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世界の側から自分を見る

日本列島を台風が通過する中、8月8日3時11分の満月、そして2時22分~4時19分の部分月食を迎えました。僕の住む静岡県は台風の影響を受け、それらを目にすることは出来ませんでした。

目には見えなくても天体は動き続け、この世界に流れを生み出し続けています。だから常に目の前の出来事や自分の感情の奥に目を向けていく必要があります。そして、台風が一つのメッセージなのだとしたら、それは人間社会の混乱の現れであり、人々は混乱のために天の流れが見えなくなっているということなのだと思います。

8月7日は立秋。立春正月からちょうど180度の地点となりました。僕は立春正月に「ひっくり返った」宣言をしています。それは自分の立脚点の大転換です。それまでの僕が自分の側から世界を見て、世界をどうにかしようとしていたのに対して、今の僕は世界の側から自分を見て、自分を正しています。そして、ただ出会う出来事を楽しんでいます

様々なレベルの流れを読み解く」に書いたように、一人ひとりの人間が持つ感情や欲得、都合もこの世界に流れを生み出しますが、それは表面上の出来事で、その奥には常に天の流れが存在しています。一人ひとりの想いはこの世界に広がりを生み出しますが、物事を先に推し進めるのは天の流れです。今、社会が行き詰まっているのは、一人ひとりが自らの想いに囚われ、天の意向を汲み取ることが出来ていないからです。

世界の側から自分を見る。

それは現象の奥に流れる天の流れを意識して、それに沿っていくことです。天の流れにそって、天の流れを踏まえて自分を改善し続けます。その自分の変化がこの世界の変化に繋がっていくのです。

8月6日は広島へ原爆が投下された日、そして9日は長崎に原爆が投下された日です。人類はあのような地獄を生み出しました。その悲惨さを経験した日本が核兵器禁止条約に署名をしていません。その理由として核の抑止力や北朝鮮の脅威が挙げられていますが、この発想は利己的な想いからの囚われに過ぎません。世界中の国々がこんな発想をしていては利害の違いで対立し混乱が広がっていくのは当然といえます。

今、社会の混乱は様々な事例を通してみることが出来ます。昨年の7月、第10回大人サミットにて、介護殺人の事例に触れていさどんは以下のように語っています。

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今、日本では年間3万人もの自殺者が出ていますが、今や年老いた家族までも殺すような時代になりました。2025年、日本では65歳以上の3人に1人、そして全国民の10人に1人はボケると言われており、人類の歴史でも例を見ない事態が10年後に迫っています。そうすると、それは全体の中の10%ですから、介護をする人が足りなくなってくるのです。それで殺すしかないという発想が今、現象化しています。家族を介護していて、それがやり切れず殺したとします。そして、その人を法律で裁き、刑務所に入れるのです。

僕は裁くべきは別のところにあると思うのですが、皆さんはどこにあると思いますか?

裁くべきは、人をそのような状態にした人間社会です。介護している家族があまりにも悲惨な状態となり、思い余って殺してしまう。そして殺される側もお願いだから殺してほしいと言うようになる――、そうした現状が今、日本中に現れてきています。それは、自殺のレベルでも、孤独死の時代でもありません。そして介護殺人をした人たちは、法律で裁かれ、刑務所に送られるのです。しかし、彼らがいくら罪を償っても、心は癒されません。ストレスから介護殺人を起こしたその人のみを裁いても、社会はいっこうに良くならないのです。それは、裁くべき対象が違うからです。

しかし、社会を被告人にするわけにはいきません。そこで、誰を裁くのかと言ったら、その社会を構成している一人ひとりを裁かなければいけないのです。しかし、その一人ひとりを誰が裁けますか?それはできませんね。そのときに、自分がその社会を構成している一人だと気付き、自らの姿勢を改めることで、この社会に起きるすべての出来事を他人事とせず、自分が創っているこの社会を自分一人分裁くということです。それをしない限り、この世界は正常には戻りません。そのことに気付き、自分ひとり分変えることができれば、難しいことではありません。ですから、今の法律で裁いても、解決できることではないのです。それは、社会を構成しているわたしたち一人ひとりが目覚めれば、自ずと解決されていくのです。


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自分が創っているこの社会を自分一人分裁く。それは先にあげた核兵器の事例も同様で、今の社会のあらゆる問題にみんな一人分の責任を持っているのです。

自我が与えられ、自分の視点を持つ人間です。常にそこから沸き起こる想いや感情があるのは当然です。この時、自らの想いや感情に囚われると、それを通すこと、叶えることに気持ちがいきます。すると人は天の流れから外れていきます。天の流れから外れると、天は滞りを持ってそのことを教えてくれます。それが今の社会、そして多くの人の姿なのだと思います。

大切なのは、このような時、それを「話す」ことにより「放す」、表現することで自らを解き放っていくことです。自らを解き放つ時、人は天の流れに開かれ、流れに沿っていきます。そして、自らの想いは天と一つとなっていきます。変化変容、そして常に新しいところへと進んでいくのが天の法則です。天の流れに沿うことで、人は天と共に変化し常に新しいところへと進んでいけるのです。その時、この世界と一人ひとりの想いや行動は調和したものとなり美しいハーモニーを奏でるようになります。

僕が暮らす木の花ファミリーはその実践の場であり、未来の人間社会のモデルとなることを心掛けています。

自分一人分この社会を裁くとは、天の流れにそって自分を見ることであり、その時、人は世界の側から自分を見ています。そして世界とはみんなで共有出来る世界であり、みんなが「いいね」と思える世界。僕は、そんな世界から自分を見て、常に自分を高めています(^-^)

蓮池と富士山(ちなっぴ撮影です)





ただひたすら傍(はた)楽(ら)いていく

木の花ファミリーブログ「世界のお金がみんなのお金になるように」を読んだ友人からこんなメールを貰いました。

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記事読みました。

中野くんが木の花ファミリーに移住する前確かみんなで会ったよね。
その時を懐かしく思いました。

今はどの写真をみても、(中学校で)相談員をしていた頃よりずっと満ち足りた穏やかな表情をしているなと思います。中野くんの生きる場所を見つけたんだなと感じます。

私は今、軽度知的障害の生徒が社会的自立と就労を目指す高等部単独の特別支援学校で、3学年主任をしています。私たちがそれぞれの場所で充実した生活を送れることの幸せを感じます。お互い、一歩ずつ地面に足をつけて成長していきたいね(^-^)

☆彡 ☆彡 ☆彡

今の社会は一人ひとりの欲望を最大限に尊重することで発展してきました。テレビCMは人々の欲望を刺激し、ニュースや新聞は、経済発展を神のように祭り上げ人々の消費を促します。個の尊重、プライバシーという名の下、人々の自我(エゴ)は膨らみ続けて来ました。

そのような社会の中で、自我を手放し血縁を超えて生きる木の花ファミリーの暮らしは人々の理解を超えることもあるのでしょう。「不自由の自由、それが本当の自由」に書いているように、僕らは今まで多くの無理解に出会って来ました。ですが、僕らが生き生きと生きる姿は言葉を超えた説得力があります。そのためか、僕らは無理解と共に支援者とも出会って来ました。だから、この道を生き抜き幸せになっていくだけ。友人からのメールを読んであらためてそう思いました。

個人の幸せを追求する視点から僕らの生活を見てみます。

すると、給料がなく休みもなく、毎日朝早くから夜遅くまで働き続け好き勝手出来ない姿が浮かびあがります。そんな僕らの働きについて、いさどんは冗談で「ブラック企業を超えたブラックホール企業だ」と言ったりしています。それでも僕は友人から「満ち足りた穏やかな表情をしている」というフィードバックを貰っています。不思議ですよね?

それは僕らの「働く」が労働ではなく「傍楽(はたらく)」だからなのだと思います。経済は働くことによって生まれますが、僕らは働くことを通して傍(はた)を楽(らく)にし、自分を超えた大きなネットワークの中で役割を果たします。すると時代や宇宙といった大いなる存在の中に自分が位置づけられ、その中で自分の個性を最大限に発揮出来るのです。宇宙や時代の流れを感じて、その流れを共に推進する喜び。それが穏やかで満ち足りた表情となって表れているのでしょう。

個人の幸せ、自分だけの幸せを追求したとします。その時、多くの人にとって働くことは労働であり、賃金を得るための手段となります。するとどうしても労働に見合った賃金を求めるようになり、そこに固執することになります。思い通りにはならず不満を抱えたり、思い通りになったとしてもそれに執着し、それを失うことを恐れたりします。心が波立ち、自分の状況に左右され一喜一憂することになるのです。そうしていると時代や宇宙の流れから切り離され安定を失うことになります。結果、なかなか幸せになることが出来ないのではないかと思います。

自分のあぁしたい、こうしたいという気持ちを手放し、ただ出会う出来事をいただき楽しんでいく。ただひたすら傍(はた)楽(ら)いていく。そんな暮らしを楽しみどんどん幸せになっていこうと思っています(^-^)

※農事組合法人木の花ファミリーは組合員全員が個人事業主(経営者)のため、労働基準法や最低賃金の縛りを受けません。詳しくは、「農事組合法人木の花ファミリーと6次産業化」をお読みください。

※木の花ファミリーブログ「世界のお金がみんなのお金になるように」に対する感想は、木の花ファミリーこの話!にも掲載されています。こちらも合わせてお読みください。






そぎ落としにより発展する

6月9日は射手座満月でした。射手座満月について天下泰平さんは以下のように述べています。

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今晩、2210分より満月となります。

201769日の満月は「射手座満月」。


  ~ 中略 ~

その射手座満月のポイントは、ずばり「和合・調和」のようです。

まず、数秘術の世界でも69日」というのは“6”“9”の陰陽和合を意味する特別な日であり、それに加えて今回の射手座満月の星の配列は、太陽と月、そしてラッキースターである木星が直角三角形を形成していることに大きなポイントがあるようです。

射手座の支配星である木星、そして太陽と月という陰陽の調和。

この射手座満月は「和解」などが大きなテーマとなるようです。

さらに、今年26日から「逆行」に入っていた木星が、なんとこの満月の1時間後には4ヶ月ぶりに「順行」に戻ります。

ラッキースター木星は、今は地球や地球人個人にとってとても強く影響を及ぼす重要な惑星。

この4ヶ月間、滞っていた物事がスムーズに行き始めたり、今晩を境に明日からは心機一転新たな流れが始まると思います。


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6月9日、陰陽和合を意味する日にロータスランドはちょうど営業69日目となりました。3月21日、太陽が春分点を通過した最初の朝にプレオープンし、水星逆行が終了し立夏を迎えた5月5日にグランドオープンしたロータスランド。その動きは常に宇宙の運行と共にあることを感じさせます。

同じく6月9日、天皇退位の特例法が成立しました。ライオンズゲートの日であり、アース・オーバーシュート・デー」(1年分の資源を使い果たす日)でもあった昨年の8月8日、天皇陛下は退位についてのお気持ちを表明しました。そして退位のための法案が陰陽和合を意味する日に成立するのも宇宙の流れの中にあることだと思われます。

※ちなみに6月9日のロータスランド来店者数は88名でした。

静ちゃんプロデュースの中国人お客様ツアー(5月30日~6月1日)@ロータスランド

その6月9日の22時10分。僕はどうしていたかというと風邪をひいて寝込んでいました。そして、次の日も寝込み、何も食べずに過ごしました。発展や拡張を意味する木星が順行になるタイミングで寝込み断食する自分。自分の思惑とは大違いの出来事に出会いましたが、これは僕にとっての発展や拡張が「そぎ落とし」によって成り立つことを意味しているのだと思いました。

自らを分けると書く自分。天の流れに沿って生きていこうとしている僕にとって、自分から生まれる想いや願いや不要なものです。例えば、いさどんは以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡


僕が常に皆に伝えていることは、そういった「~したい」「~になりたい」という願望を消しなさいということです。そして与えられるがままに存在しなさい、ということです。すべてを受け入れれば、己から解放されます。僕はそのことが伝えたいだけなのです。

今の姿のあなたがすべてではないのですから、いくらでも変化・変容・変態を繰り返すことが可能です。そして、それが宇宙の実相なのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

上記のいさどんの言葉にあるように「~したい」「~になりたい」という願望を消し、己から解放されれば、ただ出会う出来事を楽しんでいくことが出来ます。それは「流れ」という全体性と一体になり、この宇宙そのものを楽しむ道です。そこにこそ、僕の発展や拡張があり、そのために日々、自らに湧き上がる想いや願いをそぎ落としていく必要があるのです。自らの想いをそぎ落とすことで大いなる流れと和解し調和する。風邪という都合の悪い出来事はそんなふうに生きていくことの再確認の機会となりました。

今もまだ残る頭痛。それは思考を超えよう!!!というメッセージと受け止めています。

常日頃から「頭で考えるのではなく、信じて歩んでいくと、後からその意味が示され解る」と語るいさどん。以下の絵はそんないさどんの話を聴いたジョイさんからいさどんに手渡された本の表紙です。



泥のようにも感じる自分の都合の悪い出来事。それは自分の段取りや思考を超えるきっかけを与えてくれます。段取りや思考を超えて信じて歩いていく。その先に美しい蓮の花が咲くのでしょう。

泥の中で自分の都合をそぎ落とし美しい花を咲かせますね(^-^)

そぎ落としにより岩戸成る

岩戸成る時代


2019年元日に新天皇即位という記事を新聞で読みました。新天皇が即位した時、元号は新たなものとなるので、平成は30年で終了することになりそうです。その話題に触れている以下のブログ記事はとても興味深いものです。

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現在の元号である平成は「内外、天地とも平和が達成される」という意味でつけられたとも言いますが、裏にある神の意図では、平成とは「イワト(平=一八十)成る時代」とも言われています。



確かに、昨年2016年夏至をもって「夜明けの晩」は明けて岩戸開きは完成したとも言われ、その翌月にタイミングを見計らったかのような突然の生前退位のリーク、8月には正式に天皇陛下のお言葉発せられましたが、平成とは長い長い1つの大きな仕掛けが完成する最後の元号であったのかもしれません。


☆彡 ☆彡 ☆彡

岩戸開きとは太陽の神様、天照大神(アマテラスオオミカミ)を巡る神話です。高天原にある天の岩戸にアマテラスがお隠れになり、この世は闇に覆われます。その岩戸が開かれ、この世に光が戻ること。それが岩戸開きです。平成=イワト成る時代とは、岩戸開きが成る時代であり、それをもってこの世界に再び光が取り戻される時代と言えます。

平成の始まりの頃を思い出すと、ちょうどバブル経済が終焉を迎えた時期です。その後、山一証券など大手金融機関の経営破たんがあり、最近では東芝の不正会計や巨額損失が話題となっています。平成になって戦後復興から経済成長に至る間に積み上げた歪みが噴き出しています。それは資本主義の行き詰まりを表しており、新しい価値観が必要とされているのです。

そんなことを大人ミーティングで話した時、いさどんから「30年は土星の周期とほぼ同じで、土星はそぎ落としを表す星」という言葉が出ました。平成はそぎ落とし。そぎ落とすことで新しい時代を迎えるのです。

安倍首相は経済最優先を掲げ、経済成長を成し遂げようとしていますが、それは時代と逆行した取り組みであり、上手くいかないことは明らかなのです。それにも関わらず、多くの人が安倍首相の経済優先を支持しています。それは過去の時代に執着し、現実から目を反らしているからでしょう。

経済活動は人の約束ごとの上に成り立ちますが、それは人々の心の反映です。人々がもっと多くを・・・と望んだ結果が資本主義の発展であり、物質的繁栄を生み出しました。ですが、それは同時に競争により対立や格差を生み出し、人々の心に不安や嫉妬、優越感や劣等感を増大させていきました。それでも人はまだもっと多くを・・・と望んでいます。

ですが、この世界には人の約束を超えた天の流れというものがあります。天の流れは新しい時代へと向かっています。過去に執着している人々は天の流れにそぎ落とされていくことでしょう。

だからこそ自らの意志でそぎ落としていくことが大切です。それは物質だけでなく心も同様です。心の中の余分なものをそぎ落とし、自分を空っぽにしていく。そして天の流れを感じて生きていく。その時、そぎ落としが岩戸開きとなり、自分に光がもたらされるのです。

自分のそぎ落とし


僕は昨年の10月、いさどんから以下の言葉を貰っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「なかのんのブログに書いている事は仕上がってきてはいるが、
実際の心情についてはまだ仕上がっていない」という事でもある。
微妙な所だけど、ブログには「僕にはこの道しかない」となかのんは宣言している。
心情的には何かが残っているんだけど
「僕にはこの道しかないから、辛くても行きます」
というような事になると、目指すものと違う。
目指す所は、「人間を磨いていくと磨くことによって次の次元、
高い意識になって自ずと新しい現象に出会う、
自ずと過去に自分が思ってた事が叶うという事がある」という話だよ。
それは、目指していく事でもなければ、
それが尊い事だからといって我慢していくという事でもない。
それでは目指す所と違う世界になってしまう。



☆彡 ☆彡 ☆彡

そして同時に「なかのんは自分の担当以外のことを全然考えていない」という言葉も貰っています。これらの言葉は僕にとって大切な課題であり、成し遂げるためには自分をそぎ落としていく必要があるのです。だからただただそぎ落としていきます。そして、自分の岩戸を開き、僕は光となります。

火の鳥となる


ところで、今年の干支は丁酉(ひのととり)。丁(ひのと)とは火のことで今年は火の鳥の年です。火の鳥はフェニックス寿命を迎えると、自ら薪から燃え上がる炎に飛び込んで死ぬが、再び蘇えります。死と再生を繰り返す鳥。それは生命の本質そのものと言えます。時代の変わり目。僕は今、火の中で自らを灰とし、光となって再び蘇える。そして余分な心は常に燃やし続ける。それは天と共に生きる道なのです(^-^)


1月8日どんと焼きにて






『サピエンス全史』から時代主義へ

一昨日放映されたクローズアップ現代「幸福を探して 人類250万年の旅」を観て、『サピエンス全史』の存在とその著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の存在を知りました。そして、いくつかの書評と著者インタビューを読んでみました。それがとても面白くいろいろな考えが浮かんできました。

僕の理解だとハラリ氏の考えを要約すると以下のようになります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

現生人類ホモ・サピエンスが他の競合種を圧倒し、現在の繁栄に至った理由は、「虚構(フィクション)を信じる力」にあります。約7万年前の認知革命により、ホモ・サピエンスは「虚構」を使う力を得ました。「気を付けろ!ライオンだ」と言える人類種は多くいましたが、ホモ・サピエンスはこの時「ライオンはわが部族の守護霊だ」という能力を獲得したのです。このように、虚構、架空の事実を物語ることにより、多くの人の共感を得て協力し合うことが可能となりました。人々は共通の目的を持ち大きな組織を創っていきます。

宗教、国家、法律、企業、貨幣など。


これらもすべて人間が生み出した虚構なのですが、これらを信じることで複雑で高度な社会を営むことが出来るようになりました。共通の物語を持つことで人類は統合の道を辿りました。現在社会ではマスコミやインターネットにより世界の情報は瞬時に共有されます。そして、その情報により世界は動いていきます。


この動きの中で人類全体の富、そして力は飛躍的に増大していきます。ですが、一人ひとりの人間に目を向けた時、富を握るのは一握りの存在であり、多く人の暮らしは貧しくなっています。文明の発展は一人ひとりの人間の幸福には繋がっていないのです。


そして、それは個人の持つ知識や能力に関しても同じです。自然の中で自分の力で生きることが求められた狩猟採集時代の人々は現代人よりも多くの知識や能力を持っていました。彼らは、与えられた環境に自分たちを適応させて暮らしていました。それは自分たちの都合のよい世界を創ってきた現代人とは対照的で、これからの時代、人々は狩猟採集民の姿勢を取り入れる必要があります。なぜなら、現代の資本主義は行き詰まりを迎えており、これから大きな変化が起きようとしているからです。その変化に適応していくことが求められます。


ホモ・サピエンスは石器時代から多くの生物を絶滅に追いやっています。その中には、ネアンデルタール人やデニソワ人といった人の仲間も含まれます。社会の近代化や工業化が進む以前から生態系を破壊してきているのです。


このような事実は広い視点から歴史を学ぶことによって見えてきます。歴史を学ぶことにより現在信じられている価値観が虚構であり、それが生み出された過程を知ることが出来ます。そうすることで、虚構を超えたところにある真実に辿りつけるのです。


現代社会を覆っている一番大きな虚構(宗教)は「リベラリズム」です。それは何か重大な問題に直面してとき、個人が自分の内面の声に耳を傾けて判断を下すべきという考え方です。個人が重視されるため政治の問題も選挙で決めていきます。


それに対して今、シリコンバレーではあらたな宗教が生まれています。それは内面の声よりデータの判断に身を委ねる方がよいという考えです。例えば、アンジョリーナ・ジョリーが両乳房を切除したのは、遺伝情報で乳がんの発病する確率が87%であり、親族に乳がんを患った人が多いからです。


人々は中世の頃、聖典に答えを求めていました。そして、近代になると内面の自由な声に従いました。未来は膨大な情報を有するデータベースから引き出された「解答」に従う人が大半になるかもしれません。


それだけではありません。科学技術の進歩は、感情や欲望を含めて、ホモ・サピエンスそのものを変える可能性もあるのです。それがどのような変化になるかは分かりません。その鍵を握るのは、私たち人間が欲望をコントロールできるかどうかです。


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歴史を観て、現在を覆っている価値観の背後にあるものを探っていく。その姿勢はとても刺激的で面白いものです。そして多くの示唆を与えてくれます。そのためこの本は多くの人の支持を得ているのでしょう。

ところで昨年末、木の花ファミリー通信特別号が発行されました。題して「時代主義が始まった」です。ここでもハラリ氏と同じ試みをしています。広い視点で歴史を辿ることにより、現代の価値観の背後に流れているものを明らかにしているのです。ファミリー通信ではビッグバンから辿っています。そして、「時代が生命そのもの」であることを明らかにしていきます。その文章は以下のように締めくくられています。

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今こそ、私たちは自らを自我の枠から解き放ち、この無限なる宇宙の中で自由自在に生きる時が来たのです。私たちの中から願望や野心が消えた時、宇宙の真理が湧き出し始めます。そして、人類が誕生した目的にのっとった最もふさわしいポジションに立つことができるのです。その真理に目覚めた時、私たちは時代を読み、流れを感じ、今を生きる「時代人」となります。それは時代主義の始まりです。

それが、21世紀初頭にあたり、時代が私たち人類に伝えているメッセージです。

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ハラリ氏とファミリー通信。同じように歴史を辿りながら、描く未来のヴィジョンには大きな違いがあります。それはハラリ氏が個人の幸せに囚われているからだと思います。

確かにハラリ氏が言うように、現代は富の総量は増えたけれども、個々人は幸福にはなっていないのだと思います。ですが、個々人は幸福を求めていました。個々人が幸福を求め欲望を追求した結果、資本主義が生まれ、経済成長へと繋がっていったのです。その原動力は個々人の欲望であり、自分「が」幸せになることを願う自我の心が人を苦しめているのです。だからこそ、自らを自我の枠から解き放つ必要があります。ですが、ハラリ氏にはそのような視点はありません。人々を苦しめている自我の延長上に未来を描いています。それは「解答」や「結果」を求める姿勢に現れています。

本来、この世界には固定した「解答」などありません。すべてはプロセスの中で変化していきます。自我の枠から自らを解き放った時、そのプロセスそのものを味わい楽しむことが出来るようになります。その姿勢が人々に真の自由をもたらし未来を切り開いていくのです。

そして、ハラリ氏は物質にも囚われています。

ハラリ氏はライオンを事実とし、守護霊を虚構としています。ですが、なぜ物質的存在が事実であり、精神的存在が虚構となるのでしょうか?そこには一つの前提があり、そこに対する検証がされていません。認知革命は文字通り認知の革命なのだとしたら、今まで知りえなかったことを知るようになったとも言えます。宇宙のチリの中から物質が生まれ、物質から精神が生まれました。それは神の自己開示であり、それにより認識を深めていくプロセスとも言えるのです。事実、ハラリ氏も言うように世界は統合に向っています。統合とはつまり全体を貫く視点を得るということです。精神に目が開かれることにより、この世界の実相、すべてが一つである事実が見えるようになったのです。それらは変幻自在に変化しますが、物質も時間と共に変化していきます。精神的存在が虚構であるならば、物質的存在も虚構です。すべては時代が生み出したものなのです。

精神と物質、すべてを含めた虚構の奥を見通した時、天の意志が見えてきます。それは個人の幸福を超えたものでありながら、個人が幸福になるためにはそれに沿う必要があるのです。大きなパラドックス(矛盾、逆説)ですが、歴史はそのことを教えてくれています。

僕らの未来は予測不能です。それは現代が混乱の極みにあるからではなく、それが生命の本質なのです。なぜなら、僕らは自らの意思で生きているのではなく世界に生かされているからです。自分のコントロールを超えています。出会うことをいただいていく。そして、それを踏まえて真剣に考えていく。その姿勢が人を成長させるのです。それが時代人の生き方であり、今、時代主義が始まっているのです(^-^)




※このブログは以下の記事を参考に書きました。

ユヴァル・ハラリが語る「シリコンバレーで生まれる21世紀の宗教」

人類の繁栄とは”虚構”の上にあるのです

「サピエンス全史」ユヴァル・ノア・ハラリ氏 「虚構の力」を超えるために

貨幣や宗教は虚構「サピエンス全史」ユダヤ人著者が語ったこと

虚構が起こした革命ー『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』



あなたの未熟もみんなに役立つ

弱さの情報公開


9月29日放映のクローズアップ現代+「生きづらさを抱えるあなたに~障害者殺傷事件が投げ掛けたもの~」を観ました。その内容を要約すると以下のようになります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

相模原市の知的障害者施設で起きた殺傷事件。
その容疑者は「障害者は役に立たない」という供述をしています。
そして、「障害があって家族や周囲も不幸だと思った。
事件を起こしたのは不幸を減らすため」とも述べています。

そのため多くの障害者が身の危険を感じるようになっています。

この「役に立つ」という言葉。
効率を追求する現代社会を表す言葉で、その言葉が社会から多様性を奪い、
障害者だけでなく、健常者も生きづらさを感じるようになっているのです。

ですが、「障害のある人たちが働ける企業は成長する」し
「多様性こそ人間の繁栄を支えてきた」ということが最新の研究で分かってきました。

偏った価値観を超えて共生社会をいかに実現するかが課題となります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この番組の中で「べてるの家」向谷地生良(むかいやちいくよし)さんは、
弱さの情報公開」というキーワードを挙げていました。

この言葉はとても印象に残りました。

もし社会が人々の多様性を認めるようになれば、
そして一人ひとりが自分と向き合い自らを受け入れたならば、
共有された「弱さ」はみんなに生かされていくのです。

「弱さ」だけではありません。
一人ひとりがしっかりと自分と向き合い受け入れたならば、
すべての特性がみんなの中で生かされていきます。

そんな話を一つ紹介します。

あなたの未熟も場創りに役立つ


1年前の10月2日、大人ミーティングでいさどんはこんなふうに話しています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

我々は何をするかというと、僕と同じような話をみんなにしろって言っているのではないのです。
「みんなで」という気持ちで暮らし、それを人々に見てもらいたいのです。
こんな素晴らしい世界がいっぱいに広がって欲しいから、人々に見て欲しいのですよ。
たったそれだけです。

それは日常、みんなが気持ちよく「さーと」心が通っていって、
「ああこれだったんだね。これがやりたかったんだね。」
そういうことを言葉ではなく空気を感じて、
「神さまの目的はこういう世界だったんだ」と理解することです。

これはとても身近にあって、アカデミックでもなんでもありません。
哲学とか立派な話でもなんでもありません。

「あぁ、いい空気だね。」
「こういうところに生涯身を置きたいね。」
「こういう生き方を自信を持って、安心の場所でやりたいね。」

そう感じたら誰だって出来るんですよ。

 ~中略~

みんなで良い響きを生み出していく。そんなふうでありたいです。

なので、お願いだから、人の心を調整するような時間をこの場に持ち込まないで下さい。
自分の心は自分で調整して下さい。もうそういう段階です。

それでも、残念ながら、充分に果たせなかった時に、
それを投げやりにならないで、表に出して、みんなにそれを正す方法を請うて下さい。
自分に実力がないのですから。

そして、みんなに助けてもらって、心から「ありがとうございます」と言って進んで下さい。
そうしたら、あなたの未熟も「良い場創りに役だったね。」ということになります。

みんなが他者のことを思い合う。
そういう心の表現に繋がるのですから。

だから未熟でもいいのです。
本当にみんなに託していく。そういう場創りが大切です。
そしてそういう場はいつでも表現出来るのです。
道を難しい道だと思わないでください。




☆彡 ☆彡 ☆彡

この日のミーティングでは僕の滞りが話題となり、みんなに沢山の時間を掛けてもらいました。
その滞りは僕が長年向き合ってきたテーマであり、人生最大の課題となっていました。
1年前、大きな滞りの中で僕はそのテーマと向き合いました。
そして今、その課題を超えています。

あれから1年が過ぎ、そして今日は新月です。

この節目にそのテーマについて書くことで、自分の歩みをより力強くしていこうと思います。

僕の父さん


僕の父さんは僕に対しとても強い愛着を持っていました。
自分の中心を投げ出し僕に置いていたのです。
僕の行動が気になり、僕の一挙手一投足に一喜一憂する状態でした。

そんな父さんとの間にはいろいろなエピソードがあります。
以下いくつか紹介しますね。

エピソード(1) 体育祭の打ち上げ


僕が高校生の頃、体育祭の打ち上げでクラスのみんなとカラオケに行くことがありました。
カラオケボックスで21時ぐらいまで遊んで家に帰るのは22時過ぎになったのですが、
父さんは家に帰った僕を見るなりいきなり頬っぺたをビンタし怒りだしました。
加えて、僕が家に帰ってくるまでの間に、
心配で心配でクラスの子の家に電話までしていたのです。
これには参りました。
そして挙句の果てには、
「カラオケセットを買うからうちにみんなを呼んで遊べばいいだろ」
とまで言い出しました。
ただ僕を側においておきたいだけで、他の子のことは全然考えていないのですよね。
困ったものです。f(´-`;)ポリポリ
もちろん、こんなナンセンスな言葉に僕は応じませんでしたが。

エピソード(2) 駅に迎えに来る父さん


大学生になって帰りが23時過ぎになった日のことです。
家の最寄り駅で電車を降りると自転車に乗っている父さんと出会いました。
僕のことが心配で心配で様子を見に来たのです。
その姿に僕は不機嫌になるのですが、
そんな僕を見た父さんは「散歩していたんだよ」と言ってそそくさと帰っていきました。

エピソード(3) 今生の別れの杯を交わす


23歳の春、僕は友人とハワイのオワフ島に行くことにしました。
初めての海外旅行です。
それを聞いた父さんはショックを受け大慌てとなります。|゜□゜;|┐ガーン!!

飛行機が落ちる

銃で撃たれる。

父さんにとって飛行機は落ちるものであり、海外は銃で撃たれるところなのです。

これはもう理屈ではないのです。

そんな父さんに僕は語りました。

父さんの気持ちは分かりますが、僕は自分の可能性を広げたいし、広げる必要があるのです。
だから海外に行かないという選択肢はありえません。
そう、僕はこの機会に死んでしまうかもしれません。
それでも僕は行くのです。
僕が死んだ時は不幸な息子としてお許しください。

こんなふうに伝えて一緒にお酒を飲みました(^-^)


とまあこんな感じです。
まだまだ例を挙げたらきりがありませんが、とりあえずこんなところで。

自分の中心を投げ出し僕に置き、僕の言動に一喜一憂する。

僕が苦しめられた父さんのこの特性は、僕の心と身体に染み渡り、
そのまま僕自身の特性となり僕の中の爆弾となっていきました。
そして遡ればきっと、これはじいちゃんの特性でもあり時代の中で生み出された歪みなのです。

ここで紹介した父さんの姿はそのまま僕自身であり、時代の一つの現れです。

僕は長い間この特性に向き合いきれずに翻弄されてきました。
そんな中、一番苦しい時期には以下のような状態にもなりました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

10年前の10月、中学校で勤めている時、僕は職員室の自分の机を蹴飛ばし、
そのままドアに向い、ドアを叩きつけて締めて、そのまま学校を離れました。
そして、道路を歩きながら、傘を叩きつけて、傘を壊したら、空から雨が降ってきて、
僕は濡れながら家まで5km歩いて帰りました。

僕はその頃、毎晩泣いていて、
人前でもきっかけがあると涙を止めることが出来ませんでした。


そして窓から飛び降りる衝動に襲われ、マグカップを人に投げつける衝動に襲われ、
心を静めるために一日に何回も屋上に行き、一人で佇んでいました。



空っぽへのあこがれ」より(年数を修正)

☆彡 ☆彡 ☆彡

こんな感じで、この特性は僕の中の爆弾となり、定期的に火がついていたのです。

1年前、僕は再び自分の中心を他者に投げ出し滞りを経験しました。
ですが今、僕はその滞りを克服しています。
それは「物語の終焉、そして始まり」に書いた通りです。

僕は少しずつ天から自分に柱を降ろしてきました。
そして、それは今も続いています。
今、僕の中心は天から僕へと貫く柱となっています。
まだ細い柱ですが、日々の生活を重ねる中でどんどん太くしています。
その柱を意識している限り、僕は自分の中心を他者に投げ出すことはありません。
だからもう二度と再び同じ滞りを経験することはないのです。

自分の中心を他者に投げ出し、他者に依存していく。

僕が向き合い乗り越えた「弱さ」は今、一つの物語として完結しています。
それをみんなと共有することで、僕らは人間に対する認識を深めていけます。
そして、その学びは僕らの人間性を向上し、豊かな世界へと繋がります。

僕の弱さ、未熟はこんなふうに生かされています。
そして、僕を謙虚な気持ちへと導いてくれています。

あなたの未熟もみんなに役立つ。

そう、だからただただ思い切り生きるだけなのです。

思惑は何もいりません。

そして出会うことをいただき学びを深めています(^-^)

みんなが思い切り生きることで個性豊かな多様な場が生み出されます。

それはきっと宇宙の実相へと至るのです。

9月27日朝、人参間引き中の写真です。

揚羽蝶を見つけました。










変化に富んだ物語を紡いでいく

たとえばオリンピックで人を感動させるのは、メダルを取ったという事実だけでなく、
その演技の素晴らしさであったり、そこに至る過程、選手やコーチ、仲間の物語であったりします。

もしメダルを取ったという事実だけが語られるならば、
それは勝った負けただけの世界となり、面白みがなく貧しい世界となってしまうでしょう。

ですが今、多くの人は勝った負けた、もしくは成功失敗という事実に囚われ暮らしています。
そしてそのことが世界を狭くし、貧しくしているのですが、その事実にはなかなか思い至りません。
それは、他者(社会)からの評価という報酬が人々に染み渡っていて、
それが判断や行動の基準となってしまっているからです。

今、社会全体が様々な価値基準に囚われています。
勝ち負け、成功失敗、拡大発展など。
それが人々の世界を狭くし、変化に富んだ物語を描く可能性を奪っているのです。

宇宙は過去から現在、そして未来へ向けて変化し続けています。
変化の中で星々は様々な物語を生み出し続けています。
人間一人ひとりはその中の一部を担い独自の物語を生み出しているのです。
その視点が人々を目の前の出来事から解放し、広い視点へと導きます。

例えば、先日、NHKスペシャル「縮小ニッポンの衝撃」が放映されました。
番組では、北海道夕張市や島根県雲南市など
行政サービスが縮小し、住民が苦労している姿を紹介していますが、
2020年には東京にも人口縮小の波が襲い掛かると予想されています。
その内容は衝撃的で視聴者からは絶望の声が相次いだようです。
 ※NHKスペシャルの縮小ニッポンの衝撃の内容に、絶望の声が相次ぐ

ですが、木の花ファミリーではこの番組を明るい気持ちで観ました。
例えば、番組では、建物が取り壊される姿が描かれていますが、
みかちゃんはその姿を見て「自然に還ることであり、バランスを取り戻している」と感じたそうです。

そしていさどんは番組を観て、以下のように感じたといいます。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「大変だ!」と感じるのは現状に執着しているからです。
変化に身を委ねたら、怖れることはありません。
人間は最終的にはみんな死ぬのです。

今は変動の時代です。
天変地異が世界各地で起こっており、テロや紛争も絶えません。
人口減少は混迷を極める現代社会の中の一つの事象に過ぎません。
今、人間社会は行き詰まっていますが、それは時代が変化を求めているということです。

そんな現実に向き合い乗り越えるためには、
一人ひとりが自らと向き合い個性を発揮して繋がっていく必要があります。
そんな人間力を育てているのが木の花ファミリーの暮らしであり、
その暮らしは世界に調和をもたらし豊かな場へと変えていくのです。

この暮らしはこれからの未来の雛形です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今の価値観に囚われていると、番組の内容は絶望的に映ってしまいます。
ですが、そこを離れ、宇宙や地球、人類の物語という視点で見ると、
それはプロセスであり、一時の困難は未来への希望へと繋がっていくのです。

そのような例は他にもあります。

たとえば以下2つのブログによるとアメリカ政府やドイツ政府は、
国民に緊急事態に備えて食料や水を備蓄するように呼び掛けているようです。

 アメリカ政府が、国民一人ひとりに食料、水、武器、金銀、現金の準備を呼びかけ

 天下泰平ブログ:2016年秋から始まる大変革の流れ

この状況について、上記の天下泰平ブログでは以下のように書かれています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ドイツ政府が、国民に対して「備蓄」を呼びかけているというニュースが話題となっています。


主に“テロ”などによる社会情勢の混乱に備えるための準備のように伝えられていますが、最近はイタリアの地震にしろ、イギリスのEU離脱にしろ、自然災害や経済危機などにおいても、ヨーロッパでは今何が起こってもおかしくはない状況となっています。

「この秋に何かが起こる」

各方面において、2016年の秋というのは1つの大変革の節目のタイミングとなることが言われていますが、その中で有名なのはエササニという惑星からの宇宙人「バシャール」の見解です。

 「未来予測などと言うものはありません。不確定だからです。可能性のある現実が、いくつもあるだけです。けれども今、この瞬間の、あなたたちの個人的、集団的エネルギーから感じる可能性は、おそらく変動することなく、三次元的現実に現れるでしょう。2016年の秋、そうした可能性の種は芽吹き始めます。もしくは数年後に起きた変化を振り返った時、その原点となるのが、2016年なのです。」(バシャール)

     ~ 中略 ~

またバシャールは、この秋から現在の金融(経済)システムの変化が起こることも予測しています。

この秋より、再びリーマンショックの後のような経済の低迷が続き、そのままの流れで2020年までに現在の金融システムが破綻するかもしれないと。そして、2025年頃から新たな金融システムによって経済社会も復興を遂げるようです。

そうすると2020年から2025年までの過渡期の間、世界経済は窮地に立たされ、食糧危機などの様々な問題が起こるかもしれません。

一方で、やはり2020年頃までにエネルギー問題も大きく動きがあり、原発が世界各地でメルトダウンを続けて崩壊していくようで、その中で新たな代替エネルギーが台頭するとも予測しています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ここでバシャールの語っていることは、破壊と再生であり、新しい世界への予感です。
それは銀河の夜明けを経て光の時代に入った太陽の螺旋運動とも一致しており、
未来への希望の物語となっているのです。

こんなふうに人は一時の困難を未来への希望に繋げることが出来ます。
そのために必要なのが自分を超え続けることであり、
変化に富んだ独自の物語を未来へと紡いでいくことなのです。


太陽。2012年12月21日銀河の冬至を経て、今は銀河を光の方向へと進んでいます。





僕は流れに導かれる

分断し対立し続ける社会


子どもの貧困問題を扱ったNHKのニュース番組が放映されました。
そして、そこで自らの体験を語った一人親家庭の女子高生がインターネット上で中傷され、
それに対する抗議デモが起きています。(※以下のリンク先を参照)

子どもの貧困 語った高校生を批判、・・・・

貧困たたき 新宿で緊急講義デモ

こんなニュースに触れると社会が本当に分断されてしまっていることを感じます。
人々は分断され、自分の視点からのみ社会を眺め反応しているのです。

女子高生を批判している人々は「彼らの正義」で動いています。
彼らなりに真実を明らかにしようとしています。
ですが、それは偏った視点であり、事実の確認や他者への思いやりが欠如しています。

その一方、抗議デモをしている人たちも正義の下に動いています。
それは彼らなりに真実に基づいた行動であり、その真実は正しいのかもしれません。
ですが、事実の確認をしていないという点ではおそらく前者と同様です。

事実の確認なしに大きな対立となり、そしてそこには対話がありません。
そこで行われているのは感情の発散であり、自己主張であり、
何かが積み上がることはありません。
自らを正義の立場に置くことで、真実や自分自身に対する探究はストップし、
対立の構造は続いたままとなるのです。
今の社会では、こんな事例は他にもいくらでもあるのではないかと思いました。

大きな流れのもとに生きていく。


ところで最近僕は、木の花ファミリーを離れた人が当時書いていた文章を読む機会がありました。

彼は自分と向き合い自分を超えていくことを誓い木の花ファミリーのメンバーとなったのですが、
心変わりをし、今は木の花ファミリーを離れて暮らしています。

メンバーだった頃、彼は言葉では「自分を超える」と話しながら、
実際は多くの時間を自らの感情に翻弄されて過ごしていました。
そして、そんな自分を正当化し他者が変わることを求めることもありました。
木の花の暮らしに共鳴し、頭ではその大事を理解し追究しながらも、
実際の人間性が追い付いていなかったのです。

そんな彼が当時「すべての出来事が有難い」と書いていました。
僕はそれを見て、何が有難かったのだろうと思いました。

すべての出来事は、それが生かされた時、本当に「有難い」ものとなります。
生かされなければ、「痛み」は「痛み」、「苦しみ」は「苦しみ」のままとなります。
自分の感情に翻弄され続けていた彼は苦しかったのではないかと思います。

途上の苦しみはおそらく誰にでもあることです。
ですが、それを超えた時、真の喜びに出会えます。
僕自身今までいくつもの山を越え、その度に喜びに出会ってきました。
その喜びを糧にこれからも「自分という山」に向き合い登り続けていきます。

彼は自分に向き合う決意をし、その苦しみとも向き合いました。
ですがその苦しみを超えることなく、木の花ファミリーを離れていきました。
苦しみながらも自分と向き合った彼の時間は生かされなかったのです。

そして今は分断と対立が溢れる社会の中で暮らしています。
そんな中、自分と向き合うのはより困難になっていることでしょう。

出来事を生かしていくには、出来事を超えていく必要があります。
そして、自分を生かしていくには、自分を超えていく必要があるのです。

この世界を運営する視点に立ち、自分のことも他者のことと同じように眺めます。
そして、自分も他者も同じように生かしていく。
それは自分を正当化することでもなく、正義の立場におくことでもありません。

自然界ではすべての存在が繋がり生かしあっています。
生きているものが生きているものを支える。
そんな循環の中で生命は育まれています。

そこには正義や悪という概念は存在しません。
ただすべての存在が繋がり生かされているのです。

そんな視点に立ち、自分たちの体験を生かしていくことが大切です。
その時、社会は分断と対立を超えてすべての経験は生かされていくのです。

最近、木の花ファミリー通信 Vol.87 - 2016年夏号【医療革命】 が発行されました。
そこにはこんなことが書かれています。



☆彡 ☆彡 ☆彡

この世界には、流れがあります。出来事の表面ではなく、
その奥に心の目を向ける時、全ての出来事の背後を常に変わることなく流れ続ける、
大きな流れがあることが観えてきます。
自らの立ち位置を離れ、その流れに乗って生きると、
不思議なほど色々なことが連鎖し、とんとん拍子に物事が進み、
自力で何かを成し遂げようとしていた時には想像もできなかった世界が現れるのです。

その流れの中では、余分なものは自然とそぎ落とされ、
人々の中に眠る無限の可能性が花開いて、
様々な個性が響き合いつながり合い、美しく循環していくことでしょう。
それは個人の満足をはるかに超える、ダイナミックな生命の喜びにあふれた世界なのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

こんな世界をみんなと表現していこうと思っています(^-^)

僕は流れに導かれる。




高揚感を生み出していく

バーチャルな世界に熱狂する人々


日本中がオリンピックで盛り上がる中、昨晩の大人ミーティングでは、
いさどんブログ「ポケモンGOに熱狂する人々がロシアドーピングを批判出来るのか」を、
みんなで共有し、以下のような話をしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

東ドイツやロシアのドーピング問題の背後には、国威発揚があり、
そして、それはお金を稼ぐためにはなんでもする西側諸国の風潮が広がったものとも言えます。
スポーツは今、お金を求める手段となってきています。

最近、話題になっているポケモンGOについても、社会はその経済効果を歓迎しています。
ですが今、検索サイトで「ポケモンGO 依存症」と入力するとたくさんのサイトが出て来ます。
バーチャルなポケモンGOの世界に夢中になる人々は、薬物依存と変わりがないのです。
ですが、社会は経済効果を歓迎し、ポケモンGOが持つ問題点には目をつぶっているのです。

それは社会全体がお金という麻薬の中毒になっているからです。
そのお金も今、株式市場などを通してバーチャルな世界を生み出しています。

そして、スポーツを観戦し熱狂する人々。
彼らにとってスポーツは日常とは関係のないバーチャルな世界です。
試合の結果は彼らの日常生活に何の影響も与えません。

このように見ていくと、多くの人が自分の日常とは関係のない
バーチャルな世界に熱狂していることが分かります。
バーチャルな世界は自分を忘れさせます。
自分の実態は置き去りとなり、一人一人が未熟なままで、
社会に様々な混乱を生み出し、環境破壊をもたらしています。
社会全体がバーチャルな世界の依存症となり、
この地球の暮らしは立ちいかなくなってきているのです。

ですが、多くの人は自分の姿勢を疑うことはありません。
そして社会の中に悪を見出し、それを批判するだけなのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

依存症の背後にあるもの


人々は高揚感を求めてバーチャルな世界に夢中になっている。
そんなふうに思えます。
ですが、その高揚感はずっと続くわけではありません。

例えば、テレビゲームですが、やり始めは興奮したとしても、
続けているうちに感覚が麻痺していきます。
ですが、それに嵌まっていると止めることが出来なくなるのです。

それはおそらくパチンコなどのギャンブル、株取引なども同様でしょう。

高揚感を求める心。

それがバーチャルな世界に依存する人々を生み出していますが、
結局、彼らは求めた高揚感を得ることが出来ず、苦しんでいくのです。

大切なのは、自らの日常に立ち返ることです。
そして、日常生活を豊かにしていくのです。
そのために自分と向き合い、自分を高めていきます。

例えば高揚感ですが、それを外に求めるのではなく、自ら生み出していくのです。

そのような姿勢で努力をしていけば、日常生活はとても魅力的な場となります。
だから常に挑戦し続けることが大切です。

自分を高めるために。
この世界にために。

自分に何が出来るのか?

そのことを常に考え挑戦し、結果をいただき続けるのです。
それはドキドキわくわくする試みで、外に何かを求める必要はなくなります。

例えば、僕。

僕の中には受け身の性質が根強くあります。
自分の気持ちを曖昧にし、誰かが代わりにやってくれるのを待とうとするのです。
今、僕はその受け身の性質を振り切ろうとしています。

自分の気持ちを曖昧にせずしっかり把握します。
そして流れを感じながら然るべき行動をし、
表現していくことを心掛けています。

それがこの世界に何をもたらすかは常に結果を見て判断することですが、
日常がどんどん楽しくなり豊かになってきています(^-^)

一人一人の日常が豊かになれば、世界の豊かになっていきます。
その結果、地球も豊かになり、今ある様々な問題は解決していくでしょう。

そんなふうに思って日々を大切に過ごしています。

最後に、一昨日、木の花ファミリーのみんなといった川遊びの様子を紹介しますね。












真実を明らかにする

インターネットと暴力


2016621日、夏至の日にオープンしたサイト「木の花ファミリーで起きたことを検証する」に新たなページが加わりました。題して「インターネットと暴力」です。夏至の日から地球が30度動いた722日、大暑の日に加わったことに宇宙の流れを感じます。

上記のページに書かれていることを簡単にまとめると以下のようになります。

☆彡 ☆彡 ☆彡

私たちは一人一人独自の世界観を持って暮らしています。そのため同じ出来事に出会ってもその捉え方は人それぞれ異なります。一つの出来事が人間に多種多様な体験や解釈を生み出すのですが、そこにその人の人間性が現れます。
この世界は70億人の人々の心が折り重なり出来ています。一人一人の自我が生み出すイメージは自然界から自由であるため、それはともすれば実体からかけ離れたものともなるのです。今、この世界は巨大なバーチャルな空間となっています。例えば、お金です。今、お金はただの数字となりつつあります。世界の大部分のお金はコンピューター上でやり取りされ、それは人々の欲望や熱狂、不安や恐怖などにより価格変動を繰り返しています。そして、インターネット。誰でも気軽に発信できるこの空間は、実態とかけ離れた内容も検証されることなく拡散されていきます。そこでもてはやされるのは、上手に表現できる人であり、実際の人間性は問われることはありません。評価や注目を集める言葉が氾濫し、それらは現実から遊離し、この世界は混乱の極みにあります。インターネット上での風評被害は社会問題となり、中には自殺にまで繋がる事例まで存在しているのです。
木の花ファミリーは、このような社会の中、地に足の着いた生活を大切にして来ました。そして、自我が生み出すイメージを離れ、実際の自分を知り、人間性を育んで来ました。そこには現代社会の混乱を超える揺るぎない価値、そして希望があるのです。

20146月、「木の花ファミリーで起きたこと」というサイトが立ち上がりました。このサイトでは「これから書くことはあくまで可能性に過ぎません」と巧みな表現を用いながら、木の花ファミリーについて、暴力的で危険なマインドコントロール集団という物語が創作されました。木の花ファミリーでは、同サイトを管理する「コミュニティの課題と可能性を考える会」に対し、真実を検証する場を持つことを提案して来ましたが、同会が応じることはなく、上記サイトは今も存在し続けています。

彼らは木の花ファミリーを悪と見立て、社会正義の側に立っています。ですが、その情報は歪んだものであり、真実とは異なります。その証として、どんなにバッシングを受けようとも木の花ファミリーの暮らしが揺らぐことはありませんでした。それはこの暮らしが宇宙の法則に基づいたものであり、実態が伴った本物の生活だからです。だからこそ、実際に木の花ファミリーを訪れる人々にはその価値が伝わっていきました。その事実こそが、木の花ファミリーをバッシングする人々の心を浮かび上がらせます。そこで語られていることは彼らが創り出している世界なのです。

彼らは社会正義の立場に立ちます。ですが、その心に奥にある動機は純粋なものとは言えません。現代の社会規範がその行為を許したとしても真実は心の奥にあります。自分自身の中にある歪みや悪意の存在に真に向き合う時、この世界の実態に触れ、人は生を受けた本当の意味を知ることが出来るのです。それこそが木の花ファミリーの実践です。

今、多くの人が自我に囚われ、己に都合のよいイメージの中で暮らそうとしています。それが社会の混乱を生み出し、木の花ファミリーへのバッシングも生み出しています。私たちはそんな社会の風潮を懸念し、「木の花ファミリーで起きたことを検証する」を立ち上げました。その目的はあくまで人々を真実、そして新しい時代に誘うことにあるのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

※「木の花ファミリーで起きたこと管理人とのやり取り」も同時にUPしています。

片山佳代子氏とプロバイダーの対応


「インターネットと暴力」にも触れられていますが、「木の花ファミリーで起きたこと」を情報源とし木の花ファミリーを訪れたことのない人々までもがネット上で木の花ファミリーへの批判を展開しました。ガンジー研究家である片山佳代子氏はその一人で、ホームページやブログで木の花ファミリーの批判を展開しています。


片山氏は「木の花ファミリーで起きたこと」の情報を鵜呑みにし、私たちの言葉を聞き入れることはなく、実際に木の花ファミリーを訪れることもありませんでした。それは真実から目を閉ざし、対話も拒否している状態です。

例えば、片山氏は「集団で共同生活をするとなると、どうしてもリーダーを置いて、そのリーダーに従うような組織にならざるを得ない」と書いています。そして、「木の花ファミリーはリーダーが間違え、組織全体がおかしくなった」と結論づけます。ですが、共同生活にリーダーが必要な根拠はどこにも示されていません。そして、木の花ファミリーで起きた出来事を具体的に検証することもしていないのです。もし出来事の背景、そして、そこに至る流れを検証する姿勢があれば、全く違う景色が見えるはずなのです。

検証をせずに暴力やマインドコントロールという物語を真に受け、それを広げていく。

そこに片山氏の人間性が現れています。

私たちは、そのような片山氏の姿勢を受けて、プロバイダーにサイトの削除申請を行いました。それは真実を明らかにするための取り組みです。

NIFTYへの削除申請


私たちはプロバイダー責任法に則り、NIFTYに対して削除申請をしましたが、郵送した2日後には「通知書」が返送されました。「通知書」には「貴依頼書の記載内容からは、貴殿の権利が不当に侵害されていると信じるに足りる相当の理由があると判断できない」と書かれ、NIFTYがサイトに削除には応じることはありませんでした。
2日後に通知書が返送されてくる速さからすると、NIFTYは片山氏に削除申請について照会を掛けることもしていないと思われます。つまり削除申請の内容について吟味をしていないのです。そこに顧客からの利益を優先するNIFTYの姿勢が伺えます。その姿勢が社会に何をもたらしているかをNIFTYには問いたいです。

Hatenaへの削除申請


HatenaNIFTYとは違い、片山氏へ削除申請についての照会を掛けました。
ですが、片山氏は週刊文春の存在を根拠とし、記事の削除を断りました。その際、以下のページの文章を引用し、私たちが週刊文春の記事を事実と認めていると結論づけています。

「私たちも望んでいない不幸なことが起きたことは、外部の人たちからご指摘を受けるまでもなく、私たち自身が大切にすべきこととして学び、今後同様のことが起きることのないことを確認し合いました。そのことを改めてここに宣言します。」
      (「木の花ファミリーの総意として 〜「週刊文春」への掲載を受けて」より)

ですが、私たちは週刊文春の記述について事実と認めたことはありません。週刊文春の記事により、インターネット上にてバッシングが広がり、私たちを支援して下さっている方々に心配や迷惑を掛けることになりました。そのことを不幸なことと表現し、同様のことが起こらないように努めているのです。上記のページ全部を読めば、そのことは理解できるようになっているのですが、一部分のみを取り上げるところに片山氏の作為を感じます。

このことをHatenaに伝えたのですが、Hatenaが取り合うことはありませんでした。「照会を再び掛けることは、発信者に削除を強いることに繋がる」という理由です。そして、このブログも削除されずに今に至っています。片山氏の作為についてはそのままです。
Hatenaの対応にも形式的なものを感じました。

加えて、片山氏が普段から週刊文春の記事を信頼しているのかどうかも疑問です。なぜなら週刊文春の記事を名誉毀損で訴える事例が多々あるからです。非暴力を掲げる片山氏ならば、人を傷つけている週刊文春の記事は批判の対象なのではないかと思います。ここにも片山氏の作為を感じます。

ちなみにマツコ・デラックス氏も週刊文春の報道姿勢を疑問視し、以下のように述べています。(【マツコ・デラックスが週刊文春の報道姿勢を疑問視「抹殺したいのかな」】)

(現在のインターネット社会では、週刊誌で報じたことが、週刊誌だけでおさまらず、インターネット上で)「世論が形成されてしまって、ひとりの人生をボロボロにすることが簡単にできてしまう」

「唯一、週刊誌が攻撃できるメディアだった時代と、同じ論調でやっちゃっていいのかなと思う」「ネットを含めた世論の形成のされかたを見てると恐怖は感じるよね」

片山氏、そしてHatenaこのような言葉に耳を傾ける必要があるのではないかと思います。

真実を明らかにする


この記事の目的はあくまで真実を明らかにし、人々や社会を解放し、未来への希望へと繋げていくことにあります。そのために人間は自身の闇と向き合う必要があるのです。これをきっかけに一人一人が自分自身との対話が始め、それが他者との対話へと繋がり、豊かな世界が実現することを願っています。


木の花ファミリーのみんな@マヤの式典(2016年7月26日)


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