∞(無限)に開かれていく

僕はいさどんから以下の言葉を貰っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「なかのんのブログに書いている事は仕上がってきてはいるが、
実際の心情についてはまだ仕上がっていない」という事でもある。
微妙な所だけど、ブログには「僕にはこの道しかない」となかのんは宣言している。
心情的には何かが残っているんだけど
「僕にはこの道しかないから、辛くても行きます」
というような事になると、目指すものと違う。
目指す所は、「人間を磨いていくと磨くことによって次の次元、
高い意識になって自ずと新しい現象に出会う、
自ずと過去に自分が思ってた事が叶うという事がある」という話だよ。
それは、目指していく事でもなければ、
それが尊い事だからといって我慢していくという事でもない。
それでは目指す所と違う世界になってしまう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

この時、いさどんは僕について
なかのんが自分の担当以外の事を全然考えていない
とも言っています。

・ 心情的には何か残している。

・ 自分の担当以外のことを全然考えていない。

この2つは同じことを言っているのだと思っています。
心情的に何かを残すとは、自分の心情に囚われ、
そこから自由になっていないということです。
そして、「自分の担当以外のことを全然考えない」ということは、
自分の担当という範囲に囚われ、そこから自由になっていないということです。

どちらもテーマは自分自身の解放です。
自分の心情や自分の担当という枠を超えて、自分自身を表現していく。
いさどんの言葉は僕にはもっとそういうことが出来るというエールなのです。

話しは変わって。

昔、人々は神話と共に生きていました。
彼らの居住空間はそのまま宇宙の表現であり、世界と自分たちが繋がっていました。
移動する範囲や見聞する範囲はごくわずかであったとしても人々は宇宙と繋がっていたのです。

今、テレビや新聞、インターネットを通して世界中から様々な情報が入ってきます。

・ イスラム国が住民をモスルに強制移動させて人間の盾にしている。
・ イエメンで政府軍とフーシ派が衝突。
・ シリア学校空爆 子ども22人死亡。
・ 地中海渡る移民の死者、年初から3,800人に達し、通年ペースで過去最多。

こんなふうに沢山の悲惨なニュースが流れて来ますが、
日本での暮らしとの繋がりを意識している人はごくわずかなのではないでしょうか?

広範囲からの情報が入るようになりましたが、人々は世界との繋がりを失っているのです。

またまた話は変わって。

木の花ファミリーでは毎年立春前に、富士浅間木の花祭りが開催されますが、
そこでは艮の金神さまの神話が表現されています。





以下、金神さまの神話を少しだけ紹介しますね。

☆彡 ☆彡 ☆彡

宇宙の創造神である七代の神々が世に現れ、
そこから個性豊かな八百万(やおよろず)の神々が次々と生まれた神代の時代。
自由気ままに振る舞おうとする八百万の神々に、
地の大神様は世を乱さぬようにと心の掟を厳しく説かれました。
地の大神様は名を国之常立大神(くにのとこたちのおおかみ)といい、
その厳しさ故に八百万の神々から疎まれておりました。

「こう厳しくされてはかなわん。何とかならないものか。」
相談した八百万の神々は、天の大神様のもとへと向かいました。
「どうかあの神様にご退陣頂けるようお願いくださいませ。」
八百万の神々の懇願を受け、天の大神様は国之常立大神にこう伝えました。
「すまないが、一度この世の表から退いてくだされ。
しかし、いつか必ず世が立ち行かなくなる時が来る。
その時再び現れ、この世界を立て直してくだされ。」

それを受けた国之常立大神は、艮(東北)の方角へと退かれ、
それより後「艮の金神(うしとらのこんじん)」と呼ばれるようになりました。
そしてこの方角は「鬼門」として恐れられ、封印されたのです。


それから、長い時が経ちました。
八百万の神々が好き勝手に振る舞った結果、世の中は荒れ放題。
自分さえ良ければ良いという「我よし」、
力あるものが弱いものをねじ伏せる「力よし」の世となり、
まさしく、かつて天の大神様が
「いつか必ず世が立ち行かなくなる時が来る」
と言われた時代が訪れたのです。




☆彡 ☆彡 ☆彡


今、日々流れる悲惨なニュースを見ると、まさに「我よし」「力よし」の世の中と言えます。
それは八百万の神、その影響を受けた人々が好き勝手に振る舞った結果です。

人類は長い間、自らの願いを叶えることを喜びとして来ました。
願いが叶った時、確かに喜びが生まれますが、
すぐに次の願いが生まれ、欲望は際限なく続きます。

結果、社会は混乱の極みにあります。

願いを叶える。

それは自分主体の姿勢であり、関心が自分に集まり、
人々は世界との繋がりを失っていきました。
思い通りに生きているようで、
実は自らを「願い」という狭い世界に閉じ込めているのです。

金神さま、国之常立神は地の大神であり地球そのものです。
金神さまが復活することにより、
人々は主体を自分から地球という大きなものへと移し、
それは宇宙へと繋がっていきます。

すべての生命を生み出し維持している地球。
それは個々人から見たら∞(無限)の大きさを持つものであり、
過去から未来へとすべての存在を繋いでいきます。

その立ち位置で自分というものを表現していく。
それは出会った出来事から
時代が生み出す大いなる物語を読み解き見ていくということです。

その時大切なのはしっかりと心を把握しコントロールしていくことです。
自分を知り把握出来れば、コントロールする可能性が開かれます。

頭ではばかげていると思っても心情的にはリアルなことがあります。
その時、心情に従っていたら、主体が自分となり変化はありませんが、
心情自体を変えていければ自分と現実は変化していきます。

それが変化変容を本質とする地球や宇宙を主体として生きるということです。

だから何より自分と向き合い続けることです。

そして心を創っていくことです。

僕は心にメスを入れ続け、変幻自在にしていきます(^-^)

心が変わればすべてが変わるのです。

それは思い通りになるということではなく、
大いなるものへと自分自身を解放していくということです。

それが富士浅間木の花祭りを毎年開催している意味であり、
冒頭のいさどんの言葉に含まれている僕へのエールなのです。


ちなみに一昨日の29日、木の花ファミリーでは誕生日会が開かれ、
そこで子どもたちが富士浅間木の花祭りの演目を披露してくれました。
とっても可愛らしかったです(^-^)


富士浅間木の花祭りの演目「花の舞・やち」です







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