五感や情動に「命=ミコト」を吹き込む

この夏、韓国の子どもたちが木の花ファミリーを訪れました。

8月を迎えて、木の花ファミリーではジイジから子どもたちに戦争について話をする時間が持たれました。以下のその一部を引用します。

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皆は、学校の勉強をしていますね。学校の勉強をして、将来大きくなって、大きい会社へ入って、そこで良い製品を作って、それがたくさん売れたら、お金をたくさんもらえますね。その会社が爆弾を作る会社だったら、効率良くたくさんの人を殺す爆弾を作ったら、お金をたくさんもらえるのです。

たとえば、食べ物が安全でないものなのに、皆がたくさん食べたがるようなものをたくさん作るとします。そういう食べ物はコンビニなどでたくさん売られていますね。そうすると、安全でなくても、皆がたくさん食べたがるものを作ったら、会社は儲かって、これを作った人たちは給料をたくさんもらえるのです。だから、体に良いものではなくても、人がたくさん欲しがるものを作れば、お金になるのです。そういった食べ物をいつも食べないといられない人も出てきます。これを中毒と言います。そういった中毒の人がたくさん出てくるような食べ物を作れば、会社は儲かりますね。そして、それを考えた人はお金がたくさんもらえますね。お金がたくさんもらえたら、その人は優れた人になります。頭が良い人ですね。

~ 中略 ~


今日は、戦争の話をしようと思ってこの場に臨んだのですが、戦争のほうがわかりやすいですね。人と人が殺し合って大変なことになるのです。普通の人が「私は戦争なんかしていません。悪いことは何もしていません。お巡りさんにも捕まることはありません」と言いながら、他の生き物をたくさん殺したり、それどころか、「おいしいものを作ったから食べてね」と言って、そこには添加物や毒がたくさん入っていて、そういったものを長い間をかけて食べていると、それが原因で病気になって死ぬこともあるのです。癌が発生するのは、食べ物が原因で起こることが多いのですよ。そうしたら、食べ物を作っている人が癌ができる食べ物を作り、結果、人を殺しているのです。それは、誰がやっているのかといえば、頭が良い人です。学校で勉強ができる人です。


だから、皆は一生懸命勉強して、これからはそういった人にならないように、戦争が起きないように、他の生き物に迷惑をかけないように、地球がどんどん変になっていかないように、そしてそれを直していける人になってもらいたいと思うのです。今までの人間は、結果として悪い世の中にするために生きていたのです。


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ここで話は変わって。

2005年の夏、僕はハワイ島の小田まゆみさんのところで1週間ぐらい過ごしました。そのトキ、自分自身と向き合うツールとしてDakiniカードを紹介され、僕は毎日1枚ずつ引いていました。

「自分の女性性と向き合う」

ハワイ島ではそんなことをテーマに過ごしていたのですが、その中で 48 White Lady / Mother of Pearl というカードを引いたことがとても印象に残っています。

このカードでは、顔の見えない女性が真珠を振りまいているのですが、「顔が見えない」というのは「顔を見せない」ということでもあり、彼女は隠れた状態、行為に責任を持たず、言い逃れが出来る状態を保っています。その状態で真珠を振りまいて人を惹きつけているのです。

最近、このカードをあらためて思い出しました。そして以下のようなことを思いました。

五感や情動に囚われ、五感や情動を求めると、それは欲となっていきます。食欲だったり、性欲だったり。そしてそれは時に過剰になることがあります。だけれども五感や情動の奥、ヒトとしての本質に目覚めれば、すべての行為は生きるための営みとなります。そしてそれは「命=ミコト」としての神聖な表現となっていきます。五感や情動から自由になることで、そこに「命=ミコト」を吹き込むことが出来ます。

カタカムナで見ると、「欲(よく)」とはよこしまや混沌が自由になっている状態です。そして、「命(みこと)」とは満ちて転がり出て統合したものです。

White Ladyが振りまく真珠は人の五感を刺激するものですが、彼女は顔を見せることがありません。それは魂、心の欠落した行為であるため、五感の満足だけがすべてとなり悪くすると五感の虜となっていきます。それは今の広告や宣伝で溢れる消費社会、頭の良い人がお金儲けをしている社会の姿と重なります。そこには欲、よこしまが渦巻いていますが、「命=ミコト」、満ちて転がり出て統合するものが欠けています。「命=ミコト」は常にこの世界を循環しています。みことの「と」、統合(10)は1+0=1で新たな始まりでもあります。新しいものに向かって転がり出る。それが統合で生きとし生けるものの循環を意味しているのです。

「命=ミコト」との繋がりを失った五感や情動はただの欲となり、それは他との繫がりを失い自分本位のものとなっていきます。この状態では一生懸命に努力をしても結果として悪い世の中を生み出すことになるのです。現代の消費社会は、人間をそのような状態へと絶えず誘惑していますが、それは戦争を生み出す心にもなりえます。

顔が見えない女性。それは女性性の封印を表しているのかもしれません。物質主義、効率主義、そして社会的成功を求める男性社会の中で、真の女性性は蔑ろにされ、その個性が封印され顔がなくなっていったのかもしれません。女性が持つ本質は蔑ろにされ、五感や情動の対象となっていく。White Lady はそんな女性性の状況を表現しているのかもしれません。

真の女性性とは

『天の愛を受けとる在り方であり、天に導かれながら生きていくということ。』

滝沢泰平さんはそのように述べていますが、そんな女性性の本質をすべての人々が取り戻すことが今求められています。真の女性性に目覚めたトキ、きっとWhite Ladyの顔が表れます。そのトキはきっと真珠を振りまく必要はなくなっているのではないかと思います。

凛とした美しさ。

天の愛を受け取り、天に導かれて生きるトキ、きっとそんな魂の美しさが表現されます。そのトキ、五感や情動は、「命=ミコト」の神聖なる表現となり、生きとし生けるものの大いなる循環の中に包まれ、善意と愛と調和に満ちた世界の表現となっていくことでしょう。

そのために僕は、自分の五感や情動から自由になります。


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