客観的視点を育む

このブログは「木の花ファミリーの経済から世界を見る」ということで、
世界情勢も話題の一つにしています。

日々の自分たちの暮らしや意識と世界で起きていることがどのように繋がっているか?
それらの意味するところは何か?
出来事の奥に意識を向けることで、それらを見出し、
木の花ファミリーの暮らしが持つ意味を考察し、伝えようしています。

そこで年初に当たって、時事問題も一つ扱ってみたいと思います。

2016年に予定されている大きな出来事の一つにアメリカ大統領選挙があります。
この結果は、今度の世界の潮流に大きな影響を与えるでしょう。

その大統領選挙では今、共和党候補の富豪ドナルド・トランプ氏が話題になっています。
不法移民の国外追放を訴え、シリア難民に対しても受け入れを反対しているトランプ氏。
最近では「イスラム教徒の完全入国禁止」を訴え差別発言として話題になりました。
こんなトランプ氏が共和党大統領候補争いで支持率一位となっているのです。

そんなトランプ氏について以下2つの記事は面白いなと思いました。


「トランプ現象」で浮き彫りになった米社会に「地殻変動」

この記事を要約すると以下のようになります。

トランプ氏の支持者は中産階級ラディカル(高卒以下の白人労働者)。
有権者の1/4を占める大集団です。
彼らの多くは、政治や経済政策が金持ち優遇となっていると不満を感じ、
移民に対しても自分達の仕事を奪っていると不満を感じています。
トランプ氏の発言はそんな彼らの期待に応える内容であり、
そこには(白人に対する)社会福祉的観点も含まれています。
トランプ氏の言葉はこんな彼らの支持を得ています。

ですが、アメリカ社会では、少数民族が多数派となるため、
少数民族を攻撃するトランプ氏の存在は共和党にとって悩みの種となっています。

その他、この記事には、中産階級ラディカルの目的意識の喪失、
アメリカ全体の左傾化など興味深い内容が多々書かれていました。

トランプの「切り札」人種カード

この記事では、トランプ氏のメッセージを以下の2つとしています。

アメリカ国内から人種や宗教の多様性を排除しよう
アメリカを再び白人が優勢を保っていた偉大な国にする

そして、トランプ氏は分かりやすい言葉とダイナミックなジェスチャーを用います。
恐怖と夢、希望を組み合わせて、支持者のモチベーションを向上させているというのです。

「移民は危険、だけれども自分はこの国を守り、強いアメリカを復活させる」

簡単に書くとこんな感じとなります。


今、シリア難民流入の問題を抱える欧州でも移民排斥の思想が広がっています。
入れ墨やヘイトスピーチ:欧州議会選で躍進した「各国の極右政党」とは?参照。

ここで注目すべきは、欧州の極右政党もトランプ氏も、
自国(白人)の福祉政策には力をいれている点です。
それは上記1つめの記事「アメリカの左傾化」という社会全体の傾向と一致していて、
それが支持基盤を増やす要因となっているのです。

共通するのは、自分の利益のための「社会福祉」を求めている点です。
自分の利益のために「移民を排斥」し「社会福祉」を充実させる。
そんな人々の心が欧州の極右政党やトランプ氏の支持に繋がっているのです。

それは人々や社会をどこに導くのでしょうか?
自分の利益を求めることが社会や自分を幸せにするのでしょうか?

上記2つ目の記事は、トランプ氏の支持者が恐怖と希望に翻弄されている姿を描いています。
感情に翻弄されている状態では、自らの幸せを求めることが自らを不幸にしていくのです。

トランプ氏の支持者は恐怖から他者を排斥すること自らの安全を守ろうとしています。
ですが、この行為は新しい敵を生み出すことになるでしょう。
安全を求めた結果、敵を生み出し、危険を増大させるのです。

このような事態となるのは、自分を超える視点、客観的視点が欠如しているからです。

人は様々な感情を抱え生きています。

感情を満たすことが幸せであり、感情のままに生きていきたい。

もしそう考えている人がいたら、それは捉え違いをしています。
感情的になることで発生するトラブルに多くの人が苦しんでいるのではないでしょうか?
それは感情に翻弄されている状態です。

そして、そんな一人一人の在り方が、
欧州の極右政党やトランプ氏の支持拡大に繋がっていきます。

それを克服するためには客観的視点を育むことが大切で、
群れで暮らす木の花ファミリーは常にそのための実践の場となっているのです。

そして、その暮らしは恐怖ではなく支え合う安心感に満ち溢れています。
安心感の中、客観的視点を育んでいく暮らし。
それはこれから地球環境が厳しい時代を迎える中、必要とされる暮らしです。
そんな暮らしを今年も発信していこうと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

最後にこの暮らしの豊かさとして1月1日の様子を写真でお伝えしますね。

みんなで初日の出を観た時の写真です。

お昼の時間。お兄さんの須佐が小学生のお年玉を上げています。


夕食はおせち料理のビュッフェです。


1人前の料理です。


夕食後は子どもたちが企画した遊びの時間でした。


椅子取りゲームです。


瞬間瞬間気持ちを切り替えていく。


元日の朝、木の花ファミリーのみんなと宮下広場へ初日の出を見に行きました。

みんなで初日の出を観ています。(やすえどん撮影)

元旦の富士山(こちらもやすえどん撮影)

そして、お昼。みんなで集まり食事。乾杯の音頭はいさどんが取りました
以下のその時の言葉です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

年の瀬になると「新年に向けて・・・・」という気持ちになってきます。
そして、年が明けると、新しい気持ちになります。
ですが、宇宙の運行で見ると、いつもと何も変わりません。
地球はいつもと同じように自転と公転を繰り返しています。
旧暦を採用している中国では、新年は1ヶ月ぐらい先となります。
日本でも昔はそうでした。
ですが、西暦を取り入れている現代では、今日新年を迎えることになりました。
それは人間が決めたことなのです。
その人間が決めたことによって、僕たちは気持ちを新たにするのです。

ということは、人間の心はいつでも自由に節目を創り、
気持ちを切り替えていくことが出来るということです。

地球温暖化の影響か、正月だというのにあまり寒くはありません。
昔はもっと冷え込み、空気が凜としたものです。
自然の変化。そのけじめをあまり感じられなくなるのかもしれません。

ですが、人間は自分の意志でけじめをつけることが出来ます。
いつでも気持ちを新たにしていくことが出来るのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

元旦だけでなく、毎日、朝日と共に気持ちを新たにすることが出来ます。
自然の変化がなくとも、ふっと自分を離れ、自分を客観的に観ることで、
いつでも気持ちを新たにすることが出来ます。
毎日を、瞬間瞬間をそんなふうに生きていくことも出来るのです。

そんな姿勢が僕をどこに導くか?

自分を観察し続けていこうと思っています。

木の花ファミリーのみんな



やっぱり天の物語を生きる~新年(2016年)の挨拶として~

2015年12月31日の夜@ひまわりホール
明けましておめでとうございます(^-^)

今年の年越しはひまわりホールにて、子どもたちと一緒に昨年を振り返りながら迎えました。
昨年の8月に行われたKidsキャンプについて振り返ったり、子どもたちの絵をみんなで観たり、
血縁の家族について語り合って過ごしていました。

血縁の家族については昨年の初め、
やっぱり天の物語を生きる~新年(2015年)の挨拶として~」に書いています。
ここでそれを引用しようと思います。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人間が個人として生きる時、様々な特別な関係を持ちます。親子関係や夫婦、兄弟姉妹、恋人や友達など。人は、これらの関係を通して感情を育み、成長していきます。これらは、個人としての自分を育ててくれるとても大切なものです。僕にとっても両親や妹は自分を育んでくれたとても大切な存在です。その恩を忘れることはありません。ですが、これは僕個人の感情であり、大きな視点で見るとそれ以上に大切なことがあるのです。

血縁のお蔭で今、僕は生きている。それも事実ですが、それ以前に、世界が僕を生かしてくれています。宇宙や地球、太陽や雨、動物や植物、微生物など、この世界を構成するすべての要素が今この瞬間も僕を育んでくれています。僕は空であり、木々であり、山であり、土であり、水なのです。僕の中にすべての存在が息づいているのです。


天とは宇宙であり、この世界そのもの。その意思を僕は感じます。だから僕は、木の花ファミリーのみんなと天の物語を生きるのです。それはとてもわくわくする物語なのです(^-^)


☆彡 ☆彡 ☆彡

僕は昨年同様、今年の正月も帰省はせずに木の花ファミリーで過ごしています。
それは両親を避けているわけでもなく、自分に何かを禁止しているわけでもありません。
ただ「流れ」を感じていないのです。

天の物語を生きると宣言してスタートした2015年ですが、
自分の感情に翻弄されることが多々ありました。
自分の願望を叶えようとする気持ちが世界を狭くし、停滞する日々を送ることもありました。
 ※以下の投稿を参照して下さい。

 正しい自己認識が世界を変え、世界に平和をもたらす
 相応しいものになっていく
 空っぽへのあこがれ

こんなふうになったのは自分の中に「自分の物語」を追い求める種があったからです。
この種は自己主張や自己正当化を求め、人や自分の幸せ、客観性などを二の次にします。
昨年の滞りは、この種に対する認識を深める機会となりました。
種を認識すれば、取り除くことが出来ます。
種を取り除き、天の物語を生きていくのです。

天の物語とは、時代の流れであり、それを感じることが必要となります。
この時、自分の想いは脇に置いておくのです。
冷静に客観的に現状を眺め、その奥にある天の想い、時代の流れに想いを馳せます。
そして、「流れ」を感じて生きていくのです。

自分の想いは置いておく。そして「流れ」に従う。

この生き方は不自由なように聴こえるかもしれません。

 「思い通りに生きたい」

そう願った場合は特のそう感じることでしょう。

ですが、天の想い、そして、時代の流れは常に自分の想像を超える存在です。
そこに想いを馳せることは、「思いもよらない」無限の現実へと繋がっていきます。
そうすると、僕らは常にわくわくした気持ちで生きていけるのです。
 ※「望みを捨てて無限の可能性を生きていく」参照。

木の花ファミリーの暮らしはそんな出来事で溢れています(^-^)

話しを帰省に戻すと、こんな姿勢で生きる時、そこに「流れ」を感じていないというわけです。
「正月だから・・・」というのはあまり意味がないように思えます。
なので、僕は木の花ファミリーで過ごしています。
当然ですが、それはずっと帰らないことを意味するわけではありません。

天は僕らにどんな再会を演出するのか?

僕はそれを楽しみにしているのです(^-^)

ということで今年も「やっぱり天の物語を生きる」と宣言します。
天とはこの世界そのもの。皆さまと共にある世界です。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。



木の花ファミリーのみんな





集えば集うほど豊かになる世界

ファミリー通信第84号が発行されました(^-^)

僕も経済について書いています。わーい(*´▽`*)
ファミリー通信に掲載されている文章は文字数の関係で、少し省略しています。
ここには省略する前の文章を載せますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡


夢の世界にいるようで元気を貰いました。
食べ物、雰囲気、味、サービス・・・幸せになりますね。食即ち生命ですね。

今月の「恵みいただきます」。スタッフの集合写真です。


これらは木の花ファミリーで月に一度行われる自然食レストラン「恵みいただきます」に参加された方々の感想です。「恵みいただきます」では、毎回200名近いお客様をお迎えし、料理と共に心をお届けしています。それにより人と人とが繋がり温かい空間が生み出されます。

「恵み・・・」で僕はトナカイになっていました。

個人の幸せを追い求めることが当たり前になっている現代社会では、気づかぬうちに人と人との関係が希薄になり、お金はただの数字となっていく傾向を持ちます。そして、多くの人がその数字となったお金がなければ生きていけないと感じているのではないでしょうか?個人の幸せを追い求めることにより関係が希薄となり不安が発生しているのです。

木の花ファミリーの経済はすべてを共有する心から生まれています。個人の幸せよりもみんなの幸せを追い求めています。そんな心がみんなで支え合う経済を生み出し、お金を通して心が伝わる豊かで安心できる暮らしに繋がっているのです。

木の花ファミリーは老若男女約80名が共に暮らす生活共同体です。多くのメンバーが農事組合法人木の花ファミリーの組合員として、お米や野菜などの農産物の生産や販売、コミュニティ体験型宿泊施設の運営などに従事します。同時に、自然療法プログラムや木の花塾などの教育プログラムの提供、地域のニーズを満たす便利屋事業やイベントの開催、古紙回収や国際交流など、木の花ファミリーと連携して様々な社会貢献活動を行っているNPO法人ぐりーんぐらすの事業に協力をしています。どちらの法人とも雇用契約は結ばず、メンバーは一人ひとりが独立した個人事業主として事業に関わります。それは、組織に属するのではなく、自立した個人が自らの意志によって集い、連携しているということです。


そしてそれらの事業によって得られた収入は、役割や能力などに関係なく、みんなで平等に分け合います。また、福祉施設からの依頼を受け、看護師や介護士として働きに出ることで収入を得ているメンバーもいます。このような方法で得た個人資産から、メンバーはそれぞれの収入に応じた生活費を、生活共同体木の花ファミリーへ拠出します。そして、医療費や子どもの教育費、税金や光熱費、日常の消耗品に至るまで、日々の生活に必要な支出はすべて、この共通の生活費からまかなわれます。その額は、一人当たり平均で年間25万円ほどです。みんなで支え合って分かち合う自給自足の暮らしが、少ない金額で不安のない豊かな暮らしを可能にしているのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この文章で僕が表現したかったことは繋がり合うこの世界の豊かさ、
集えば集うほど豊かになる世界です。

ファミリー通信第84号では、みつばちの生態や介護士のみっちゃんが老人福祉施設で感じたこと、そして歌う天然循環養蜂家ちなっぴが天然循環直観養蜂家いさどんと共に仕事をする中で感じていることなどが語られています。

そこには、大自然の中で、美しい連係を表現するみつばちさん。
そして、地球のためにそのみちばちさんのお世話をするいさどんとちなっぴ。
そして、そのみつばちをモデルとし、赤ちゃんからお年寄りまで個性豊かな人々が集う木の花ファミリーの姿が描かれています。

経済だけではなく、多様な切り口で、
「集えば集うほど豊かになる世界」が描かれています。

是非、読んでみて下さいね。

最後にその豊かな世界の一つ、今月の「恵みいただきます」の写真を紹介しますね。

当日お客様に提供したお料理です。



くじに当たったお客様にはハンドベル演奏と手づくりクッキーをプレゼント(^ー^)



同時開催のたんぽぽカフェでは食養生のプレゼンが行われていました。

サンタさんたちです。


未知の境地に心を開く


昨日(12月22日)は冬至でした。冬至について地球暦のサイトでは以下のように書かれています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

地球暦が二十四節気のひとつ「冬至」をお知らせします。

The day when the length of a day becomes shortest.
春分から270度経過した仲冬の半ばの地点です。

“日短きこと至(きわま)る”という意味の「冬至」は、
一年で太陽が出ている時間が最も短い日。つまり、夜が最も長い日です。

“陰極まりて陽に転ず”の一陽来復(いちようらいふく)のときで、
今日から少しずつ太陽の出ている時間が長くなり、
反対側の夏至へ向けて光が増えていきます。
冬至は、古くは生命の終わりを意味し、
新しい命の再生復活のときと考えられていました。

これまでの厄を払い、禊や浄化、大掃除などで清めることで、生活を一新し、
心機一転して新年を迎えるときです。


無病息災を願い、かぼちゃや芋類をはじめとした陽性の食べ物を食べて免疫力を高め、
冬を乗り切りましょう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

冬至は「古い生命が終わり、新しい命の再生復活の時」です。

そんな冬至を前にして、木の花ファミリーから2つの文章が発信されました。



2013年11月に出会ったカタカムナ
2014年は毎月勉強会を開催し、2015年3月からは研究会を開催してきました。
それを終了するのは、知識欲を満たすのではなく、その精神を実践するということであり、
生活で実践するためのカタカムナの学びを構築していく試みでもあります。

カタカムナを実践するということは、自分の願いを満たすことではありません。

自分のご利益のために学ぶ。
自分の視点で解釈をしていく。

そんな姿勢ではカタカムナの精神を極めることは出来ず、
ただ知識欲を満たすだけになってしまうのです。

カタカムナの精神を極めるために必要なのは、
木の花ファミリーで20年間最も大切にしてきた、
群れで成立するための心磨きです。
心磨きについて上記の文章では以下のように説明しています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

これは、己の外に出て自らを観察する能力を磨く事であり、誰の側にも立たない、
言わば宇宙視点で自分さえも突き放して観ることができる境地を指すものです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

このような実践を日々行うことが何よりも大切であり、
その中で新しい学びを構築していくのです。

カタカムナ研究会の終了はその決意の現れでもあります。

そんな決意の下、迎えた冬至ですが、
大人ミーティングではメンバーの未熟さが目立つ結果となっています。

そんな大人ミーティングについて、いさどんは以下のように言いました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

大人ミーティングには、未知のものに心を開く姿勢が足りないのです。
未知のものの心を開くとは、自分の解釈を超えていくことであり、
その時、無限の世界、無限の可能性が開かれていくのです。
もし、その場に高い視点からの言葉が降りてきたとしても、
自分の解釈の中にいたのでは、それを受け取ることは出来ないのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

話しを聴いていて、それは日常の姿勢が現れているのだなと思いました。
日常生活を自分の解釈の下に送っているから、
それがそのまま大人ミーティングに現れているのです。

例えば、僕は昨日、みきちゃんひとみちゃんから
一年に一度の境地」についてのフィードバックを貰いました。
それは「苦しみに焦点が行き過ぎている」
「わざわざ苦しみに行きたがっているように見える」というものでした。

この投稿で僕は「苦しみを超えて、一年に一度の境地にいく」と書いています。
そして、そのことを前向きな態度として捉えていました。
ですが、これは僕の解釈であり、僕の物語なのだと気づきました。

一年に一度の境地。

ということは、それは過去に経験したことがある境地ということです。

なぜ過去に経験してことがある境地を求める必要があるのでしょう?
その態度が、自分を狭い世界、自分の解釈の中に閉じ込めるのです。

あー、あぶない、あぶない(^_^;)

こんなふうに気付かぬうちに自分を自分の中に閉じ込めていくのです。
ですが、群れでの生活がそんな僕を助けてくれるのです(^-^)

そう、なんにせよ、過去の特定の心の状態を求めるのは執着です。
それがどんなに素晴らしいものであったとしてもです。
未来は無限に開かれていて、未知(みち)の道(みち)なのです。

冬至を迎えて。

過去の特定に境地を求める自分は死んで、未知に心を開く自分が復活しました。

未知(みち)の道(みち)を満ち満ちた気持ちで楽しもう!!!!

冬至の朝の太陽です。
12月16日 収穫感謝祭にて
冬至の朝の富士山です。



一年に一度の境地

もうすぐ2015年が終わります。

年が明けたら、農事組合法人の決算処理と個人の確定申告の準備をすることになります。
これらについては「世界のお金がみんなのお金になるように。」に詳しく書いていますが、
やり遂げるためには、自分の能力以上の力を発揮する必要があります。
僕は毎年2月、そのプレッシャーから身体を壊しています。

来年は身体を壊さないように。
今から心の準備をしておく必要があります。

毎年2月はとても苦しい時間を過ごします。
ですが、その苦しみを超えると、一つの境地に達します。

木の花ファミリーのお金の流れすべてが、自分の身体に一部のように感じるようになるのです。

 世界のお金がみんなのお金。

それはそんな感覚から生まれた言葉です。

木の花ファミリーは、農事組合法人やNPO法人ぐりーんぐらすなどの法人経営をしており、
80名近いメンバーが共に暮らしています。
多種多様な存在から成り立っていると言えます。
そのどこにお金があろうと全部同じ、
すべてはみんなの暮らしを豊かにし、
その結果、世の為人の為になるように使われるのです。

それは世界の縮図です。

世界には多種多様な組織、そして人々がいますが、
みんなでみんなの暮らしを豊かにするようにお金を使っていくことが出来るのです。

その姿を確かにイメージできるようになるのです。

農事組合法人の決算&個人の確定申告のプレッシャーは僕を憂鬱にします。
そこから目を反らしたくなります。
ですが、自分が辿りつく境地は重要なのではないかと思えました。

僕の感覚は宇宙の感覚です。

僕が苦しみを超えて、この世界のお金を一つと感じる境地に至る時、
宇宙がその境地を経験していくのです。

それはもしかしたら、宇宙が初めて経験する感覚かもしれません。

市場経済が発展する前は、お金の循環は社会全体を豊かにしていたのかもしれません。
ですが、その頃のお金の循環はとても単純だったと思うのです。
こんなにお金の流れが複雑になり、だけれども、それを一つの流れとして捉える。
そんな境地は歴史上初めてなのではないでしょうか?

ならば、今自分がここで感じている境地はこれからの歴史を創ることになる。
僕の境地が宇宙に伝わり、それが少しずつ蓄積され、そして歴史となっていく。

なんてね。

ちょっと誇大妄想?????

かもしれませんね。

でもそんなふうに思えた今、きっと僕はプレッシャーに負けないでいられると思います。
苦しみを超えて、一年に一度の境地に至ります。

そしていつかきっと、それは一年に一度ではなく、ずっと続く境地となるのでしょう。

僕は山を登ると同時に川を下る。

つまり世界に遍満するということ。

その時、世界のすべてのお金の流れが、自分の身体に一部のように感じているでしょう。









逆さまな世をひっくり返す

COP21にて「パリ協定」が採択されました(The Huffington Post 参照)。
これは先進国と途上国が共に助け合いながら、地球を守っていくための約束であり、
不十分ながらも歴史的な一歩を踏み出したと言えるのでしょう。

ですが、大切なのは実行に移すことです。

経済成長と環境保全。
個人の利益と全体の調和。

今の社会は経済成長、そして個人の利益を優先しているのではないでしょうか?
今の危機的な状況はその結果起きていると言えると思います。

物事が逆さまになっているのです。
その逆さまなものをひっくり返す必要があるのです。

2016年1月30日に開催される木の花祭り
そこに登場する金神さまと翁の問答(「鬼の心を育む」参照)にもそのことは描かれています。


艮の金神さまです。

逆さまなものをひっくり返す。
そのために一人一人が「御魂(みたま)」を磨く必要があるのです。

ところで話は変わって、年末になると実家に帰ることが頭をよぎります。
両親に会いたくなって帰りたいなと思ったりします。
この時、僕の心には「温もり」の記憶が呼び覚まされています。
そして、愛おしくなります。
ですが、僕も両親も未熟な人間です。それぞれ独自の性格を抱えています。
だから、実際に会った時には想像とは違ったものになるのです。

自分の未熟さに向き合うことが大切なのだと思っています。
浮かび上がる幻想的な「温もり」に流されるのではなくて。
自分の未熟さと向き合い超えていく時、僕と世界が変わっていくのです。

「温もり」は特定の人に対する幻想的な記憶の中にだけあるものではありません。
心を開けば、それはこの世界の至るところに存在します。

個人の利益と全体の調和。

自分のという意識に囚われているからそれらは対立するのです。
自分という意識が広がっていて、境界がなくなっていけば、世界と自分は一つです。
その時、みんなと繋がり、そこに「温もり」も生まれてきます。
特定の存在は必要とせず、すべての存在とこの世界の豊かさを味わえるのです。

それが「御魂磨き」だと思います。

今、多くの人が個人の願望を叶えることで、
幸せになれると思っているのではないでしょうか?

ですが、願いが叶うと「思い通り」という狭い世界に入っていくことになります。
そして、そこから見える世界を生きて、実際の世界からは切り離されていきます。

願いを手放し、すべてを委ねる時、「思いもよらない」出来事が起こります。
それは想像を超える出来事で心を開けば、わくわくドキドキして生きられます。
そして、その出来事は世界からの投げ掛けであり、世界と自分が一つになるのです。



こんなふうに逆さまになっている価値観をひっくり返していく必要があります。

11月21日~23日、木の花ファミリーで開催された大人サミットから生まれた宣言は
そんな言葉となっています(※「大人サミット宣言」参照)。

こんなふうに世の中をひっくり返そうとしている人たちが増えています。
みんなで一緒に逆さまな世の中をひっくり返していきましょう(^ー^)

その一つの取り組みとして、木の花祭りで共に舞い踊りましょうね。








鬼の心を育む

12月7日は24節気の「大雪(たいせつ)」でした。
地球暦のサイトでは「大雪」について以下のように書かれています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

【TIME】2015/12/07 19:53
大雪(たいせつ)Great Snow
地心黄経240度、日心黄経60度
地球暦が二十四節気のひとつ「大雪」をお知らせします。
A bitter wind blows and snow falls heavily.

春分から255度経過した、仲冬のはじまりの地点です。

冬のまんなか、仲冬のはじまりの「大雪」は、山岳ばかりでなく平野にも雪が降り積もる季節ということからついた呼び名です。氷が張り出して、街はクリスマスの飾りでにぎやかになるころ。一年を一日にたとえると午後11時くらいにあたります。

本格的に冬の充足期間に入り、精神的、哲学的により思索を深めるときです。立春までの2ヶ月間の冬の取り組みで、来春の流れが変わってきます。今は現実的に物事が動かなくても、理想や信念を大切に行動しましょう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

2ヶ月後の立春を前にした2016年1月30日(土)には、富士浅間 木の花祭りが開催されます。



木の花祭りは、愛知県東栄町で行われている国の重要無形文化財花祭り
富士の地で継承したもので、今度で4度目の開催となります。

 生まれ 清まり 舞い踊り うれし たのしの 世が開く

木の花祭りは、観客も「セイト衆」と呼ばれ、
舞手と共に主役となり、みんなで歌い、舞い踊るお祭りです。

そこでは、世界中からご聖水が集まり、湯釜に注がれ、交じり合い、火にかけられます。
その周りをみんなで舞い踊り、心も一つに溶け合っていきます。
 ※「世界中のご聖水と共に~2016富士浅間木の花祭り~」参照

皆さんも是非、ご参加下さい(^-^)

立春までの2ヶ月間は、木の花祭りまでの期間となるのです。

山見鬼と伴鬼です。
さらに説明を加えると、このお祭りは鬼たちが主役となっています。その鬼についてカタカムナの単音で調べると以下のような意味となります。

「オ」 6方(前後左右上下)へ限りなく拡散、または凝縮する思念。大きい 重い 奥の方・潜象の場  ※潜象界とはカタカムナでは「ない世界」のこと

「二」 定着する

この意味を発展させて「いさどんと鬼の面」では鬼について以下のように説明しています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「オニ」とはマクロにもミクロにも限りなく広がる現象界、および現象界の元になる潜象界をも含む、両方の世界の働き(仕組み)を定着させるものである。そして、「鬼が云う」と書いて「魂」となる。魂とはこの世界の仕組みのもとにある心で、鬼は人間に、この世界の道理を伝えるものなのである。

☆彡 ☆彡 ☆彡

怖い顔をして怒っている鬼。その怒りは道理を伝える人間への鬼の愛なのです。
そんな存在の鬼たちも木の花祭りを創っていきます。

榊鬼(さかきおに)です。
その鬼たちの中でも特に重要なのが榊鬼(さかきおに)で、鬼の総大将です。

榊鬼は、木の花祭りの中で、斧を振るって、
「反閇(へんべい)」と呼ばれる大地を力強く踏みしめる所作を繰り返し、
大地を祓い(はらい)清め、
真冬になって地中に沈み込んだ精霊たちを、呼び覚まし復活させます。

新しい生命が次々と鼓舞されて出てくる瞬間であり、
それは春の訪れの瞬間(立春)と言えるでしょう。

来春以降の新しい生命の息吹に向けて。
大雪だけに大切にしよう!とみんなで確認をしました。

 「今は現実的に物事が動かなくても、理想や信念を大切に行動する」

それは鬼が伝えてくれる道理に従って生きていくことであり、
そのために精神的に、哲学的に思索を深めていくのです。

ところで僕は他者に対して文章を書く時、
「攻撃的になっている」というフィードバックを貰うことがあります。
最近もそのようなフィードバックを貰いました。

それは技術的に「どうこうする」ということではなく、僕の人間性が現れているのです。
そのようなフィードバックを通して、僕は「自分」を教えて貰っているのです。

この攻撃的ということに関しては、ハリネズミの姿が浮かびました。
自分を守るために攻撃的になっているという感じです。
決して積極的に攻撃しようとしているわけではなくて、
それだけに自覚が難しくもあるのです。

ですが、この攻撃性の種は見えています。

 自分を守ることで自己主張をする。
 違いを際立させることで自己主張をする。

そんな心が自分の中にあり、刺激を受けると反応するのです。

 繋がり合う安心感。

そんな心に自分が満たされていたら、きっと攻撃性は出ないと思います。

そして、安心感は、道理や筋を通すこと、自分の中心を保つことで育まれます。
道理を通すことで、宇宙の法則が明らかになり、
それに生かされていることが明らかになるからです。

道理の伝えるのが鬼の存在。

自分の中に鬼の心を育むことにより、
安心感が生まれ、攻撃性はなくなっていくのでしょう。

日々の暮らしの中で、そんな実践をしていきます。

そして僕は木の花祭りで鬼を演じるのですが、
日々の実践により、そこに魂をこめていくのです。

さて、先に鬼の総大将として榊鬼(さかきおに)を紹介しましたが、
僕たちは榊鬼を地球神である「国常立大神(くにのとこたちのおおがみ)
・「艮(うしとら)の金神(こんじん)」と捉えています。
国常立大神は、地獄では閻魔(えんま)様となり人々に喝を入れますが、
弥勒菩薩となり幸福な未来へと人々を導く存在でもあるのです。

この艮の金神ですが、長い間、封印されてきました。
それは好き勝手したい八百万の神々が道理を通す艮の金神を疎ましく思ったからです。
そのことにより世は乱れ、現代に至っています。

今、艮の金神は復活の時を迎えました。
木の花祭りではこの艮の金神の復活もみんなで祝い、共に舞い踊ります。
以下、その時、翁と金神が交わす問答を紹介しますね。

※富士浅間木の花祭りに艮の金神が登場するまでの物語を、
 こちらにてご覧いただけます! →『木の花記〜金神様の巻〜』


艮の金神です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

金神様と翁の問答              

 
  
伊勢天照皇大神 熊野権現 富士浅間 ところは当初の氏大神。木の花の佐久夜の御庭におわします、金色(こんじき)の尊き姿の御身は、どなた様にてござりましょう。

金神  

この方(ほう)は、艮の金神と申す。
時いよいよ来たれり。この度は、地球(くに)最後の天意転換(たてなおし)。一度に清める神幽顕の三千世界(みちよかい)。 汝らの宇宙(うつ)、光一つ上ぐる仕組み。今の世は「我よし、力よし」の獣の世、蛇の「あやま知」支配する、穢れ(けがれ)逆巻く魔釣りの世。

      

艮の金神とはいかなるお方にてござりましょう

金神
 
この方(ほう)は、宇宙(うつ)を創りた元つ神。こ度の宇宙(うつ)の天意転換(たてなおし)、始原(はじまり)の、時より決まりてありた事。この方隠れている間、「我よし」「あやま知」逆巻いて、神が息の出来ぬほど、穢れ(けがれ)汚れたこの世界、最後の最後の大仕上げ。この方再び現れたなら、光に穢れ(けがれ)混じること、適わぬ(かなわぬ)世となるべきなり。古き仕組みに変わりたる、新たな仕組み始まれり。
縁ある御魂引き寄せて、掃除洗濯 済みしものより、神の使える器となりて、こ度の尊き天意転換(たてなおし)、汝らご用に使うてやる。


一度はお隠れなされた御身が、再び現れ出る(いでる)と申されるか

金神  

いかにも。この世は逆さまじゃ。どうにもならぬ者どもを、今から改心させるため、世の中ひっくりかえすぞよ。これからは、神人(かみびと)、天地が一体の「弥勒の世」が始まるぞ。
故に皆々様、御魂磨いて下されよ。御魂磨かずおられては、使えるものにはならぬぞよ。
神多くの人民の、御魂目覚めて欲しいのぞ。汝ら皆々大切な、地球(くに)の日月の神々じゃ。
一なる花を二の花へ、二なる花を三なる花へ、大和の御魂を呼び覚まし、腹にまことを据えるのじゃ。
この心、天教山より日の本の、隅々にまで広げるぞ。汝らその役、引き受けられい。

      

引き受けましょう。我らこれより「弥勒の世」、創らんがためありましょう。

金神  

一度は渡したその榊。天の元に供えられい

(金神は後ろを向く。翁が榊の枝を金神の腰に差して退場する。
金神、根付きの榊に持ち替えて、四方でへんべいを踏んだ後、神座に戻る)

皆々様、いよいよ金神動くぞよ。さすればこの世、嬉し嬉し、愉し愉しの世となりて、真(まこと)の世が花開く。皆々笑え、愛し合え。真(まこと)次々現れくるぞ。
あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり、日本晴れ。
オー、オー、ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト オー。
真(まこと)の神が現れる。神人(かみびと)共に現れる。弥勒の世の幕開けじゃ。
真(まこと)の真釣り(まつり)始まるぞ。新たな時代へ、船出の時じゃ。幕開け祝い踊ろうぞ。


☆彡 ☆彡 ☆彡

これより うれし たのしの 世が始まります。
道理の光が人々の心を照らし、世界を照らします。
光の中を共に舞い踊り、新たな時代を楽しみましょう(^-^)


みんなで舞い踊っています。

不寛容や違いを超えて生きていく。

昨年のノーベル平和賞授賞式の際、
僕は「不寛容の心と向き合う」という記事を書きました。

昨年はカイラシュさんとマララさんがノーベル平和賞を受賞しましたが、
僕は児童労働に取り組むカイラシュさんの話を一度だけ聴いたことがありました。

カイラシュさんは平和賞の授賞式で、今日の最大の危機は不寛容であり、
思いやりにより不寛容を超える大切さを訴えました。

不寛容は社会の断絶をもたらします。
その断絶を超えるために必要となるのが対話です。
その対話の重要性を示したチュニジアの「国民対話カルテット」が
今年のノーベル平和賞を受賞しました。

国民対話カルテットについては、六辻さんのブログ
チュニジア「国民対話カルテット」のノーベル賞受賞-その軌跡と意味
がとても参考になりました。

人々の意見を尊重する民主主義は、違いが表面化し、時に分断の危機を迎えます。
ですが、その分断の危機を国民対話カルテットは対話により乗り越え、
統合へと導き続けているようです。

その国民対話カルテットは、ノーベル平和賞の受賞式で、

「今こそ世界で対話を進め、お互いの多様性や違いを認め、
平和的に共存する方法を見つけなければならない」

と対話の重要性を訴えたようです。
 ※あとで全文を確認します。

ですが、対話も「ただすればよい」というわけではなく、
思いやりなど他者を尊重する心をそれぞれ育む必要があるのでしょう。
そういう心が育てば、自然と対話が生まれるのだと思います。

ところで、民主主義はイギリスの産業革命に後押しされ発展してきました。

産業革命から現在まで250年経ちました。
それは地球の誕生から現在までを1年と例えるとたったの2秒だそうです。
その2秒の間の価値観が大きく自分たちに影響を与えていると思いませんか?

個人の幸せを追い求めることが今では当然とされていますが、
それは近代から現代に掛けて形成された価値観です。

みんなの幸せを追い求めることが結果自分を幸せにする。

そんな暮らしもあるのです。

たった2秒の価値観。

そこを離れて人間そのものを見ていく。

その時、違いよりも共通するところが見えて人と人とが分かり合えます。

そんなふうに生きていくことを心掛けましょう。

木の花ファミリーのみんな@日本平動物園



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