すべての土台は心磨きにある!

1週間ぐらい前、富士山を前にしてジャンプしながら腕を振り回していたら、肩が筋肉痛になってしまいました(-_-;)。余分な思考を振り払いたくてやっていたのですが、思い切り振り回し過ぎました・・・。

筋肉痛は予想外の事態ですが、これからも時々なこんなことをしようと思っています。
余分な思考から自由になって目の前の出来事に開かれているように。(^-^)。

早朝の富士山です。


ところで、16日~17日に掛けて池田志朗さんと勝芳邦さんが木の花ファミリーを訪れました。17日の午前中、僕はお二人を施設&圃場見学にお連れしました。

木の花ファミリーでは自給用に醤油を作っていますが、まずはお二人に醤油樽をお見せしました。ちなみに醤油作りの工程は簡単に書くと以下のようになります。

炒った小麦を挽き割りにして、種麹を混ぜたものに冷ました蒸し大豆を混ぜ合わせ、4日間ねかせます。そうするとモスグリーンの美しい麹が出来きます。それに水と塩を足して、毎日櫂入れをし、ふた夏越したものを絞ります。※詳細はやすえどんのFacebookページをご覧ください。

醤油のもろみです。
醤油樽に入っているもろみを見ながら、池田さんは以下のような話をして下さいました。

醤油樽と呼んでいますが、このように天井が空いていて、蓋が置いてあるだけのものは桶なのですよね。樽というと完全に密閉したもので、運搬に使用したり、ワインのように密閉した状態で長期間貯蔵するものに使用されます。醤油を醸造させているこれは桶なのです。

桶はに開かれています。醤油の醸造室は、桶から微生物が飛び出し部屋全体が微生物でいっぱいになります。それはそれは特別な空間を創り出します。そして桶自体にも微生物が住みつきます。桶に種麹を入れた段階では、微生物の種類は20種類ぐらいなのではないでしょうか。大手企業の醤油は、温度調整をして2ヶ月で醸造させてしまうので、微生物の数はそのままです。ですが、木の花のように桶でふた夏越したものは微生物の数がおそらく2000種類ぐらいに増えています。そのため味の深みは5倍になります。ここの醤油は本当に美味しいですよね。

そして桶は使いまわしをしますが、大切なのは桶を乾かさないことです。水分を含んでいると桶に含まれる微生物は死ぬことがなく次の醸造へと引き継がれていきます。そして、そこで醸造される醤油の味はどんどん深みを増していくのです。

天に開かれた空間の中で微生物の働きにより小麦や大豆から醤油へと変化し循環していく。木の花の醤油作りは、まさに天然循環と言える取り組みですよね。

カタカムナに出会うことによって、僕たちはこの暮らしを天然循環と呼ぶようになっています。池田さんはそれを別の切り口で表現して下さり、とても面白かったです。


その後、僕たちは鶏舎を経て、ナスやキュウリなど夏野菜が植えてある畑に移動しました。お二人とも畑を見て、その空気の清々しさ、そして整然と植えてある作物の姿に感動して下さいました。その上で池田さんは以下のような話をして下さいました。

夏野菜が植えられている畑です。


燕麦やソルゴーの漉き込み(すきこみ)や敷草などを炭素資材と言いますが、それは正確ではないのです。炭素よりも重要なのではむしろ珪素(けいそ)で、もみ殻や落ち葉は珪素が豊富に含まれています。作物は、光合成によって、炭素を大気からも取り込むことが出来ますが、珪素については落ち葉などの資材を投入する必要があるのです。

水晶は二酸化珪素が結晶化したもので、それは人の心と影響し合います。どんな気持ちで作物に関わるかが大切になるのです。例えば、欲の心から関わると、作物は成長しません。そうすると多くの人は窒素を投入します。窒素を投入すると窒素過多になり虫が発生します。欲しい欲しいと思う気持ちが悪循環を生み出しているのです。ですが、純粋な心で作物に接するならば、珪素はその心に反応し、作物はすくすくと育っていくのです。

僕たちは今、作物が持つ本来の響きを響かせることを大切にし、自らの心をきれいにして作物と向き合うことを心掛けています(天然循環法)。池田さんのお話を聴いて、珪素はそれを裏付ける元素だと思えました。
※天然循環法については『木の花ファミリー通信Vol.80』をお読みください。

生命活動を維持するために必要な農作物ですが、その土台は心磨きによって成り立っているのです。そして、心磨きとは日々の一つ一つのことを大切にし、自らの立場を手放していくことです。

小学校4年生のきよは、心磨きについて以下のように語っています。

『心をきれいにすること。みんなと、話し合ったり、伝え合ったりして自分を見ていくこと。あと無農薬とかの正しい食べ物を食べること。正しい食べ物を食べると心がきれいになるんだよ。』

続けて毎日を気持ちよく過ごす秘訣として以下のように語っています。

『いっぱい働いたり、体育で運動したりして、全部のエネルギーを全部使った日はいい日。だらだらしちゃった時はつまらない日なの。朝起きてエネルギーをありったけ使いきって、疲れて眠ってまた、エネルギーがたまってそれをまた使い切る!そんなふうに過ごせた日はいい日だよ!』

こんなことを語るきよと共に暮らせることはとても幸せなことです。

きよだけでなく木の花の子どもたちは本当にたくさんのメッセージを大人に知らせてくれます。例えば、天然生活in木の花ファミリー『木の花ファミリーで起きたこと~子どもから学ぶ~』には、昼食時、他の子どもが賑やかにしている中、自分だけ静かにしていることに怒っていたたくくんが描かれています。僕はたっくんの隣に座っていたのですが、そのたっくんの気持ちに全く気付きませんでした。ひとみちゃんが尋ねたことにより初めて気づいたのです。

人の気持ちに気づかない。たっくんはそんな自分の至らなさを教えてくれました。これでは1週間前に、筋肉痛になるまで腕を振り回した意味がありません。痛みを生かしてもっともっと心を開いていこうと思いました。きっとその姿勢がこれからの世界を明るいものにしていくことでしょう。

木の花の子どもたち(小学生) 右下の女の子がきよです。

木の花の子どもたち 黄色い服を着た子がたっくんです。





僕らは宇宙を旅している。

ある日、瞑想をしていると、いさどんはいつものように体の外へ抜け出しました。ところがその日は、まるでロケットが打ち上げられるように、ぐんぐん上へ上がっていくのです。ぐんぐんぐんぐん上がって、ついには宇宙空間へ飛び出してしまいました。
月を背にして、いさどんは地球を見ました。
なんて美しいのだろう・・・。
宇宙空間に浮かぶ、青い星。それは奇跡のような美しさでした。
ところがその美しい星に、ところどころケロイドのようなものが観えるのです。それは都市や破壊された森林など、人間の行いの跡でした。人間たちの行いが、まるで皮膚ガンのように、地球を蝕んでいるのです。
いさどんの心に、強い懺悔の想いが湧いてきました。
大きな視点で捉えれば、それはこの星が成長していく過程であるとも言えるかもしれない。しかし、まぎれもなく自分は今、それを目にしていて、そして地球をこのような状態にしている原因が自分自身の中にもある。もっと自分が優れていれば、もっと人々に伝えていける力があれば、こんなことは起きなくていいはずだ。
全ての人間の中に、こういったことを引き起こす種がある。いさどんは、そのことを自分の罪として懺悔しました。それは誰かに対して、何かに対しての懺悔ではなく、ただ目の前にある美しく尊いもの  ━━━━━  それは自分自身であり、奇跡ともいえるもの  ━━━━━  そういうものが侵されていることに対して、自然と湧き起こってきた想いでした。
地球が何ものであるかを知った者として、自分はこの地球の真実を伝えていこう。宇宙空間から地球を眺めながら、いさどんはそう心に決めました。やがていさどんは宇宙空間から解き放たれて、地球へ帰り、気が付くと瞑想している自分の体へと戻っていたのでした。
☆彡 ☆彡 ☆彡

上記の文章は、いさどんブログ「木の花記 ~金神さまの巻~」からの引用です。いさどんからこの話を聴いた時、僕はユングのことを思い出しました。ユングも身体を抜け出し宇宙に行った経験があるのです。以下、『ユング自伝-思い出・夢・思想』から引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「とにかく途方もないことが、私の身の上に起こりはじめていたのである。

私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのがみえ、そこには紺碧の海と諸大陸がみえていた。

脚下はるかかなたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。

私の視野のなかに地球全体は入らなかったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭は素晴らしい青光に照らしだされて、銀色の光に輝いていた。

地球の大部分は着色されており、ところどころ燻銀のような濃い緑の斑点をつけていた。」


☆彡 ☆彡 ☆彡

この記述を受けて立花隆さんは『臨死体験』の中で以下のように述べています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

このあと、彼が宇宙から眺めた地球の姿の記述が続くのだが、それを読んで私は驚いた。

それが客観的な宇宙から見た地球像とよく合っていたからである。これが現代の記述なら私も驚かない。

我々はみなアポロが撮った地球の写真を見ているから、ユングと同じように地球を描写できるだろう。

しかし、ユングは、これをアポロ以前どころか、ガガーリン以前に書いているのである。

ガガーリンが宇宙から地球を見て、「地球は青かった」というまでは、誰も宇宙から地球を見ると青く見えるなどということは知らなかったのである。

しかも、ユングはガガーリンが見た位置よりはるかに高いところから見た地球の姿を正しく描写しているのである。


☆彡 ☆彡 ☆彡

僕は立花隆さんの『臨死体験』を読んで、実際、ユングは宇宙に行ったのだろうなと思いました。そして同じようにいさどんも実際に宇宙に行ったのだと信じています。

ところで立花隆さんは実際に宇宙に行った人たち(宇宙飛行士)へのインタビューも出版しています(『宇宙からの帰還』)。この本に登場する多くの飛行士は、地球の美しさと宇宙の闇の深さに、大きな衝撃を受け、地球の尊さ、そして、そこに人智を超えた意思の働きを感じています。上記のいさどんの言葉はそれに共通します。そして、ユングも上記の体験以降、科学者とのしての体面を捨てて、自らの経験を率直の語り始めていきます。宇宙の体験は多くの人々の人生観の変化をもたらしているのです。

戦争や紛争、格差や貧困、気候変動や地震など。

様々な問題が起きている現代において、宇宙を感じ、体験することはとても重要なことです。
そしてそれは宇宙飛行士など特別な人たちだけが出来ることではなくて、心を宇宙に向けたら、今この場ですべての人にとって可能なことなのです。

子どもたちと宇宙の話をするいさどん
今年の春分の日。宇宙人ピトピでもあるいさどんはそのことを木の花の子どもたちに語っています(いさどんブログ「宇宙人ピトピから全人類へのメッセージ」をお読みください)。

季節が移り変わり、毎日、日は登り沈んでいますが、これは地球の自転と公転により生じています。つまりは宇宙の中での地球の動きがもたらしていることで、僕たちは地球に乗って宇宙を旅しているのです。客観的な物理的事実は、人類が宇宙に中で暮らしていることを教えてくれます。

加えて、心は3次元世界(現象界・物理的世界)を超えた存在であり、それは宇宙も同様です。想いを向けることにより、僕たちは宇宙の全空間を味わうことが出来ます。カタカムナでは、想いの速さはアマハヤミと言い、それは、光の速さ × 10の64乗 です(木の花ファミリーブログ「第2界カタカムナ研究会リポート」をご覧下さい)。それは潜象界(「ない世界」)を通して伝わっていくのです。

いさどんやユング、宇宙飛行士の体験、そして現代物理学やカタカムナの存在が僕らの想像力を刺激し、宇宙へ導いてくれます。天体の動きが生命を生み出していることを知り、僕たちは生きているのではなく、生かされていることを教えてくれます。そしてすべては一つであることも教えてくれます。

そんな謙虚さや一体感から新しい世界が生まれてくる。その確信の元に僕たち木の花ファミリーはこの暮らしを営んでいます。

☆彡 ☆彡 ☆彡

以下、新しい時代へ向けたイベント紹介です。是非、ご参加下さい。


5月17日  出張木の花塾@船橋 「人が変化する自然療法プログラム」 
       ※申込〆きりは15日です。
       





思考を超えて循環の中に入っていく

大人ミーティングでベトナム戦争の映像を観ました(僕はうとうとしてしまっていたのですが・・・)。映像はあまり観ていないのですが、映像を観終わった後、いさどんが語ったことがとても心に残りました。それを僕の言葉で表現してみようと思います。

☆彡  ☆彡 ☆彡

ベトナム戦争については、昔から『地獄の黙示録』や『プラトーン』などいろいろな映像で描かれています。それではなぜ、今ベトナム戦争の映像を観るのでしょうか?ベトナム戦争では、民族自決を掲げて戦った北ベトナムがアメリカの傀儡政権である南ベトナムに勝利しています。反共を掲げたアメリカは敗北し、サイゴンが陥落する時にはプライドがズタズタになる中、撤退していきました。その教訓が生かされていないのか、その後、アメリカはイラクを攻めることで、中東に混乱をもたらしています。

アメリカは現代の象徴と言えます。個人主義の元、自らに湧き上がる想いを満たし叶えていく。アメリカンドリ-ム。それは競争をもたらし、敗れるものも同時に生み出してきました。自由の国であり、人種の坩堝(うつぼ)であるアメリカ社会は世界の縮図ともなり、その個人主義が世界に広がっていきました。今、人は欲望を追い求めることにより欲望に翻弄されています。そして社会は行き詰まり様々な矛盾を見せています。

例えば、戦後の復興を遂げ経済大国に成長している日本。資本主義の恩恵により物質的には豊かになったかもしれません。ですが、戦後の復興を支えたのは、朝鮮戦争の特需であり、ベトナム戦争の特需です。人々の痛み、苦しみ、死を土台にした繁栄とも言えます。そして今現在の生活も多くの違法労働で支えられており(「流行に敏感な若者は、毎日27人の奴隷を雇っている」参照)、経済発展は地球環境に深刻な影響も与えています(政府間パネル(IPPC)第5次報告書参照)。そんな中、毎年3万人近い自殺者を出し、鬱やニート、引きこもりなど生きづらさを抱えた人たちを多数生み出しています。

ここで天体の動きや歴史に目を向けてみます。

2012年12月21日。太陽系は25,800年ぶりに銀河の冬至を迎えました。それと軌を一つにするように、冥王星は産業革命から太陽を1周しています。そして文明周期説ではこれから精神の時代になることが示されています。このように天体の動き、歴史の流れが時代の移り変わりを予告しているのです。

個人主義により自我を満たしていく時代。それが終わりを告げようとしています。

自我を超えて、あなたはわたし、わたしはあなたの世界に入っていく。これからはそんな時代です。昔、悟りは出家者のものでしたが、宇宙の法則から見たら悟り(「差」を取る)は当たり前のことです。なぜなら、私たちは一つの太陽・一つの大地・一つの水・一つの空気・一つの風の元に生かされているいのちの兄弟だからです(「東洋の叡智が花開く時代~雑誌「世界建築」より」参照)。
この世界は自分そのものなのです。

一人一人が自我を超えて個人のカルマ(業)を超えていく。その地道な作業が、国家カルマ、人類カルマを超えていくことに繋がっていきます。そして、それこそが人類がこの世界に生を受けた本当の意味なのです。

木の花ファミリーで日々、僕らがしている心磨き。それは自我を超えていくことであり、時代の流れを受けたと取り組みです。その先に時代が切り拓かれ、人と人、人と自然が調和した争いのない社会が生まれていくことでしょう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

では、どのように自我を超えていくのでしょうか?

昨年の12月。僕は大人ミーティングの最中、天の扉が開かれ、暖かいエネルギーが降り注いで来るのを感じました(「天の物語を生きる。~1年の振り返りと来年の抱負として~」参照)。そして、その日以来、僕は天を感じるために手を広げて両腕を真上に伸ばすことが多くなりました。

青空のエネルギーを、手を広げて受け取っています。

天を感じて生きることを心掛けた僕は、今年の2月、仕事に段取りでいっぱいいっぱいになり、天を
失ってしまいました。(「みんなのお金が世界のお金になるように」参照)。その頃の僕の取り組みは不十分だったのです。今、僕は一日に一度、自分の仕事や感情、想いを天に返すようにしています。すっと力を抜き、頭と心を空っぽにする。そんな時間を大切にしています。受け取るだけでは循環になりません。天に返すことで天然循環が生まれる。そんなふうに思っています。

それは自らの思考を超える取り組みでもあります。

人間は本来、大きな可能性を持ち、自らの思考では把握しきれない存在です。それを思考で把握しようとする。自分を自分の考えの中に閉じ込める。それが自我の働きだと思うのです。自我は、自分を自分の考えに閉じ込めて、その狭い世界の中で自らの願いを叶えようとします。その狭さが対立や競争をもたらしたのではないでしょうか?

僕は動くことで思考を超えようとしています。足を上げることで天に柱を立てようとしています。

富士山をバックに足を上げて柱を立てています。

すべては循環してとどまることなく変化し続ける。それが宇宙の姿で自分も同様です。心を空っぽにして思考を超えていく。想いを天に返すことで、自我の囚われから自由になっていく。

僕は今、そんなふうに過ごしています。


☆彡 ☆彡 ☆彡

以下、新しい時代へ向けたイベント紹介です。是非、ご参加下さい。

5月17日 出張木の花塾@船橋 「人が変化する自然療法プログラム」
       
6月10日~12日 みんなで語り合おう「ニート・引きこもりも鬱も希望の光




世界中の心が自分の心でありみんなの心でもある世界

畑隊の晃ちゃん(左)、ひろみちゃんと。
数日前の大人ミーティングでミード風ドリンクが出ました。僕はそれを自分のマグカップに半分ぐらい注いだのですが、その時、晃ちゃんと下記のような会話を交わしました。

晃ちゃん : それで飲んだら酔っちゃうよ(^^♪

僕 : 入れ過ぎたかな?

晃ちゃん : そのマグカップになみなみ注いだらね♪

何気ない会話のようですが、ここには僕の癖が出ています。

みんなのことを考えたらミード風ドリンクを入れ過ぎたらいけないよなと思っている僕は、(ということは沢山飲みたいという気持ちもあるわけです。)、そのことに意識がいっています。そのため、晃ちゃんは楽しい感じで話しかけているのに、僕は入れ過ぎを注意されていると取ってしまっているのです。これは相手の心を感じることが出来ていない状態です。

この例は些細な出来事ですが、日常生活では知らず知らずのうちにこのようなコミュニケーションをしていることが多いのではないかと思うのです。自分の慣れ親しんだ反応パターンで応対していると、相手の真意が汲み取れていないことがあるのです。相手の意図を誤解しトラブルに発生することもあるでしょう。なので、自分を離れ、自分の反応パターンを理解し、そこから自由であることが大切なのです。

こんなふうに振り返りをしていた時、目の前の相手の感情が自分の感情のように感じられたらどんなに豊かな世界になるんだろうと思えてきました。自分の感情、反応パターンを脇に置いておいて、出会う人や物事を自分のように感じられたら、この多様な世界のすべてが自分の感覚になっていきます。それはとても豊かで濃密な世界になるのだろうなと想像しました。

ただこの時注意する必要があるのは、周りの感情に流されるということではないということです。世界のすべてを自分ごととして感じた上で、それを客観的に捉えて行動していくことで、芯が通った豊かな生活が成り立っていくのでしょう。

僕はまだまだ未熟ですが、そんなふうに日々の体験から自分を導いていこうと思っています。

世界中の心が自分の心でありみんなの心でもある。

そんな境地を目指していこう ワクゥO(゚▽゚o)(o゚▽゚)oワクゥ♪

と決意を新たにしたところ、昨日の大人ミーティングでは2008年放映のテレビドラマ「東京大空襲(前編)」を観ました。

1夜にして10万人以上の命を奪ったと言われる東京大空襲。その悲惨さ、人々の苦しみや悲しみも世界の心で、今も同じようなことが、イラクイエメンなど戦闘が続いているところでは起きています。

戦争はそれぞれの国が自国の利益を追求する中で生まれていて、そこにはそれぞれの国の言い分があります。そしてそれは日常の人々の心が反映されているのだと思います。一人一人が自らの利益を追求すると、どうしても相容れない意見と出会います。その時、競争や対立が生まれているのが現代社会なのではないでしょうか?そして、その延長に戦争という悲劇が生まれている。そんなふうに思えます。

木の花ファミリーの暮らしは、それぞれの立場を超えて、みんなで調和した暮らしを創り上げていきます。現代社会において、そのことが持つ意味はとても大きく、戦争という悲劇を止める取り組みにもなっていくとも思っています。

世界中の心が自分の心でありみんなの心でもある。

そんな世界に向けて日々を大切に楽しく生きていこう!!!

と思っていると、あわちゃんもドラマ「東京大空襲(前編)」を観た感想をブログに書いているのを見つけました(地球外生物あわりーぬのブログ「ライト、人類」)。

とても熱い。すごく刺激されます。

そんなあわちゃんが言葉だけでなく世の中を変えるために実践で示していこうとしている企画が、「引きこもり・ニートも鬱も希望の光 ~初めの一歩が未来を創る~」です。

木の花ファミリーの自然療法プログラムでは、あわちゃんを初め数々の人たちが自らの困難を希望に変えてきています。その希望を世の中に広げていこうとするあわちゃんの志がとても気持ちよく、僕はあわちゃんと毎日共に過ごせることに誇りを感じています。

自分らしく誇りを持って生きていく、そして世界を豊かにしていく。

そんな生き方をしたいと思う方。是非、あわちゃんの企画を見て下さい。
そして心が動いたならば、是非イベントに参加してみてください。

世界中の心が自分の心でありみんなの心でもある世界。

そんな未来がきっとやってくる。

そう思って毎日を楽しく過ごしています。

ところで、あわちゃんが自らを取り戻すきっかけになった自然療法プログラム。その取り組みについて詳しく知りたい方には、以下のイベントもお勧めです。

5月17日 出張木の花塾@船橋 テーマは自然療法プログラム 

千葉近郊にお住まいの方、是非、ご参加下さいませ。




見えない世界、そしてない世界を生きていく

宮ノ下広場にて

4月28日から5月1日までアウエハント静子さん(静ちゃん)と友人のモニカさんが木の花ファミリーを訪れました。2人が滞在中、なかなか天気に恵まれず富士山はずっと雲に隠れていたのですが、最終日の朝、その雄大な姿を見せてくれました。そこであわちゃんと一緒に2人を宮ノ下広場と大石寺下之坊へ案内することにしました。

当初は、ちょっと写真を撮るだけで移動していく予定でいたのですが、モニカさんの希望でしばらく宮ノ下広場で過ごすことになりました。そこで僕は草の中に寝転がっていました。



そんな僕に静ちゃんが語り掛けました。


あなたは今、雲の上で浮かんでいるんだよ。目を閉じて想像してみて。


僕は雲の上まで浮上しそのままそこで過ごしました。太陽がとても近くにあって僕は太陽の温かさを味わっていました。太陽のエネルギーは、口から僕の中に入ってきて、僕は太陽が僕の身体を創っていくのです。

僕は太陽であり太陽は僕なのです。

そんなことを感じていると静ちゃんが僕に声を掛けてきました。


今あなたが体験していることは本当のこと。本当のことよ。今の状態を充分に味わったら、ゆっくり身体の戻ってきてね。


僕はゆっくり地上に戻ってきてしばらく雲の上のいた時の余韻を味わいました。そしてその後、身体の声を聴きながらゆっくり立ち上がり動き始めました。





すると遠くで静ちゃんが手を振っているのが見えました。僕は彼女の方に歩いていき、握手をしハグをしました。






ここであらためて静ちゃんが僕に伝えます。


あなたが体験したことは本当のことだからね。あなたはこれからいつでもそこにいける。その世界はいつもこの世界と同時に存在しているのだから。毎日、少しの時間でもいいからその世界に行くようにしてね。


僕は頷きました。

その後、僕たちは大石寺下之坊へ移動しました。下之坊では今、藤の花がとてもきれいに咲いています。

大石寺下之坊の藤の花です。
藤の花がとても豊かに香っていました。僕はその香りにとても惹かれ、目を閉じて香りの世界に入っていきました。





そんな僕を見ていた静ちゃんが僕に語りかけました。


香りの世界を味わって。香りを身体全体に吸収してそしてそれを外に出していくの。


僕は彼女の言う通りにしました。そして香りの世界を楽しみました。

音が境界を越えて交わるように、香りも境界を越えていく。

そんなことを思いました。

「天然循環の暮らし(経済)」を書いた時、カタカムナで言う潜象界(ない世界)と宇宙が僕の中で繋がりました。宇宙は無限にエントロピーが増大する「ない世界」。それは3次元を超えて、現代、過去、未来を含め多次元に展開する世界。見えると同時に見えない。あると同時にない世界。そして、その宇宙が地球を生み出し、生命を生み出しています。

地球や生命。それらは目に見える存在ですが、同時に見えない存在でもあって、目を閉じた時にも豊かな世界が展開するのです。

水の流れる音に鶯(うぐいす)の囀り。そして、藤の花の香り。手に触れる大地の温もり。

目を閉じるとそれらの存在感が増してきます。目に見える世界と同時に音の世界、香りの世界、触覚の世界、そして心の世界が常に存在していて、この世界を彩っています。そして、それはきっと別の次元に開かれている。そんなふうに感じました。

視界から自由になる。

それが最近の僕のテーマになっていて、その時、静ちゃんと出会い、テーマ通りの体験をしました。とても面白く豊かな時間となりました。

ところで、「視界から自由になって大地に横になって空を飛ぶ」の中で、僕は安倍首相の米議会演説について触れました。僕は安倍首相の演説から悲壮感を感じたですが、この悲壮感はもしかしたら多くの人がそれぞれの人生の中で感じているのではないしょうか?

生きるためにはお金を稼ぐ必要がある。
お金を稼ぐためには好きでもない仕事でもする必要があるし、
他者との競争にも勝たなければならない。

僕は昔、上記のように思っていた時期がありましたが、こんなふうに思っていると、世界からゆとりや豊かさが失われていきます。きっと多くの人にとって世界はまだこのような場所で、安倍首相の演説はそれを反映していただけなのではないかと思えました。

もしそうだとしたならば、僕たちはなぜこのような世界を創り出してしまったのしょうか?
誰もそんな世界を望んではいないでしょう。

そこには多くの理由があるのでしょうが、その一つに「目に見える価値に囚われる」ということがあるのではないかと思うのです。目に見える価値を追い求めて、人々や国々は争っているのではないでしょうか?

でも本当の世界はもっと豊かで多様です。ない世界、見えない世界が同時に存在していて今を創っているのです。目に見える価値から自由になった時、濃密で豊かな世界が展開されていくのです。

そんな世界に向けて囚われから自由になる。

僕は木の花ファミリーで毎日、そのための実践をしているのです。


富士山をバックに静ちゃん(右)、モニカさん(左)と一緒に撮影。







視界から自由になって大地に横になって空を飛ぶ。

視界は世界に境界を生み出していく。

空に浮かぶ雲、そして空を飛ぶ鳥は、空から浮かび上がり別の存在として認識される。通常、それらは交じり合うことがない。

同じように、視界は、僕という存在も、他から独立した存在として浮かび上がらせる。視界は僕という人間に一つのフォルム(形・形状)を与える。僕はそのフォルムに基づいて決まった反応をしていく。視界は僕を一つの形に縛り付ける。

目を閉じて、心を澄ますと、周囲の音が身体に中に入ってくる。水の流れる音、鳥のさえずり、風の音。それらはすべて僕の身体の中で交じり合う。音は境界を越えていく。

目を閉じて近くのものを触れてみる。触れるものに境界はなく僕と繋がっている。

人の視線が気になる時がある。どう見られるのかが気になる。他者からの視点により、僕の意識は僕の姿や形に向い無駄なエネルギーを使う。

視界はたくさんの情報をくれる。生活の多くは視界に頼っているのは事実で、しかも視界は時に感動も与えてくれる。例えば、先日の「恵みいただきます」で蕎麦を調理しているやじーは超かっこよくて感動的だった(「あわちゃんのうるるん木の花滞在記:恵みいただきます(超人編)」参照)。でも、視界は情報や感動を与えてくれると同時に僕の一つ形に縛り付けていく。

そして僕は決まった反応パターンに組み込まれていく。僕は枠に覆われていく。

宮ノ下広場で横になっています。
そこから自由でありたくて、僕は身体を動かす。例えば、ぐるぐる回る。そして大地の上に寝転がる。身体に意識を向けて身体が動きたいと思う動きをしてみる。それが変な動きだったとしても。人の目を気にせずに。そんなふうにして決まった反応パターンから自由になっていく。これはずっとずっと続く取り組み。

ぐるぐる回って螺旋を描いて最終的にはきっと空を飛ぶ。

だから「空飛ぶぞ!」って呟いてみる(^-^)



なんてことを思って日々を過ごしています。

ところで今、4月29日(現地時間)に行われたアメリカ連邦議会上下両院会議における安倍総理大臣の演説が話題になっています。この演説の最後で安倍総理は「希望」という言葉を使っていますが、正直読んでいて悲壮感を感じてしまいました。

アメリカと一緒に経済成長を目指して軍備を拡張しなければ、日本は大変なことになる。

感じたのはそんな悲壮感です。

環太平洋パートナーシップ協定(TPP)を通して経済成長をして、自衛隊と米軍に強力で軍備を拡張していく。

要するに演説ではそういうことを言っているわけですが、そこに希望はあるのでしょうか?

僕が感じたのは悲壮感です。

そうは言っても、北朝鮮の脅威に加えて、中国は今、南シナ海の南沙諸島で埋め立てを続け、アジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立されたし、軍事面でも経済面でも影響力を拡大しようとしている。そして尖閣諸島の問題もある。韓国では反日感情が見られ竹島の問題も抱えている。実際に大変な状況なんだよ。

こんなふうに言う人もいるかもしれません。それはそうかもしれません。でも、これは決まった反応パターンだと思うのです。集めた情報に反応しているだけなのではないでしょうか?

そもそも平和のために軍隊を持つなんておかしいことです。そのおかしいことを互いにしているから脅威がどんどん増しているのでしょう。

目を閉じて耳を澄ましてみませんか?きっと違う世界が見えるはずです。

国益を守るなんて当たり前過ぎる行動で、それはお決まりの反応パターンです。空を飛んで全体を俯瞰したならば、以下のような事実が見えるはずです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

私たちは宇宙を旅する地球という星の上に生きています。そして、私たちは一つの太陽・一つの大地・一つの水・一つの空気・一つの風のもとに生きています。なによりも私たちは時代を共有して生きています。つまり、私たちは一つのいのちの兄弟であり、天然循環の中で地球という一つのいのちの一部を担っているのです。このように、私たちは人智をはるかに超えた大いなる宇宙の仕組みの元に生かされています。


※木の花ファミリーブログ「東洋の叡智が花開く時代~雑誌 世界建築」より

☆彡 ☆彡 ☆彡

私たちは一つのいのちの兄弟。それは日本とアメリカだけではなくて、中国や韓国、すべての国々が当て嵌まります。だから悲壮感なんて持つ必要はなくて、アメリカとだけ特別に仲良くする必要もないのです。

世界が一つになる。そのことを邪魔しているのはお決まりのパターンです。

だからまずは僕がそのパターンを超え続けます。

そうだから、「空飛ぶぞ!」って呟くのです(^-^)






天然循環する暮らし(こころ編)

天然循環の暮らし(経済)」で紹介したエントロピーの法則。

閉ざされたシステム内ではエントロピーは増え続け、エネルギーは均質になり特徴を失っていきます。ですが、外部に解放されているシステムでは、エントロピーの縮小が可能になり、エネルギーは個性を持ち強調的に振る舞いようになるのです。生命はそのようにして自らの存在を維持しています。ということは外部に無限に開かれていることが理想で、それを実現してくれるのが天の存在、無限の「ない」世界なのです。

こんな話をあわちゃん(あわりーぬ)としていると、「それは心にも当てはまるよね」というフィードバックをもらいました。そうなのです。きっと心も同じで、心を閉ざしていると、エントロピーが増大して人は無気力になっていきます。心を開いていると、外部にエントロピーは散逸させることで縮小し、人は活力に満ちていくのです。

そんなことを思っていたら、昔の文章を思い出しました。

木の花ファミリーに移住して1年が過ぎた頃、様々な滞りが続く中、自分の中に閉じこもっていく時期がありました(2010年の夏~冬)。その頃、僕のエントロピーは増大し続けていたのではないかと思います。「僕といさどんと木の花ファミリー」で書いたエピソードもその頃のものです。自分の心を開かずに閉じこもっていく。以下の文章はその頃の僕が書いたものです(2010年12月7日)。

☆彡 ☆彡 ☆彡

メッキがはがれたのだと思う。困難からは逃げて、自分の都合の良いように解釈し、嘘をつき、びくびくして、いつも自分をみんなが忘れてほしいと願う。自分は生きる資格のない人間で、本来なら死ななければならないけれど、死ぬことも許されない。だからもがき続けるだけ。そんなふうに思って生きてきた自分。
でも、ここ数年そんな思いは忘れていた。でも時々「しくしく泣いちゃう感じ」として出てきた。絶望感と無力感。僕はやり過ごしていた。
自分に別の人格を作り上げることで、最低人間の自分を超えようとしてきた。そして、超えたと思っていた。でも、今、自分が噴き出してくる。結局、僕が今までしてきたことはメッキを塗っていただけ。剥がれてくれば、最低の自分が噴き上がる。
あの苦しみはもう味わいたくない。もうこのままぼーとして無気力に生きていたい。そんな気持ちが湧き上がる。そうしたい。
でもそれはできない。僕はもうあまりにも木の花のみんなと関わりすぎた。僕の心はもうすでに僕だけのものではない。はじめからそうか。世界と僕は一つなんだから。ここでの暮らしはその事実を分かりやすくみせてくれているだけ。

僕はこの地球に対して自分ひとり分の責任を負っている。だから投げ出さない。

☆彡 ☆彡 ☆彡

心を閉ざすことで無気力になっていく。まさにそんな状態でした。

毎日嘘をつき、テストではカンニングをし、万引きをして捕まったこともある小学校時代。いつも何かに怯えていてびくびくしていました。中学校に入学する時、このままでは自分の人生はダメになると思って、「変わろう!」と決意したのをよく覚えています。嘘をつかないようにし、カンニングは止めて、万引きも当然しなくなって・・・。それからずっと「変わろう。変わろう。」と言い聞かせ、生きてきました。でも、それは本来の自分ではない別の自分を創り上げる取り組みになっていたのです。

学校の勉強には答えがあります。その答えを導きだすように思考を創り上げ組み立てていきます。同じように僕は「どんな自分であるべきか」という答えを設定し、そこに至るように思考し行動してきました。その時、本当にその時その時自分が感じていることが抜け落ちてしまっていたのです。立派に振る舞おうとしても心の奥にある絶望感や無力感が僕に影響を与え続けていました。そして、それが滞りを生み、その滞りを認めることが出来ない僕は心を閉ざしていったのです。

あれから4年以上が経過している現在。僕の中に絶望感や無力感はありません。「しくしく泣いちゃう感じ」という言葉を見て、そんな時期が確かにあったなと懐かしく感じます。

なぜ、絶望し、無力感に陥るのかと言ったら、自分の中に「あるべき自分」のイメージがあってそれと現実の自分とにギャップがあるからだと思うのです。そういう意味では絶望感や無力感は自分で創り上げているのです。でも自己イメージの延長には本当の自分はいないのです。なぜなら、本当の自分は自分の想像をはるかに超えた存在だから、そこに閉じ込めることは出来ないのです。それは価値判断(善い⇔悪い、凄い⇔ダメ、美しい⇔汚い)を超えた自由自在の存在なのです。

今の僕には「あるべき自分」のイメージはありません。ただ心を開いていればいいのだと思います。心を開いていれば、エントロピーは天に散逸し減少していきます。そして、心は活性化し僕の個性は勝手に花開いていくのです。それがどんなものかは天にお任せ。今はそんなふうに思っています。

天にエントロピーを散逸させる天然循環の暮らし。そこではすべての存在は繋がり互いに生かし合っていきます。心はみんなの中を巡り巡ります。その時、自分の心は自分だけのものではなくなり、みんなのものになっていきます。木の花ファミリーの暮らしはそんな暮らしで、その暮らしが僕を支えてくれています。心を閉ざし自分を消耗させすべてを投げ出したくなった時も、その暮らしが僕を支え、僕は踏ん張りました。そしてとても幸せな毎日を暮らしている今の自分があります。木の花ファミリーはこんな場所でこんな場所だから様々な奇跡が起きているのです。

その代表例が自然療法プログラムです。


自然療法プログラム卒業生の誕生日。みんなでお祝いをしています。


9年間原因不明の頭痛に悩み、どんな治療でも治らなかった人が、1ヶ月の滞在で頭痛が消える

統合失調症で日常のコミュニケーションもままならなかった人が、精神保健福祉士として人のために働くようになる

本気で自殺をしようと考えていた人が1時間の面談で元気になって帰って行く

上記は木の花ファミリーの自然療法プログラムの成果の一例です。千葉県船橋市で開催される出張木の花塾ではこの自然療法プログラムがテーマになっています。お近くの方は是非参加してみて下さい。そして、天然循環の暮らしが持つ力を感じてみてください。

※出張木の花塾の詳細についてはこちらをご覧ください → 5月17日出張木の花塾@船橋

ところで、ニュースではネパールでの地震が報じられています。4月の初めにはフィリピンを襲った異例のスーパー台風4号が話題になりました。昨年11月に出された国連気候変動に関する政府間パネル(IPPC)第5次報告書では温暖化について警鐘を鳴らし、温室効果ガス排出量の抜本的かつ持続的な削減が必要と報告されています。これからも様々な天変地異が起こることが想定されます。そんな中、循環型社会への取り組みや温室効果ガス排出量の削減など様々な対策が検討されています。ですが、議論は物質循環に留まっています。物質循環だけではエントロピーは増大していきます。現在の問題の解決には至らないのではないでしょうか?

必要なのは、天然循環の暮らしです。物質循環の奥にある心が天に開かれている時、それが成り立ちます。すべてを天に委ねる。その姿勢が人々に出来た時、エントロピーは縮小し想像を超える出来事が起こるのではないでしょうか?きっとこれは今、僕らが思い描く環境問題の解決を超える出来事です。それがどんなものなのか?これからの未来が楽しみです(^-^)


天然循環する暮らし(経済)

4月25日、木の花ファミリーにて月に一度の食事会「恵みいただきます」が開催されました。今月は「信州手打ち蕎麦と山菜ちらし寿司」をテーマに200名以上のお客様を迎え豊かな時間を過ごしました。(当日のお客様の感想はこちら→木の花ファミリーこの話!


お客さまに提供した料理です。

毎月たくさんの準備を重ねて当日を迎える「恵みいただきます」ですが、この「恵み」の意味についていさどんは以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「恵み」とは生きることそのもの。人間は何かを貰った時やご利益を得た時に「恵み」と考える傾向がありますが、人は生きることにより物事を認識していきます。その認識こそ「恵み」です。先にこの世界があり、自分という個性が組み合わさります。一人一人個性的な眼鏡でこの世界を認識していきます。人間は他の生命とは違い自由が与えられ、自己実現の願望を持ちます。そして広い視野を持ち尊く生きることも出来るし、狭い視野に陥り地獄を生きることも出来るのです。それらすべてが恵みです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

人々の認識は初めての体験に出会うことで変化していきます。「恵みいただきます」はお客さまにそのような体験を提供することを常に目指しています。お客さまの想像を超えた料理や空間、人々の空気・・・。それは理想の世界であり未来の世界です。

思い返すと僕も、初めて木の花ファミリーを訪れてみんなと食事をした時、その料理の素晴らしさ、そして、その場の空気にとても心を動かされました。とても懐かしい感じがしましたが、それは初めての体験でもありました。魂の故郷に生まれて初めて出会った。そんな体験でした。
(※僕が食事をしたのは「恵みいただきます」ではありませんが・・・)

お客さまに多くの感動を与える木の花ファミリーの食事。それは天然生活の暮らし(経済)から生まれています。

カタカムナに出会うことによって、僕たちは自然循環と天然循環の違いを知りました。今、目指すべき社会の姿として循環型社会という概念があります。循環型社会を語る時、人々は資源の循環など物質循環に注目して語りますが、物質循環だけでは、生命エネルギーはいずれ枯渇してしまうのです。それは、熱力学の第2法則(エントロピーの法則:エネルギーは均質になっていく。熱湯+氷=ぬるま湯)に示されている事実でしょう。この状態が自然循環です。

エントロピーは増大し、エネルギーは均質になっていく(特徴がなくなり、無秩序になる)。

自然界(宇宙)はそのような法則で動いていると想定されますが、生命活動など一部の分野では、エントロピーが縮小し、複雑さを増していく(特徴を持ち、協調的に振る舞うようになる)のです。それは生命が外部にエントロピーを散逸させるからなのですが、生命はその繰り返しの中で次第に”揺らぎ”古い構造を捨て、新しい構造に変化していくのです。

生命を進化させるエントロピーの散逸。では生命はどこにエントロピーを散逸させているのでしょうか?

きっとそれが天であり、無限にエントロピーが拡大し続ける世界であり、無限の「ない」世界なのです。地球も生命です。地球も天(宇宙空間)にエントロピーを散逸させることにより成り立っています。無限の「ない」世界の支えられたエントロピーの縮小。それが天然循環です。

つまり、自然循環では世界のエントロピーは増大し、そのエネルギーは特徴をなくし無秩序になっていきます。ですが、天然循環では、世界はエントロピーを縮小し、エネルギーは個性を発揮し、協調的に振る舞うのです。

ここに今の社会の行き詰まりを解く鍵があります。

2ヶ月前の話になりますが、NHKのドキュメント72時間「金券ショップで掴む幸せは」をファミリーのみんなで観ました。番組では金券ショップに訪れる様々な人々が描かれていました。金券はいらない人から必要な人へと循環されていきますが、人々を繋ぐことはなく、人は自分の世界に閉じこもっていきます。どこか無機質な世界が展開される。これは自然循環であり人々の生きるエネルギーはいつか枯渇するのではないかと思うのです。

天然循環は天にエントロピーを散逸させます。それは人々を外に開かせ、繋がりを生み出します。循環を通して人々が繋がっていくのです。「恵みいただきます」では、自然からの恵みを収穫し、調理し、お客様に提供します。それを通して、人と人、人と自然を繋げていくのです。人々が語り合う豊かな会場がそのことを物語っています。繋がりを生み出す循環。それが天然循環です。そして、その繋がりを生み出すために欠かせない存在が天であり、無限の「ない」世界です。自分を手放し天に意識を向けることにより、エントロピーは天に散逸し、個性が花開き調和した社会が実現していきます。その雛形が木の花ファミリーであり、「恵みいただきます」は多くの人にその「恵み」を提供する機会になっているのです。

以下、当日の写真を何枚か紹介しますね。

手打ち蕎麦。大きなかき揚げが乗っかっています。

蕎麦職人のやじおさん
山菜ちらし寿司です。

会場の様子です。
外では苗も販売していました。こちらから注文も出来ますよ。
まりちゃん手づくりの麻ふんどしも販売しました。色鮮やかです。
恵み終了後はファミリーのみんなでお食事です

世界のお金がみんなのお金になるように。PART.4

中国が主導するアジア・インフラ投資銀行(AIIB)の設立が話題になっています。イギリスやドイツなどのヨーロッパ諸国、韓国やオーストラリアを含む57ヶ国が参加を表明しているのに対して、日本とアメリカは静観しています。アジア・インフラ投資銀行とは何か?これからどんな存在になっていくのか?そのことを考えるために以下の記事を読んでみました。

「AIIB」は習政権の頼みの綱:急降下する中国経済-高村悟

誤算AIIB、もう一つの背景を考える

日本はAIIBに金を出さずに人を出せ。

アジア・インフラ投資銀行に米国が参加すべきなのか-岡崎研究所

AIIBへの参加問題を考える

続・AIIB問題~現実的対応を考える

AIIBに参加するには国民一人当たり3千円負担する必要がある!

現在、世界の金融秩序は、世界銀行(総裁は欧州から選出)と国際通貨基金(IMF:総裁はアメリカから選出)が中心を担っています。世界銀行が途上国への開発資金援助を担い、国際通貨基金は経常収支が悪化した加盟国に対して融資と指導を行っています。世界銀行、国際通貨基金ともに出資比率1位がアメリカで意思決定に大きな力を持っています(日本は出資比率2位)。そのため2010年、国際通貨基金では、新興国の出資比率を引き上げる改革案が承認されたのですが、事実上の拒否権を持つアメリカ議会の反対でとん挫していると現状があります。

アジアに目を向けると、アジア・太平洋の経済成長及び経済発展を助長するためのアジア開発銀行(ADB:歴代総裁はすべて日本人)がありますが、出資比率は日本とアメリカが共に15.7%で1位となっています。

このような現状の中、アジア・インフラ投資銀行が設立されようとしています。その目的としては、中国の市場拡大、中国元のドルに対する挑戦などが言われています。世界銀行やアジア開発銀行は、融資の際、相手国と政策協議や環境社会配慮などの審査に時間をかけています。そのため融資を受けることが出来ない事業も多々あるようです。アジア・インフラ銀行では、その基準が下げられる見通しになっています。中国は、そうすることにより、アジアにある膨大なインフラ需要を満たそうとしているのです。

マスコミの中には、アジア・インフラ投資銀行の融資によって実施されるインフラ事業に日本が参加出来ないことを懸念する論調もあります。ですが、中国の農村部はまだまだ貧しく、世界銀行では第4位、アジア開発銀行では第2位の債務国となっています。そして、経済成長のスピードも鈍化しています。中国経済は行き詰まりつつあり、その突破口としてアジア・インフラ投資銀行を設立している面もあります。そのような状態の中、積極的な融資を進めることにより、アジア・インフラ投資銀行は、大量の焦げ付きを抱えるようになる可能性もあるのです。この視点に立つと参加しない方が得策という結論になるのです。

経済圏を広げようとしている中国は今、シルクロード経済ベルトと21世紀の海のシルクロードの2つを包含する「一帯一路構想」を掲げています。アジア・インフラ銀行はそのための資金源であり、その他、シルクロード基金も設立しています。そして今、構想を進める第一歩としてパキスタンへの支援を決定しました(「中国、シルクロード構想を本格始動」より)。

加えて、今ジャカルタで行われているアジア・アフリカ会議(バンドン会議)開催60周年を記念する会議でも中国は影響力を高めようとしています。今回の会議は、「世界の平和と繁栄を推進する南南協力の強化」をテーマにしていますが、中国は最大の途上国としてここで存在感を示し、会議出席国にアジア・インフラ投資銀行への参加を呼びかけるようです(「バリトン会議:構図変容」より)。

積極的に経済圏を拡大していこうとしている中国ですが、それは、自国の利益(経済発展)を考えてのことであり、世界全体のバランスを考えて政策を決定しているわけではありません。そして、それはアメリカや日本も同様で、お互い自国の利益を考えて駆け引きをしているのが現状でしょう。

世界全体で地球1.5個分必要となっているエコロジカルフットプリント『生きている地球レポート2014』より)。そして昨年11月に出された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)5次評価報告書。データは、地球環境が危機的な状況に陥っていることを示しています。それなのに各国はまだ経済成長を求め、利権争いをしている状況にあります。このままでは共に滅んでしまうこともあり得るのではないでしょうか?

なぜ、各国は自分たちの利益を追求し、経済成長を求める必要があるのでしょうか?地球環境の危機的状況が分かっていながら、それを止められないのはなぜなのでしょうか?それはお互いに対する信頼がないからだと思います。すべての国が世界全体のバランスを考えて、世界を良くするためにお金を使っていく。世界の国々がそのような実践をし、お互い信頼し合うことが出来れば、世界のどこにお金があっても問題はないはずです。信頼関係に基づきお金を循環させる時、世界のお金がみんなのお金になり、無駄な開発や消費がなくなり、世界全体を豊かにしていくことが出来るはずなのです。

世界銀行や国際通貨基金は、その扱うお金がみんなのお金となった時、はじめて潤滑油として人々を幸福にしていけるのだと思います。現状だと、人々を幸せにしているのかは疑問です。今の融資は途上国を苦しめている面もあるのです。1970年途上国の債務残高は700億円でした。それに対して、1980年から2007年までに7兆1500億円(700億円の102倍)の返済をしています。ですが、2007年の債務残高は3兆3600億円(700億円の48倍)に達しているのです(『債務・貧困・格差に関するデータ2009』CADTM参照)。途上国はたくさんのお金を返済しているのに、借金は増えていく一方なのです。

みんなでみんなのお金を使ってみんなが幸せになっていく。

僕たち木の花ファミリーの暮らしはその実践例となっています。80名近い人々が共に暮らしていますが、お互いに信頼し合っているので、誰がどれだけお金を持っているかなど気にしていません(『世界のお金がみんなのお金になるように。』を参照)。すべてのお金は自分たちの暮らしを維持し、社会や地球環境を良くするために使われていきます。僕たちは、大きな安心感の中、心豊かに暮らしているのです。

ではなぜ、そのような暮らしが可能なのでしょうか?

その暮らしを可能にする実践。それが心磨きなのです。僕たちは日々、自分に起きる出来事を心の顕れとして受け取り、自分を正し、自分の主張を手放していきます。そうすることで自他の区別を超えて人と自然と調和した心を育んでいるのです。

最近の大人ミーティングでは、僕たちは艮(うしとら)の金神(国之常立大神)さまの物語を共有しています(この内容は次回の木の花ファミリー通信に掲載される予定です)。金神さまは日本神話に登場する地の大神様です。金神さまは自由気ままに振る舞う八百万の神々に対して、世を乱さぬようにと掟を厳しく説いていました。その厳しさのために、八百万の神々に疎まれ、一度、艮(東北)の方角へ退かれたのです。この時、天の大神さまは以下のように金神さまに伝えています。

「いつか必ず世が立ちいかなくなる時が来る。その時再び現れ、この世界を立て直して下され」

世が立ちいかなくなる。今がその時と言えるのではないでしょうか?今年の1月31日、富士浅間木の花祭りにて僕たちはこの金神さまの復活を演目に加えました。そして、心磨きの大切さを再確認し、世の為人の為に生きる決意を深めました。

金神さま@富士浅間木の花祭り

金神さまは地の大神さま、つまりは地球です。これは地球の物語であり、地球に暮らすみんなの物語です。大きなスケールの物語を共有すること。そのことも人々を結びつけます。

今、地球環境は危機的な状況にあります。それは人々が自らの利益を追求してきた結果でしょう。それが国々の経済政策にも現れています。ですが、金神さまが復活し、人々が心磨きをすることで世界は立ち直るのです。その時にはまったく違った経済政策が生まれ、世界のお金はみんなのお金となりみんなを幸せにしていることでしょう。これは希望の物語。

最後に木の花祭りでの金神さまと翁の問答を紹介しますね。

艮の金神と翁の問答

翁   伊勢天照皇大神 熊野権現 富士浅間 ところは当初の氏大神。木の花の佐久夜の御庭におわします、金色(こんじき)の尊き姿の御身は、どなた様にてござりましょう。

金神      この方(ほう)は、艮の金神と申す。
時いよいよ来たれり。この度は、地球(くに)最後の天意転換(たてなおし)。一度に清める神幽顕の三千世界(みちよかい)。 汝らの宇宙(うつ)、光一つ上ぐる仕組み。今の世は「我よし、力よし」の獣の世、蛇の「あやま知」支配する、穢(けが)れ逆巻く魔釣りの世。

          艮の金神とはいかなるお方にてござりましょう。

金神      この方(ほう)は、宇宙(うつ)を創りた元つ神。こ度の宇宙(うつ)の天意転換(たてなおし)、始原(はじまり)の、時より決まりてありた事。この方隠れている間、「我よし」「あやま知」逆巻いて、神が息の出来ぬほど、穢(けが)れ汚れたこの世界、最後の最後の大仕上げ。この方再び現れたなら、光に穢(けが)れ混じること、適(かな)わぬ世となるべきなり。古き仕組みに変わりたる、新たな仕組み始まれり。
縁ある御魂引き寄せて、掃除洗濯 済みしものより、神の使える器となりて、こ度の尊き天意転換(たてなおし)、汝らご用に使うてやる。

          一度はお隠れなされた御身が、再び現れ出(いで)ると申されるか。

金神      いかにも。この世は逆さまじゃ。どうにもならぬ者どもを、今から改心させるため、世の中ひっくりかえすぞよ。これからは、神人(かみひと)、天地が一体の「弥勒の世」が始まるぞ。
故に皆々様、御魂磨いて下されよ。御魂磨かずおられては、使えるものにはならぬぞよ。
神多くの人民の、御魂目覚めて欲しいのぞ。汝ら皆々大切な、地球(くに)の日月の神々じゃ。
一なる花を二の花へ、二なる花を三なる花へ、大和の御魂を呼び覚まし、腹にまことを据えるのじゃ。
この心、天教山より日の本の、隅々にまで広げるぞ。汝らその役、引き受けられい。

          引き受けましょう。我らこれより「弥勒の世」、創らんがためありましょう。

金神      皆々様、いよいよ金神動くぞよ。さすればこの世、嬉し嬉し、愉し愉しの世となりて、真(まこと)の世が花開く。皆々笑え、愛し合え。真(まこと)次々現れくるぞ。
あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり、日本晴れ。
(まこと)の神が現れる。神人(かみひと)共に現れる。弥勒の世の幕開けじゃ。

(まこと)の真釣(まつ)り始まるぞ。新たな時代へ、船出の時じゃ。幕開け祝い踊ろうぞ。

みんなで祝い踊っています。





Your left Slidebar content. -->