不自由の自由が真の平和をもたらす



3年前の終戦記念日、この世界に地球談話が降りてきました。そこには以下のように書かれています。

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「地球談話~真の平和を地球にもたらすには~」2015.8.15

真の平和を地球にもたらすために、今わたしたちにできることは何でしょうか。それは広い世界観を持ち、個々の自我を超越することです。人間が自我の狭い枠に囚われている時、他者との違いによって他者に違和感を持つようになります。それが対立や争いの始まりです。しかし、わたしたちが存在しているこの世界は無限に広大な世界であり、そこは多様ないのちのネットワークで成り立っています。その調和のネットワークは、個を存在させるために全体があり、全体を存在させるために個がある相似形の仕組みによって成り立っているのです。


この世界の真実は、全てが一つということです。ですから、全てのものと自分自身との区別はないのです。このように人々の世界観が広がれば、平和な世界を創り上げようとしなくても、地球上に平和は自ずと訪れるものです。

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この世界に真の平和をもたらすために必要なことは、広い世界観を持ち個々の自我を超越することで、それが出来れば平和は自ずと訪れます。では自我を超えるためにはどうすればいいのでしょうか?日常生活を問題なく穏やかに過ごしていれば、それだけで自我を超えるということが出来るのでしょうか?木の花ファミリーでは先日、ジイジから子どもたちに向かって戦争について語る時間が持たれましたが、そこでは以下のような言葉がありました。

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皆は、学校の勉強をしていますね。学校の勉強をして、将来大きくなって、大きい会社へ入って、そこで良い製品を作って、それがたくさん売れたら、お金をたくさんもらえますね。その会社が爆弾を作る会社だったら、効率良くたくさんの人を殺す爆弾を作ったら、お金をたくさんもらえるのです。

たとえば、食べ物が安全でないものなのに、皆がたくさん食べたがるようなものをたくさん作るとします。そういう食べ物はコンビニなどでたくさん売られていますね。そうすると、安全でなくても、皆がたくさん食べたがるものを作ったら、会社は儲かって、これを作った人たちは給料をたくさんもらえるのです。だから、体に良いものではなくても、人がたくさん欲しがるものを作れば、お金になるのです。そういった食べ物をいつも食べないといられない人も出てきます。これを中毒と言います。そういった中毒の人がたくさん出てくるような食べ物を作れば、会社は儲かりますね。そして、それを考えた人はお金がたくさんもらえますね。お金がたくさんもらえたら、その人は優れた人になります。頭が良い人ですね。

~ 中略 ~


今日は、戦争の話をしようと思ってこの場に臨んだのですが、戦争のほうがわかりやすいですね。人と人が殺し合って大変なことになるのです。普通の人が「私は戦争なんかしていません。悪いことは何もしていません。お巡りさんにも捕まることはありません」と言いながら、他の生き物をたくさん殺したり、それどころか、「おいしいものを作ったから食べてね」と言って、そこには添加物や毒がたくさん入っていて、そういったものを長い間をかけて食べていると、それが原因で病気になって死ぬこともあるのです。癌が発生するのは、食べ物が原因で起こることが多いのですよ。そうしたら、食べ物を作っている人が癌ができる食べ物を作り、結果、人を殺しているのです。それは、誰がやっているのかといえば、頭が良い人です。学校で勉強ができる人です。

だから、皆は一生懸命勉強して、これからはそういった人にならないように、戦争が起きないように、他の生き物に迷惑をかけないように、地球がどんどん変になっていかないように、そしてそれを直していける人になってもらいたいと思うのです。今までの人間は、結果として悪い世の中にするために生きていたのです。


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一生懸命に勉強をして社会の中で成功をして何も問題を起こしていないと思っている人も、今の社会で普通に生きていると、他の生き物に迷惑を掛けて地球を痛めつけているのです。これは今までの社会が人々の自我を満たすために創られてきたからです。努力をするならば、自我の望みが満たされることはよいこととされてきました。だから人々は自分や身近な人々のために働いてきました。ですが、地球談話には以下のように書かれています。

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日本の漢字に「働く」という文字があります。これは「労働」を意味します。しかし、真の意味は「傍(はた・他者)を楽(らく)」にすることです。働くことはある意味生きることですから、生きるとは自分を超えたネットワークの中で役割を果たし、他者のため、世の中のために生きることなのです。ですから、生きることは世界に平和をもたらすことになります。

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傍(はた)を楽(らく)にするために、大いなるネットワークの中で他者のため、世のためにはたらくこと。それが自我を超えた人々の生きる姿です。

はたらく

カタカムナで見ると、トコロ軸に発生したものが分離独立する場所で自由であること。「トコロ軸に発生したものが分離独立する」とはこの世界の一つひとつの生命のことで、それが存在する場とはこの世界そのもの、つまり「はたらく」とはこの世界で自由であることなのだと思います。そして自由とは何か?と聞かれたら、心の道を歩む僕は以下のように答えます。

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この道は言ってみれば、自己否定の旅だと思っています。それはもっと大きな自分、世界と一つになるための自己否定です。常に否定し続け、それが即、肯定へと変容し続けます。それは自分を手放すことが出来ることへの誇りであり、大いなるものへと自分を委ねる覚悟となります。


この道は山登りに例えられます。山のすそ野は広くどこからも登ることが出来ますが、頂上は一つ。登れば登る程、道は限られていきます。同じように、この道は究めれば究める程、道は狭くなり、今まで良かったことも駄目となり、自らの選択はどんどん限られていきます。

不自由の自由。

一見、不自由に見える心の道ですが、それを進むことが本当の自由への道です。

なんでもいいけど道は一つ。

そんな感じです。

多くの人は自分の想いのままに行動することが自由だと思っています。ですが、思い通りにことが運ぶことはほとんどありません。結果、自らの想いに翻弄され、現実の中で右往左往するのです。平和を求めて争ったり、平和のために核武装したり。人々は自らの想いに翻弄され、それが矛盾に満ちた社会を生み出しているのです。


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真の自由とはこの世界の法則、その不自由さを完全に受け入れることです。自我は常に目の前の出来事に反応して、あーしたい、こーしたい、こうでなきゃ、ああでなきゃ、これは嫌だ、あれは嫌だ、と主張します。その反応を超えて、この世界に法則に自分を委ねていくのです。すると自我の反応は変化し流れに沿ったものとなり、みんなと調和したものとなっていきます。それは自分の個性が花開く道であり、それに合わせて出会う出来事も変化していきます。それが自我を超えることであり真の平和へと繋がる実践なのです。






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