天然循環法がもたらす本質的平等

中国で、前最高指導部、周永康氏の共産党党籍が剥奪され、逮捕などの刑事手続きが進められています(NHKニュース参照)。周氏は、汚職が原因で初めて党籍を剥奪された最高指導部経験者となります。政権に蔓延している汚職が、共産党の政権党の地位を脅かすと考えた処置のようです。中国の行き詰まりを現わしています。

中国における経済成長の渦と循環型経済の渦にも書いた通り、そんな中国でグリーンビルディングの実践をする25名の人々が木の花ファミリーを訪れました。この出会いはとても貴重で今日の大人ミーティングでいさどんは以下のように語りました。(僕の記憶で書くので正確でない部分もあるかもしれませんが・・・)

中国人にしたプレゼン資料から
人間でも中途半端に苦しんでいる人はなかなか改善しないが、苦しみが行き着くところまで行った時、ぱっと改善していく。中国は行き着くところまで行っている。これから中国は大きく変わっていく。このタイミングで中国から木の花ファミリーに25名の人々が訪れた。とても大きな時代の流れを感じる。時代の流れとは生そのもの。時の流れが生命を生み出している。誰も自分で生きている人はいない。生命は時の流れに生かされている。そして、その仕組みは「満つれば欠ける世の習い」。どんな存在も経済もこの仕組みの中にある。


中国は共産主義の国だった。そこに資本主義が中途半端に入り変なことになっている。その中国が正常な状態に立ち返る。立ち返る先は共産主義ではない。それは天然循環法による暮らし。木の花ファミリーは今、中国と出会っている。それはまだ小さな渦かもしれないが、これからどんな未来が訪れるかとても楽しみ。

いさどんの話を聴きながら僕は思いました。共産主義は形で平等を現わそうとしました。そこには無理があり、文化大革命などの悲劇が起きました。一方、天然循環法は本質的な平等をもたらします。その実践をすることで木の花ファミリーはこれからの社会のモデルとなるのでしょう。

それでは本質的な平等とは何か?
木の花ファミリー憲章「家族・本質的な平等」には以下のように書かれています。

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木の花ファミリーは全体としてひとつのいのちを構成し、すべてのメンバーはその一部として欠かせない役割を担っています。性別や職種といった社会的な役割や能力の違いを超え、誰もが互いに対等であり、完全に平等です。

大自然の中で、すべてのいのちは互いに生かしあって存在しています。いのちはそれぞれの個性に応じた欠かせない役割を持ち、互いに対等です。一方、自我を持ち、自他を比較する人間の心は、本来平等であるはずの人々の関係に格差や支配をもたらしてきました。
そこから生まれるさまざまな問題を解決しようと、人間社会は法にもとづいた形式的な平等を作りだしてきました。しかし、こうした方法は、本当に人々の個性を花開かせ、平和な社会をもたらすのに十分なものでしょうか。

私たちは、人間が真の平等に至るには、いのちの本質を見据え、その姿にならう必要があると考えています。自然の営みをある限られた視点から見ると、そこは互いの生存をかけた競争の世界にも見えます。しかし、より大きな視点で見れば、自然はいのちのバトンタッチで成り立っており、すべては循環していることが分かります。その視点に立ったとき、人はいのちが持つ本質的な平等を見出すことができるのです。

私たちは不平等を生み出す心を日々の暮らしの中で見つめあい、手放すように心がけています。皆で語り合い、自らの心の枠を広げることで、他によって生かされ、他を生かす存在としての自分に気付くことができます。そして、自らの役割に対する自覚とともに、他の存在への感謝の心が育っていくのです。

あなたはわたし。わたしはあなた。つながりの中で生かし合うこの世界で、すべてのいのちはひとつであり、本質的に平等です。互いを尊重し、信頼しあう暮らしの中で、私たちの絆はいのちの本質に限りなく近づいてゆくのです。

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天然循環の暮らしにおいて、現象はそれぞれに相応しく与えられます。我欲に基づいて生きれば、それはそのまま自分に返り、滞りを生みます。我欲をなくせば、時の流れとシンクロし、物事がスムーズに進みます。現象はすべての人々に平等に与えられ、常に自分自身を教えてくれるメッセージとなります。どんな現象も有難くいいただくことで人は成長することが出来るのです。このような生活に中で自分を知り、みんなと一つになり時代と一つになっていくのが木の花ファミリーの暮らしです。

経済(富の流れ)もこのような暮らしの中で、循環しすべての人々を満たしていくでしょう。

中国が変わっていく。

どんな未来が訪れるかがとても楽しみです。






中国における経済発展の渦と循環型経済の渦

12月3日~5日、東京で「悪意の商標出願」を防ぐ対策などについて話し合う国際会議が開催されました(NHKニュースより)。「今治」(タオル・観光)、「TOHACHI」(牛乳・チーズ・菓子)など、日本の名産品の地名が海外(多くは中国)で勝手に商標登録がされていて、輸出する際、その名称が使えないというケースが発生しているようです。この会議はその状況を改善するために開かれました。

中国については、少し前、小笠原諸島でのサンゴ密漁が話題になりました。(The Huffing Post 記事参照)これについては中国政府からの退去指示や小笠原周辺の取り締まり強化により収束に向かっているようです。

両方の事例とも、中国市民の経済発展への欲の強さを現わしているように思えます。
※もちろん一部の中国人の行動であり、すべての中国人に当てはまる行動ではないことは言うまでもないことですが・・・

その他、二酸化炭素の排出量が世界一位(85.6億トン、26.9%:2011年データ)だったり、PM2.5(微小粒子状物質)による大気汚染が話題になったりと中国での開発による弊害は大きなものとなっています。

プレゼンテーションをしているいさどん
12月5日、6日と、そんな中国でグリーンビルディングに取り組んでいる人たち25名が木の花ファミリーを訪れました。5日の夕方から6日の午前中までと短い滞在でしたが、夕食ウェルカムコンサート大人ミーティング、プレゼンテーションを通して、木の花ファミリーの暮らしを体験し、とても感動し、強い関心を示して下さいました。カタカムナから観た経済システムで書いたように、今、世界では2種類の渦が次から次へと湧き出ています。一つは我欲に基づく経済発展の渦。もう一つが調和の精神に基づいた循環型経済の渦です。現在の中国は我欲に基づく経済発展の渦の際たるものです。その中で、木の花ファミリーの暮らしに共鳴する人が現れることは、もう一方の渦、調和の精神に基づいた循環型経済の渦を生み出します。それはこの世界にバランスをもたらす渦となっていくことでしょう。


このはなこちゃん
ところで最初に商標に関するニュースを紹介していますが、Konohanafamily やこのはなこちゃん(ロゴ)を僕たちは商標登録しています。知人の勧めにより昨年登録したのです。その際、社長、商標登録はお済みですか』(著者:平野泰弘さん)を購入したりインターネットで調べたりしながら登録手続きを進めました。平野さんの本は、いろいろな事例が紹介されていて、おもしろく、商標に関する基本的な視点も学ぶことが出来ました。そして、「これで大丈夫だろう」と判断し、自分で商標登録願を作成し提出しました。ですが、拒絶理由書を受け取る形になってしまいました。登録をしてもらうためには、意見書と手続き補正書を作成する必要がありました。ここで特許庁に紹介された一般社団法人 静岡県発明協会 知財総合支援窓口に相談し、そのアドバイスを受けました。そしてめでたく登録が完了したのです。担当の中村さんには大変助けていただきました。このような機関が存在していることは有難いことです。

商標に関するニュースでは大企業より中小企業の方が「悪意の商標出願」の被害が深刻と書かれています。そして、円安による輸入原材料の価格高も中小企業に打撃を与えているようです。日本でも今は我欲に基づく経済発展の渦が猛威を振るっている状態です。この渦は、「我先の心」が原動力なので、弱肉強食になりがちです。それは、経済格差の拡大、子どもの貧困の増加などにも現れています。これらの現象は一人一人の心が生み出しています。それを思うと人間存在の業の深さを痛感します。そして調和の心に基づき生きるこの暮らし、その基盤となる心磨きの大切さをあらためて思います。自分を離れることで、出来事を客観的に見て、他者を感じる。日々の一つ一つの出来事を通して、その実践をすることで調和の心が生まれ、循環型経済が育っていきます。より多くの人がこの循環型経済の渦に乗り移ることを願い、この道を歩み続けます。



出張木の花塾@千葉県~すべては響き~

2013年7月より木の花ファミリーでは定期的に木の花塾が開催されています。「わくわく宇宙ごはん」「宇宙おじさんの人生講座」などのシリーズがあり、日常を超えた宇宙視点の学びを提供しています。ファミリーの親しい友人の矢作敬悟くんは、木の花塾の学びを地元に広げることを考えました。そして、2014年4月、「出張!1day木の花塾」@船橋が開催され、とても良い学びの場となったようです。


11月30日開催の出張木の花塾参加者のみんなです。


敬悟くんはその学びを継続し深めることを考えました。そして3回シリーズの出張木の花塾~すべては響き~が企画され、10月には「食」をテーマに開催し、先日(11月30日)は「農」をテーマに開催されました。それが素晴らしい場であったことは参加者の方のBLOGからも伺えます。
木の花ファミリーBLOGにも当日の様子が掲載されているのでご覧ください。

僕はこのイベントには参加していないのですが、帰ってきてメンバーから話を聴いたのと、当日の音源を少しだけ聴きました。その中でいさどんから経済や環境のことも語られました。なぜ、経済や環境のことが語られるかというと、木の花ファミリーの農の実践、天然循環法は、世界観から生活全般を貫く総合的な取り組みだからです。話題は多岐に及びます。以下、経済や環境の部分を僕なりにまとめてみます。

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出張木の花塾にて語るいさどん
いさどんはこの国の経済はすでに破たんしていると語っています。、その根拠として財政制度等審議会2014年4月28日に出した試算がありますそこでは2060年の国・地方合わせた債務残高を8157兆円に膨らむと言われています(HNKニュースにて報道)。しかもこれは今、政府が掲げている2020年時点の財政健全化目標が達成された場合の数値です。(その資料はこちらです)今、消費税の10%への増税の延期が決まり、財政健全化目標の達成が難しいと言われているのは知ってのとおりです。そう考えると、破たんという言葉が決してオーバーではないことが分かるでしょう。

加えて、環境に関しての最近、厳しい報告が出されました。それは国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第5次評価報告書で、人類の営みが地球温暖化の支配的な原因であった可能性が高いと発表しています。現状を上回る温室効果ガスの排出削減が行われない場合、深刻で、広範かつ不可逆的な影響が発生するリスクが高くなります。

どちらのデータも今の価値観で生き続けることは不可能であることを伝えています。それなのに、多くの人々は幻の安定感の中、何事もないように暮らしているのです。このままでいくと一度、壊れそこから学ぶしかないのでしょう。壊れることで目覚める。それも一つの道かもしれません。ですが、その前に気づき行動する方がもっと尊く価値がある道です。その道、その方法を示しているのが、木の花の暮らしなのです。

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このような現状ですが、政治家はいまだに経済成長を前提に政策を訴えています。そして、温暖化対策にも消極的で、現在ペルー・リマで開催中の第20回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP20)において、地球温暖化対策に消極的な国に与える「化石賞」に日本が選ばれたというニュースも流れています。

どうにかしたい!!! と思う方。

是非、出張木の花塾に参加してみて下さい。きっと道が見つかります。第3回は12月23日(火・祝日)千葉県船橋市にて開催されます。今回のテーマは「性」です。「性」については7月に東京で開催された出張木の花塾でもテーマに取り上げられ、深い話がされましたが、今回はさらに深まるでしょう。

「性」とは男と女、つまりは陰と陽との結合で、それは宇宙を生み出す根本原理です。自分たちの誕生と宇宙の誕生は同じ原理に基づいています。そんな認識に目覚める時、世界観は大きく広がります。広い宇宙と共にある暮らし。そんな暮らしに向けた一歩を踏み出しましょう。

☆彡 ☆彡 以下、案内文の転記です。 ☆彡 ☆彡

“いのち”ってこういうことだったんだ!
ー 性はエロくない!?生命を豊かにする宇宙創造の営み ー
 
性について、オープンに語り合ったことがありますか。
 
親しい友人とならあるかもしれません。では、その性についての情報源はどこでしょうか。インターネット?週刊誌?アダルトビデオに風俗・・・そこに描かれているのが、性の本当の姿でしょうか。
 
性は、人々の関心を引いてやまないものです。日本の性風俗産業の市場規模は、出版業界よりも冠婚葬祭よりもゲーム市場よりも大きい5兆円強(これは公になっているものだけの数字で、実際はもっとずっと大きいと思われます)。それだけ強い関心がありながら、なぜか出版物や冠婚葬祭やゲームのように堂々と扱われることはなく、人々はコソコソと、しかし熱心にそこへエネルギーを注いでいます。そして市場もまた、より人々の興味を引きつけるように、欲望を煽るように性の姿を描いていきます。人々が素知らぬ顔をしているその奥で、歪んだ性が蔓延しているのです。
 
性なしに、人はこの世に生を授かることはありません。
では私たちは、そのように堂々と語ることの出来ない行為から生まれてくるような存在なのでしょうか。
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「地球上の男女の性の営みは、宇宙の星々が誕生する仕組みと同じ」と考えたことはありますか。
そこにあるのは欲望を掻き立てるようなエロさではなく、ただ生命をまっすぐに、豊かにしていく世界。もしも今あなたが得ている性の情報源が週刊誌やアダルトビデオだけの世界だとしたら、それは突飛な話に聞こえるかもしれません。尊いと語られることが、逆に忌まわしく思えることもあるかもしれません。けれども、まだ見ぬ世界がその先にあり、それを見てみたい、という想いがあれば、きっと感じられるはずです。なぜなら、私たちの魂は皆、自分たちがどこからやって来たのかを知っているからです。
 
本当の性の話をしましょう。
自分自身を縛り付けてきた固定概念を解き放って、魂の声を聴きましょう。
そして人生を豊かにし、その豊かさをこの地球上におもいっきり表現してみませんか。
 
皆さまのご参加を、お待ちしております!
 
【日時】
2014年12月23日(火/祝) 10:00開始/17:00終了
【会場】
船橋市勤労市民センター 2階和室
funabashi
〒273-0005 千葉県船橋市本町4丁目19-6
・JR総武線「船橋」駅南口より徒歩5分
140505-074254-001・京成本線「京成船橋」駅東口より徒歩4分
【内容】
・固定概念をブチ壊す宇宙視点プレゼンテーション
・その世界観を表す木の花楽団の演奏
・木の花ファミリーメンバーと参加者の座談会
・宇宙一美味しい天然菜食弁当とおやつ
【定員】
40名
*お食事をご用意する関係上、12月21日(日)までにお申し込みください。
*定員に達し次第締め切りとなりますので、お申し込みはお早めにどうぞ!
【参加費】
2,500円
【参加の心がまえ】
■ まずは頭の中をからっぽにしてご参加ください。固定概念の枠にとらわれないフリーな心で参加
 したとき、これまでの自分を大きく超える新しい世界に出会えることをお約束いたします。
■ 木の花塾では、そこから生まれる智恵や経験を広く世の中に共有することを大切にしています。
 受講のようすを、写真を含めインターネットなどで発信していきますのでご了承ください。
【お申し込み・お問合せ】
お名前(フルネーム)とお電話番号を明記の上、メールもしくはお電話にて、主催者のけいごくん、または木の花ファミリーへお申し込みください。
・矢作(やはぎ)敬悟
kekkuny★hotmail.com
・木の花ファミリー(担当:ともこ)
0544-66-0250
event★konohana-family.org
(★は@に置き換えてください)

お金とは何か ~カタカムナの単音思念から~

ティク・ナット・ハンの病と木の花ファミリーの暮らしとお金でも書きましたが、お金をカタカムナの単音思念で見ると以下のようになります。

「金(かね)」

「か」はこの世界に遍満する微細な見えないエネルギー、そして「ね」は「根(ね)」、根源のもの、無限に広がる思念です。つまり「金(かね)」とは、この世界に時空を超えて無限に遍満している微細なエネルギーのことを現わしています。

ちなみにこの思念とは、宇宙の発生、発展、消滅に伴う「響き」のことであり、それは耳には聴こえてこないけれども宇宙空間に満ち満ちて鳴り響いています。その「響き」を人間の可能な発生に合わせて、48音の記号に定めたもので、言葉の定義とは違い、幅広い意味を包含しているのです。それは厳密に定義するのではなく、直観からのイメージを膨らませることで、そこに近づくことが出来る性質のものです。お金に関しても、その単音からイメージを膨らませることで、それがこの世界にどのように発生し、発展しているのかが掴めるのだと思います。漢字はその助けになっています。上記の「金(かね)」に関する記載はそんな方法による考察です。

この世界に時空を超えて無限に遍満している微細なエネルギー

それがお金です。

今村仁司さんが書いた『貨幣とは何だろうか』という本があります。この中で今村さんは、人間特有なものとして、墳墓と貨幣を挙げ、それらが死の観念に結びついていると語っています。この視点はとても面白いと思いました。

すべての生命は死を迎えますが、自らの死を意識して生きているのは人間だけだと思われます。そこに人間の独自性があります。「死」と向き合う方法が求められます。

木の花憲章世界観概要にも書かれていますが、この宇宙には「想い」のみが存在している地点がありました。その「想い」が圧縮して爆発し、相反するものが生まれました。相反するものは離れては惹かれあい、宇宙の振動(響き)を生み出しています。

生きることは死に近づくこと。

生命のその姿はまさに生と死という相反するものが離れては近づく(惹かれあう)姿でしょう。

離れたものが再び近づく。

そこには媒介となるものが存在します。それが墳墓であり貨幣であると考えられるのです。

それぞれ別々の存在としてこの世界に誕生した生物。個性を磨き際立たせることは、全体から離れることでもあります。ですが、無限に遍満している微細なエネルギーである「金(かね)」が、離れていく個を繋ぎ合わせるのです。

お金とは媒介物であり、それは関係性のあり方を現わしています。

とまあ抽象的なことを書いてきましたが、わけが分からないかもしれません。
そこでもう少し違う書き方をしてみます。

生と死、善と悪、光と闇など相反するものが存在するこの世界では、それらを再び近づける媒介物が必要となります。その一つがお金ということです。お金は人々を繋げるのです。ということはお金がどんな姿をしているかで、その世界の人々の関係性が分かるのです。

お金はニュートラルなもので、人々の心がお金を通した関係性を生み出します。
ということは、お金のあり方は自分自身の心を振り返る材料になります。

今、アベノミクスの是非が問われていますが、国民一人一人がアベノミクスという政策を通して、社会全体の心を振り返る機会となればよいのだと思っています。アベノミクスは簡単に書けば、通貨の流通量を増やすことで景気を活性化させようとする取り組みですが、そこに自然への配慮は果たしてあるのか?人々にとって何が幸せかについての検証があったのか?そういうことを真剣に考える機会とすることが大切だと思います。

木の花ファミリーの暮らしはそんな視点を持って営まれています。


2014年決算月を迎えました。決算報告書は、社会と僕たちの関係(交流)を現わす数字であり、そこにはたくさんの物語があります。野菜の売上からは畑作業をしているみんなの姿が浮かびます。そして、落花生の売上からは龍姿郎の姿が、お米の売上からは田んぼ隊のみんなの姿が、生はちみつの売上からはいさどんやちなっぴーの姿が、食事の売上からはキッチンスタッフ恵みいただきますに来て下さるお客様に姿が・・・。挙げたらきりがありませんが、こんなふうに一つ一つの数字に物語があり、それは僕たちの心を現わしています。

木の花ファミリーに関わるみんな、そして世界を意識して、決算に臨みたいと思います。


「恵みいただきます」にてみんなで撮った写真です。食事の売上の背後のある姿の一つです。

恵みいただきます/経済的効率よりも大切なもの

11月29日は月に一度の自然食レストラン「恵みいただきます」の日でした。当日は雨だったのにも関わらず、218膳のお食事を提供することが出来ました。皆さんに大変満足していただけて、中にはお蕎麦を食べて涙して下さったお客さんもいました。こんなふうに感動がお客さまに伝わっていく時間と空間を毎月提供出来ることは本当に嬉しいことです。


当日提供したお料理です。65歳以上の方(152名参加)には500円で提供しています。


多くのお客様に喜んでいただいた「恵みいただきます」ですが、今回もたくさんの準備を重ねて当日を迎えました。ここではそんな話を少し書いておきたいと思います。

試作の段階で、お蕎麦がいまいちぱっとしないということがありました。その時、収穫隊のあきちゃんから外のお蕎麦屋さんに食べにいこうという提案がありました。そして、キッチンスタッフを中心に10名で食べに行きました。木の花ファミリーの生活は自給自足を基本としているため、外食をすることはほとんどなく、特別な体験です。それもこれだけの大人数で行くとなると、経費が掛かり人のエネルギーも大きなものとなります。「何かを得て来なければ・・・・」という思いが一人一人にありましたが、技術的なものに焦点を当てていた人たちはそれほど大きな収穫を得ることは出来ませんでした。ところが、ひとみちゃんはもっと違った視点からこのお蕎麦屋さんを体験していました。お蕎麦屋さんの雰囲気、そして食べに来ている人たちの様子を観察していたひとみちゃんは、「恵みいただきます」に来て下さるお客様との違いに気が付きます。

「恵みいただきます」に来たお客様はまず会場に入ることで顔を輝かせる。ぱっと明るくなる。そして、料理を見て顔を輝かせ、食事をして顔を輝かせ・・・、次から次へとやってくる感動で、帰る時にはまったく別人のような顔になっている。お客さまの人生を変えている!こんなことが出来る場所は他に思い当たらない。それこそが「恵みいただきます」の価値で、それは料理だけではなく、その受け皿となる会場、そして人、その空間と時間を創っているすべての要素がお客様を感動させている。こんなすごいことを自分たちはやっているんだ。

ひとみちゃんはこんなふうに語りました。語っているひとみちゃんの顔はとても輝いていて、その感動が伝わってきて、聴いていて涙が出て来ました。メンバーが外食にいくことで、「恵みいただきます」の価値をみんなで再確認することが出来たのです。当日へ向けた準備にもより心が入りました。

不可能を可能にする暮らしで書いたように、「恵みいただきます」は人件費を考えたら全く成り立たない取り組みです。自給自足と協同労働の仕組みがあって初めて成立します。経済的にはまったく効率的ではありません。ですが、それ以上に大切なことを「恵みいただきます」はしているのだと思います。
※持続可能な取り組みにする必要があるので、経済効率も当然大切な要素なのですが・・・・

「恵みいただきます」は料理と共に心を届けているのです。お金とは何か~「自分のお金」と「みんなのお金」でも書いたように、交易はモノの必要よりも人々の繋がりを生み出すためにあります。交易の手段となるお金(貝殻)も同様で、そこには「マナ」(神秘的な力)が帯びていて、かつてはそれが人から人へと伝わっていました。取引をする人と人は神秘的な力により繋がっていったのです。ですが、現代のお金からは「マナ」は取り払われています。お金はただの数字となり、人々の間を行きかうのみです。そして人と人との関係は希薄となり、孤独な人々が溢れています。

そんな中、「恵みいただきます」は心を届けることにより、人と人との繋がりを生み出します。感動が伝播し、同じ体験をした人たちで共有されます。大きな喜びで包み込まれるのです。こんな場所が増えていったら世界はとても幸せな場所になるでしょう。そんな場所を提供出来ていることは自分たちの誇りであり、みんなにありがとうが言いたいです。

本当にどうもありがとう!!!

さて、以下、当日の様子を写真で紹介しますね。

盛り付け準備中です。

会場の様子です。

普段大町ビレッジにいるみんなも応援に駆け付けてくれました。(写真はあいちゃん
子どもたちも手伝ってくれています。
外の売店も賑わいました。お菓子生はちみつはネットショップでも購入できます。
かまどで蕎麦を茹でています。前日蕎麦打ちをしたこまねち(写真左)とみかちゃん(写真右)です。
やじおさん(写真右)も前日丸1日蕎麦を打ってくれました。
駐車場係のじゅんちゃん、ゆうくん、くにさん。看板の字はまっちゃん作です。
商品化に向けてお客様に味噌と醤油の試食をして貰いました。
みんなで最後に集合写真です。

この日の恵みいただきますについては、ひろっちもBLOGに書いています。恵みいただきます当日までの流れ、そこに掛ける僕たちの思いが率直に書かれています。そちらも合わせて読んでみて下さいね。


ティク・ナット・ハンの病と木の花ファミリーの暮らしとお金

ティク・ナット・ハンはベトナム出身の禅僧です。「行動する仏教(Engaged Buddhism)」の命名者で、ベトナム反戦運動を非暴力で貫きました。南軍北軍分け隔てなく両方の兵士を助けることで、両軍から誤解され、命を狙われるというシビアな状況に陥り、ティク・ナット・ハンは亡命を余儀なくされますが、仲間は非暴力を貫き両軍を助け続けたようです。1967年にはキング牧師の推薦でノーベル平和賞候補にもなっています。
現在は南フランスにあるプラムビレッジで暮らしています。そして、気づきの瞑想を実践し世の中に広げています。呼吸と共にあること、呼吸に意識を向けることを大切にしています。

ティク・ナット・ハンは次の時代の仏陀について以下のように述べています。

次の仏陀は人間の姿で現れることはないだろう。次の仏陀はコミュニティの姿で現れるかもしれない。それは他者を理解しようと努め、互いに慈しむ優しさを持ち、大事なことを常に意識しながら、人々が暮らすコミュニティである。これこそ地球の命をつなぐために私たちにできる、最も大事なことではないだろうか

ティク・ナット・ハンは今、プラムビレッジというコミュニティで暮らしています。それは次の時代の仏陀を現わすための実践なのでしょう。そして、それは木の花ファミリーも同様です。上記の言葉は木の花ファミリーが目指し実践していることを現わしています。そのため僕たちはティク・ナット・ハンの存在にずっと親しみを感じていました。

そのティク・ナット・ハンは現在、脳内出血のため入院中で厳しい状態にあるようです。プラムビレッジの僧侶は、マインドフルネス(気づき)の実践(一人一人が目覚めること)により、ティク・ナット・ハンにエネルギーを送って欲しいと求めています。そして、私たちはみんな、一つの大きな身体の細胞なのだから、この瞬間、一人一人が安定し、平和な心で過ごすことが、ティク・ナット・ハンへの一番の支えになると続けています。

一人一人が目覚めることが、お互いを支え合うことになり、遠く離れた人たちにもそのエネルギーは届いていく。心が通じ合っていれば、離れていてもお互いの思いや行動がシンクロしていく。この世界はそのように出来ているのです。

木の花ファミリーでは今、いさどんやようこちゃん、みちよちゃん、まゆちゃんがインドに出張しています。いさどんという精神的支柱がいない中、自分たちでどこまで場を創っていけるのか?また物理的な距離を超えてどこまで心をシンクロさせることが出来るのか?つまり、一つの大きな身体を現わすための実践の機会となりました。

ですが、それは僕たちがまだまだ心の解放や洞察が足りていないという現状を再確認する機会となりました。みんなの思いが響きあわず、なかなか良い場が創れない日が続きました。どうすればよいか?そんなことを模索する日々でした。そんな中、11月26日の大人ミーティングは繋がりを実感出来る時間となりました。



11月26日大人ミーティング後の写真
この日は、ケア滞在者の心のシェアや「僕といさどんと木の花ファミリー」を共有することで、メンバーの中で感動が響きとなって人から人へと伝わっていく時間となりました。そして「繋がること」の大切さを確認し合う時間となりました。そこに別室で書道をしていたまっちゃんが戻ってきました。まっちゃんはなかなか納得がいく作品が書けずにいましたが、とうとう書けたと言うのです。そして、「繋がり」の大切さに気づいたとシェアしました。一文字一文字は上手に書けていたのに、全体としてみたらしっくり来ない。そんな作品を何度が書く中で、字と字との繋がりの大切さに気づいたというのです。そして、それを意識して字を書いた時、心の底から納得がいく作品が出来たのです。まっちゃんの感動がその作品に入り、その作品がみんなを感動させていきました。こんなふうにしてみんなの心が一つになった時、今度はインドにいるようこちゃんからメールが届きました。それは「28日に木の花に帰った時、みんなと心を一つにして迎えたい」とい内容でその場で起きていることとまさに一致していました。「すご~い!」とみんなで感動を共有することが出来ました。

大切なのは、感動する出来事から、それを生んだ要素を学び、持続していくことです。その点はまだ不十分で27日は課題を再確認する時間となりました。

そして、今日、インドからみんなが帰ってきます。大きく成長し大きなうねりを持ってくることは間違いありません。そのうねりに乗れるように。これからが本番で、とっても楽しみです。

この僕たちのエネルギーはティク・ナット・ハンにも届いていくことでしょう。


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こんなふうに心は物理的距離を超えて人と人とを繋いでいき、みんなで一つの身体を表現することを可能とします。それは「木の花ファミリーで金庫番になって・・・・」で描いている世界です。この中で僕はお金を血液と表現していますが、お金は心と同じ機能を持っています。お金は時空を超えて存在し、知らない人同士の交渉を成立させることが出来ます。

「金(かね)」

カタカムナで見ると、「か」はこの世界に遍満する微細な見えないエネルギーです。そして「ね」は「根(ね)」、根源のもの、無限に広がる思念です。つまり「金(かね)」とは、この世界に時空を超えて無限に遍満している微細なエネルギーのことを現わしています。

お金とは何か?

この問いについては、お金とは何か?~「自分のお金」と「みんなのお金」~で書いていますが、
またあらためて別の角度からも書いてみたいと思っています。


僕といさどんと木の花ファミリー

今回は、「すべては自分を映す鏡」でも紹介している「いさどん」こと古田偉佐美のことを書きたいと思います。

木の花ファミリーはいさどんの天啓に導かれて出来たコミュニティであり、
いさどんはとても大きな精神的支柱です。
みんながいさどんを頼り、いさどんから沢山のことを学んで来ました。
そんないさどんに対して、僕は反発をしたことがあります。
それは、2010年12月、僕が木の花ファミリーに来て2年目の冬のことです。

インド旅行中のいさどんです。


木の花ファミリーのメイン施設である「おひさまハウスひまわり」には大きなホールがあります。
僕たちはそこで食事をしたり、お客様を迎えるコンサートをしたり、
子どもミーティング大人ミーティングをしたり・・・と様々なことに活用しています。
そのホールにはプロジェクターとスクリーンがあります。
プロジェクターは高い位置に据え置きにしてあって、
リモコン操作をするようになっていました。
当時、僕はリモコンでプロジェクターのスイッチを入れるのが苦手でした。
電源ボタンを何度押してもスイッチが付かない。そんな経験をしていました。

その日の夕食はパンでした。
パンの時は、オーブントースターを4台ぐらい使うため、
テレビ&プロジェクターを付けるとブレーカーが落ちるということが度々ありました。
配線(電源を取る場所)の工夫が必要なのです。
その日はブレーカーが落ちてしまうような配線でした。
僕はブレーカーが落ちる度に「いやだな~」と思いながら、
ブレーカーを戻し、プロジェクターの電源を入れ直していました。
そして何か重要なニュースが放送されている時、ブレーカーが落ちてしまいました。
急いで対応する必要がある時、僕は苦手心があったため動きが遅くなりました。
そして、何度スイッチを押してもプロジェクターが付かないという現象が生じました。
そんな僕に対して、いさどんは怒りました。
僕は怒っているいさどんに対し、懸命に説明をしましたが、
いさどんは僕の言葉は聞きませんでした。
僕は怒られたことを理不尽に感じました。

僕はテレビを観ていなかった。テレビを観ていたのはいさどん。
プロジェクターをつけようとしたのはあくまで良心。
いやだな~と想いながらも他に動く人がいなかったから動いた。
それなのに怒られる。なんなんだよ。

心の中ではそんなふうに思っていました。でもそのままにしました。

いさどんに怒られたのにそのままにしている僕。

そんな僕に対して疑問を感じるメンバーが僕に話しかけてきます。
「いさどんが怒るからには何か意味がある」と伝えてきます。
僕はさらに理不尽に感じていきます。

ですが、いさどんはプロジェクターのスイッチをつけるコツを知っていたのです。
いさどんは始めそれを僕に説明しようとしました。
ですが、僕の頭は「出来ない」という苦手意識でいっぱいで、
その言葉が入る状態ではありませんでした。
そんな僕の意識状態に対していさどんは怒ったのです。

もし僕が自分の正当性を主張したら、
(世間の)多くの人は僕の言葉に耳を傾けたのではないかと思います。
なぜなら表面で起きている出来事だけを見ていたら、僕は被害者にも見えるので。
そして、僕はみんなに正しいと認めて貰います。
でも、その先に何があるのでしょうか?
優越感に伴う自己主張の心が育ち、
それは新たなる対立を生み出すのではないでしょうか?

虐げられた状態から逆転し見返す。

僕の無意識はこんな物語を好んでいました。
そのため僕は虐げられる状況を自ら創り上げてきました。
自分で自分を苦しめることになります。
僕の正当性が認められた時、僕は喜びます。
ですが、それはその不調和な心を強化していくのです。

これは僕だけの問題ではありません。
この僕の不調和な心が世界で起きているテロリズムに波動として繋がっていきます。
そして、悲しみの連鎖が続いていくのです。

いさどんはそんな僕の心にメスをいれてくれたのです。

表面的に見たら僕の方が正しいように見える。
そんな状況だったかと思います。
そして、僕は反発をしていました。
それでもそんな僕に対して大事を伝えてくれたのです。
その心労はとても大きかったかと思います。
それに気づいた時、受けた恩の大きさを感じました。

いさどんは人に対してとても厳しく対応することがあります。
それは具体的な出来事に対してではなく、
奥の心の対して厳しくしているのです。
そのためいさどんは時に誤解され、非難されます。
その非難は一見筋が通っているように見えることもあります。
なぜなら出来事だけを見ると、その人たちに正当性があることもあるので。

ですが、非難する人々はいさどんを非難することを通して何を得るのでしょうか?
自分の意見が認められたことに対する満足や優越感を得るのかもしれません。
でもそれはその人々や世界を幸せにするのでしょうか?
きっとそんなことはないでしょう。
幸せや調和よりも自分のこだわりを選び苦しんでいく。
そんな姿が目に浮かびます。
そしてそこに人が持つ理不尽さを感じます。
人間の持つこういう一つ一つの理不尽さが世界の戦争や環境破壊に繋がっている。
僕はそう思っています。
なので、心磨きが大切になり、木の花ファミリーでその実践をしているのです。

上記の出来事の1か月後。
僕はいさどんに面談をしてもらう機会を持ちました。
その時、僕は自分の人生を振り返り整理する時間を持ちました。
この面談の時、いさどんが僕に掛けてくれた言葉があります。

あなたがこのまま40歳まで木の花で暮らしたら、きっと立派な哲学を語れるようになる。

僕は来年の3月に40歳になります。あともう少しです。
このBLOGを立ち上げた時、
僕はいさどんの言葉を実現するためにこれがあるのだと思いました。
このBLOGは経済がメインテーマとなっていますが、
その背後に流れる世界観を抜きに経済は語れません。
なので、このBLOGは世界観(哲学)がテーマでもあるのです。

いさどんの言葉を実現すること。
それがいさどんに対する一番の恩返しになります。
だから、僕は思考し続け、世界を感じ続け、書き続けます。

いさどんについては、木の花ファミリーメンバーのひとみちゃんみかちゃんも書いています。
是非、読んでみて下さいね。
いさどんの深い視点に導かれ、僕たちファミリーメンバーは視点を深め広げているのです。

そんないさどんの話を聴きたいと思ったあなた!!!
是非、11月30日に千葉県千葉市に来て下さい(^ー^)
出張木の花塾@千葉「すべては響き~宇宙視点の農」が開催されます。
天然循環法による「農」がテーマですが、その精神は生活全般に広がっていきます。
是非、その生活が持つ豊かさと可能性を感じてみて下さい。
それは確実に世界を変えていきます。

当日は天然菜食弁当と手づくりおやつも出ます。
愛のこもった天然菜食弁当の持つエネルギーを是非感じてみて下さいね。o@(^-^)@o。ニコッ♪


10月に開催された「出張木の花」のお弁当です。

10月に開催された「出張木の花塾」のおやつです。







すべては自分を映す鏡

天然循環経済学への系譜/二宮尊徳と大原幽学 を読んだ森野さんからメールをいただきました。以下、そのメールを紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡

学生時代、ひょんなことで農業経済の教室に出入りすることになったのがきっかけで、農業やその歴史に関心を持ち来ることなっちゃいましたが、専門的な研究をするというよりか、もう少しじぶんに内在する不分明な気持ちに近いところで暇をみながら楽しみ半分で読書したりしてきただけで、あまり語ることもしませんでした。

ましてや、金融再編でいまはなき相互銀行業界で活躍された大内健二さんは、『虜囚』という著作のなかで、

どうも日本人は同じ日本人の言ったことには目をくれない癖がある輸入ものは粗悪品でも上等品だという外国崇拝の考え方が残っている」

と、書かれていますが、それはいつの時代でもそうらしいので、農学や農業の歴史に登場する人物の思想や実践は趣味の範囲にとどめおこうと考えてきたわけです。

それに、ぼくの生まれたのは、かつて那須烏山藩の相模の国の飛び地で、那須烏山で尊徳仕法を手がけて領民を救済した円応和尚らがそこでも仕法を実施しようとし病に倒れることになる(円応を失った尊徳の悲しみはたいそうなものであったそうですが)場所で、阿夫利嶺を望むところでした。尊徳の生地、栢山(かやま)のある足柄平野とは箱根、足柄、丹沢の三方に山をみる地ですが、違う方向から同じ山嶺を望む場所でしたので、どことなく親しみがあり、皮膚感覚的なレベルでの関心でもありました。

最近、少しそういう方面のこともツイしゃべっちゃうようになり、歳のせいかな(笑)。

かつての思想や実践に尋ねる場合、人々は、それを鏡にして自分を写しているんですね。尊徳なら尊徳という鏡にじぶんを写している。

尊徳の一元相対の思想は、戦前なら日本主義的な方向から一生懸命読まれた。敗戦後は民主報徳です。時代時代で、その鏡に写す人は変わり、映る姿も変わるようです。

近世の経済論で有名な、平田篤胤の学統に属する佐藤信淵など、かつては、例えば、羽仁五郎がそこに独自の社会主義があるとして喜んだり、大川周明が、近代を乗り越えた戦時統制経済の預言者と読んでみたり、帝国主義の先駆者だとか、古臭い封建主義だとかいう人がいたり、評価がさまざまというよりは、そこにじぶんを写す人の数だけ佐藤信淵がいたということにすぎないのでしょう。

東アジアの風土で育まれた農法・農業という鏡に外国の方々が自らを写してみて、その姿に「パーマカルチャー」なんて言ってきたのは微笑ましいですね。

じぶんを写して見る鏡はたくさんあったほうがいい。なにしろじぶんというものが最大の謎で課題であるかもしれないですから。たやすくなにかに心酔しがちな精神を昨今、よくみかける気もしますし。

☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡

森野さんからメールからいただくと、そこには自分にあまり馴染みのない言葉があり、思索を巡らすきっかけとなります。


相互銀行という言葉から、無尽会社、そして無尽へと日本の金融の歴史へと思索は巡ります。
無尽とは日本の金融の一形態で、人々や法人が無尽講(むじんこう)もしくは頼母子講(たのもしこう)と呼ばれる相互扶助組織に加入します。そして、加入した人々は、組織に一定額の払い込みをし、その組織の規定に基づいた給付を受けます。日本では鎌倉時代からあるという無尽ですが、明治以後、営業を目的として無尽業者が発生し規模の拡大に伴い、1915年の無尽業法の制定、1951年の相互銀行法の制定と進んでいきました。その後、相互銀行は、相互掛金という独自の金融商品を扱いましたが、1968年の金融機関の合併及び転換に関する法律を受けて、ほとんどの相互銀行は、普通銀行となり、1992年には相互銀行法は廃止されています。
相互銀行はなくなりましたが、沖縄の模合(もあい)など機能している無尽もあり、金融機関から融資を受けられない社会的弱者に対する扶助としても機能しているようです。

無尽には、個人のお金をみんなのお金へ変換する機能があり、人々を繋がる機能があるように思えます。ですが、沖縄以外の多くの地域では衰退してしまっているようです。そこには人々の仲間意識や共有意識などが関係しているのではないかと思います。人の心がシステムを生み出し、心が変わればシステムも変わるものです。相互扶助のシステムが衰退するのは、人々の中でその意識が弱まっていたからだと思われます。日本全体で一人一人がそんな自分たちの心について振り返ることが大切で、木の花ファミリーの暮らしはそんな実践の一つです。

二宮尊徳は宇宙の万物は混沌とした一つの根元に起源し、相対する各々の事象は、独立の存在ではなく、相関連して一つの円相をなすと考えました。相対的に見えるこの世界も、元を辿れば一つとなります。この考えは、木の花ファミリーの世界観、そして昨年出会い学びを深めているカタカムナの世界観とも共通するものです。この世界観に基づき、数多くの農村の復興を果たしたことに素晴らしさを感じますが、大切なのはやはり精神性のようです。
高平市民館福島県南相馬市)のバーチャル報徳講座に「なぜ報徳仕法が続かないのか」という文章が掲載されています。至誠・勤労・分度・推譲。天の意志に従って日常生活を送り、無駄をなくし、余剰分は人に分け与えていく。尊徳が勧める道徳的態度を第一の目標にすることが大切で、それが出来ていないと、経済が豊かになると共に報徳仕法は廃れていくようです。信仰心がとても重要となります。上記の文章では、信仰に基づいて生きている例としてアーミッシュが挙げられていて、とても心に残りました。
どんな暮らしも世界観から切り離れてしまうと、抜け殻のようになってしまうのだと思います。木の花ファミリーの暮らしも、暮らしを維持することが目的なのではなく、世界観を暮らしの中で表現することを目的としています。そして、一人一人が自分を見つめ、心を磨いていくのです。

いろいろ書いて来ましたが、ここで書いていることは、森野さんのいうように僕を映す鏡なのだと思います。起きること、出会うこと、そのすべては自分を映す鏡と言えるでしょう。

鏡については、木の花ファミリーの創立メンバーの一人、古田偉佐美(通称:いさどん)は以下のような話しをみんなにしてくれています。


☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡

鏡は神社の奥に祀られているご神体です。すべての人はお互いを映し合う鏡です。ということは、すべての人がご神体ということです。「鏡(かがみ)」という字は真ん中に「我(が)」という字が入っていますが、この「我(が)」を取ると「神(かみ)」となります。相手に映る自分の姿を見て自分の「我(が)」を知ることが出来ます。「我(が)」を知ると、それを取り除くことも出来るようになります。心を磨き「我(が)」を取り除くと「神(かみ)」となり、そこには宇宙の秩序が映るようになります。内なる鏡に宇宙の秩序を映し合う時、すべては繋がり一つになっていくのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡

鏡(心鏡)は太陽を象徴していると言われています。
すべては一人一人を映し出す鏡です。語る言葉はその人自身を現わしています。そして、一人一人の人間は主観を持ちます。相対主義の立場からすると、このことから絶対的な真理はないという結論に至るかと思います。ですが、「鏡(かがみ)」は「我(が)」を取ると「神(かみ)」となります。「神(かみ)」となった「鏡(かがみ)」が映し出す世界は、現象世界の背後にある絶対的真理を映し出します。二宮尊徳もカタカムナも木の花ファミリーもそんな世界観を持っています。
大切なのは、今、この瞬間何を感じ、どんな判断を下していくかにあると思います。その際、歴史を振り返っておくと、現在を俯瞰してみることが出来るようになります。過去から未来に向けての大いなる流れ。それを感じることが出来るようになるのです。


10月に開催された木の花塾で語っているいさどん

カタカムナの潜象界と二宮尊徳の一元は同じことを言っていると思われます。
木の花ファミリーではその世界観を「農」に生かし天然循環法と名付けました。
そして、それを日常生活にも広げ、実践しています。
そんな話を聴きたい人は是非、11月30日に千葉市にお越しください。
出張木の花塾@千葉「すべては響き~宇宙視点の農」が開催されます。
今、インドに出張中の塾長いさどんがパワーアップして帰ってきます。




田んぼ隊チェーン除草にみるスモール・イズ・ビューティフル

木の花茶会と7月~9月期GDP速報値でも引用しているE・F・シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』。この本は石油危機を予言したと言われ、当時ベストセラーになったそうです。

この本の概要をまとめると以下のようになります。
※この本を読んだのは数年前なので、記憶が曖昧な部分もありますが・・・

1970年代、世界は、生産を増やすことで貧困の撲滅を目指していました(ケインズ主義)。ですが、それは有効に働いていませんでした。生産を増やすことでは貧困は解決しないことが明らかになっていました。そして、資源は有限性も問題になりつつありました。この現状で、生産の拡大を続けることは人間社会の破滅につながります。

文明の核心は、欲望を増長させることではなく、人間を純化させることにある。シューマッハーはこのように考えます。そして、経済も人間性を純化させる必要があると考え、仏教経済学を提唱します。仏教経済学は、自然の循環システムに基づくもので、「足るを知る」人々からなる経済です。

この経済を実現するために必要となるのが、中間技術(適正技術)になります。中間技術とは、伝統技術よりは生産性で優れており、資本集約型の大量生産技術のような環境破壊はもたらさない技術です。それは、それぞれの地域に文化・経済・社会に適したものであり、人々のニーズを満たし、環境にも負荷をかけない技術です。

具体的にはどんな技術か?

現代社会では、多くの技術は機械によってもたらされますが、機械化には2つの種類があります。一つは人間の技能と能力を高める機械化、そして、もう一つは、人間の仕事を機械という奴隷に引き渡し、人間をその奴隷に従事者にしてしまう機械化です。

中間技術(適正技術)は前者、人間の技能、能力を高める機械化です。そして、中間技術(適正技術)は、地域の特性を活かすものであるため、地域毎にエネルギーや食の地産地消を促します。そのため規模も大規模なものにはならず、環境への負荷も抑えることが出来るのです。
本の中では、具体例として、小規模水車が挙げられていました。


富士山の麓でチェーン除草しています。
自給自足の生活を基盤とする木の花ファミリーの生活は、この中間技術(適正技術)により成り立っていると言えます。そのうちの一つが、田んぼ隊が行っているチェーン除草です。

天然循環法により作物を育てる木の花ファミリーは、農薬や除草剤は使うことはありません。よって除草作業がとても大きな作業となります。その除草を効率的に行うための技術がチェーン除草です。内径50mm長さ3メートルの塩ビパイプに長さ30cmのチェーンを3cm間隔で付けていく。それを引き摺って田んぼの中を歩くのです。この除草は、雑草が小さいうちにすることが大切で、適期にチェーン除草をすることが出来ると、雑草の生育を抑えることが出来て、その後の作業がとても楽になると言います。環境にも大きな負荷を掛けずに人間の身体を鍛える。そして、作業の効率性が大きく増す。まさに適正技術と言えるのではないでしょうか?

愛とお米があればいい

これは木の花ファミリーが大切にしている言葉の一つです。
僕たちはお米をとても大切にしており、お米の生育を重要な節目としています。
5月には田楽田植え祭り、9月には収穫感謝祭を行い、自然の恵みへの感謝の心を育みます。

5月の田楽田植え祭りの様子

9月収穫感謝祭後田んぼ隊で撮影


木の花ファミリーのお米は、天然循環法により、自然界の奥の響きを感じ、作物そのものが持つ生命力で育ったお米です。購入して下さったお客さまから素敵な感想もいただいています。
豊かな生命力あふれるお米を是非多くの方に味わっていただきたいと思っています。
ネットショップで購入することが出来ますので、是非お試し下さい。

晃ちゃん@人参畑~出張木の花塾にも参加します~

そして、天然循環法について興味を持たれた方は、11月30日に千葉県千葉市で開催される出張木の花塾@千葉「すべては響き~宇宙視点の農」に是非ご参加下さい。
農という切り口を通して、命、そして宇宙の本質を共に感じる時間となることでしょう。





みんなで落花生収穫をしています。





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