宇宙の秘密みかこのブログ「ミノナライ」が大人ミーティングで読まれた時、
「いさどんが来る時に限って失敗する」
という発言がありました。その原因について僕は「評価を求めて硬くなってしまうからそういうことが起こるのかな?」といさどんに尋ねました。そんな僕に対していさどんは以下のように話してくれました。
☆彡 ☆彡 ☆彡
僕が行くことで緊張するとかそういうことではなくて、多くの人は自分のやっていることが見えていないのです。そこに僕が行くことによって、見えていなかったことが明らかになるのです。つまり、それまではOKにしていたことが、よく見ることによってOKではなくなるのです。こういう人は普段から失敗をしているのです。
多くの人は自らの欲望のままにそれに翻弄されて生きています。
これは意識が自分にばかり向いている状態です。
この状態では心からの気づきは生まれず、失敗も見えないのです。
☆彡 ☆彡 ☆彡
いつも様々な気づきを得ているいさどん。
いさどんは普段から宇宙を意識して生きています。
☆彡 ☆彡 ☆彡
好むと好まざるとに関わらず明日は必ず来ます。
好むと好まざるとに関わらず人は老いて死を迎えます。
これはものすごく大きな法則で、天体の動きがそのまま表現されています。
僕にはこの世界に星々の運行が見えます。初夏が来て緑が濃くなっているのも地球の自転と公転の動きの現れです。地球に時代が巡ってくるのも太陽系の中の冥王星と太陽との対話によって出来ています。そして、我々が還暦を迎えるのは、土星と木星との対話で成り立っています。我々は全部、星回りで生きているのです。(地球暦を参照して下さい)
こういうことを常日頃考え語っていたら、自らの欲望に心奪われることはなくなり、気づきが生まれ物事がスムーズに流れていくのです。
☆彡 ☆彡 ☆彡
つい最近、僕は自らの望みを増幅させていました。そしてその望みに捕らわれていました。意識を向ける方向を間違えその結果気力が落ちていました。そんな僕に対していさどんが言葉を掛けてくれました。
☆彡 ☆彡 ☆彡
常に意識を全体性に持っていく必要があります。あなたは今、個人的願望を抱えているわけだけれども、それをどう超えていくのか?それが重要です。個人的願望が全体性と共通していればいいのです。例えば、個人的願望が宇宙の法に基づいていたら、それは理に適っていきます。個人を高めるためというならば、それは全体性を持つことが個人を高めることであり、全体性と個人は本来、共通していることなのです。ですが、個人が抜きん出てしまうと、天が「それは違う」と滞りを与えてくれるのです。
心を磨いた結果出会うことがあります。願いが叶わない状態も自分を高める要素です。「はい!分かりました」と叶うようなことなら、その願いは本当に自分を高めません。
だから何より心を磨き続けることです。
そして、自分を高める努力をしていると、その努力したことでエネルギーが消費され、他のものはいらなくなります。いらなくなった状態をさらに超えた世界。共通の世界で極めていく世界がその次にあるのです。個人で高める努力から「みんなで」とか「一つになる」というところで極める世界があるのです。
それは前人未踏の世界。我々は前人未踏の世界を創らなければならないのです。
☆彡 ☆彡 ☆彡
僕はいさどんの言葉を理解しました。そんないさどんの言葉を「言ってもらった」と思って聴いていたら、なかなか活かすことは出来ません。僕はいさどんの言葉で真理を思い出したのです。数日前の大人ミーティングでいさどんは以下のように語っています。
☆彡 ☆彡 ☆彡
理解できるということは思い出したということです。
もし僕の話が理解出来ているならば、それは自分の中から湧いてきているのです。
「言われた」という意識でいたらそれは受け身の態度です。
その状態では、その後の実践になかなか繋がりません。
僕の言葉を自らの中から湧いてきたものとして実践していくことが大切なのです。
☆彡 ☆彡 ☆彡
いさどんの言葉は僕の中から湧いてきたものなのです。
そう、だから僕はもう自分の望みに捕らわれません。
そう、だから僕は常に全体性を意識していきます。
そう、だから僕は前人未踏の世界を目指します(^-^)
世界のお金がみんなのお金になるように。PART.5
ギリシャの金融危機が話題になっています。IMFやEUは金融支援の条件として緊縮財政をギリシャに求めていますが、先日、国民投票が行われ、民意は緊縮財政を拒否しました。
そんなEUやギリシャについていさどんは以下のように語りました。
☆彡 ☆彡 ☆彡
今、EUは中途半端な体制でやっているんだよな。どうせならEU政府を作って、そこで財務省を作ってやればいいのに。通貨は統一しているが、国ごとの経済力が違うから通貨の価値に歪みが生じてしまっているんだよ。
ギリシャの債務にしても、ギリシャ1国でどうするかを考えているから大変なことになっているけれども、EU全体で債務をならせば大してことはないはずだよ。ギリシャの経済規模はそんなに大きくないので。EUは、通貨を統一し経済圏を作りながら、結局、それぞれの国は、自国の国益は守るというようなことをしている状態だよね。そしてギリシャはプライドが高いから、EUからの提案を拒否している。このまま破たんが起きたらいろいろなしわ寄せが発生するんだろうね。だから、みんな、ギリシャに「お前のところはだらしない」と注文を付けている。
でももっと大きな視点でなんでこうなったかを振り返るチャンスに出来たらいいのに・・・と思う。
ギリシャの付けはギリシャの付け。
その発想なら、今までと同じだよね。
EUの中の付けはみんなの付け。
そういう発想になった時に、EUの本当の価値が出て、EUは世界が一つになっていくきっかけとなれるんだよな。
☆彡 ☆彡 ☆彡
公務員の数が多かったり、贅沢をしていたり、プライドが高かったりとギリシャには問題が多々あるのだと思います。
それを外部から批判し指導するのではなく、EUもそれぞれの国々が自分たちのこととして捉え関わった時、ギリシャに人々にも変化が生じるのではないか?
そんなふうに思います。
『世界のお金がみんなのお金になるように』にも書いていますが、木の花ファミリーでは、みんなのお金がみんなのために使われます。なので、誰がお金を持っていても同じで、必要なところに必要だけ使われます。
自分だけで生きようとすると、将来の備えが必要になって余分なお金を蓄える必要が生じるのでしょうが、みんなで生きていけば、自分でお金を蓄える必要はなくなります。誰がお金を持っていようが、みんなにとって必要なことに使われていくだけなので。
今はそんな世界に向けての過渡期にあって、ギリシャのこともそんな流れで起きているのでしょう。みんなで今を乗り越え、わくわくする世界を創っていきましょう!
そんなEUやギリシャについていさどんは以下のように語りました。
☆彡 ☆彡 ☆彡
今、EUは中途半端な体制でやっているんだよな。どうせならEU政府を作って、そこで財務省を作ってやればいいのに。通貨は統一しているが、国ごとの経済力が違うから通貨の価値に歪みが生じてしまっているんだよ。
ギリシャの債務にしても、ギリシャ1国でどうするかを考えているから大変なことになっているけれども、EU全体で債務をならせば大してことはないはずだよ。ギリシャの経済規模はそんなに大きくないので。EUは、通貨を統一し経済圏を作りながら、結局、それぞれの国は、自国の国益は守るというようなことをしている状態だよね。そしてギリシャはプライドが高いから、EUからの提案を拒否している。このまま破たんが起きたらいろいろなしわ寄せが発生するんだろうね。だから、みんな、ギリシャに「お前のところはだらしない」と注文を付けている。
でももっと大きな視点でなんでこうなったかを振り返るチャンスに出来たらいいのに・・・と思う。
ギリシャの付けはギリシャの付け。
その発想なら、今までと同じだよね。
EUの中の付けはみんなの付け。
そういう発想になった時に、EUの本当の価値が出て、EUは世界が一つになっていくきっかけとなれるんだよな。
☆彡 ☆彡 ☆彡
公務員の数が多かったり、贅沢をしていたり、プライドが高かったりとギリシャには問題が多々あるのだと思います。
それを外部から批判し指導するのではなく、EUもそれぞれの国々が自分たちのこととして捉え関わった時、ギリシャに人々にも変化が生じるのではないか?
そんなふうに思います。
『世界のお金がみんなのお金になるように』にも書いていますが、木の花ファミリーでは、みんなのお金がみんなのために使われます。なので、誰がお金を持っていても同じで、必要なところに必要だけ使われます。
自分だけで生きようとすると、将来の備えが必要になって余分なお金を蓄える必要が生じるのでしょうが、みんなで生きていけば、自分でお金を蓄える必要はなくなります。誰がお金を持っていようが、みんなにとって必要なことに使われていくだけなので。
今はそんな世界に向けての過渡期にあって、ギリシャのこともそんな流れで起きているのでしょう。みんなで今を乗り越え、わくわくする世界を創っていきましょう!
木の花ファミリーのみんな。 |
https://konohanafamilyeconomy.blogspot.com/2015/07/part5.html世界のお金がみんなのお金になるように。PART.5
苦しみは神が人間に与えた唯一の救い
苦しみは、神が人間に与えた唯一の救いである。苦しみと対面し、苦しみを乗り越えることが、その苦しみから解放される唯一の方法。今あなたが与えられている苦しみは、今までのあなたの生に対する答え。他の誰にも与えられていない、神からの救いです。
☆彡 ☆彡 ☆彡
上記の言葉は、いさどんが神様からいただいた言葉です。
人が苦しむのはどんな時か?
それは自我(エゴ)が浮上してきている時なのではないかと思います。
エゴが湧き上がる時、囚われや執着、所有の心が生まれ、滞り、苦しむことになるのだと思います。ということは、苦しみにより人は自らのエゴを知り、それと向き合うことで、自らを解放していけるのです。
自分を知り、自分を超えていく。
苦しみに向き合う時、そんな生き方が可能となります。
今日の大人ミーティングでは、袴田事件を扱った『BOX 袴田事件 命とは』という映画を観ました。
冤罪事件として、司法や警察、検察にあり方の問題点を浮き彫りにしたこの事件からみんなで様々なことを話し合いました。
そのなかでいさどんは以下のように語りました。
☆彡 ☆彡 ☆彡
この事件は今、再審が決定し、冤罪というように見なされていますが、それは本当なのでしょうか?司法や警察のあり方に問題があったのは事実ですが、それがそのまま無罪の証明にはならないはずです。「疑わしきは罰せず」という原則に基づいて、再審が決定したのではないでしょうか?
そして、取り調べの中、楽になるために自白をしたと言いますが、それはその後の裁判に続くわけで本当の意味で楽にはなりません。本当の意味で楽になるために、「自分はやっていない」と信じ切るということもあるのではないでしょうか?
そんなふうに考えると必ずしも冤罪とは言えなくなります。
そしてもし警察や検察が証拠のでっち上げなどをせず、証拠不十分な状態でも事実を積み上げた捜査や取り調べをしたならば、そのまま罪が確定した可能性もあるのではないでしょうか?
もちろん冤罪の可能性もあるのですが、真実は天のみが知るというところでしょう。
☆彡 ☆彡 ☆彡
人が人を裁くことはとても難しいことです。そしてそのことの意味も考えさせられます。
もし一人一人が自分で自分のことを裁くことが出来れば、もっと違う社会が生まれます。
木の花ファミリーの暮らしはそんな未来の社会へ向けての取り組みで、その際、問われるのは具体的な行為よりもむしろ心のあり方です。
過去から現在、未来へと続くプロセスの中で、自分自身の心を見つめ、体験を積み上げ、成長していく。その際、不調和を生み出す心は裁き手放していく。
ここでそんな実践を重ねることで世界に平和をもたらすことが出来る。そう確信しています。
そしてその際、重要なのは苦しみと向き合う覚悟なのだと思っています。
くるたのしい
これは「苦しい」と「楽しい」を合わせた造語で作家の遠藤周作さんが使った言葉です。
苦しみに向き合う時、それは楽しさに変化し、そして救いになります。
※遠藤周作さんが「くるたのしい」を使ったニュアンスはこれとは違いますが・・・
苦しみは神が人間に与えた唯一の救いである。
そのことを忘れずに日々を大切に生きていきます。
https://konohanafamilyeconomy.blogspot.com/2015/07/blog-post.html苦しみは神が人間に与えた唯一の救い
プロセスを楽しむ
いさどんのいただきます人生「死の向こうまで伴える価値を積み上げていく」でも紹介されていますが、大町に出張した時、僕はいさどんと裁判についての話をしました。以下、その部分を引用しますね。
☆彡 ☆彡 ☆彡
彼がまだメンバーだったとき、
交通事故を起こしたでしょ。
その裁判の際、
弁護士を相手にどういうふうに付き合っていくのか。
それから、
弁護士の精神状態だけではなく、
被害者の性質を読み解きながら、
どうやって裁判を進めていくのかという
アドバイスをしていたんだよ。
結論としては、
こちらにとって特別有利に話を進めようとは思っていなかったけれど、
向こうのわがままに乗ってはいけないからね。
そういった正義感も持ちながら、
弁護士がついたからといって向こうの思うままにならないという意味では、
弁護士の精神状態も読みながら話を進めていったんだよ。
最終的にどこに結論が行くのかについては
裁判所が決めることだけどね。
そして、
結果的に当初の話の5%をこちらが勝ち取ったのだけど、
そういったお金の話が一番大切なのではなく、
人と交渉するときの交渉術を大事な学びとして彼には教えてあげたんだよ。
でも、
そういった学びを生かすことなく、
彼はここを離れていった。
結局、
根本の大事を忘れず求めるこころがないとダメだね。
彼は母親に対して、
まったく自己主張ができないのだから。
もし、
学びを生かせていたとしたら、
ここを離れていったときの
あの傲慢な態度はないはずだよ。
結局、
彼からしたらあの裁判は、
単なる数字だけの話になっていたのだろう。
でも場合によってはね、
今ちょっとばかり良い思いをするよりも、
たとえば余分に払ったとしても
それが将来の価値に対する種まきになることもあるんだよ。
つまり、
そういった波動を未来にもたらしているのだからね。
大切なことは、
そこが読み解けるかどうかだよ。
正確に言うと、
読み解くのではなく、
本能みたいなものだよ。
そのときに、
あせってすぐに結論を出そうとすると、
冷静さに欠いているから、
情報を正しく精査できなくなる。
さらに
損得勘定から「損をしてはいけない!」という思惑が働きすぎると、
そういった直観は鈍ってしまうね。
だから、
何かプラスアルファか感じ取れる状態でいることが
大切なんだよ!
☆彡 ☆彡 ☆彡
この文章にはいさどんの生きる姿勢が現れていて、一つ一つの出来事に筋道を通しているのです。そして、それがこの道(未知)を歩み、世の為人の為に生きるいさどんの実践になっているのです。
例えば最近、いさどんは古い友人にお金を貸しました。その友人にはだらしがないところがあり、お金が返ってくる保障はありませんでした。それでもいさどんは敢えてお金を貸したのです。そして今、約束の期限を過ぎていますが、お金は返って来ていません。
お金を貸す時、いさどんはこう思ったそうです。
☆彡 ☆彡 ☆彡
もしお金が返ってくるならば、友人はけじめをつけられるのだから、それはそれでいい。でも、お金が返ってこない場合、その友人の姿勢は正す必要がある。お金を貸している自分の話には耳を傾けるだろうから、友人に「大事」を伝える機会に出来る。
☆彡 ☆彡 ☆彡
そして今、いさどんは実際、その友人に大切な話を伝えているのです。
貸したお金が返ってこない。
それを表面的に捉えると悪いことが起きているように見えるかもしれません。
ですが、奥にある心を見るとこんなに暖かな世界が展開されるのです。
同じ結果でもそこに至るプロセスが違うとまったく違う世界が展開されます。
そして、今、結果に見えることも、現在を切り取って見るからそう見えるだけで、それもプロセスの一部なのです。いさどんの友人が今後どうなるかは誰にも分らないことでしょう。
結果ではなくプロセスを大切にする。
そんなふうに意識転換を出来ると、日々の生活がとても豊かになるのです。
そして、この時大切なのは天意に気持ちを向けることであり、それをいただく心です。
大町出張の際、いさどんは以下のような話もしてくれました。
☆彡 ☆彡 ☆彡
人智ばかりでやっていると流れは創ってもらえない。
天を読みながら人智をやっていく。
そうすると天が喜び、流れが生み出されていく。
だから上(天)を見ながら考えていくことが大切で、僕も昔はそうやっていた。
でも今は、上を見なくても天意がところどころに挟まってくるようになった。
実は、「どうですか?」と天に伺うことにも「良くなって欲しい」という思惑が加わってしまう。
だからそれも手放す必要がある。
そもそも僕らは宇宙を生きている。だから人間の考えも宇宙の法則の中にある。
人間の考えが優先すると天の側から外れるから滞るけれども、それも天意。
そうやって宇宙は調整している。
それを仕分けする位置に立ち、客観性を持って、情報としてそれを掴んでいく。
これが出来ると達人の領域だね。
※この会話と同じ内容が、いさどんのいただきます人生「ヒト(十)のヒビキ♪」でも紹介されています。
☆彡 ☆彡 ☆彡
この生き方は人間的価値を超えて、宇宙の本質を生きていく道です。
そのために自分を見てその自分を超えていくのです。
上記の話に続けて、いさどんは以下のように話します。
☆彡 ☆彡 ☆彡
自分を見て、自分を分かれば分かるほど、精度高く見るようになっていく。
分からない人間は出来ていると思いがち。
分かれば分かるほど、人は「まだまだ」と思う。
そしてその「まだまだ」という心が人を創っていくんだよ。
分からない人はもう出来たと思うから、全然心を磨かず失敗を繰り返しドツボにはまっていく。
「まだまだ」と思いながら高いプライドを持つ。それを同時進行していくことが大切なんだよ。
☆彡 ☆彡 ☆彡
「まだまだ」という想いが成長への希望となっていきます。
希望を持って、僕はすべての出来事をプロセスとして楽しみ、そこに自分を表現していきます。
そしていさどんのように一つ一つの出来事に筋道を通せるように心がけます。
☆彡 ☆彡 ☆彡
彼がまだメンバーだったとき、
交通事故を起こしたでしょ。
その裁判の際、
弁護士を相手にどういうふうに付き合っていくのか。
それから、
弁護士の精神状態だけではなく、
被害者の性質を読み解きながら、
どうやって裁判を進めていくのかという
アドバイスをしていたんだよ。
結論としては、
こちらにとって特別有利に話を進めようとは思っていなかったけれど、
向こうのわがままに乗ってはいけないからね。
そういった正義感も持ちながら、
弁護士がついたからといって向こうの思うままにならないという意味では、
弁護士の精神状態も読みながら話を進めていったんだよ。
最終的にどこに結論が行くのかについては
裁判所が決めることだけどね。
そして、
結果的に当初の話の5%をこちらが勝ち取ったのだけど、
そういったお金の話が一番大切なのではなく、
人と交渉するときの交渉術を大事な学びとして彼には教えてあげたんだよ。
でも、
そういった学びを生かすことなく、
彼はここを離れていった。
結局、
根本の大事を忘れず求めるこころがないとダメだね。
彼は母親に対して、
まったく自己主張ができないのだから。
もし、
学びを生かせていたとしたら、
ここを離れていったときの
あの傲慢な態度はないはずだよ。
結局、
彼からしたらあの裁判は、
単なる数字だけの話になっていたのだろう。
でも場合によってはね、
今ちょっとばかり良い思いをするよりも、
たとえば余分に払ったとしても
それが将来の価値に対する種まきになることもあるんだよ。
つまり、
そういった波動を未来にもたらしているのだからね。
大切なことは、
そこが読み解けるかどうかだよ。
正確に言うと、
読み解くのではなく、
本能みたいなものだよ。
そのときに、
あせってすぐに結論を出そうとすると、
冷静さに欠いているから、
情報を正しく精査できなくなる。
さらに
損得勘定から「損をしてはいけない!」という思惑が働きすぎると、
そういった直観は鈍ってしまうね。
だから、
何かプラスアルファか感じ取れる状態でいることが
大切なんだよ!
☆彡 ☆彡 ☆彡
この文章にはいさどんの生きる姿勢が現れていて、一つ一つの出来事に筋道を通しているのです。そして、それがこの道(未知)を歩み、世の為人の為に生きるいさどんの実践になっているのです。
例えば最近、いさどんは古い友人にお金を貸しました。その友人にはだらしがないところがあり、お金が返ってくる保障はありませんでした。それでもいさどんは敢えてお金を貸したのです。そして今、約束の期限を過ぎていますが、お金は返って来ていません。
お金を貸す時、いさどんはこう思ったそうです。
☆彡 ☆彡 ☆彡
もしお金が返ってくるならば、友人はけじめをつけられるのだから、それはそれでいい。でも、お金が返ってこない場合、その友人の姿勢は正す必要がある。お金を貸している自分の話には耳を傾けるだろうから、友人に「大事」を伝える機会に出来る。
☆彡 ☆彡 ☆彡
そして今、いさどんは実際、その友人に大切な話を伝えているのです。
貸したお金が返ってこない。
それを表面的に捉えると悪いことが起きているように見えるかもしれません。
ですが、奥にある心を見るとこんなに暖かな世界が展開されるのです。
同じ結果でもそこに至るプロセスが違うとまったく違う世界が展開されます。
そして、今、結果に見えることも、現在を切り取って見るからそう見えるだけで、それもプロセスの一部なのです。いさどんの友人が今後どうなるかは誰にも分らないことでしょう。
結果ではなくプロセスを大切にする。
そんなふうに意識転換を出来ると、日々の生活がとても豊かになるのです。
そして、この時大切なのは天意に気持ちを向けることであり、それをいただく心です。
大町出張の際、いさどんは以下のような話もしてくれました。
☆彡 ☆彡 ☆彡
人智ばかりでやっていると流れは創ってもらえない。
天を読みながら人智をやっていく。
そうすると天が喜び、流れが生み出されていく。
だから上(天)を見ながら考えていくことが大切で、僕も昔はそうやっていた。
でも今は、上を見なくても天意がところどころに挟まってくるようになった。
実は、「どうですか?」と天に伺うことにも「良くなって欲しい」という思惑が加わってしまう。
だからそれも手放す必要がある。
そもそも僕らは宇宙を生きている。だから人間の考えも宇宙の法則の中にある。
人間の考えが優先すると天の側から外れるから滞るけれども、それも天意。
そうやって宇宙は調整している。
それを仕分けする位置に立ち、客観性を持って、情報としてそれを掴んでいく。
これが出来ると達人の領域だね。
※この会話と同じ内容が、いさどんのいただきます人生「ヒト(十)のヒビキ♪」でも紹介されています。
☆彡 ☆彡 ☆彡
この生き方は人間的価値を超えて、宇宙の本質を生きていく道です。
そのために自分を見てその自分を超えていくのです。
上記の話に続けて、いさどんは以下のように話します。
☆彡 ☆彡 ☆彡
自分を見て、自分を分かれば分かるほど、精度高く見るようになっていく。
分からない人間は出来ていると思いがち。
分かれば分かるほど、人は「まだまだ」と思う。
そしてその「まだまだ」という心が人を創っていくんだよ。
分からない人はもう出来たと思うから、全然心を磨かず失敗を繰り返しドツボにはまっていく。
「まだまだ」と思いながら高いプライドを持つ。それを同時進行していくことが大切なんだよ。
☆彡 ☆彡 ☆彡
「まだまだ」という想いが成長への希望となっていきます。
希望を持って、僕はすべての出来事をプロセスとして楽しみ、そこに自分を表現していきます。
そしていさどんのように一つ一つの出来事に筋道を通せるように心がけます。
6月27日「恵みいただきます」の写真です。こんなみんなと毎日を楽しんでいます。 |
https://konohanafamilyeconomy.blogspot.com/2015/06/blog-post_30.htmlプロセスを楽しむ
そこにある違いを知る
先日、僕といさどんは所用で大町へ出掛けました。車中では様々なことを話しとても学びが多く楽しい時間となりました。『天に想いを返す』はこの車中での会話を元に作成したものです。
そして同じく車中会話を元に作成した文章が、ようこちゃんのブログ、いさどんのいただきます人生に『死の向こうまで伴える価値を積み上げていく』として掲載されています。
この2つの文章は昨日の大人ミーティングでみんなにシェアされました。この2つの文章が同じ日にシェアされることで、その違いがとても明確になったと思っています。そこには大きな違いがあるのです。
長期滞在をしているきたじゅんは2週間ぐらい前からずっと日記をシェアしようとしていました。ですが、タイミングが合わずにいたのです。そこにはみんなにシェアすることに対する迷いもあったようです。昨日、そのきたじゅんが決心を固めて日記をシェアしたのです。
そこには「自らに勝利すること」の大切さが書かれており、きたじゅんの決心が現れていました。そのきたじゅんに対して、みんなから想いを伝え、とても良い場になっていきました。そして、最後にようこちゃんのブログが読まれてその時間が終わりました。
ようこちゃんが書いたブログは、人生の勝利者としての姿勢が描かれていて、それがきたじゅんのシェアとリンクし、その時間をまとめるものとなったのです。
それはこんな言葉で締めくくられています。
☆彡 ☆彡 ☆彡
死の向こうまで理解するものたちが生きているからこそ、
死の向こうまで伴える価値を積み上げていくことができる。
それが人生の勝利者であり、
道を目指すものにとって
一番大切なことだと思うんだよ。
☆彡 ☆彡 ☆彡
僕はこのブログを読んだ時、その内容にまず感動しました。このブログの内容はただテープ起こしをしただけでなく、ようこちゃんが上手にまとめることで生まれています。本当に上手にまとめてくれているなと思いました。そして、さらにこのブログが発表されたタイミングに感動しました。
きたじゅんの日記の内容も、それがシェアされることも知らないようこちゃんが、まるでそれに合わせたようにブログを作成し発表しているのです。そこに大きな流れを感じます。
一方で僕が書いたブログは、僕のブログを話題にしており、自分の成長が焦点になっていました。そして、それが発表されるタイミングも昨日である必要性は何もありませんでした。ただ、一つの学びをシェアしただけです。
ようこちゃんのブログと僕のブログ。ここにはとても大きな違いがあります。
ようこちゃんのブログの中で僕は以下のように語っています。
☆彡 ☆彡 ☆彡
人はなかなかそこ(学びの位置)に行かないですよね。
ついつい、
結果を求める発想になってしまい、
結果がこうだから良かった・悪かったとなってしまうのです。
そのプロセスをしっかりと観ていって、
そこを味わっていき、
そしてそこから学んでいくことが大切ですよね。
当たり前の日常の中に、
たくさんの学びが詰まっているんですよね
☆彡 ☆彡 ☆彡
当たり前の日常の中にたくさん詰まっている学び。
僕とようこちゃんのブログの違いがまさにそうだなと思いました。
自分の学びをシェアしている僕と、全体にとって必要な学びを提供しているようこちゃん。
それはお互いの立ち位置の違いによって生じているのだと思えました。
ようこちゃんは僕より高い位置にいて、だから自然と流れを掴み、流れに沿うことが出来るのです。
すごい!と思った。
僕のブログはそのまま僕自身を表していて、それがようこちゃんのブログのお蔭で鮮明になっているのです。まだまだ足りない自分を知り、同時に目標も示されているのです。
そして今、目標に掲げたようこちゃんも歩みの途上にあるわけで、目標は結果として固定されたものではなく、すべてはプロセスの中にあるのです。
この世界は本当に深い!
この道(未知)を歩むことはその深みを極めていくこと。
だから僕は歩み続けます。
そして同じく車中会話を元に作成した文章が、ようこちゃんのブログ、いさどんのいただきます人生に『死の向こうまで伴える価値を積み上げていく』として掲載されています。
この2つの文章は昨日の大人ミーティングでみんなにシェアされました。この2つの文章が同じ日にシェアされることで、その違いがとても明確になったと思っています。そこには大きな違いがあるのです。
長期滞在をしているきたじゅんは2週間ぐらい前からずっと日記をシェアしようとしていました。ですが、タイミングが合わずにいたのです。そこにはみんなにシェアすることに対する迷いもあったようです。昨日、そのきたじゅんが決心を固めて日記をシェアしたのです。
そこには「自らに勝利すること」の大切さが書かれており、きたじゅんの決心が現れていました。そのきたじゅんに対して、みんなから想いを伝え、とても良い場になっていきました。そして、最後にようこちゃんのブログが読まれてその時間が終わりました。
ようこちゃんが書いたブログは、人生の勝利者としての姿勢が描かれていて、それがきたじゅんのシェアとリンクし、その時間をまとめるものとなったのです。
それはこんな言葉で締めくくられています。
☆彡 ☆彡 ☆彡
死の向こうまで理解するものたちが生きているからこそ、
死の向こうまで伴える価値を積み上げていくことができる。
それが人生の勝利者であり、
道を目指すものにとって
一番大切なことだと思うんだよ。
☆彡 ☆彡 ☆彡
僕はこのブログを読んだ時、その内容にまず感動しました。このブログの内容はただテープ起こしをしただけでなく、ようこちゃんが上手にまとめることで生まれています。本当に上手にまとめてくれているなと思いました。そして、さらにこのブログが発表されたタイミングに感動しました。
きたじゅんの日記の内容も、それがシェアされることも知らないようこちゃんが、まるでそれに合わせたようにブログを作成し発表しているのです。そこに大きな流れを感じます。
一方で僕が書いたブログは、僕のブログを話題にしており、自分の成長が焦点になっていました。そして、それが発表されるタイミングも昨日である必要性は何もありませんでした。ただ、一つの学びをシェアしただけです。
ようこちゃんのブログと僕のブログ。ここにはとても大きな違いがあります。
ようこちゃんのブログの中で僕は以下のように語っています。
☆彡 ☆彡 ☆彡
人はなかなかそこ(学びの位置)に行かないですよね。
ついつい、
結果を求める発想になってしまい、
結果がこうだから良かった・悪かったとなってしまうのです。
そのプロセスをしっかりと観ていって、
そこを味わっていき、
そしてそこから学んでいくことが大切ですよね。
当たり前の日常の中に、
たくさんの学びが詰まっているんですよね
☆彡 ☆彡 ☆彡
当たり前の日常の中にたくさん詰まっている学び。
僕とようこちゃんのブログの違いがまさにそうだなと思いました。
自分の学びをシェアしている僕と、全体にとって必要な学びを提供しているようこちゃん。
それはお互いの立ち位置の違いによって生じているのだと思えました。
ようこちゃんは僕より高い位置にいて、だから自然と流れを掴み、流れに沿うことが出来るのです。
すごい!と思った。
僕のブログはそのまま僕自身を表していて、それがようこちゃんのブログのお蔭で鮮明になっているのです。まだまだ足りない自分を知り、同時に目標も示されているのです。
そして今、目標に掲げたようこちゃんも歩みの途上にあるわけで、目標は結果として固定されたものではなく、すべてはプロセスの中にあるのです。
この世界は本当に深い!
この道(未知)を歩むことはその深みを極めていくこと。
だから僕は歩み続けます。
出張した日の大町での昼食。こんな日常の奥に豊かで深い世界が溢れています。 |
https://konohanafamilyeconomy.blogspot.com/2015/06/blog-post_24.htmlそこにある違いを知る
天に想いを返す
「僕は望み、願い、求め、喜び、苦しみ、怒り、痛み、考え生きていく」を読んだいさどんと以下のような会話をしました。
☆彡 ☆彡 ☆彡
いさどん
あの文章は評価を期待して書いたように思える。自分の体験からそのままするっと流れるように出てきた文章ではなくて、評価されようとして自分の持っている知識を組み立てた文章。でも、その評価から生まれるものは、逆にそんなものを評価してやるものかというものも生み出す。なるほど、と思う人もいるかもしれないが、そんなに大事にするものでもない。作っているものと自然に湧いてきたものの違い。あの文章はただの知識で生きたものではない。例えば、さちよや郷子ちゃん、和子ちゃんの文章は、人の変化が現れていて、本当に生きた文章と言える。なかのんの文章は、まったく変化していないなかのんがただ一つのきっかけを利用して組み立てただけ。
なかのん
自分としてはああいうふうに生きていこうという決心でもあったんだけれども・・・・
いさどん
僕はこういうつもりだったと言うなら、それはそれでいいが、例えば、今、自分がこういう状態で生きている。その状態を突破したいと思っているならば、自分を突破する必要がある。その時に、自分はこう思うということを優先するのか?自分には見えないけれども人から見えるものを優先するのか?もし自分を突破したいならば後者だよ。
なかのん
その通りだと思う。要は、僕は変わっていないということだよね。
いさどん
いや、変わっているとか変わらないとかではなく、ただ癖が現れている。なかのんの文章には癖が出ていない時もある。
なかのん
だから、心の状態が現れているということだね。
いさどん
そういうのを自分で嗅ぐわけることが大切。
なかのん
いや、僕の中ではあの文章は良く書けたなと思ったんですよね。その感覚が・・・曲者だなと。
いさどん
そう、その書けたなというところに自我で出ていたんだよ。それが曲者。
要は自分のことでも人のことのように見える客観性と冷静さがあることが大切。
良いと思うことが曲者。その良いというのがどういう意味で良いのかを吟味する必要がある。
☆彡 ☆彡 ☆彡
思い返すと、「僕は望み・・・」を書いた時、僕は自分の成長の姿を思い描き、そしてそのレールの元に成長していこうとしていました。こういう時は、僕の自我(エゴ)は強くなっているのです。今までもそういうことはあったのですが、チェック出来ていなかったのですね。
想いは持ち続けるものではなくて、想いが湧いたら天に返していく。
それで想いがなくなるなら、それでいいし、大切な想いならば、湧き続けてくるでしょう。
それが基本姿勢で想いに執着していてはいけないのです。
そんな中、現象から自分を知り、学んでいく。
ただそれだけなのですよね。
僕はそんな毎日を楽しんでいます。
☆彡 ☆彡 ☆彡
宇宙おじさん(いさどん) |
あの文章は評価を期待して書いたように思える。自分の体験からそのままするっと流れるように出てきた文章ではなくて、評価されようとして自分の持っている知識を組み立てた文章。でも、その評価から生まれるものは、逆にそんなものを評価してやるものかというものも生み出す。なるほど、と思う人もいるかもしれないが、そんなに大事にするものでもない。作っているものと自然に湧いてきたものの違い。あの文章はただの知識で生きたものではない。例えば、さちよや郷子ちゃん、和子ちゃんの文章は、人の変化が現れていて、本当に生きた文章と言える。なかのんの文章は、まったく変化していないなかのんがただ一つのきっかけを利用して組み立てただけ。
なかのん
自分としてはああいうふうに生きていこうという決心でもあったんだけれども・・・・
いさどん
僕はこういうつもりだったと言うなら、それはそれでいいが、例えば、今、自分がこういう状態で生きている。その状態を突破したいと思っているならば、自分を突破する必要がある。その時に、自分はこう思うということを優先するのか?自分には見えないけれども人から見えるものを優先するのか?もし自分を突破したいならば後者だよ。
なかのん
その通りだと思う。要は、僕は変わっていないということだよね。
いさどん
いや、変わっているとか変わらないとかではなく、ただ癖が現れている。なかのんの文章には癖が出ていない時もある。
なかのん
だから、心の状態が現れているということだね。
いさどん
そういうのを自分で嗅ぐわけることが大切。
なかのん
いや、僕の中ではあの文章は良く書けたなと思ったんですよね。その感覚が・・・曲者だなと。
いさどん
そう、その書けたなというところに自我で出ていたんだよ。それが曲者。
要は自分のことでも人のことのように見える客観性と冷静さがあることが大切。
良いと思うことが曲者。その良いというのがどういう意味で良いのかを吟味する必要がある。
☆彡 ☆彡 ☆彡
思い返すと、「僕は望み・・・」を書いた時、僕は自分の成長の姿を思い描き、そしてそのレールの元に成長していこうとしていました。こういう時は、僕の自我(エゴ)は強くなっているのです。今までもそういうことはあったのですが、チェック出来ていなかったのですね。
想いは持ち続けるものではなくて、想いが湧いたら天に返していく。
それで想いがなくなるなら、それでいいし、大切な想いならば、湧き続けてくるでしょう。
それが基本姿勢で想いに執着していてはいけないのです。
そんな中、現象から自分を知り、学んでいく。
ただそれだけなのですよね。
僕はそんな毎日を楽しんでいます。
https://konohanafamilyeconomy.blogspot.com/2015/06/blog-post_22.html天に想いを返す
僕は望み、願い、求め、喜び、苦しみ、怒り、痛み、考え生きていく。
「ブラックバイトで学生生活が破たん」というニュース記事を観ました。
低賃金で正規労働者並みの義務やノルマが課せられる。
異常な長時間労働を強いられる。
そんな状態にあるにも関わらず、辞めることが出来ず学業に支障をきたしている学生がいて、それが社会問題になっているようです。そして、『ブラック企業経営者の本音』(扶桑社新書)の書評を見ると経営者は意図的に学生をはじめとする従業員をそのような状態に陥れているようです。
こんなニュースを観ると、「怒りで世界を平和にする方法」でのカイラシュさんの言葉、
がより力強いメッセージとして感じられるようになります。
「余裕がほとばしり出るような徳に積み方(後編)」で、僕はカイラシュさんのスピーチに触発されて、余裕から生まれる思いやりが怒りを偉大なパワーに変貌させると書きました。あわちゃんは、「余裕」というブログ記事の中で、「余裕」とは「客観性」であり、「世界観を広げながら自らを壊していくことから生まれる」と書いています。
そして、今日、お風呂の中で、あわちゃんと話している時、余裕とは覚悟なのだと確認しました。
何があっても受け入れる。
どんな自分も受け入れる。
何があってもこの道(未知)を歩んでいく。
そんな覚悟があれば、どんなことがあっても平静さを保っていることが出来ます。
そして周りの反応を気にせずに沸いてきたものを表現することが出来るでしょう。
僕は今日、一つ失敗に気づきました。
自動車の任意保険(フリート契約)からすでに廃車されている自動車を抜き忘れていたのです。
およそ24,000円無駄なお金を支払っていたことになります。
木の花ファミリーの暮らしでは、24,000円は大人1人1ヶ月分の生活費です。
それはとても大きな金額です。
気づいた瞬間受け入れがたい気持ちが生じました。
でも、こんな失敗をするのが僕なのです。
今後の対策などいろいろアイデアはありますが、
何より大切なのは、この失敗が僕に痛みを与えてくれたことでしょう。
この痛みを感じながら、覚悟を深めていく。それが余裕に繋がるのだと思っています。
自分を離れ、広い世界観に立った時、怒りがアイデア、そして行動へ変貌していくように、痛みもアイデア、そして行動へと変貌させることが出来るのです。
冒頭で紹介した学生たちは、怒りや痛みが麻痺してしまっているのでしょうか?
なぜそんな状態になってしまっているのでしょうか?
みかちゃんの最新ブログ「あなたは、どんな地球を作りますか?」には以下のような記述があります。
ブラックバイトの事例をみると、まさに上記のような現実が見えてくるように感じました。
今、一人一人が自らの意志が考え行動していくことが大切なのです。
そして、心の中にある「支配するー支配される」関係を超えて、みんなが独立した世界を創っていくのです。今、時代はそんな時代になっています。
「願いから自由になるために生まれてきた」僕は、ずっと望んでいたことがあったのですが、心を麻痺させることで、その願いから目を背けていたことに気づきました。普段、意識していなくても、その願いはあり続けて、僕は自由ではなかったのです。
だから僕は、その願いをとことん追求することにしました。今の自分はまだまだ囚われているのだから、だからその囚われを、そのまま表現し、学びを深めていくことにしました。
この世界にあるきれいごと。
それが心を麻痺させて、そして、脳みそをつるんつるんにしておくこともあるのではないのでしょうか?
きれいごとなんていらないのです。
降りてくる言葉と湧いてくるエネルギー。
僕は望み、願い、求め、喜び、苦しみ、怒り、痛み、考え生きていく。
このちっぽけな自分で、僕はすべての出来事を天の意志として受け入れ生きていきます。
低賃金で正規労働者並みの義務やノルマが課せられる。
異常な長時間労働を強いられる。
そんな状態にあるにも関わらず、辞めることが出来ず学業に支障をきたしている学生がいて、それが社会問題になっているようです。そして、『ブラック企業経営者の本音』(扶桑社新書)の書評を見ると経営者は意図的に学生をはじめとする従業員をそのような状態に陥れているようです。
こんなニュースを観ると、「怒りで世界を平和にする方法」でのカイラシュさんの言葉、
ノーベル平和賞受賞者として奨励します。皆さん怒ってください。一番怒っている人が、その怒りをアイデア・そして行動へと変貌させられる人なのです。
がより力強いメッセージとして感じられるようになります。
「余裕がほとばしり出るような徳に積み方(後編)」で、僕はカイラシュさんのスピーチに触発されて、余裕から生まれる思いやりが怒りを偉大なパワーに変貌させると書きました。あわちゃんは、「余裕」というブログ記事の中で、「余裕」とは「客観性」であり、「世界観を広げながら自らを壊していくことから生まれる」と書いています。
そして、今日、お風呂の中で、あわちゃんと話している時、余裕とは覚悟なのだと確認しました。
何があっても受け入れる。
どんな自分も受け入れる。
何があってもこの道(未知)を歩んでいく。
そんな覚悟があれば、どんなことがあっても平静さを保っていることが出来ます。
そして周りの反応を気にせずに沸いてきたものを表現することが出来るでしょう。
僕は今日、一つ失敗に気づきました。
自動車の任意保険(フリート契約)からすでに廃車されている自動車を抜き忘れていたのです。
およそ24,000円無駄なお金を支払っていたことになります。
木の花ファミリーの暮らしでは、24,000円は大人1人1ヶ月分の生活費です。
それはとても大きな金額です。
気づいた瞬間受け入れがたい気持ちが生じました。
でも、こんな失敗をするのが僕なのです。
今後の対策などいろいろアイデアはありますが、
何より大切なのは、この失敗が僕に痛みを与えてくれたことでしょう。
この痛みを感じながら、覚悟を深めていく。それが余裕に繋がるのだと思っています。
自分を離れ、広い世界観に立った時、怒りがアイデア、そして行動へ変貌していくように、痛みもアイデア、そして行動へと変貌させることが出来るのです。
冒頭で紹介した学生たちは、怒りや痛みが麻痺してしまっているのでしょうか?
なぜそんな状態になってしまっているのでしょうか?
みかちゃんの最新ブログ「あなたは、どんな地球を作りますか?」には以下のような記述があります。
影の権力機構、というものがあるようで、
長い歴史の中で、人間を馬鹿にしていく仕組みを作った。
つまり、人々をコントロールしやすいように
自分で考えないように、脳みそをつるつるにしておく事で
地球を支配しようという企み。
私たちは長い間、考えないように、自己責任をとらないように
洗脳されてきている。
メデイアは、この影の権力機構の支配下にあり、情報は操作され
洗脳の手段となって来た。
「娯楽、セックス、スポーツ、食」に興味が行くよう
人間の欲望を刺激し続け
私たちは、大切な事を考えないように仕向けられ、
人間たちは、見事にその企みに、はまっていった。
実際あの手この手で、心身共に弱体化していくよう、
念入りに仕組まれている。
みんな見事にコマーシャルに洗脳され
消費している。
お金も、食も、性も、みんなその支配下にある。
ブラックバイトの事例をみると、まさに上記のような現実が見えてくるように感じました。
今、一人一人が自らの意志が考え行動していくことが大切なのです。
そして、心の中にある「支配するー支配される」関係を超えて、みんなが独立した世界を創っていくのです。今、時代はそんな時代になっています。
「願いから自由になるために生まれてきた」僕は、ずっと望んでいたことがあったのですが、心を麻痺させることで、その願いから目を背けていたことに気づきました。普段、意識していなくても、その願いはあり続けて、僕は自由ではなかったのです。
だから僕は、その願いをとことん追求することにしました。今の自分はまだまだ囚われているのだから、だからその囚われを、そのまま表現し、学びを深めていくことにしました。
この世界にあるきれいごと。
それが心を麻痺させて、そして、脳みそをつるんつるんにしておくこともあるのではないのでしょうか?
きれいごとなんていらないのです。
降りてくる言葉と湧いてくるエネルギー。
僕は望み、願い、求め、喜び、苦しみ、怒り、痛み、考え生きていく。
このちっぽけな自分で、僕はすべての出来事を天の意志として受け入れ生きていきます。
https://konohanafamilyeconomy.blogspot.com/2015/06/blog-post_17.html僕は望み、願い、求め、喜び、苦しみ、怒り、痛み、考え生きていく。
余裕がほとばしり出るような徳の積み方(後編)
『余裕がほとばしり出るような徳の積み方(前編)』の話に続けていさどんは僕に以下のように語りました。
☆彡 ☆彡 ☆彡
なかのんは真面目で一生懸命やっているが、もう少しそこに余裕があると、あの人は本当に徳を積んでいるねということなんだけど、一生懸命「この道だぁぁぁ」とやっていると、そこに余裕がないと、何とか一生懸命気合いを入れてそこを保っているという状態。
余裕がほとばしり出るような徳の積み方というものがある。
☆彡 ☆彡 ☆彡
余裕がほとばしり出るような徳の積み方。
徳を積んでいく時に「余裕」というものがとても大切になるようです。
そんなことを思っている時、ACEの白木さんのFacebookページでノーベル平和賞受賞者カイラシュ・サティヤルティさんのスピーチ「怒りで世界に平和をもたらす方法」を見つけました。(ACEと僕との関係は、「不寛容な心と向き合う」をお読みください。)
カイラシュさんは、経済的理由で学校を去らなければならない友人、売春宿に売り飛ばされる奴隷の娘、カースト最下層の不可触民に対する差別や政治家の欺瞞などに触れて憤りを感じて来ました。そして、その怒りからアイデアを生み出し行動に繋げていったのです。そのカイラシュさんは、スピーチの中で以下のように語っています。
☆彡 ☆彡 ☆彡
エゴと利己心が渦巻く小さな殻の中に閉じこもっていると、怒りは憎しみ、暴力、復習、破壊に変わっていきます。でもその悪循環を断ち切ることが出来れば、その怒りを偉大なパワーに変貌させることが出来るのです。誰もが持つ思いやりで、この循環を断ち切れば この世界をよくするため思いやりを持って世界と繋がることが出来るのです。
☆彡 ☆彡 ☆彡
思いやりが怒りを偉大なパワーに変貌させます。
そして、その思いやりは余裕から生まれるのではないかと思いました。
ところで、いさどんは冒頭の言葉に続けて、周りにいる人たちのオデコをペンと軽く叩きました。
そして、僕にこう語りました。
☆彡 ☆彡 ☆彡
例えば、なかのんが同じ行動をしたら、どうなるか?
なかのんは狂ったと思うかもしれない。
それは日頃の行動で創っているものを変えていくということ。
別にこれをしろとは言わないけれども、新しい行動で常に自分壊しをしていくことだよ。
☆彡 ☆彡 ☆彡
この話を聴いていたあきちゃんは、僕の人格を変化させることは良いと思う。僕に気になるところがあると言いました。あきちゃんが電話をして僕にお願いごとをすると、すごく低姿勢で「はい」を3回は言うそうです。
そんな僕に対して、周りにいた人たちが電話応答のアイデアを出します。
そんなもの出来る時にしか出来ねぇよ。
わかったよ。やっとくよ。じゃあな。
なにくれる?
色々な言葉の後、結局、真似することなくなかのん流の変化をしていくことが大切とアドバイスをされました。
そして、その翌日、さっそくあきちゃんから電話があったのですが、僕は「はい」と応じていました。まずはそんな自分に気づきました。そして、次に電話が来たら、「遊ぼう!」と思いました。
そんなふうに思っていると、またあきちゃんから電話がありました。
・・・が、またまた「はい」と応答している自分がいました。そんな自分がおかしくなり笑ってしまいましたが、もう一歩進める必要があるなぁと思いました。
そして、その日の大人ミーティング。
理屈ばかりの言葉が続き、停滞している感じになっている時、
手を叩いて、 今、天からメッセージが降りて来ました。
と突然語りだそうと思ったのですが、自分を超えられずに結局出来ませんでした。
まだまだですね(-_-)ノシ・・・ハァ・・・
これは自分を離れ自分で遊ぶことだと思うのです。
そんな余裕が大切なのだと思います。
そんな余裕があると、怒りが生じた時も、それに翻弄されずに偉大なパワーに変わっていくでしょう。
日頃の遊び心が世界平和に繋がっていくのしょう。
もっともっと遊びたいと思います。
☆彡 ☆彡 ☆彡
なかのんは真面目で一生懸命やっているが、もう少しそこに余裕があると、あの人は本当に徳を積んでいるねということなんだけど、一生懸命「この道だぁぁぁ」とやっていると、そこに余裕がないと、何とか一生懸命気合いを入れてそこを保っているという状態。
余裕がほとばしり出るような徳の積み方というものがある。
☆彡 ☆彡 ☆彡
余裕がほとばしり出るような徳の積み方。
徳を積んでいく時に「余裕」というものがとても大切になるようです。
そんなことを思っている時、ACEの白木さんのFacebookページでノーベル平和賞受賞者カイラシュ・サティヤルティさんのスピーチ「怒りで世界に平和をもたらす方法」を見つけました。(ACEと僕との関係は、「不寛容な心と向き合う」をお読みください。)
カイラシュさんは、経済的理由で学校を去らなければならない友人、売春宿に売り飛ばされる奴隷の娘、カースト最下層の不可触民に対する差別や政治家の欺瞞などに触れて憤りを感じて来ました。そして、その怒りからアイデアを生み出し行動に繋げていったのです。そのカイラシュさんは、スピーチの中で以下のように語っています。
☆彡 ☆彡 ☆彡
エゴと利己心が渦巻く小さな殻の中に閉じこもっていると、怒りは憎しみ、暴力、復習、破壊に変わっていきます。でもその悪循環を断ち切ることが出来れば、その怒りを偉大なパワーに変貌させることが出来るのです。誰もが持つ思いやりで、この循環を断ち切れば この世界をよくするため思いやりを持って世界と繋がることが出来るのです。
☆彡 ☆彡 ☆彡
思いやりが怒りを偉大なパワーに変貌させます。
そして、その思いやりは余裕から生まれるのではないかと思いました。
ところで、いさどんは冒頭の言葉に続けて、周りにいる人たちのオデコをペンと軽く叩きました。
そして、僕にこう語りました。
☆彡 ☆彡 ☆彡
例えば、なかのんが同じ行動をしたら、どうなるか?
なかのんは狂ったと思うかもしれない。
それは日頃の行動で創っているものを変えていくということ。
別にこれをしろとは言わないけれども、新しい行動で常に自分壊しをしていくことだよ。
☆彡 ☆彡 ☆彡
この話を聴いていたあきちゃんは、僕の人格を変化させることは良いと思う。僕に気になるところがあると言いました。あきちゃんが電話をして僕にお願いごとをすると、すごく低姿勢で「はい」を3回は言うそうです。
そんな僕に対して、周りにいた人たちが電話応答のアイデアを出します。
そんなもの出来る時にしか出来ねぇよ。
わかったよ。やっとくよ。じゃあな。
なにくれる?
色々な言葉の後、結局、真似することなくなかのん流の変化をしていくことが大切とアドバイスをされました。
そして、その翌日、さっそくあきちゃんから電話があったのですが、僕は「はい」と応じていました。まずはそんな自分に気づきました。そして、次に電話が来たら、「遊ぼう!」と思いました。
そんなふうに思っていると、またあきちゃんから電話がありました。
・・・が、またまた「はい」と応答している自分がいました。そんな自分がおかしくなり笑ってしまいましたが、もう一歩進める必要があるなぁと思いました。
そして、その日の大人ミーティング。
理屈ばかりの言葉が続き、停滞している感じになっている時、
手を叩いて、 今、天からメッセージが降りて来ました。
と突然語りだそうと思ったのですが、自分を超えられずに結局出来ませんでした。
まだまだですね(-_-)ノシ・・・ハァ・・・
これは自分を離れ自分で遊ぶことだと思うのです。
そんな余裕が大切なのだと思います。
そんな余裕があると、怒りが生じた時も、それに翻弄されずに偉大なパワーに変わっていくでしょう。
日頃の遊び心が世界平和に繋がっていくのしょう。
もっともっと遊びたいと思います。
滑り台で遊ぶ木の花の子ともたち。同じ気持ちで人生を楽しもうと思います。 |
https://konohanafamilyeconomy.blogspot.com/2015/06/blog-post_14.html余裕がほとばしり出るような徳の積み方(後編)
希望の光となるように。
19世紀、転換性障害(転換性ヒステリー)を患う女性の症例が多く観られました。それが20世紀に入って、女性が社会進出をするに伴って減少したという話を聴いたことがあります。
これは多くの女性が時代の流れを受けて、そのメッセージを身体で現わしていたと言えます。
今、ニートや引きこもり、鬱などが社会問題となっていますが、これらも時代のメッセージを現わしているのではないのでしょうか?
6月10日から木の花ファミリーでは、あわちゃん主催の希望の光プロジェクトが開催されています。
このイベントは、ニート・引きこもりも鬱も希望の光と銘打って開催されました。上記のように時代のメッセージを受けているニートや引きこもり、鬱の人々ですが、多くは時代の流れに無自覚に翻弄されている状態です。そのため苦しむことになるのです。
ですが、彼らが時代の流れを自覚した時、症状は改善され、喜びに満ちた人生を生きることが出来るのです。その生き方は新しい時代に求められるものであり、多くの人々の希望となるものなのです。
木の花ファミリーの暮らしは、現代社会の価値観からはかけ離れた暮らしです。
それは新しい時代に向けた希望の光となる暮らしです。
ここで暮らし人々がそのことをより自覚することで更なる光をもたらすことが出来るのでしょう。
一人一人が個性を発揮して希望の光となれるように。
みんなで話し合いながら、
『天から柱を立てる』ことの大切さ。
疑問を持ち追究し続けると同時に分からないものを信じることの大切さ。
などを確認しています。
今日はこのイベントの最終日です。
ユーストリームで配信をしているので、良かったら覗いてみて下さいね。
これは多くの女性が時代の流れを受けて、そのメッセージを身体で現わしていたと言えます。
今、ニートや引きこもり、鬱などが社会問題となっていますが、これらも時代のメッセージを現わしているのではないのでしょうか?
6月10日から木の花ファミリーでは、あわちゃん主催の希望の光プロジェクトが開催されています。
このイベントは、ニート・引きこもりも鬱も希望の光と銘打って開催されました。上記のように時代のメッセージを受けているニートや引きこもり、鬱の人々ですが、多くは時代の流れに無自覚に翻弄されている状態です。そのため苦しむことになるのです。
ですが、彼らが時代の流れを自覚した時、症状は改善され、喜びに満ちた人生を生きることが出来るのです。その生き方は新しい時代に求められるものであり、多くの人々の希望となるものなのです。
木の花ファミリーの暮らしは、現代社会の価値観からはかけ離れた暮らしです。
それは新しい時代に向けた希望の光となる暮らしです。
ここで暮らし人々がそのことをより自覚することで更なる光をもたらすことが出来るのでしょう。
一人一人が個性を発揮して希望の光となれるように。
みんなで話し合いながら、
『天から柱を立てる』ことの大切さ。
疑問を持ち追究し続けると同時に分からないものを信じることの大切さ。
などを確認しています。
今日はこのイベントの最終日です。
ユーストリームで配信をしているので、良かったら覗いてみて下さいね。
希望の光プロジェクト 第3日目(6月12日) 9:00~12:00
上記時間帯に、下記URLにアクセスしてください。
(最初は真っ黒な画面が出ますが、少し時間を置くと表示されます)
↓
http://www.ustream.tv/channel/kibou-no-hikari
https://konohanafamilyeconomy.blogspot.com/2015/06/blog-post.html希望の光となるように。
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Bthemez
I am a founder of Bthemez. I start developing web Templates since 2008 and love doing it since then.