしまう恐れがあります。カタカムナとは宇宙の法則です。つまりカタカムナを生きるとは、宇宙の法則を生きることであり、それが出来ていれば、カタカムナの知識は不要となります。宇宙の法則は、直観からもたらされます。直観を磨くこと。そのためのツールの一つとしてカタカムナはあるのです。
そして、今年2015年はどんなことが起こるか想像が出来ません。フランスでのテロ、イスラム国により邦人誘拐事件など年の初めから大きなうねりを感じさせます。世界の先は見えません。ですが、それは悪い意味ではないのです。時代が新しくなるということなのです。人類は大きく変化していく必要がありますが、未来は明るい。そんな予感は確かにあります。今、次の時代を担う新しい魂が沢山降りてきています。僕たちは未来に繋ぐために直観を磨き、宇宙の法則に沿って生きていくのです。

まとめてしまえば、上記のようになりますが、木の花のみんなの意識が纏まらない場面、お互いの意思疎通が行かない場面など、様々な場面があり、とても学びの多い時間となりました。

例えば、26日の夜に、こんな場面がありました。

芳賀さんは人生の危機をカタカムナに賭けることで乗り越えた経験を持っています。話し合いの中でその経験が語られた時、僕は以下のように伝えました。

芳賀さんが今、とても大切な話をして下さっているのは分かります。ですが、それは個人的な人生の話ですよね?カタカムナが何のためにあるかと考える時、今の社会を変えるためにあるのだと思うのです。世界と自分が一つだという事実。その事実に気づき、自分ごとを超えて、世のため人のために生きること。カタカムナはそのためにあると思うのです。カタカムナを生きるとはそういうことだと思っています。

それに対して芳賀さんは以下のように答えました。

幸せでない人は他の誰かを幸せにすることは出来ません。世界平和を願ったところで、自分が不幸ならば、その波動が人々に伝わります。だからまず、個人が幸せになる必要があるのです。幸せな個人の波動が世界に伝わっていくことで、世界は良くなっていきます。

芳賀さんの言葉を聴きながら、浮かんでくる想いはあったのですが、僕は言葉を飲み込み、その場では話しませんでした。それは上手く伝えられる自信がなく、芳賀さんと不毛な議論になることを怖れたからです。

その僕の判断を聞いたいさどんは以下のように話しました。

今回の話し合いは、お互いを理解し合うことが目的です。ならば、正直に本音を語り合うことが重要になります。なかのんは「上手に伝える自信がなかった」と言いますが、なぜ上手に伝える必要があるのでしょうか?それを必要と思うのは、なかのんが結果を所有しているからです。「分かり合う」とか「理解し合う」とかそういう状態を頭で思い描き、そちらの方に持っていこうとしているからです。ですが、それでは本当の意味でお互いに理解し合うことにはなりません。まずは正直に思ったことを伝えることが大切です。

結果を所有している。

木の花ファミリーメンバーの多くがその状態だったため、充分な話し合いとはならなかったのです。そして、僕が飲み込んだ言葉は翌日、みんなから様々な切り口で芳賀さんに伝えられました。

個人が幸せでなければ、人々を幸せにすることは出来ない。そのことは僕たちも充分承知しています。それでも僕たちは、自分ごとを超え、自分を手放して生きる道を選んでいます。それは、その時、他者の幸せが自分の幸せとなるからです。そんなふうに生きる時、どんな時も自分は幸せでいることが出来ます。なので、自分の幸せについては考える必要がなくなるのです。ただ天と共に生きることを心掛けていればよいのです。それが宇宙法則を生きることであり、カタカムナを生きることなのです。

そんな僕たちの生き方についてあらためて芳賀さんに共有しました。そして、さらにお互いを理解し合うことが出来たのです。学びの多い時間を過ごすことが出来ました。

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思惑を持って結果を所有する。

その姿勢は時に視点を歪め、真実が見えなくなります。そして、その結果思わぬ影響を及ぼすことがあります。例えば、後藤健二さんの安全が気になるイスラム国による邦人人質事件ですが、識者と言われる人の中には、「安倍政権の積極的平和政策が中東諸国の対日不信感を深めていたところに、今回の安倍総理の中東歴訪が、この不信感を呼び覚ました」と論じている人がいるようです(野口雅昭さん「邦人人質事件に関する「識者」の論調」より)。これなどは明らかに安倍政権に対して批判的な人が、その視点から論じているように思えます。なぜなら、中東諸国に目立った対日不信感などはないようなのです。加えて、この意見は、イスラム国と中東諸国を同一視してしまっているのです。残忍なテロ組織であるイスラム国と中東諸国を同一視するこの発想は、中東諸国に対する偏見に繋がるのではないでしょうか?偏見は差別、そして時には争いに繋がります。そんな可能性に識者と言われる人たちは気づいているのでしょうか?

そして、僕はイスラム国について残忍なテロ組織と書きました。ですが、そのイスラム国は僕らが生み出したとも言えるのです。見つからなかった大量破壊兵器を口実にイラクを攻撃したアメリカ。その攻撃がイスラム国の台頭を生み出しています。日本はその戦争を支持しています。日本はイスラム国の誕生にしっかりと繋がっているのです(イスラム国による人質事件。の巻 -雨宮処凛より)。この時、アメリカ政府や日本政府は、自分たちに都合のよい別の未来を思い描いていたことでしょう。思惑通りにはいかず、大きな不幸を生み出している。この現実に目を向ける必要があるでしょう。

それぞれの国が、自分の立場から過去を眺め、思惑を持って結果(未来)を所有しようとしています。それが現代の混乱や苦しみを生み出しているのではないでしょうか?そして、それは個人個人の人生にも言えるのではないでしょうか?

先に紹介した「今 地球上に生きる全人類の皆さんへ 」を読んでみて下さい。そこでは、そんな人々に新たな視点を提供しています。この文章についていさどんは大人ミーティングで以下のように語りました。

この世界が因果応報によって動いているのは確かです。ですが、因(過去)にとらわれる必要はないのです。現象に反応して、それに合わせて次に現象を生み出していく。それは因果に翻弄されている状態です。経験にとらわれていてはいけません。太陽はこの宇宙を未知なる空間へ螺旋を描きながら回っています。まだ一度に行ったことのない空間、未知の空間です。人生も同じです。常に新しい未知の世界へと進んでいるのです。そこでは、「今までこうだったからこうなる」という約束はありません。常に新しいがあります。だから、それをただいただくだけなのです。

過去も未来も所有しない姿勢となり、ただ今を頂いて生きていく時、人は自由になります。宇宙法則に基づいて生きることになり、カタカムナを生きることになります。そして、その視点から世界を見た時に多くのことに気づくはずです。

正しいを考えることは、悪も生み出します。今までたくさんの主義主張が、この世界に正邪をもたらし、それが争いに繋がりました。それらすべてを融合し、超えていくことで未来を顕していくことが出来ます。そのためにはただ心の目を開けるだけでいいのです。

上記の文章でいさどんは以下のように述べています。

今地球上に生きる人類の皆さん、なぜ一つの生命である地球上で人類は他の生命の存在を無視するのでしょうか。なぜ地球上で一つの種である人間が、違いによって戦う必要があるのでしょうか。あなたも私も同じ一つの体の一部です。それは互いを生かし合う美しい無限な生命の調和とつながりの連鎖です。たったそれだけのことに気付くだけです。これまで生命が時と共に変化してきたように、地球の歴史の中では大陸が移動したりと変化はありましたが、陸地同士が主張し合い戦ったことは一度もありません。今の時代に限って、地球上に存在している細胞(人間)が、癌化しているだけなのです。今、それを私たちは気付き、その習性を改めればいいだけです。

すべての存在はみんな一つ。みんなで共に未来を描いていきましょう。


自分を離れ真剣に世界を追究する

1月24日、木の花ファミリーでは月に一度の自然食レストラン「恵みいただきます」が開催され、150名を超えるお客さんに食事を楽しんでいただきました。今回のテーマは、「鬼の清め 花福ご膳と手打ち宝うどん」でした。以下の料理や会場の様子を紹介しますね。


お客さまに提供したお料理です。


盛り付け準備をしています。
うどん茹でチームのみんなです。
会場の様子。飾りつけは木の花祭りの湯葢や切り草です。
外ではずっと木の花祭りの舞が行われていました。
最後にみんなで集合写真を撮りました。

※当日の様子についてより詳細が知りたい方はこちら(Facebookアルバム)をご覧ください。

今回の「恵みいただきます」のテーマは、1月31日(土)に開催される富士浅間木の花祭りに因んだものです。宇宙の秘密みかこのブログ「いさどんと鬼の面」に表現されているように、僕たちはこのお祭りをとても大切にしています。そして、今、みんなで祭りに向けて様々な準備をしています。



まっちゃんの書です。
先日は、まっちゃんがのぼり作成のための書を書きました。なかなか思うような作品を書けなかったまっちゃんですが、最後の書は、みんなが見ている前で書きました。その時、木の花祭り笛隊のあやちゃんが音楽を奏で、皆が掛け声と共に踊り出す中、書き始めたといいます。半分意識があちらの世界に行っているような不思議な感覚で書いたという書はとても見事なものとなりました。

自分という我から抜けて、みんなと共に書かせて頂くという気持ちで書いた時、書に魂が入った。

まっちゃんはこの時のことをそう話しています。
※詳細は、天然循環ボケまっちゃんの天然生活in木の花ファミリー「書と通しての学び」をお読みください。

そして、循環と変化によって成り立つ「ひとつらなりのいのち」にも書いているように、りょうちんは、金神さまの面を作成しました。封印が解かれ乱れた世を立て直す艮の金神(=国常立大神)の物語は、僕たちがずっと大切にしているものであり、金神さまと共に神人、天地が一体の「弥勒の世」を生み出すために僕らは心磨きをしています。今年から金神の舞が演目に加わることで、その精神を表現し、生きていく場となりました。



金神さまの面(作成途中です)
こんなふうに準備が着々と整う中、みんなで練習を重ねています。そんな中、花祭りの舞について、いさどんは以下のように語りました。

舞というのは流れるように舞うものです。木の花祭りは、愛知県奥三河地方東栄町の花祭りに由来していますが、地元には言い伝えがあり、積み重ねてきたものがあります。それは、言葉を超えたものなので、もし、教えてもらった通りに舞ったとしても、本場の舞を実現することは出来ないのです。舞の奥には、その舞や所作が生まれた意味が隠されていて、それが個性となっています。追究していく姿勢が大切なのです。追究していく姿勢から「溜め」が生まれます。それは1%の違いですが、大きな違いをもたらすのです。

これは日常生活の姿勢についても言えることです。言われた通りにする。自分の役割を果たす。それで「良し」とするのではなく、世界を観察し、他者と繋がりもう一つ大きな世界を創っていくことが大切なのです。



ケア滞在者の日記をチェックするいさどん。
首のマフラーは6歳のなおが編んでプレゼントしたものです。
木の花ファミリーでは、NPO法人ぐりーんぐらすと共に、心身の病や偏った生活習慣などの問題を抱えた方へ自然療法プログラム(通称:ケア滞在)を提供しています。ケア滞在では、自然に沿った暮らしの中で滞在者が健康を取り戻すお手伝いしています。先日の大人ミーティングにて、そのケア滞在をしている方が自分の書いた日記を発表しました。その日記に内容は、自分や身の回りの出来事を緻密に見ていて、本人の変化や成長を表すものでした。彼の発表を聴いて、いろいろな人が、その成長を賞賛するコメントをしました。その後、いさどんから以下の問い掛けがありました。



彼が今日、日記を発表したのは、僕の勧めを受けてです。僕が彼に発表するように伝えた意図はどんなところにあると思いますか?

その後、僕を含めた数名が発言をしますが、正解探しのような単発の発言になってしまい、場が締まりませんでした。そんな中、いさどんが再び話し始めました。

この場で、ホリスティックにまとめていく視点を提供出来る人が現れないか様子を見ていていましたが、出ませんでしたね。その原因を考えたのですが、6割~7割の人たちはこの話を聴いていませんでした。自分の発言する場ではないと決めて、もちきびの選別などの作業に集中していました。これだけの人数がいるので全員が発言するわけにはいきませんが、それでも、話題をみんなにとって大切な話として聴いていることが大切です。もしみんながこの話題を大切にしていたら、この場は自然と締まったはずなのです。発言をしない人も場を創っています。一人一人が見えないところでどういう姿勢をもっているか?それが「溜め」を生み出し、場を創っているのです。
彼は、確かに緻密に自分のことを観ていて大きな成長を遂げています。ですが、皆で真剣に場を創っていった時、多様な視点が生かされ、もっと豊かな成長に繋がっていくのです。

一人一人の生きる姿勢が、場の空気を創り、それがその場にいるすべての人に影響します。今まで多くのケア滞在者が場の力により癒され、成長し社会へ復帰していっています。ですが、まだまだ上記のような空気を創ってしまう現状が木の花ファミリーにはあります。一人一人が、自らの人生の意味、そして、この世界、宇宙の仕組みを真剣に追究し、一瞬一瞬を大切にしていくことで、より豊かな場へとこの場は発展していくことでしょう。

そして、この時大切になるのが、「のぼりの書を書いたまっちゃん」のように、自分という我から抜けることです。別の場面でいさどんは以下のように語っています。

人はすぐに忘れるものです。僕もテレビを観ていて、「これはいい情報だ」とその時は思うのですが、多くの情報は忘れていきます。人は五感を通して経験します。それは肉体に制限されていて、この世界の広さからすれば、ほんのわずかな経験です。僕たちは海の底にはいけません。マグマの中にも入れません。そして、空には、無限な宇宙が広がっていますが、僕たちはこの場から眺めるだけです。僕たちはほとんど何も知らないのです。ですが人間は、五感を通して感じたものを絶対だと思ってしまいます。そして、自分が最も自分を幸せに出来るという勘違いが生まれます。五感は僕たちが生きていく基盤であり大切ですが、それに囚われてはいけません。多くの人が、五感の刺激に囚われ、「自分が・・・」という気持ちに縛られ、自分から幸せを奪っているのです。五感から離れ、自分と向き合い、細かく見ていく。そんなふうに自分から離れられると、宇宙の知恵が入ってきます。「いただく」という心が育ち、宇宙の流れに沿って幸せに生きていくことが出来るのです。

みんなが自分を離れ、全体性を考えて真剣に場を創っていく。僕たちみんなが心掛けていることです。「恵みいただきます」もそんな日々の心掛けの中から生まれているイベントです。その豊かさをこれからも多くの方に味わっていただけたらと思っています。

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そして世界に目を向けると今、日本人2人がイスラム国によって誘拐され、日本政府に身代金の要求がされました。その後、湯川遥菜さんは既に殺害されたとの情報が流れ、イスラム国からの要求もヨルダンに収監中のサジダ・アルリシャウィ死刑囚の釈放に変化しているようです(Yahooニュースより)。残る後藤健二さんが無事に解放されるように具体的な対策を取っていく必要がありますが、それと共に、イスラム国がこの世界に存在する現実にも向き合う必要もあるのではないでしょうか?なぜなら一人一人の心が世界を創り、その世界がイスラム国を生み出しているからです。この現実を真剣に追究していくことにより、イスラム国が生まれない世界を創っていくことが大切なのです。

イスラム国が生まれる背景について、吉崎達彦さんの記事「テロと格差の2015年を考える」には、以下のように書かれています。


大きな戦争がなく、成長率も低い時代においては、経済的な格差が固定化しやすくなる。これにグローバル化が重なると移民人口が増え、宗教的対立から「文明の衝突」が起きやすくなる。結果としてテロ事件が発生したり、過激な「イスラム国」が勢力を伸ばしたりする……。


これが2015年の大問題であるとしたら、事態を解決するために大規模な戦争を起こそう、というのはもちろん論外なので、世界経済の健全性を保つためにどうやって社会の流動性を高めるかという視点が重要になってくる。

社会の流動性を高め世界経済を健全に保つことがテロやイスラム国をなくすことに繋がる。それはその通りなのだと思いましたが、この記事では、そのための解決策として、経済成長を掲げています。ですが、現在の環境問題を考慮した時、これ以上の経済成長を求めるのは、不可能と言えます(IPCC第5次評価報告書を参照)。ならばどうすればよいのでしょうか?

社会構造が経済格差を生み出している。それはその通りなのですが、その社会構造は一人一人の心が生み出しているものです。「人と自分を区別し、自分を優先する心」がより多くの富を求めるのではないでしょうか?ならば、「自他の区別をなくし分かち合っていく心」に育っていくことで経済格差はなくなっていくのではないでしょうか?「分かち合いの心」を育てるために必要なのが、自分を離れ、自分と向き合い、細かく見ていく姿勢です。

木の花祭りで表現される金神さまの世直しは、一人一人に上記のような姿勢を求めます。その姿勢が神人和合の弥勒の世を生み出します。今、多くの人々がこの世界の仕組みについて話し合っています。どんな仕組みにすれば、物事がうまくいくかを考えています。ですが、人々の心が「自分を優先」していたら、どんな仕組みも対立を生み出すことでしょう。心が変わらなければ、現実は今の延長で続いていきます。大切なのは仕組みを変えることではなく、人々の意識を転換することです。

「自分が・・・」という心から「いただく」心へ。
自分優先の心から分かち合いの心へ。

それは世界の幸せが自分の幸せになる生き方です。

世界で起きていることに目を向けながら、それが日々の営みと繋がっていることを意識し、自分と向き合い、一日一日を大切に暮らしているのです。そんな暮らしに興味がある方。2月15日(日)から3月14日(土)まで開催される「1ヶ月間の真学校」に是非、ご参加下さい。大きな気づきが得られること間違いなしです。





循環と変化によって成り立つ「ひとつらなりのいのち」

木の花ファミリーでは、月に一度、誕生日会が開催されます。誕生日会では、みんなでその月に生まれた人達を祝い、ケーキを食べて、歌や踊りなどを楽しみます。

赤ちゃんはどこから生まれてきたの 神様の光の響きから来たの
宇宙の命の奥から来たの 天と地が結ばれて生まれて来たの

今月2歳になる結宇光くんです。
これは誕生日会の時にいつも歌う「おたんじょうびのうた」の歌詞です。僕たちはみんな太陽の光から生命力をいただいています。そして、いのちはお互いの存在を必要とし合い、なくなることはありません。例えば、シマウマに食べられた草は、シマウマへと変化し、シマウマはライオンに食べられライオンへと変化します。そして、シマウマやライオンの死骸や排泄物は微生物たちが土に返し、それを養分にして草が育っていくのです。生命は、いのちといのちの織物の中、他の生命へと変化し、受け継がれていきます。そして、魂は次元を超えた存在であり、個体が消滅する時、この世界の本質(宇宙の命の奥)に戻り微細になります。そして再び旅立つことで肉体を得て新たな人生を歩んでいくのです。この世界に死は存在しません。誕生とは、変化であり肉体を得ることであり、この世界への魂の再生と言えるでしょう。

循環と変化によって成り立つ「ひとつらなりのいのち」

日和がみんなに作ったケーキです。
誕生日会ではその尊さを祝い、みんなで楽しい時間過ごします。今月の誕生日会は、17日(土)の夜に行われました。今月は、31日(土)に開催される富士浅間木の花祭りに向けて、いさどんみかちゃんから子どもたちへ木の花祭りのプレゼンテーションが行われました。そして、花の舞(矢剣・やち)、三つ舞(扇)、湯囃子(ゆばやし)などの舞が披露されました。以下、その様子を写真でご覧ください。




花の舞(矢剣)を舞う、はるとあっくん、なり(左から)です。


三ツ舞(扇)を踊るゆうゆ(右)ときよ(左)

同じく三つ舞(扇)を踊るみのり

湯囃子(ゆばやし)の舞です。

白光真宏会の方々が久しぶりに訪れてくれていました。


富士浅間木の花祭りについては、みかちゃんが「いさどんと鬼の面」でとても詳しく書いてくれています。ここで書かれている内容は僕たちにとってとても大切な内容であり、これからの人間社会に必要とされるメッセージがたくさん含まれています。ここで少し内容を引用しますが、是非、原文を読んでいただけたらと思います。

富士浅間木の花祭りでは、鬼が主役となります。その鬼についてカタカムナの単音で調べると以下のような意味となります。

「オ」 6方(前後左右上下)へ限りなく拡散、または凝縮する思念
    大きい 重い 奥の方・潜象の場  ※潜象界とはカタカムナでは「ない世界」のこと
「二」 定着する

この意味を発展させて「いさどんと鬼の面」では鬼について以下のように説明しています。

「オニ」とはマクロにもミクロにも限りなく広がる現象界、および現象界の元になる潜象界をも含む、両方の世界の働き(仕組み)を定着させるものである。そして、「鬼が云う」と書いて「魂」となる。魂とはこの世界の仕組みのもとにある心で、鬼は人間に、この世界の道理を伝えるものなのである。

怖い顔をして怒っている鬼。その怒りは人間への愛であり、今の人間がそれだけ道理から外れているということです。それは世界で起きている様々な出来事を見れば明らかでしょう。

フランスで起きた出版社襲撃事件は、更なる争いをもたらそうとしています。シャルリー・エブドは再びムハンマドの風刺画を掲載し、パキスタンではデモが暴徒化しました(「シャルリー・エブド」の漫画家を「すぐに絞首刑に」パキスタンでデモが暴徒化)。

ナイジェリアでは、イスラム武装組織ボコ・ハラムとナイジェリア政府軍、双方に住民は苦しめられています(ボコ・ハラム:日本メディアが報じない「ナイジェリア政府軍」の蛮行)。

そして、気候変動も深刻で、昨年11月に公表されたIPCC第5次報告書では、厳しい温暖化対策が必要なことが提示され、それを裏付けるように、2014年の世界の平均気温は1880年以降で最も高い数字となりました(朝日新聞より)。そんな中、日本人の多くは経済成長を求めているのです(3人に1人は「GDP成長のジレンマ」(必要だが不可能)を感じているー経済成長についての世論調査よりー)。

この世界で起きている争いや不条理はまだまだ上げればきりがありません。鬼はそんな人間に対して、やさしさを秘めながら怒ってくれているのです。やさしくあたたかい存在です。

木の花祭りはそんな鬼たちを主役にして開催されます。その鬼たちの中でも特に重要なのが榊鬼(さかきおに)で、鬼の総大将になっています。僕たちは榊鬼を地球神である「国常立大神(くにのとこたちのおおがみ)」・「艮(うしとら)の金神」と捉えています。国常立大神は、地獄では閻魔(えんま)様となり人々に喝を入れますが、弥勒菩薩となり幸福な未来へと人々を導く存在でもあります。

榊鬼は、木の花祭りの中で、斧を振るって、「反閇(へんべい)」と呼ばれる大地を力強く踏みしめる所作を繰り返し、大地を祓い(はらい)清め、真冬になって地中に沈み込んだ精霊たちを、呼び覚まし復活させます。新しい生命が次々と鼓舞されて出てくるのです。

榊鬼の面に手を入れているいさどんとりょうちん
今年、この榊鬼の面を新しく購入しました。ですが、その面は威厳に掛けていました。そこで怒っている表情を出すために、いさどんの想いを受けて、りょうちんが手を入れました。怒った表情になった面は削って真っ白になっていました。新しく色を決めることになり、みんなで「金色」に決めました。

榊鬼の面の色が金色になった時、ひろっちの中に、「金神」様という言葉が浮かびました。
榊鬼である「艮の金神」は、厳しいことを言う神様だったので、それを疎ましく思う八百万の神に艮の方角(北東)に封印されました。今、道理が通らず乱れた世の中になっているのはそのためと言われています。ですが、世の乱れを正すために艮の金神の封印は解かれる時が来るのです(『大本神諭(おおもとしんゆ』を参照)。


三千世界一度に開く梅の花、
艮(うしとら)の金神(こんじん)の世に成りたぞよ。
梅で開いて松で治める、
神国の世になりたぞよ。・・・・
今日(いま)は獣類(けもの)の世、
強いもの勝ちの、
悪魔ばかりの世であるぞよ。・・・
是(これ)では、世は立ちていかれんから、
神が表に現れて、
三千世界の立替え立直しを致すぞよ。
用意をなされよ。
この世はさっぱり、
新(さら)つの世に替えて了(しま)ふぞよ。
三千世界の大洗濯(おおせんたく)、大掃除を致して
天下泰平(てんかたいへい)に世を治めて、
万古(ばんこ)末代(まつだい)続く神国の世に致すぞよ。・・・
天理、金光(こんこう)、黒住(くろずみ)、妙霊(みょうれい)、 先走り、
とどめに艮(うしとら)の金神が現れて、

世の立替えを致すぞよ。
                   (天下泰平「日月神示と艮の金神」より引用)


この「艮の金神」の復活を、木の花祭りの演目に入れることにしたのです。木の花祭りはこれにより、さらに広がりを持つようになりました。そして、これは木の花ファミリーの生き方そのものです。

1月17日、国会議事堂前を、戦争に反対する人々が取り囲んだようです(女たちが国会包囲「子どもを戦争に行かせない」)。彼女たちは平和のための活動をしています。ですが記事を読む限り、その動機は自分や自分の家族の安全を守るためのようです。それぞれの人が、他人の立場や全体性を考慮せず、自分の都合を推し進めることによって争いや戦争は生まれています。そこを見詰めずに行う反戦デモは、それ自体が争いの種になってしまうのではないでしょうか?

多くの人が平和を求めています。でも、それは実現していません。それは人々が自分の都合を手放すことがないからではないでしょうか?自分の都合を手放した時、人と人とは繋がりあい、平和が実現します。そのために必要なのが心磨きであり、艮の金神をはじめとする鬼が示してくれる道理に従うことなのです。

11月、いさどんはインド最大のコミュニティ「オーロビル」で「シュリ・オーロビンド(1950年没)」の魂に出会い、艮の金神だと感じたようです。その特徴は以下の通りです。(いさどんブログ「天教山から地教山に向かって」より)

植物があり、その葉っぱがあるとか、大理石の柱があるとか、壁のペンキの傷だとか、それを僕が指差すと、「そこに私はいる」、「そこにも私はいる」、「どこにでも私はいる」と言葉が降りてくる。それで、その存在はすべてに遍満している存在なのだと直感したら、「すべてに遍満しているということは無である」と降りてきた。つまり、すべてに遍満しているということは、その存在は特定の位置に立たないから、すべてが自らであり、自ら(自我の特定)はないことになる。

無という境地は深いものであり、仏教で伝えられている奥にある存在なのだ。そして、もしかしてこの魂は地球の魂なのではないかと直感した。

 (※いさどんブログ「チベット人女性、カルサンとの対話」にもこのエピソードは出てきます。)

艮の金神、国常立大神は地球神であり、その存在は世界に遍満しています。そして、それは「ひとつらなりのいのち」として続いてきたものです。その封印が解かれることはエネルギーの解放であり、新たな誕生を意味します。僕たちは木の花祭りでそれを表現し、その精神を生きていくのです。

木の花祭りは愛知県奥三河の天竜水系にある東栄町の「花祭」に由来しています。東栄町でいさどんはある太鼓集団と一緒に活動をしていました。そして、そこから派生したグループは今、世界で多くの人々を魅了しています。そのグループの映像を観ていさどんは以下のように語りました。


この映像は、人間は極めるとここまで出来るということを示しています。
その技術で世界中の多くの人々を魅了しています。
僕たちも木の花祭りを極めることでこれから多くの人々を魅了していくことでしょう。
でも私たちが極めるのは技術ではなく「心」です。
日々の暮らしの中で自分に真剣に向き合い、自分を手放していくこと。
その姿勢が舞に顕れます。そして、それが多くの人々に感動をもたらすでしょう。

この生き方はこれからますます大切になります。
みんな覚悟を持って生きていきましょう。


僕たちはこんな気持ちで富士浅間木の花祭りに向けて準備をしています。
祭り当日、多くの方と感動を共有出来たらと思っています。
心が動いた方は是非、富士浅間木の花祭りにご参加下さい。お待ちしています。
(参加申し込み及び詳細はこちらまで → 第3回「富士浅間木の花祭り




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