ともこ:
だから、「これじゃあいけない、なんとかしよう」の延長線上に突破口はないんだね。
いさどん:
ない。それはない。
くわっち:
「活かす」という視点だということ?
いさどん:
違うよ。「気付く」という視点だよ。
カタカムナによると、宇宙は、八つで飽和安定だね。八鏡文字で言えば、円があってそこに宇宙最極小微粒子の「カ」が集まっていって、そして「ヒフミヨイムナヤコト(1・2・3・4・5・6・7・8・9・10)」とエネルギーが集まることによって現象化して、この世界ができる。「コ」で転がり出て「ト」で統合する、その現象化の前の「ヤ」、つまり八の状態は、とても安定した状態だよね。そうすると、そこでは現象化は起きないんだよ。だからそれをわざわざ九まで進めた。八の飽和安定はそのまま止まっている状態だけど、九まで行くと、常に変化変容を繰り返すということ。それは地球の実体であり、宇宙の実体でしょう。飽和安定した世界も、そこを超えると、現象化ができて、それが宇宙の実体なんだよ。
宇宙というのは、本来はないもの。飽和安定の先に、「ある」ということを認識するために九を創ったのだから、その前の飽和安定の状態では「ない」んだよ。だから「ない世界」なんだよ。何もないんだから。
だけど、「アマ」というのは「ある世界」の元を創った。その「ある世界」ができたことによって、この世界はもともと「ない世界」だったけれど今は「ある」んだな、ということが理解できる。そこでトキとトコロが統合して、悟りになるんだよ。統合とは、理解なんだよ。だからさっきの話でも、「そうか、こういうふうになっているんだ」と理解したところで終わるんだよ。それが悟りだ。
くわっち:
じゃあ普段のことでも、気付くことで ―――
いさどん:
進んでいくんだよ。だけど自分の言っていることがどういうことなのかにも気付いていないでしょう?それは宇宙から外れているということだよ。でも気付かないのも、そういう人だということで、放っておけばいいんだよ。そうして気付かない状態を積み重ねていくと、10が限界であるとしたら、1で気付くのか2で気付くのか、はたまた気付かないまま10まで行ってとんでもない現象を起こして気付くのか。それを、10にならなければわからない者に1の段階で気付けと言ってもわからないのだから、放っておけばいい。
☆彡 ☆彡 ☆彡
上記はいさどんが9月に大町ビレッジを訪問した際にみんなと交わした会話です。
突破口は気づきにある。
それを意識し生活することが大切だと思っています。
多くの人は現状に問題を感じた時、その分析をします。その分析の奥には「こうあって欲しい」というイメージがあって、そのためには「こうする必要がある」と訴えることになります。それは自分の想いを実現しようとする姿勢であり、自分の視点に対する理解を周りに求めることになります。この姿勢のまま「これではいけない、なんとかしよう」と一生懸命になっても突破口を開くことは出来ないのでしょう。
上記はアインシュタインの有名な言葉ですが、今、直面している問題は自分たちの想いの結果生み出されたものです。自分の想いを通そうとしても、突破できないのは当然と言えます。ですが、人はそれを周囲のせいにすることもあります。自分の考えは正しいのに周りの理解がないから実現出来ない。こんなふうに考え、それに固執し、その結果、停滞していくのですが、それも自分の想いが生み出している現実です。
気づきとはこの世界に対する理解です。それを得るためには世界に起きていることをただの情報として眺める視点が必要となります。感情や思惑が挟まると世界は自分の色に染まっていきます。そして、想いのままに行動することになり、そこに気づきは生まれません。
人は他者からの理解を求めるものです。ですが、その時理解される自分とは今の自分であり、今の自分が現在の問題を作ってきたのです。だから他者からの理解を求めることはないのです。そうではなく、ただ世界や他者を理解していく。そのことに努めた時、自ずと気づきは生まれ、それが新しい動きとなっていきます。
先に紹介した話に続けて、いさどんは「生きていれば、変遷を見ていくことが出来る。変遷を見るということは、客観的視点で見るということであり、それが悟りだ」ということを言っています。
変化変容がこの世界の法則です。宇宙は常に新しいところへと進み、季節は巡り巡ります。囚われを外せば、すべてのものは自ずから変化していきます。自分のことも他者のことも世界のことも客観的視点に立って、その変遷を見ていく。人は兎角、今の状態に反応し判断しがちですが、そういう反応を置いておいて、奥にある流れを感じていく。その姿勢が人にゆとりと余裕を与え、その波動はきっと希望となって世界に広がっていきます。
突破口は気づきにある。
それを意識し生活する時、今この場に桃源郷、ロータスランドが誕生することでしょう。
上記はいさどんが9月に大町ビレッジを訪問した際にみんなと交わした会話です。
突破口は気づきにある。
それを意識し生活することが大切だと思っています。
多くの人は現状に問題を感じた時、その分析をします。その分析の奥には「こうあって欲しい」というイメージがあって、そのためには「こうする必要がある」と訴えることになります。それは自分の想いを実現しようとする姿勢であり、自分の視点に対する理解を周りに求めることになります。この姿勢のまま「これではいけない、なんとかしよう」と一生懸命になっても突破口を開くことは出来ないのでしょう。
我々の直面する重要な問題は、それを作った時と同じ考えのレベルで解決することはできない。
上記はアインシュタインの有名な言葉ですが、今、直面している問題は自分たちの想いの結果生み出されたものです。自分の想いを通そうとしても、突破できないのは当然と言えます。ですが、人はそれを周囲のせいにすることもあります。自分の考えは正しいのに周りの理解がないから実現出来ない。こんなふうに考え、それに固執し、その結果、停滞していくのですが、それも自分の想いが生み出している現実です。
気づきとはこの世界に対する理解です。それを得るためには世界に起きていることをただの情報として眺める視点が必要となります。感情や思惑が挟まると世界は自分の色に染まっていきます。そして、想いのままに行動することになり、そこに気づきは生まれません。
人は他者からの理解を求めるものです。ですが、その時理解される自分とは今の自分であり、今の自分が現在の問題を作ってきたのです。だから他者からの理解を求めることはないのです。そうではなく、ただ世界や他者を理解していく。そのことに努めた時、自ずと気づきは生まれ、それが新しい動きとなっていきます。
先に紹介した話に続けて、いさどんは「生きていれば、変遷を見ていくことが出来る。変遷を見るということは、客観的視点で見るということであり、それが悟りだ」ということを言っています。
変化変容がこの世界の法則です。宇宙は常に新しいところへと進み、季節は巡り巡ります。囚われを外せば、すべてのものは自ずから変化していきます。自分のことも他者のことも世界のことも客観的視点に立って、その変遷を見ていく。人は兎角、今の状態に反応し判断しがちですが、そういう反応を置いておいて、奥にある流れを感じていく。その姿勢が人にゆとりと余裕を与え、その波動はきっと希望となって世界に広がっていきます。
突破口は気づきにある。
それを意識し生活する時、今この場に桃源郷、ロータスランドが誕生することでしょう。
カフェ&ショップ・ロータスランド外壁の絵です。 |
0 コメント: