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上記は2013年8月、クーデター後の混乱の中にあったエジプトに向けたアーノルド・ミンデル(アーニー)の言葉です。当時、翻訳してFacebookでシェアしたのを久しぶりに目にしました。アーニーは「民主主義は専制政治に対する抵抗から始まったと書いています。そこで専制政治について調べてみるとWikipediaには以下のように書かれています。
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専制政治(せんせいせいじ、英語:autocracy)とは、支配者が独断で思いのままに事を決する政治である。専制支配(せんせいしはい)、若しくは専政とも称される。英語の「autocracy」は、直訳すると「我がままな支配」「自分勝手な政治」となる(auto=自分。cracy=政治、支配)。
支配者層と被支配者層とが身分的に区別されていた社会において、身分的支配層が被治者と無関係に営む統治の仕方である。
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専制政治とは支配者が好き勝手にすることです。そこから圧制が生まれ、民衆の苦しみが生まれてきた歴史があります。では民主主義は?Wikipediaには以下のように書かれています。
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民主主義(みんしゅしゅぎ、英: democracy デモクラシー)とは、国家など集団の支配者が、その構成員(人民、民衆、国民など)である政体、制度、または思想や運動
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民主主義とはみんなでみんなのことを決める仕組みですが、もしそこに好き勝手にしたい心が残っていると、一人ひとりの好き勝手が際立ち社会の分断が進んでいきます。そこから孤立や対立などの社会問題が生まれ人々は苦しむことになります。
こうやって見ると問題の本質は、政治の形ではなく一人ひとりの人間の奥にある心、「好き勝手にしたい心」であることが見えてきます。そしてそれは一人ひとりの自我(エゴ)から生まれます。だからこそ、アーニーも内なる戦いへと向かう重要性を訴えています。
自我(エゴ)
カタカムナで見ると、転がり出て発生したもの。「コ」に濁点がついているので、それが濁っているということです。濁りがエゴの本質と言えますが、人間はその心で好き勝手することで世界を汚し混乱させて来ました。
好き勝手にしたい
そんな心は誰の中にもあるものかもしれません。そして湧き上がる思いに従い何かを叶えようとします。ですが、湧き上がる思いや願いは叶えるものではなく、それを通して学ぶものです。叶う叶わないという結果に囚われずプロセスを味わい学びを深めれば、結果はどちらであっても恵みであり祝福となるのです。
その恵み、そのプロセスの中で自我(エゴ)はおのずから乗り越えられます。濁りがあるからこそ、その対比としてこの世界の美しさを認識できます。自我(エゴ)はこの世界の美しさを認識するための濁り。この事実は自分を離れたトキ、初めて見えてくることです。自分の離れたトキ、自我(エゴ)の濁りは世界の彩りとして生かさせていきます。
すべての濁りが世界の美しさの彩りとなるように。
心が変わればいつでもヒトはそんな世界が表現できるのです(^-^)
好き勝手にしたい
そんな心は誰の中にもあるものかもしれません。そして湧き上がる思いに従い何かを叶えようとします。ですが、湧き上がる思いや願いは叶えるものではなく、それを通して学ぶものです。叶う叶わないという結果に囚われずプロセスを味わい学びを深めれば、結果はどちらであっても恵みであり祝福となるのです。
その恵み、そのプロセスの中で自我(エゴ)はおのずから乗り越えられます。濁りがあるからこそ、その対比としてこの世界の美しさを認識できます。自我(エゴ)はこの世界の美しさを認識するための濁り。この事実は自分を離れたトキ、初めて見えてくることです。自分の離れたトキ、自我(エゴ)の濁りは世界の彩りとして生かさせていきます。
すべての濁りが世界の美しさの彩りとなるように。
心が変わればいつでもヒトはそんな世界が表現できるのです(^-^)
蓮と富士山(美しい蓮の花も泥の中から生まれています。) |
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