不自由の自由が真の平和をもたらす



3年前の終戦記念日、この世界に地球談話が降りてきました。そこには以下のように書かれています。

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「地球談話~真の平和を地球にもたらすには~」2015.8.15

真の平和を地球にもたらすために、今わたしたちにできることは何でしょうか。それは広い世界観を持ち、個々の自我を超越することです。人間が自我の狭い枠に囚われている時、他者との違いによって他者に違和感を持つようになります。それが対立や争いの始まりです。しかし、わたしたちが存在しているこの世界は無限に広大な世界であり、そこは多様ないのちのネットワークで成り立っています。その調和のネットワークは、個を存在させるために全体があり、全体を存在させるために個がある相似形の仕組みによって成り立っているのです。


この世界の真実は、全てが一つということです。ですから、全てのものと自分自身との区別はないのです。このように人々の世界観が広がれば、平和な世界を創り上げようとしなくても、地球上に平和は自ずと訪れるものです。

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この世界に真の平和をもたらすために必要なことは、広い世界観を持ち個々の自我を超越することで、それが出来れば平和は自ずと訪れます。では自我を超えるためにはどうすればいいのでしょうか?日常生活を問題なく穏やかに過ごしていれば、それだけで自我を超えるということが出来るのでしょうか?木の花ファミリーでは先日、ジイジから子どもたちに向かって戦争について語る時間が持たれましたが、そこでは以下のような言葉がありました。

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皆は、学校の勉強をしていますね。学校の勉強をして、将来大きくなって、大きい会社へ入って、そこで良い製品を作って、それがたくさん売れたら、お金をたくさんもらえますね。その会社が爆弾を作る会社だったら、効率良くたくさんの人を殺す爆弾を作ったら、お金をたくさんもらえるのです。

たとえば、食べ物が安全でないものなのに、皆がたくさん食べたがるようなものをたくさん作るとします。そういう食べ物はコンビニなどでたくさん売られていますね。そうすると、安全でなくても、皆がたくさん食べたがるものを作ったら、会社は儲かって、これを作った人たちは給料をたくさんもらえるのです。だから、体に良いものではなくても、人がたくさん欲しがるものを作れば、お金になるのです。そういった食べ物をいつも食べないといられない人も出てきます。これを中毒と言います。そういった中毒の人がたくさん出てくるような食べ物を作れば、会社は儲かりますね。そして、それを考えた人はお金がたくさんもらえますね。お金がたくさんもらえたら、その人は優れた人になります。頭が良い人ですね。

~ 中略 ~


今日は、戦争の話をしようと思ってこの場に臨んだのですが、戦争のほうがわかりやすいですね。人と人が殺し合って大変なことになるのです。普通の人が「私は戦争なんかしていません。悪いことは何もしていません。お巡りさんにも捕まることはありません」と言いながら、他の生き物をたくさん殺したり、それどころか、「おいしいものを作ったから食べてね」と言って、そこには添加物や毒がたくさん入っていて、そういったものを長い間をかけて食べていると、それが原因で病気になって死ぬこともあるのです。癌が発生するのは、食べ物が原因で起こることが多いのですよ。そうしたら、食べ物を作っている人が癌ができる食べ物を作り、結果、人を殺しているのです。それは、誰がやっているのかといえば、頭が良い人です。学校で勉強ができる人です。

だから、皆は一生懸命勉強して、これからはそういった人にならないように、戦争が起きないように、他の生き物に迷惑をかけないように、地球がどんどん変になっていかないように、そしてそれを直していける人になってもらいたいと思うのです。今までの人間は、結果として悪い世の中にするために生きていたのです。


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一生懸命に勉強をして社会の中で成功をして何も問題を起こしていないと思っている人も、今の社会で普通に生きていると、他の生き物に迷惑を掛けて地球を痛めつけているのです。これは今までの社会が人々の自我を満たすために創られてきたからです。努力をするならば、自我の望みが満たされることはよいこととされてきました。だから人々は自分や身近な人々のために働いてきました。ですが、地球談話には以下のように書かれています。

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日本の漢字に「働く」という文字があります。これは「労働」を意味します。しかし、真の意味は「傍(はた・他者)を楽(らく)」にすることです。働くことはある意味生きることですから、生きるとは自分を超えたネットワークの中で役割を果たし、他者のため、世の中のために生きることなのです。ですから、生きることは世界に平和をもたらすことになります。

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傍(はた)を楽(らく)にするために、大いなるネットワークの中で他者のため、世のためにはたらくこと。それが自我を超えた人々の生きる姿です。

はたらく

カタカムナで見ると、トコロ軸に発生したものが分離独立する場所で自由であること。「トコロ軸に発生したものが分離独立する」とはこの世界の一つひとつの生命のことで、それが存在する場とはこの世界そのもの、つまり「はたらく」とはこの世界で自由であることなのだと思います。そして自由とは何か?と聞かれたら、心の道を歩む僕は以下のように答えます。

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この道は言ってみれば、自己否定の旅だと思っています。それはもっと大きな自分、世界と一つになるための自己否定です。常に否定し続け、それが即、肯定へと変容し続けます。それは自分を手放すことが出来ることへの誇りであり、大いなるものへと自分を委ねる覚悟となります。


この道は山登りに例えられます。山のすそ野は広くどこからも登ることが出来ますが、頂上は一つ。登れば登る程、道は限られていきます。同じように、この道は究めれば究める程、道は狭くなり、今まで良かったことも駄目となり、自らの選択はどんどん限られていきます。

不自由の自由。

一見、不自由に見える心の道ですが、それを進むことが本当の自由への道です。

なんでもいいけど道は一つ。

そんな感じです。

多くの人は自分の想いのままに行動することが自由だと思っています。ですが、思い通りにことが運ぶことはほとんどありません。結果、自らの想いに翻弄され、現実の中で右往左往するのです。平和を求めて争ったり、平和のために核武装したり。人々は自らの想いに翻弄され、それが矛盾に満ちた社会を生み出しているのです。


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真の自由とはこの世界の法則、その不自由さを完全に受け入れることです。自我は常に目の前の出来事に反応して、あーしたい、こーしたい、こうでなきゃ、ああでなきゃ、これは嫌だ、あれは嫌だ、と主張します。その反応を超えて、この世界に法則に自分を委ねていくのです。すると自我の反応は変化し流れに沿ったものとなり、みんなと調和したものとなっていきます。それは自分の個性が花開く道であり、それに合わせて出会う出来事も変化していきます。それが自我を超えることであり真の平和へと繋がる実践なのです。






すべての濁りが世界の美しさの彩りとなるように。

エジプトよ。あなたは一人ではないよ。みんな民主主義に向けて努力していることを忘れないで。民主主義は専制政治に対する抵抗から始まった。専制政治は目の前の現実。だから戦おう!でも専制政治はみんな(+すべての組織)の中にあるロールでもある。みんな、時には自分や誰かに対して専制的になる。民主主義がずっと続くように。内なる戦いに踏み出そう。そして自分の中にある専制的な要素を取り除こう。そして、他者の視点を取り入れていこう!なぜって?それらはたいていあなた自身の声だから。世界から飛び出そう!そして心の奥底へ分け入ろう。一緒に戦い愛を深めていこう!

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上記は2013年8月、クーデター後の混乱の中にあったエジプトに向けたアーノルド・ミンデル(アーニー)の言葉です。当時、翻訳してFacebookでシェアしたのを久しぶりに目にしました。アーニーは「民主主義は専制政治に対する抵抗から始まったと書いています。そこで専制政治について調べてみるとWikipediaには以下のように書かれています。

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専制政治(せんせいせいじ、英語:autocracy)とは、支配者が独断で思いのままに事を決する政治である。専制支配(せんせいしはい)、若しくは専政とも称される。英語の「autocracy」は、直訳すると「我がままな支配」「自分勝手な政治」となる(auto=自分。cracy=政治、支配)。


支配者層と被支配者層とが身分的に区別されていた社会において、身分的支配層が被治者と無関係に営む統治の仕方である。

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専制政治とは支配者が好き勝手にすることです。そこから圧制が生まれ、民衆の苦しみが生まれてきた歴史があります。では民主主義は?Wikipediaには以下のように書かれています。

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民主主義(みんしゅしゅぎ、英: democracy デモクラシー)とは、国家など集団の支配者が、その構成員(人民、民衆、国民など)である政体、制度、または思想や運動

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民主主義とはみんなでみんなのことを決める仕組みですが、もしそこに好き勝手にしたい心が残っていると、一人ひとりの好き勝手が際立ち社会の分断が進んでいきます。そこから孤立や対立などの社会問題が生まれ人々は苦しむことになります。

こうやって見ると問題の本質は、政治の形ではなく一人ひとりの人間の奥にある心、「好き勝手にしたい心」であることが見えてきます。そしてそれは一人ひとりの自我(エゴ)から生まれます。だからこそ、アーニーも内なる戦いへと向かう重要性を訴えています。

自我(エゴ)

カタカムナで見ると、転がり出て発生したもの。「コ」に濁点がついているので、それが濁っているということです。濁りがエゴの本質と言えますが、人間はその心で好き勝手することで世界を汚し混乱させて来ました。

好き勝手にしたい

そんな心は誰の中にもあるものかもしれません。そして湧き上がる思いに従い何かを叶えようとします。ですが、湧き上がる思いや願いは叶えるものではなく、それを通して学ぶものです。叶う叶わないという結果に囚われずプロセスを味わい学びを深めれば、結果はどちらであっても恵みであり祝福となるのです。

その恵み、そのプロセスの中で自我(エゴ)はおのずから乗り越えられます。濁りがあるからこそ、その対比としてこの世界の美しさを認識できます。自我(エゴ)はこの世界の美しさを認識するための濁り。この事実は自分を離れたトキ、初めて見えてくることです。自分の離れたトキ、自我(エゴ)の濁りは世界の彩りとして生かさせていきます。

すべての濁りが世界の美しさの彩りとなるように。

心が変わればいつでもヒトはそんな世界が表現できるのです(^-^)

蓮と富士山(美しい蓮の花も泥の中から生まれています。)


五感や情動に「命=ミコト」を吹き込む

この夏、韓国の子どもたちが木の花ファミリーを訪れました。

8月を迎えて、木の花ファミリーではジイジから子どもたちに戦争について話をする時間が持たれました。以下のその一部を引用します。

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皆は、学校の勉強をしていますね。学校の勉強をして、将来大きくなって、大きい会社へ入って、そこで良い製品を作って、それがたくさん売れたら、お金をたくさんもらえますね。その会社が爆弾を作る会社だったら、効率良くたくさんの人を殺す爆弾を作ったら、お金をたくさんもらえるのです。

たとえば、食べ物が安全でないものなのに、皆がたくさん食べたがるようなものをたくさん作るとします。そういう食べ物はコンビニなどでたくさん売られていますね。そうすると、安全でなくても、皆がたくさん食べたがるものを作ったら、会社は儲かって、これを作った人たちは給料をたくさんもらえるのです。だから、体に良いものではなくても、人がたくさん欲しがるものを作れば、お金になるのです。そういった食べ物をいつも食べないといられない人も出てきます。これを中毒と言います。そういった中毒の人がたくさん出てくるような食べ物を作れば、会社は儲かりますね。そして、それを考えた人はお金がたくさんもらえますね。お金がたくさんもらえたら、その人は優れた人になります。頭が良い人ですね。

~ 中略 ~


今日は、戦争の話をしようと思ってこの場に臨んだのですが、戦争のほうがわかりやすいですね。人と人が殺し合って大変なことになるのです。普通の人が「私は戦争なんかしていません。悪いことは何もしていません。お巡りさんにも捕まることはありません」と言いながら、他の生き物をたくさん殺したり、それどころか、「おいしいものを作ったから食べてね」と言って、そこには添加物や毒がたくさん入っていて、そういったものを長い間をかけて食べていると、それが原因で病気になって死ぬこともあるのです。癌が発生するのは、食べ物が原因で起こることが多いのですよ。そうしたら、食べ物を作っている人が癌ができる食べ物を作り、結果、人を殺しているのです。それは、誰がやっているのかといえば、頭が良い人です。学校で勉強ができる人です。


だから、皆は一生懸命勉強して、これからはそういった人にならないように、戦争が起きないように、他の生き物に迷惑をかけないように、地球がどんどん変になっていかないように、そしてそれを直していける人になってもらいたいと思うのです。今までの人間は、結果として悪い世の中にするために生きていたのです。


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ここで話は変わって。

2005年の夏、僕はハワイ島の小田まゆみさんのところで1週間ぐらい過ごしました。そのトキ、自分自身と向き合うツールとしてDakiniカードを紹介され、僕は毎日1枚ずつ引いていました。

「自分の女性性と向き合う」

ハワイ島ではそんなことをテーマに過ごしていたのですが、その中で 48 White Lady / Mother of Pearl というカードを引いたことがとても印象に残っています。

このカードでは、顔の見えない女性が真珠を振りまいているのですが、「顔が見えない」というのは「顔を見せない」ということでもあり、彼女は隠れた状態、行為に責任を持たず、言い逃れが出来る状態を保っています。その状態で真珠を振りまいて人を惹きつけているのです。

最近、このカードをあらためて思い出しました。そして以下のようなことを思いました。

五感や情動に囚われ、五感や情動を求めると、それは欲となっていきます。食欲だったり、性欲だったり。そしてそれは時に過剰になることがあります。だけれども五感や情動の奥、ヒトとしての本質に目覚めれば、すべての行為は生きるための営みとなります。そしてそれは「命=ミコト」としての神聖な表現となっていきます。五感や情動から自由になることで、そこに「命=ミコト」を吹き込むことが出来ます。

カタカムナで見ると、「欲(よく)」とはよこしまや混沌が自由になっている状態です。そして、「命(みこと)」とは満ちて転がり出て統合したものです。

White Ladyが振りまく真珠は人の五感を刺激するものですが、彼女は顔を見せることがありません。それは魂、心の欠落した行為であるため、五感の満足だけがすべてとなり悪くすると五感の虜となっていきます。それは今の広告や宣伝で溢れる消費社会、頭の良い人がお金儲けをしている社会の姿と重なります。そこには欲、よこしまが渦巻いていますが、「命=ミコト」、満ちて転がり出て統合するものが欠けています。「命=ミコト」は常にこの世界を循環しています。みことの「と」、統合(10)は1+0=1で新たな始まりでもあります。新しいものに向かって転がり出る。それが統合で生きとし生けるものの循環を意味しているのです。

「命=ミコト」との繋がりを失った五感や情動はただの欲となり、それは他との繫がりを失い自分本位のものとなっていきます。この状態では一生懸命に努力をしても結果として悪い世の中を生み出すことになるのです。現代の消費社会は、人間をそのような状態へと絶えず誘惑していますが、それは戦争を生み出す心にもなりえます。

顔が見えない女性。それは女性性の封印を表しているのかもしれません。物質主義、効率主義、そして社会的成功を求める男性社会の中で、真の女性性は蔑ろにされ、その個性が封印され顔がなくなっていったのかもしれません。女性が持つ本質は蔑ろにされ、五感や情動の対象となっていく。White Lady はそんな女性性の状況を表現しているのかもしれません。

真の女性性とは

『天の愛を受けとる在り方であり、天に導かれながら生きていくということ。』

滝沢泰平さんはそのように述べていますが、そんな女性性の本質をすべての人々が取り戻すことが今求められています。真の女性性に目覚めたトキ、きっとWhite Ladyの顔が表れます。そのトキはきっと真珠を振りまく必要はなくなっているのではないかと思います。

凛とした美しさ。

天の愛を受け取り、天に導かれて生きるトキ、きっとそんな魂の美しさが表現されます。そのトキ、五感や情動は、「命=ミコト」の神聖なる表現となり、生きとし生けるものの大いなる循環の中に包まれ、善意と愛と調和に満ちた世界の表現となっていくことでしょう。

そのために僕は、自分の五感や情動から自由になります。


魂の改定としての断食

8月11日18時58分、獅子座新月でした。1週間ぐらい前、この新月に合わせて断食をしようかなという思いが湧いて来ました。2014年に気候変動問題解決に向けて、月に一度の断食の誘いを受けたことがありしばらく実践していました。最近の異常気象の中、そのことを思い出していました。

ですが、実行するかどうかは保留にしていたのですが、先日、木の花ファミリー憲章を改定しようという話が浮上しました。憲章はこのコミュニティで最も大切にしている精神を明文化してもので魂とも言える存在です。憲章を改定するということは魂を改定するということです。

魂の改定。

ならば、それに相応しい準備をする必要があるということで8月10日から断食を始め、そして14日の朝に終了しました。4日間の断食を行ったことになります。

断食については以下のような効果が言われています。

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普段、私たちが食べたものは腸で吸収され、エネルギー源のブドウ糖となって全身に運ばれます。ブドウ糖は、何も食べないと通常8時間ほどで、全てなくなると言われています。


つまり、断食とはエネルギー源がゼロになる生命の危機なのです。
カラダがそのような状態になると、中性脂肪が肝臓に集まってきます。肝臓で脂肪が分解されてできるのが「ケトン体」です。このケトン体は新たなエネルギー源としてカラダのさまざまなところで働くことが分かってきました。さらにケトン体は、もう一つ重要な働きをしていることで世界中の研究者に注目されています。
「ふつう、われわれはエネルギー源としてブドウ糖を使います。しかし、それがなくなってしまうと脳が働かなくなるので、その代替エネルギーが脂肪から作るケトン体です。
ケトン体は、酸素をそんなに使わずに非常にエネルギー価が高いので、お手頃なエネルギー源になる。今、注目されている物質です。

断食をすることにより、ケトン体という脳内物質が増加します。ケトン体が増加すると、α波が出て、心身をリラックスさせる効果があり、さらに、普段以上に頭や五感も鋭くなり、冴えてくるといわれております。


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ですが今回の僕の場合、断食期間中は身体が重くだるい状態が続き、いつもと同じように散歩をしたことで筋肉痛となり、眠く頭もあまり冴えずエネルギーがない状態が続いていました。それでこれ以上続けると日常業務の妨げとなると判断し中止しました。

断食の効果として脂肪を分解して作られる「ケトン体」ということが言われていますが、今の僕には燃やす脂肪があまりないのではないかということを思ったりしました。

世の中にはプラーナを食べて生きているという不食の人もいるようですが、いきなりそんな身体になれるわけもなく、今回はこういう結果をいただきました。

今回の断食のメッセージとしては、自分は命という食に生かされているということです。すべての食べ物は命です。その命をいただくことがなければ、自分の活動もままならなくなります。僕は生きとし生けるものの循環に支えられて生きています。だから僕自身の命やエネルギーも循環の中で生かされていくべきものです。変化変容を本質とするこの世界の中で、今に囚われずに。

冒頭で取り上げたように、今、世界中で異常気象が続いています。それは生きとし生けるものの循環に滞りがあるから起きているのだと思います。無駄に消費され生かされずに残っていくごみが空気や海の中には溢れています。循環の異常が気候の異常として表現されているのだと思います。

今日、8月15日は日本では終戦記念日です。戦争こそ無駄な争いによって尊い命を犠牲にしてきた行いと言えますが、循環を意識していたら、生きとし生けるものに生かされていることを実感していたら、何かを攻撃しようという心は生まれないと思います。なぜなら、それは巡り巡って自分を攻撃することになるからです。

魂の改定へ向けての断食は僕に苦しみをもたらしました。それは生きとし生けるものの中で循環することの豊かさへと繋がる苦しみです。

例えば、キッチンスタッフの玲ちゃんは断食明けの僕にこう語りました。

「なかのんが断食中は(なかのんの好きな)かぼちゃは料理に使わないようにしようねってみんなで話していたんだ。今後かぼちゃ料理を出すからね」

そして、昨日の夕食の味噌汁にはかぼちゃが入っていました。まだまともに食事が出来ない僕にとって最も嬉しいプレゼントでした。

こんなふうに、僕の断食はみんなの心に響き、そしてみんなの心が僕に響き・・・こんなふうに循環していきます。

僕の魂は僕自身で完結するものでなく循環の中でこの宇宙のすべてと繋がっていきます。それは木の花ファミリー憲章も同様で、憲章は木の花ファミリーで完結するものではなく、この宇宙の仕組みの中で宇宙全体へと繋がっていくものです。

木の花ファミリー憲章改定を前にしてそんなことを再確認しました。

断食4日目の朝、みんなと落花生収穫をしていました。

太陽の光の下、惑いを学びに変えていく

今、天体を見ると、7月26日から水星が逆行していますが、水星逆行について今日は「時間をはずした日」、そして逆行ラッシュの夏休みには以下のように書かれています。

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水星逆行とは、太陽系の中で一番太陽にも近い水星が地球から見て逆方向に進むように見える目の錯覚の天体現象であり、1年に3回〜4回ほどの頻度で1度に3週間ほど続きます。

西洋占星術の考え方で水星が象徴しているのは、コミュニケーション・通信・連絡 ・知識や知性 ・技術、テクノロジー ・旅行 ・輸送などであり、これらの分野やキーワードが水星逆行中は、大きく乱れたり、上手くいかなかったりする現象が起こりやすいと言われています。


さて、今回の水星逆行は、またいつもよりも逆行っぷりが半端ではないかもしれません。

というのも、水星だけでなく、すでに火星、土星、海王星、冥王星が逆行しており、88日の88ライオンゲートの日からは、さらに天王星も加わって、819日の水星逆行が終了するまでに6つの星が逆行することになるそうです。

夏休み真っ只中、いつも以上にコミュニケーションのすれ違いに注意し、また遠出される時などは、交通機関の乱れも含め、旅行の計画には十分に注意くださいませ。

明日からの3週間は、サイドブレーキをひきながらアクセルを踏むような時期。

時には無理して前に進まず、立ち止まって一息ついたり、身の回りや自分自身を見つめ直すのも良いと思います。


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コミュニケーションのすれ違いを生み出す水星逆行、それに加えて火星、土星、海王星、冥王星が逆行し、昨日、8月8日からはさらに天王星が加わり6つの惑星が逆行していますが、この天王星の動きは特に大きな意味があります。なぜなら天王星は今年の5月16日に牡羊座から牡牛座に移動したばかりだからです。天王星はしばらく逆行し11月7日に一度牡羊座に戻ります。そして来年の1月7日に順行に転じて3月6日に再び牡牛座に戻ってきます。牡牛座は12星座の始まり。天王星のこの動きは始まりの再確認を意味するように思えました。

ちなみにこの惑星の逆行という現象ですが、天下泰平ブログに書かれている通り、地球視点から生まれる目の錯覚であり、視点を太陽系の中心、太陽へともっていけば、すべての惑星は常に順行しているのです。

地球視点とはつまり自分視点。自分からの視点で世界を眺めると、逆行のようにこの世界には多くの惑わすものがあります。それらはすべて自分に相応しく出会うものであり、それらを通して学びを深めていくのですが、その奥を貫く太陽の視点をいつも意識していると学びの奥行は無限に広がっていきます。そして、太陽はすべてを生み出す始まりでもあります。それで今、思い出したのが2年前のジイジ(当時はいさどん)が語った以下の言葉です。

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みんな自分が世直しを託されているとは思っていません。
だけれども、みんな間違えなくこの宇宙の法則の中で生きていて、
人類の70億分の1、この世界を託されているのです。

人は育っていく過程で欲求し、欲求を満たしながら成長していきます。
健全な秩序の中で欲求を満たしていく人もいれば、
秩序なく際限なく欲求を満たし求め続ける人もいます。
そういう経験の中で自分という人間性が出来てきます。

その中で、それぞれが自分の成り立ちを振り返って見ると、
それが宇宙の歴史や地球の成り立ちと一緒だということが見えてきます。
この世界は全部相似形なのです。

小さなところの集合が大きなところを創りだし、
大きなところの法則が小さなところに指針を与えています。

13,000年前のカタカムナの時代。
厳しい自然の中、人類は天然の法則を感知してすり抜けてきました。
ですが、その感覚は時代と共に失われてきました。
その叡智が天とつながることで現代に蘇るのです。

カタカムナの生き方を現代に表現していく。
それは、科学が発展したところに天然の精神を加えることです。
これはまさに新しい時代の生き方で、
木の花ファミリーはそれを表現していくのです。

2012年12月21日。太陽系は銀河の冬至を迎えました。
これからは少しずつ明るくなっていきます。
宇宙的には明るくなる現象が起きて、人間を後押しするのです。

健康に生きることは素晴らしいことです。
ですが、ただ健康になりたいだけで終わってしまったら人生は深まりません。
生きている過程でいただく病気や滞り。
その奥にあるメッセージを理解していくことが大切です。
そこを理解した時に現代人も天然の意識で生きていくことが出来ます。

この世界は心と肉体(物質)で出来ています。
まずは心、魂を磨くことが大切です。物質のことは考えなくてもいいのです。
今の世の中はまだ物質的豊かさを求めていますが、そういう世の中はひっくり返ります。

そのようなターニングポイントを今、迎えているのです。

人間の欲が戦争を生み出し、第二次世界大戦で大きな犠牲を出しました。
これは世の中の欲の心が壊れて一度リセットされた状態です。
ですが、戦後の復興は、もう一度、欲の心でなされました
そして、現代の混乱に至っています。

自分の健全、健康を求める心の奥にメッセージがあり、
それを通して自分がどう生きるべきかが見えてきます。
大切なのは、自分が健康に生きることだけではないのです。
自分のことばかり考えることで人間は不健康になっていったのです。
そのからくりを見通すこと。その先に世の中作りがあるのです。

世の中を良くするとみんなが良くなっていくのです。
自分が・・・と考えると住みにくい世の中になっていきます。
自分が・・・という心を超えていく。
それが天と共に生きることです。

~ 中略 ~

ここで健全な場を創り出すことが時代の流れをあらわすことになります。
世界のことを思い、自分を超えていく。
そのことが宇宙の中に光をさすことになるのです。

それを本当に信じて取り組むことです。

時代も神も目には見えません。人間の理解を超えています。
ですが、この世界にはそういう秩序が確実にあるのです。
そこに一人一人の人間が理解を示すことが大切です。

宗教はご利益を求める人により発展しましたが、
本来はそういうものではありません。

信仰とは宇宙の法則性の理解です。

法則性を理解し、自分が・・・という心を超えていく。

そのような本当の信仰心の下、天と共に生きていくのです。
それが世直しであり、この世界に平和をもたらします。


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自分の健全、健康、幸福を求める心は自分視点であり、それらは多くの惑いを生み出します。そこから学び、その心を超えたトキ、この世界の法則性という太陽の視点と出会います。その視点に気づくことがこの世界に光をさすことに繋がります。

天王星は革命、変革の星です。その天王星が始まりの星座、牡羊座にあるトキと銀河の夜明けの期間はほぼ重なります。それは根本の大きな革命を意味します。そして今、天王星は行ったり来たりしながら牡羊座から牡牛座へと移行しつつあります。それは根本で起きた革命を現実化していく流れを表しています。

自分視点の日常が生み出す惑いを、太陽の光の下、学びという豊かさに変換していく。

それがきっと天体が示しているメッセージ。だから僕はそんなふうに生きていこうと思っています。
8月8日の富士山と太陽です(^-^)





余裕がほとばしり出るような徳の積み方(2018)

一緒に暮らす木の花ファミリーのみんなです。


こうやって賑やかにしていると、人の目は表面に顕れる出来事にいきます。ですが、その奥に流れているものがあってそれは常に新しい流れを生み出し続けています。そこに目を向けていないと新しい動きには間に合わなくなっていくものです。

ロータスランドが始まり、私たちの暮らしは特に忙しくなりました。忙しい毎日を送っていると、給料を貰い生活をしている人々ならば、ストレスが溜まってきます。そのためストレスを解消するためにお金や余暇が必要となります。ですが、ここの人達は忙しい毎日を送っても疲れて眠くなるだけです。それはこの暮らしの安心感がもたらすものですが、その余裕、ゆとりのようなものを心磨きに向けていく必要があるのです。

忙しく賑やかな毎日を生み出している奥のもの、そこを緻密に見ることによって、プロセスから学び、それは自分の成長として積み上がっていきます。その成長が天の生み出す新しい流れと呼応していくのです。表面的な賑やかさにかまけて、安心感の中、ぼうっとしていると次の流れには間に合わなくなるのです。



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上記は昨年の7月、お客様で賑わっているロータスランドを眺めながらジイジ(当時はいさどん)が語った言葉です。余裕をもって、日常の奥に流れているものに目を向ける大切さを語っていますが、当時、ジイジは以下のような話をよくしていました。

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この世界は氷山なんだよね。海面から見えるのは氷山の10%だけ。残りの90%は隠れている。それで、世間が言っていることは見える部分で、それを無視するわけにはいかないが、例えば、風が北から南に吹いている時、氷山は別の方向に動くことがある。それはなぜか?奥にある海流が別の方向に流れているからだよね。世間の風はこっちに吹いているのに現実が違う方向に動くことがある。安倍首相がいくらデフレ脱却、実質2%、名目3%の経済成長を目標にし、日銀を利用してマイナス金利まで導入しても、それはうまくいっていない。それは時流を読んだら、今の人間社会の表面に見える人間の欲得の世界ではなくて、時代の動き、宇宙は今、何を人間に与えようとしているのかということを読んだら、安倍首相は逆をやっている。だから表面に見える社会現象をすべてとしそれに乗ることを止めなければならない。たとえ世間からは理解されなくても何か別のものを見て時代にのっていくことが大切。本当の流れは表面からは見えない海流が生み出しているのだから。



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氷山の奥、そして氷山を動かしている海流に目を向けることが大切になりますが、それを可能にするのが、目の前の出来事から自由となる余裕やゆとりだと思います。そして、余裕ということで言えば、3年前の6月、ジイジは僕について以下のように語っています。

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なかのんは真面目で一生懸命やっているが、もう少しそこに余裕があると、あの人は本当に徳を積んでいるねということなんだけど、一生懸命「この道だぁぁぁ」とやっていると、そこに余裕がないと、何とか一生懸命気合いを入れてそこを保っているという状態。

余裕がほとばしり出るような徳の積み方というものがある。



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この言葉を受けて、今思うことは、余裕がないと「道」ですら囚われの対象となるということです。たとえば、「執着をなくそうという志」が「執着があってはいけないという囚われ」となります。結局、「道」とは何か思い描いた理想の境地へと辿り着くことではなく、出会う出来事をそのまま潔くいただくことで変化し続ける過程なのです。宇宙が絶えず変化変容を繰り返すように、この「道」にも終わりはなく、常にプロセスの中にあります。




よゆう

カタカムナで見ると、「混沌、よこしま(よ)が揺らぎ(ゆ)渦(う)となっている」という感じでしょうか。これは一見ネガティブにも見えますが、「よ」は「世」、この世界そのものです。清濁併せ持ったこの世界を表していて、それが揺らいでいます。揺らいでいるということは固定しないということで、それもこの世界の法則そのものです。それが渦になっている状態、それが余裕(よゆう)で、「う」は星雲の渦巻きに見られるように万物発生の基本となっています。

このように見ていくと、余裕(よゆう)はこの世界のすべてを生み出すもので、余裕がないと新しい何かを生み出すことは出来ず、今あるものに追われるだけとなっていくのです。

混沌、よこしまが揺らぎ渦となっている

この一見ネガティブに見えるものを受け入れ、そこに向き合うことが余裕(よゆう)となり、そこから新しい何かが生まれるのでしょう。

徳積みも余裕がなければ、例えば使命感や義務感のようなものに追われるだけとなります。そうするとこの世界に新しい流れを生むことは出来ず、表面の出来事に右往左往することになるのでしょう。

この世界に本当の流れを生み出しているのは氷山の奥、海流です。余裕があるとその事実が見えてきます。そして、その流れと共にあることで、この世界に新しい流れを生み出すことが出来るのです。

ジイジから余裕を持つように言われてから3年が経ちました。

当時から比べたら、今の僕ははるかに余裕がありますが、これからさらに「混沌が揺らぐ渦・よゆう」と向きあい、余裕がほとばしり出るように徳を積み上げていきます。


混沌(4)の中に天の意志(5)を見出す





先日の大人ミーティングにて、カタカムナの「よ」と「ゆ」の思念についてみんなで深める時間を持ちました。「よ」の思念は僕の名前(よしふみ)の中にも含まれていますが、僕は3年前の10月、以下のような文章を書いています。

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僕の名前、よしふみ「よ()」は「4」であり混沌を表す思念です。

「よ」(4)は、「い」(5)の方に進めば、「よい」となるのですが、
「み」(3)の方に戻ると、「よみ(黄泉)」となり、死の世界に入っていきます。
「よ」はどちらにも転がりえる、混沌の中にあります。

「よ」がつく言葉を見ると、喜び、良い、淀み、汚れなど両義的なのはその表れでしょう。

自分の中には混沌がある。

それは確かで、その混沌が「相応しいものになっていく」や「空っぽへのあこがれ」で
描かれているような滞りを時々僕にもたらしてきました。

それは「いやなもの」に感じます。

ですが、思いは満ちた(3)後、混沌(4)の中で広がり、
意志(5)の元、この世界に位置(5)を得るのです。

混沌はこの世界に広がりをもたらすもので、必要なものでもあるのです。

「よ」を名前にいただいた僕は、自らの持つ混沌としっかり向き合い、
この世界に広がりと豊かさをもたらす役割をいただいているのです。

だから僕は混沌を愛する。

そう宣言し、混沌「よ」(4)の中に天の意志「い」(5)を見出し、
それらが描く未来を楽しんでいこうと思います。




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今、この文章をさらに発展させると、「よしふみ」の「し」は「示し」ですが、小円(〇)の位置は「い」と同じ位置で、同じような意味を持ちます。小円の位置で見ると、「よしふみ」は「4・5・2・3」となります。

よしふみ

混沌(4)を示して(5)震えて(2)満ちる(3)

にもなるし、

混沌(4)の中に示し(5)を見出し、増えて(2)満ちる(3)

にもなりますが、この違いはとても大きなものです。

混沌を示して震えて満ちたトキ、僕は以下のような状態になりました。

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中学校で勤めている時、僕は職員室の自分の机を蹴飛ばし、
そのままドアに向い、ドアを叩きつけて締めて、そのまま学校を離れました。
そして、道路を歩きながら、傘を叩きつけて、傘を壊したら、空から雨が降ってきて、
僕は濡れながら家まで5km歩いて帰りました。

僕はその頃、毎晩泣いていて、
人前でもきっかけがあると涙を止めることが出来ませんでした。

そして窓から飛び降りる衝動に襲われ、マグカップを人に投げつける衝動に襲われ、
心を静めるために一日に何回も屋上に行き、一人で佇んでいました。

なんか漫画みたいなバカな話。ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…

僕はそれぐらい自分の感情に翻弄されていました。

それはある意味、極端な精神状態への憧れでもあります。
忘我。自分を忘れるほどの熱狂、狂気。
僕の中にはその状態を求める気持ちがあり、
それが時に無理な行動に繋がり、自分を壊していきます。




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ですが、混沌の中の天を意志を見出すトキ、みんなで共に暮らし、その大事をこうして発信するようにもなります。どちらに転がる(9)かは紙一重。常に自分を離れ、心を天に向けることが求められています。

「よい」でも同様です。

混沌(4)の中に意志(5)を見出し位置(5)を得るわけですが、混沌(4)がそのまま意志(5)となり位置(5)を得ることもあり得ます。

例えば、今、経済発展は「よい」こととされていますが、それは人々をお金に依存させ、地球環境にも大きな負荷を与えることで世界はどんどん住みにくくなっています。これは混沌、渦巻く欲(4)がそのまま位置(5)を得たためだと思います。

4(混沌)は5(位置)へと進むことで「よい」となりますが、5(位置)へと進む意志(5)がどんなものによって、「よい」がもたらすものも大きく変わります。人々が欲望(4)のままに位置(5)を見出すならば、これからも「よい」とされることが世界に混乱をもたらしていくことでしょう。だから今、人々は自分を離れ、天の意志(5)に自らの位置(5)を見出す必要があるのです。

4+5=9、「9」は飽和安定(8)を超えて転がり出る思念であり、統合(10)という現象化をもたらす思念です。混沌(4)に位置(5)が加わることで、世界は転がり出し(9)、現象化(10)しますが、その要(カナメ)となるものが、意志(5)なのです。

明日、8月6日はアメリカが広島に原爆を投下した日です。大きな被害や悲劇、苦しみをもたらした原爆投下ですが、当時のアメリカ軍は「よい」ことしてそれを行いました。そのためアメリカの中には今でも「原爆投下は必要なことだった」という意見があると言います。それは意志が自らの視点に偏り、全体性を失っている証と言えます。

天に心を向け、天の意志に自らの位置を見出す。それは自分を離れ全体性へと心を開いていくことです。混沌の中に天の意志を見出し、この世界の光(ヒカリ)の一つ(ヒトツ)となっていこうと思っています。






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