木の花ファミリーは、一人一人独立した個人が集まり一つの経済を生み出しています。その暮らしは、とてもユニークで優しく本質的な平等が実現しています。天然循環法による恵みをいただき宇宙を語る木の花ファミリー。お金を通して心を表現していきます。

だからひっくり返ることが大切!!!

調べものをするために昔のメールを探していたら、2013年9月にいさどんと交わした会話に出会いました。面白い内容だったので、ここに掲載しますね。

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いさどん:

人は思考をめぐらすでしょ。思考を巡らして答えを得ようとする。僕は思考を上から持ってくる。目の前の相手に合わせて思考が下りてくるんだよね。例えば精神性を求めている相手には、そういう話が下りてくるし、あんたと話していると哲学的な話になってくる。それは前もって学んだものを話すという感じではなくて、常にその場その場に下りてくる。知恵を上から持ってきて、僕もそれを一緒に聴いていて、なるほどな~と思っている。

なかのん:

質問があるんだけれども、自分らしく生きていることと自己主張をしていることの境界ってどこにあるのかな?

いさどん:

自己主張は主張でしょ?誰かに何かを主張している。分かって欲しいと求める対象がいる。自分らしく生きることには対象はない。ただただ淡々と生きているだけ。自分らしく生きている姿は美しく気持ちがいいけれども、自己主張は気持ちよくない。正直に生きていても、それが自己主張になってしまっている人がいる。それはアピールして人に分かって欲しいと求める気持があるため。そういう人は気持ちよくない。世界と自分、両方から離れて眺め、自己主張を超えていく必要がある。

なかのん:

何かを分かって欲しい気持ちがあるか?それが一つのチェックポイントになるんだろうね。僕は、自己主張はいろいろなところに入り込むって常々思っているんだ。例えば、一生懸命に働くことの中にも自己主張は入り込む余地がある。「俺はこれだけ仕事をしているんだぞー」みたいに。

いさどん:それは誰にアピールしているの?

なかのん:みんなかな・・・

いさどん:その時はみんなと自分を分けているんだよ。

なかのん:そうか・・・アピールするってことは分けているってことか・・・

いさどん:

そうだね。僕なんかそんな感じはまったくないよ。僕が淡々と仕事をすることは木の花全体の仕事を進めることで、全体に仕事が進むのは良いことだしね。

仕事に関しては、こんなことがあったんだ。今、家を建てているでしょ。その家の壁の漆喰塗りを進めようと思っていて、特に僕の部屋の部分は自分でしたいと思っていた。僕が一番丁寧に出来るし、これからずっと眺めるものだから。でも、普段から養蜂や面談などで忙しく、加えて、蜜蜂がスズメバチに襲われるなんていう突発的に事故が入ったりして、なかなか取り掛かることが出来なかった。そこでまっちゃんりょうちんが仕事を進めることになった。まあこれも流れかなと思っていた。これには良い面もあって、もし僕が漆喰塗りに取り掛かったら、僕が主となってやることになり、まっちゃんやりょうちんには従属する気持ちが生まれてしまう。でも、僕が取り掛かれなかったことで、2人とも主体性を持って伸び伸びと仕事に取り組んでいた。加えて、2人は僕の部屋の部分は後に取っておいてくれたので、時間が出来て僕が塗ることが出来た。僕は漆喰塗りを手放した。手放したらより良い形で僕がやる流れが来た。これは覚悟が出来ているから生まれる流れ。覚悟とは執着のない心。捕らわれない心。潔い心。覚悟が出来ていると、自分がやるべきことと手放すことの冷静な判断が出来て、結果良い流れを生み出す。

人間だから僕も人間的意識で物事を体験し捉える。と同時に上の意識でも物事を捉えている。日常生活の奥には現象を生み出すバイパスがあって、そこから物事を眺めているとすべての出来後が繋がってくる。この世界は一つだから現象の元を辿りバイパスに至ればすべての出来事が繋がっている。一人一人に相応しい現象が生まれるこの世界。生きてそれを味わい自分を知りあらためていく。それは一人一人オリジナルな体験で、いつでもどこでも出来る実践。お金も掛からなければ、誰かに頼る必要もない。日常の現象からただただ自分を知って改善していく。それは最も正攻法で手法もいらない、人生オール心磨きの実践と言える。

なかのん:

日常を眺める視点を頂いたように思える。背景に流れる意図を感じ、そこから眺める。そうすると一本の糸のようにすべての現象が繋がっていくように思えた。その視点を共有したい。

いさどん:


その視点をみんなで共有しようというのが、僕がずっと言ってきたこと。視点の位置は同じでも、みんなが僕の真似をするわけではない。それぞれの個性の応じた景色が見えてくる。独自の視点から流れを捉えることが出来る。それをみんなで共有することでこの場所はもっと豊かな場になっていく。これは現象を味わう身体を頂きながら、現象の作り手の位置へいこうとする道。人間でありながら、人間を超えていく道。

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アピールするということは自分とその対象を分けているというのはまさにその通りだなと思いました。元を辿ればこの世界と自分は一つ。ならば、出会うことはすべて自分自身です。それなのに、人は現象を選り好みし、特定のものを強く求めたり、拒絶したりしています。それは自分自身を選り好みしている状態で、その状態では本当の自分を生きることが出来ません。出会うことをそのままいただいていく。そしてそれを学びにしていく。その姿勢が人を本当の自分にしていくのです。そこにアピールは必要ありません。

僕はこの会話で「日常生活の奥に流れる一本の糸(意図)」という視点を貰いました。ですが、その後の自分を思い返すと目の前の現象に右往左往している状態でした。それは当時の僕が自分の感情に囚われ、自分の思惑で生きていたからで、結局、自分の感情や視点を超えられなければ、知識でそれを知っても奥に流れる意図に至ることはないのです。

当時の僕は自分の視点で世界や日常を眺めていました。そして世界を改善しようと思っていました。これは良いことをしているようでも、やっていることは広い世界を自分の狭い枠に閉じ込めていただけなのです。違う視点を持つ人にとっては、世界は全く違うものとなります。だからその先にあるのは対立や分断、今の世界の現状です。自分の視点なんでそんなものなのです。

今の僕は世界や日常から自分を眺めています。そして、自分を知り、自分をあらためています。それは常に変化し続けるということであり、自分が変われば、出会う世界が変わります。その変化は自分の意図や思惑を超えたもので、意図して世界を変えるのではなく世界はおのずと変わっていくのです。こんなふうに生きていると日常の奥に流れる意図が感じられます。世界と自分が一つだと実感出来るのです。

僕から世界を眺める視点から世界から僕を眺める視点へ。立脚点のひっくり返しです。

これからきっとひっくり返しによって世界は一つになっていきます。そんな世界の流れを感じ楽しく生きていこうと思っている人にお勧めの講座が2月19日(日)から3月18日(土)に掛けて開催される1ヶ月間の真学校です。昨日、木の花ファミリーブログ100人でお財布ひとつの暮らし~心でつながる「経済革命」がアップされましたが、こんな学びが目白押しです。

分離と競争の社会から「分かち合い」の社会へ



2016年1ヶ月間の真学校受講生です。



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