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「今ここ(イマココ)」に意識を向ける

昔、ハワイ島の小田まゆみさんは呼吸について以下のように語ってくれました。

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ハワイの言葉で「ALOHA(アロハ)」という言葉がありますが、これは英語で言うと「Face with Breath」、呼吸と共にいることです。呼吸と共にいること、それが「こんにちは」という意味となり「愛している」という意味にもなるのです。多くの人は呼吸を意識せずに暮らしていますが、もしすべての人が呼吸を意識して暮らすようになれば、この世界の争いの90%はなくなると言われています。

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この言葉を受けて、僕は以下のような文章を書いています。

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コキュウ(呼吸)

カタカムナでみると、「渦(ウ)がゆらゆら(ユ)と立ち上がり(キ)転がり出る(コ)」。もしくは、「転がり出て(コ)渦(ウ)となってゆらゆら(ユ)と立ち上がる(キ)」となりますが、呼吸はすべての現象を生み出す元とも言えます。呼吸がすべての生命を生み出していて、僕らは息を吸うことによって空気をいただき生かされています。そして息を吐き出すことは、自分の中にあるものを吐き出すことであり、それがこの世界の空気と混じり合い影響を与えていくのです。

呼吸を意識すること。それは自分を生かしているもの、そして自分が世界にもたらすものに対する自覚を深めることに繋がります。だから呼吸を意識することで認識が深まり、結果、多くの争いがなくなっていくのでしょう。


それは「今ここ(イマココ)」に意識を集中することでもあります。




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ここで意識を宇宙に向けてみます。木の花ファミリー憲章「世界観・概要」には宇宙の成り立ちについて以下のように書かれています。

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私たちは宇宙に始まりも終わりもないと考えていますが、ある地点を区切り、そこを「始まり」と見なすことも出来ます。現象をありのままに眺めていると、すべての現象が「想い」という種から生まれていることが見えてきます。宇宙も同じです。「はじめに言葉ありき」と聖書にありますが、言葉とは「想い」のことです。「想い」のみが存在している時点。そこを始まりと見なします。

「想い」は圧縮して爆発し、「相反するもの」を生みだしました。磁石の両極のように、相反するものは惹かれ合い、新たな振動を生みだします。それがこの世界を創っています。


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ここで語られている「想い」の圧縮とは、カタカムナでいう「ヒフミヨイムナヤ」で飽和安定している状態、そして爆発とは「転がり出る(コ)」ことです。このようにして相反するものが存在するこの世界が生まれ続けているのです。この爆発は宇宙の呼吸の始まりとも言えます。爆発することで、圧縮した想いを宇宙が吐き出し続けている。そして、宇宙が吐き出し続けているものを僕らは吸うことで頂いている。そんなふうに思えます。

天の意志から生まれた宇宙の息吹。そこに一人ひとりの呼吸が重なりこの世界は出来ています。一人ひとりは思惑を持つから、だから空気にはいろいろなものが混じり合っています。いろいろなものが混じり合っている中、天の息吹をダイレクトに受け取るためには、まずは吐くことで自分を空にしていくことが大切なのだと思います。

呼吸の「呼」は「はく」という意味と同時に「呼ぶ(よぶ)」という意味も持ちます。吐くことは呼びかけること。何に向って呼びかけるかで吸うことでいただくものも変わっていきます。呼吸を意識することは自分が何に向って呼びかけているかを意識することになります。吐くことを通して心を空にして天へと呼び掛ける。そして吸うことを通して天の気をいただいていく。それは「今ここ(イマココ)」に意識を向けることです。

イマココ

転がり出た(コ)ものが位置する(イ)時空間(マ)

圧縮された「想い」が転がり出るトキトコロ。

天の意志は常に「今ここ(イマココ)」に表されています。そこは現象化の場であり、救いや学び、そして喜びはすべて「今ここ(イマココ)」と向き合うことで生まれます。

呼吸を通して「今ここ(イマココ)」に意識を向けること。

そうすることですべての存在と一つとなり真の調和が実現するのでしょう。その確信はあります。

小田まゆみさんの絵です。(とようけのもりHPより)






覚悟・さとって自由に転がり出る


ぼくたちは
とても大それたことをしているんだよ。

大それたということは、
恐れ多くも、ということを言っているのではなく、
非常に重要で誇らしい生き方をしているということなんだよ。

いずれ、
人々が到達すべきことを
先に知ってしまうということは、
まわりにはまだ知らない人がたくさんいるということなのだから、
孤独にもなる。

しかし、
世界観が広ければ、
そのカラクリがわかっているのだから、
たとえどのような無理解に出会ったとしても、
やり続けることができるんだよ。

時代を切り開いていくことが
使命だとわかっていたらね。

そうやって
世の中は開かれていくし、
惑星の動きや時代もそれを後押ししていくんだよ。

そこで、
そのようになっていくから
放っておけばなるのかといったら、
必ずそのようになるときには
ぼくたちの生きる現象世界では、
誰かがそれを受けて示すことが必要になる。


それを示すものたちは
どのような意識であるのかというと、
星の意志や時代の流れを
受け取れるものであるわけだ。

それが高い意識であり、
天とつながることだよ。

しかし、
その役割を受けたものであっても、
役割を怠っていたら、
代わりは他にもいるということでもある。

星のサイクルのように、
時代の流れのように、
時は刻んでいく。

木の花は、
確実に時代の意志を受けている。

なぜなら、
それを提唱している僕がそういう人だから。

そして、
それに共鳴した人たちと共に
歩んでいるのだから。

だから、
わからないからわかりたいとか、
こういった立場に立ちたいとか、
自我に囚われることは禁物だよ。

星の意志や時代の流れを受け取るものとして、
そこでは明快な覚悟があるからこそ、
時代の意志(天)と共に歩めるんだよ。



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上記は3年前の夏、夜道を歩きながらジイジ(当時はいさどん)がみちよちゃんに語った言葉です。昨晩、大人ミーティングでジイジの話を聴いていたら、この話を思い出しました。

僕ら木の花ファミリーメンバーは星の意志や時代に流れを受けて生きている。

その自負があるからこそ、自我を超えて空っぽになって星の意志や時代の流れの器となっていくのです。そしてその答えは現実の中でいただき続けます。

明快な覚悟をもって歩む。

覚悟をカタカムナでみると以下のようになります。

宇宙最極小微粒子である「カ」。「カ」は宇宙の内外を問わず普遍的に存在している潜態エネルギーですが、その「カ」が自由に(ク)極限を超えて転がり出ていく(コ)状態。これは現象化、何かを実現する力と言えます。

そして漢字で見ると、「覚」も「悟」も「さとり」という意味です。「さとり」は「差取り」。自他の区別を超えて一つになっていく。あなたはわたし。わたしはあなた。そんな世界の表現となります。

一人ひとりの人間が持つ思惑や感情はこの世界に表面的な「差」を生み出します。それぞれの立場や性格の違いによって別々のものを求めるようになります。ですが、その奥ではすべての存在が繋がり合っています。思惑や感情を超えることで、世界とひとつになること、それが覚悟を持つことであり、そのトキ、時代の流れの現象化を担えるのです。

人類の歴史は繰り返しとも言えます。各国は思惑でもって近づいたり離れてりしていますが思惑が時代を動かすことはありません。それは空に浮かぶ雲のようなもの。発生したり消えたり形を変えたりしますが、雲を生み出しているのは大気であり、そこには太陽の働きかけがあります。

トランプ大統領と金正恩氏との世紀の会談。お互いの思惑によって成り立ったものですが、その奥には時代の流れがあります。それを感じ取り現象化を担えるように。

明快な覚悟をもって歩みます。


いただくことでヒトは自由となる

5月16日、天王星が牡牛座へと移動しましたが、そのことについてかとうゆかさんは以下のように書いています。

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牡牛座が天王星入りし、多くの人が無意識レベルでとらわれていた「欲望の奴隷」になっていた自分の生き方に気づくような流れに入ります。

自分らしさも、正義も、夢も、ファッションセンスや社会貢献、毎日の暮らしの多くのものも、「欲望の奴隷」という基盤の上に成り立っていたことに気づかされます。

これが「自分」だと思っていたことが、目の前の簡易的な欲望を満たすために、脳を錯覚させてつくりあげた偽りの真実だと気づきます。

しかし「欲望」そのものが悪いのではありません。

欲望に首輪をつながれ奴隷になっている生き方から、欲望を手なづけて飼い慣らし、
バイタリティや原動力のように取り扱えるようになる必要があります。

自分が欲望の奴隷であったことに気づくのは、簡単なことではありません。

なぜなら「脳」は快楽物質ドーパミンを追い求め、自分が欲望の奴隷であることを隠し、
さらには肯定するロジカルな理由をつくりあげてしまうからです。

知識がある人ほど自分は知っているから捉われてはいない、大丈夫なのだと錯覚します。
まさか自分が欲望の奴隷になっているわけがないと、自分以外の人の話のように、脳が高度な錯覚を起こすのです。


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牡牛座は五感、そして五感に基づく欲求を司る星座です。天王星はその領域で革命を起こすということで上記のように表現されているのでしょう。

自分の思惑や感情の奥に本当の自分がいる。

それは常々感じていることで、五感から生まれる欲求も表面的なものといえ、本当の自分はその奥にいるのです。五感の求めるままに行動することが自由だと思っている人もいるかもしれませんが、それは上記の文章にあるように「欲望の奴隷」となっている状態です。五感を超えて、五感の欲求を見通したトキ、人は本当の自由を手にいれます。自分の思い通りにしたいと思ったトキ、人は自分の五感や思惑、感情の奴隷となっていて、何が起きてもいただく心を育むことでそこから抜け出すことが出来るのです。

今、どれだけの人が本当の自由を得ているのでしょうか?

権力者と言われる人たちもその多くが自分の思惑や感情に基づいて行動しているように見えます。そうであったならば、彼らは思惑や感情の奴隷であり、世界を統治しているようで自分の感情に支配されているのです。

いただく心を育むことで本当の自由へと至ることが出来ます。そして「いただく」とは古いものを捨てるということ、変化変容を繰り返す宇宙の流れに沿うことです。権力や今の自分に固執していては自由は遠ざかるばかりなのです。

五感の豊かさ。

それを自分の欲望から表現するのではなく、価値あるものとして世のため人のために表現していく。本当の意味で自由となったトキ、人はそのように生きることが出来ます。

そのために必要な態度は以下のマザー(オーロビル)の言葉に示されています。

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The Mantras of Bliss and Transformation !

Are you ready to change yourself completely? 
You will have to throw off your ideas,ideals,values,interests,and opinions.
Everything will have to be learnt anew.
If you are ready for all this,then take aplunge;
otherwise don't try to step in.


至福と変容のマントラ

完全にあなたを変化させる準備ができていますか?
あなたは自分の考え、理想、価値、興味、意見を捨てるでしょう。
全ては新しいものとして学ぶべきことです。
もしあなたがこうした全てに準備ができていたら、飛び込んで。 
さもなければ、それには踏み込もうとしないことです。

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僕は日々の生活の中でいただく心を育んでいます。

自分の中に湧き上がる感情や思惑、そして出会う出来事、すべては「いただく」ものであり常に新しいところへと向かって探求が続きます。変化変容の繰り返しだから、「これが自分」と固定して捉えることは出来ないしする必要もありません。

いただく

自由(ク)に分離独立し(ダ)分離独立した(タ)位置(イ)を占める

カタカムナで見ると、それぞれの自由が思う存分に表現された状態と言えますが、「いただく」ことは食べ物をいただくように現象や対象と一体となる行為です。ヒトは出来事をいただくことで世界と一体となり、本当の自分が輝き、それが自由な表現となって表れるのです。

それはきっと頭の理解を超える出来事。

理解出来ないことに開かれていく。それもきっと自由への道となります。

毎日の暮らしでいただく心を育むこと。

それは未来へと繋がる精神革命です(^-^)

今朝の富士山と太陽です(^-^)



ALOHA=Face with Breath(呼吸と共にいる)

キラウエア火山の噴火が続く中、木の花ファミリーではモアナと伝説の海」を観ました。この映画には悪魔の神テ・カァが登場しますが、滝沢泰平さんはそのモデルとしてキラウエア火山の鎮座する火の女神ペレを見ています。以下、泰平さんの文章を引用します。

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物語の中で最重要人物(神)となっているのが、この世界を創った女神テ・フィティ
本来の姿は、横たわった女性の島ですが、心をマウイ(スサノヲ)に盗まれたことで、悪魔の神テ・カァへと変貌し、心を探し求めて荒れ狂っています。
まるで、地から溢れるマグマの神。それこそ、ハワイ島のキラウエア火山に鎮座する火の女神ペレそのものであり、おそらくは悪魔の神テ・カァのモデルはペレかと思います。
火の悪魔、火の女神に挑むのが、水の神に選ばれた主人公のモアナ。
クライマックスでは、モアナが海を割るシーンがあり、海の底を歩いていきますが、これは完全に旧約聖書に登場するユダヤ人モーセの姿そのもの。
最終的に水の神と火の神の陰陽統合によって、心を取り戻して本来の創造の女神テ・フィティに戻り、世界も平和を取り戻しますが、水の神セオリツヒメの時代や陰陽統合の時代背景も考えると、かなり奥が深い映画のように感じます。


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キラウエア火山の女神ペレ。みかちゃんによると嫉妬の神とも言われていて、富士山の女神、木花咲久夜姫(コノハナサクヤヒメ)にも通じるそうです。

そして最近、僕の周りでは呼吸の大切が語られるようになっていますが、そんな中、昔、ハワイ島の小田まゆみさんが語ってくれた以下の話を思い出しました。

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ハワイの言葉で「ALOHA(アロハ)」という言葉がありますが、これは英語で言うと「Face with Breath」、呼吸と共にいることです。呼吸と共にいること、それが「こんにちは」という意味となり「愛している」という意味にもなるのです。多くの人は呼吸を意識せずに暮らしていますが、もしすべての人が呼吸を意識して暮らすようになれば、この世界の争いの90%はなくなると言われています。

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コキュウ(呼吸)

カタカムナでみると、「渦(ウ)がゆらゆら(ユ)と立ち上がり(キ)転がり出る(コ)」。もしくは、「転がり出て(コ)渦(ウ)となってゆらゆら(ユ)と立ち上がる(キ)」となりますが、呼吸はすべての現象を生み出す元とも言えます。呼吸がすべての生命を生み出していて、僕らは息を吸うことによって空気をいただき生かされています。そして息を吐き出すことは、自分の中にあるものを吐き出すことであり、それがこの世界の空気と混じり合い影響を与えていくのです。

呼吸を意識すること。それは自分を生かしているもの、そして自分が世界にもたらすものに対する自覚を深めることに繋がります。だから呼吸を意識することで認識が深まり、結果、多くの争いがなくなっていくのでしょう。

それは「今ここ(イマココ)」に意識を集中することでもあります。

まゆみさんのことを思い出し昔のメールを見たらそこには1枚の絵が添付されていました。天照大神(アマテラスオオミカミ)を描いているように思えます。


小田まゆみさんの作品(ホームページより)

まゆみさんは女神の絵を描く人ですべての神様を女神にして表現しています。この絵からは力強さが感じられて男神としての天照を描いているようにも思えます。そして太陽と海、火と水、陰陽の統合が表現されているように感じました。

太陽の神様である天照大神。

最近、僕の下に大海(タイカイ)という名前が降りてきましたが、その名前を降ろして下さったのが天照大神です。太陽の神様から海の名前をいただきました。

そして、昨日の太陽、鏡のように見えてとてもとても美しくて印象に残りました。鏡とはこの世界、この世界は自分自身を映し出す鏡です。

5月21日の太陽です。

キラウエア火山の噴火から呼吸の話、天照大神から大海という名前、そして太陽と鏡。自分の中ですべてが繋がっていきます。出会う出来事、それはすべて自分自身の表れ、すべては繋がっているのです。

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生きるとは、自らの魂が生み出す「思い」を表現することです。思いは、それぞれの響きを持っています。私たちが生きて、思いを表現すると、その思いの響きがこの世界の何かしらに当たり、ふさわしい現象となって自らに返ってきます。自分がどのような響きを発するかによって、世界はその響きに正しく応え、ふさわしい出来事を与えてくれるのです。そうすると、人生で出会うすべての出来事は、自分自身を観ていると言えます。つまり、この世界は鏡なのです。

 ~ 中略 ~

生まれてきて、生きることは、命の仕組みです。それは宇宙の法則の中にあります。人生を生きるといろいろなことに出会いますが、その出会いは、自らの魂が何を発したかによって、それにふさわしい出来事が返ってきたということです。返ってきたものを見て、私たちは自分自身を知るのです。


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上記はジイジ(当時はいさどん)が語った言葉です。

この世界を知ることは自分を知ることであり、自分を知ることはこの世界を知ることです。それは無限の深みを持っています。だから僕はただただ出来事をいただき認識を深めていこうと思っています(^-^)





みんなの真ん中で溶けていく

5月20日、僕が木の花ファミリーに移住して丸9年となります。最近、「9」は面白い数字だなと思っています。「369(みろく)」「567」「432」「333」、これらすべて「9」の倍数ですが、これらの数字はすべての位を足すと、「3+6+9=18」のように「9」の倍数となります。これはすべての「9」の倍数に当て嵌まるようです。

そして「9」はカタカムナで「コ」、転がり出る。それは以下の文章が示すように変化変容を生み出し「ト(10)」、統合・悟りの一歩手前のものです。

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カタカムナによると、宇宙は、八つで飽和安定だね。八鏡文字で言えば、円があってそこに宇宙最極小微粒子の「カ」が集まっていって、そして「ヒフミヨイムナヤコト(1・2・3・4・5・6・7・8・9・10)」とエネルギーが集まることによって現象化して、この世界ができる。「コ」で転がり出て「ト」で統合する、その現象化の前の「ヤ」、つまり八の状態は、とても安定した状態だよね。そうすると、そこでは現象化は起きないんだよ。だからそれをわざわざ九まで進めた。八の飽和安定はそのまま止まっている状態だけど、九まで行くと、常に変化変容を繰り返すということ。それは地球の実体であり、宇宙の実体でしょう。飽和安定した世界も、そこを超えると、現象化ができて、それが宇宙の実体なんだよ。
宇宙というのは、本来はないもの。飽和安定の先に、「ある」ということを認識するために九を創ったのだから、その前の飽和安定の状態では「ない」んだよ。だから「ない世界」なんだよ。何もないんだから。

だけど、「アマ」というのは「ある世界」の元を創った。その「ある世界」ができたことによって、この世界はもともと「ない世界」だったけれど今は「ある」んだな、ということが理解できる。そこでトキとトコロが統合して、悟りになるんだよ。統合とは、理解なんだよ。だからさっきの話でも、「そうか、こういうふうになっているんだ」と理解したところで終わるんだよ。それが悟りだ。


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昔、小学校を卒業する際、校長先生が一人ひとりに色紙を書いてくれたのですが、そこには「苦(9)を超えなければ、充(10)の喜びは得られない」と書かれていました。「9」で転がり出ることで世界に理解が生まれ統合・悟り(10)へと至るわけで、喜びも「苦(9)」がなければ「無(6)」に帰するのだと思います。

5月20日、僕の木の花ファミリーでの暮らしは丸9年を迎えます。そして10年目の統合、一つの理解へと繋がっていきます。10→1+0=1。「10」は「1」でもあり新たな始まりでもあります。

話しは変わって。

2016年の2月、僕の下に天から以下の言葉が降りてきました。

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この世界に降りてくる前に、神さまはあなたに3つの名前を用意していました。
3つの中で真ん中にあったものが「善文」であなたはそれを選んできたのです。
それは正解でした。

善悪の善。善が先に来ます。だけれども少し間違えると悪にもなります。
そのことを心に留めておくことです。

そして、あなたは「中野」の性を選んで両親のところに来ました。
真ん中の「中」。そして野原の「野」。山ではなく広く広がる野原なのです。

みんなの中の「なかのん」

みんなの真ん中でしっかりと固めていくのです。

中(なか)を守るのです。

でも目立つ必要はないのです。
目立つのではなく深く深く沈みこんでいく。
奥で自分を広げて固めていくのです。

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その言葉を受けて当時、僕以下の文章を書いています。

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僕はずっとどちらかというと端っこにいることを好んで来ました。
あんまり自分が真ん中にいるという意識を持ったことはありません。
その意識を転換させる時が来ているのだなと感じています。

真善美を兼ね備えた人間になっていく。
その誓いとして真ん中の字をとって「善(よし)」と付け、
そして卯年の守り本尊である文殊菩薩から字をいただき「文(ふみ)」と付ける。
※僕は卯年生まれです。

これは僕が勝手に創っていた名前の由来ですが、
「善」は真善美の真ん中の字となっているのです。

僕はみんなの真ん中を生きる。

でもそれは目立つことでも際立つことでもなく、

みんなの中に溶けていくことなのだと思います。
目立とうとすると、きっとすぐに偽悪醜の方へと転げ落ちていくことでしょう。



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みんなの中で溶(ト)けていく。

溶ける(トケル)

「ト」はトキ・トコロの統合であり悟り(10)。「ケ」は、存在は感じられるが見えない状態。「ル」は継続。トキ・トコロの統合によりすべては融合され潜象界「ない世界」へと溶けだし還っていく、その状態が絶え間なく続いているのです。

木の花ファミリーで10年目を迎える僕はこれからそんな存在となります。

またまた話は変わって。

最近、僕の周りでは呼吸の大切が語られるようになっています。そんな中、昔、ハワイ島の小田まゆみさんが語ってくれた以下の話を思い出しました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ハワイの言葉で「ALOHA(アロハ)」という言葉がありますが、これは英語で言うと「Face with Breath」、呼吸と共にいることです。呼吸と共にいること、それが「こんにちは」という意味となり「愛している」という意味にもなるのです。多くの人は呼吸を意識せずに暮らしていますが、もしすべての人が呼吸を意識して暮らすようになれば、この世界の争いの90%はなくなると言われています。

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呼吸をしなければ、人は生きることが出来ません。人は呼吸に生かされています。ですが、多くの人がそのことを意識していません。呼吸に意識を向けること。それは自分を生かしてくれているものへと意識を向けることとなります。そして、呼吸では特に吐くことが重視されますが、吐き出されたものはこの世界に溶け込んでいきます。そして自分自身は空っぽになります。そこに新しいものをいただいて生きているのです。

同じように僕もこの世界という大海(タイカイ)の中に溶け込んでいきます。

僕は「なかのん」と呼ばれています。

宇宙最極小微粒子「カ」が質的転換「ナ」をし、トコロ軸へと広がっていく「ノ」。その動きが強まっていくのです「ン」。それは一滴として生を受けた僕が自らの立脚点をひっくり返し大海(タイカイ)へと広がっていくことを示しています。

僕はこの世界と共にあります。

この世界を感じ味わい認識を深めていく。そこに評価は挟みません。この世界のすべての出来事を自分自身の表れとして感じて味わっていく。そんなふうにこの世界に溶けだし空っぽになっていこうと思っています(^-^)




大海として生きる

2013年12月、天から僕の下に「海(カイ)」という名前が降りて来ました。この名前、それ以来ずっと意識にありましたが、特に使うということはありませんでした。

それから4年後。

2017年の立春正月、僕はひっくり返ったのですが、それ以降、僕はブログで自分のことを海と表現するようになりました。例えば、以下のような感じです。

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僕は海。そして浮かんでは消える波として人生を送ります。

波としての自分に焦点を当てれば、それは自分の人生と感じるかもしれませんが、僕は本来、海そのものなのです。だから、波(自我)としての自分は他のすべての波(自我)と同様で、世界の彩りの一つに過ぎず、それはみんなのものなのです。

僕は自分を通してみんなの人生を生きる。

それは僕の人生が僕だけのものではなくみんなのものでもあるということです。




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そして昨日書いたブログでも自分を海と表現しています。

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世界の中に浮かび上がった波としての自分。それが自我。その自我を天に向かって導くこと。それが今生の自分の役割です。長い間、波としての自我を自分と勘違いして来ましたが、それは本来の自分ではなく、愛し導く対象として与えられたものです。自我は反応体で目の前の出来事に独特のパターンで反応しますが、その反応を識別し、調和へと導くこと。それが僕に与えられた使命です。

自我は盲目だから、今までいろいろなトラブルを起こしてきましたが、僕はそれらすべてを刻み込んだ上で許します。なぜならそれらは見えない中で現実に翻弄されながら一生懸命に生きてきた結果だから。ですが、これから先は不調和な振る舞いは許されません。なぜなら、海としての僕が波としての自我を導くからです。もうこれ以上、自我が愚かな行いをすることを許しません。僕の自我は天へと導かれます。


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2018年5月4日の朝日です。

僕は海。2013年に天から頂きそのままになっていた名前を身近に感じるようになっていました。そして、昨日の朝、昇ってくる朝日を前にして新たな名前が天から降りてきました。その名前は「大海(タイカイ)」。大きな海。

僕は今年の2月、祖母が亡くなった時、「自分自身が大海の表れであるように」という文章を書いています。大海という言葉を使った趣旨は以下の通りです。

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人間はみんな一滴としてこの世に生を受け、そしてこの世を旅立つ時、この世界という大海と一つとなります。ですが、あの世に旅立つ前にこの世にいながら大海と一つとなって歩むことも出来ます。それが心磨きの道だと僕は思っています。

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大海として生きる。それはずっと心磨きを続けるということです。

話しは変わって。

最近、僕のまわりで「自立」や「自分の足で立つ」という言葉が聞かれるようになっています。それで思うのは、こういう時、波としての自分が立つことをイメージすると、世界から際立ち離れていくのではないかということです。そもそも波は浮かんでは消えるもの。それをずっと保とうとするのは不自然な努力となります。

大海とはこの世界そのもの。大海として生きればすべてが自分だから、自分という波が立つ必要はなくなります。大いなる流れに合わせて浮かんでは消える、ただそれを繰り返すだけ。大いなる流れを柱とし、自分に芯を通し、出会う出来事を通して変化変容を繰り返すだけなのです。

海(カイ)から大海(タイカイ)へ

カタカムナでは、「カ」は無限絶対空間に於いて普遍的に存在する極微小の最小単位、その「位置(イ)」が定まった状態が「カイ」です。2013年、「カイ」という名前が降りてきたのは、自分があるべき位置に収まった証と言えます。そして、昨日の朝、「タイカイ」という名前が降りてきました。「タ」は分離独立。すべてのものは、エネルギーの蓄積が高まると、二つに分かれて独立する性質があると言います。大海(タイカイ)とはこの世界そのもの。この世界そのものでありながら分離独立した位置に立つ。それはこの世界の中で自分独自の役割を担うことであり、それこそが真の自立です。

この世界そのものでありながら分離独立した存在、大海(タイカイ)。

僕はこれから大海として生きます。


自我を天へと導く

5月3日はいさどんの67歳の誕生日。この誕生日を機に『いさどん』は『ジイジ』となりました(「いさどん」から「ジイジ」へ参照)。この大きなターニングポイントの前日の夜、みんなで「八番目の聖者 ~道はひとつ、心はひとつ」を読みました。この話は瞑想中のいさどん(当時)の前に7人の聖者が現れたお話、そして席が一つ空いていて、そこにいさどんが立つように言われたお話です。以下、少し文章を引用します。

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八番目に立つ聖者が、その七人の聖者のようにひとりひとりじゃないんだと。それは、19931228日に小包でいただいた言葉、「尊きものを見つけて、そこに行き、救われることよりも、自らが尊きものとなって、他を救えるものとなれ。これからは、ひとりびとりがイエスやブッダであるぞ」その言葉につながっている。

お釈迦様が、「ガンジスの川の砂のごとく衆生はおる。そのすべてに仏性あり」と言われた。「どんな人間の中にも、仏になる種が入っておるぞ」というふうに言われた。それはよくあるお釈迦様の言葉として、世の中にもそれを知っている人は沢山いると思う。

しかし、僕にお釈迦様は、そのあとの言葉を言われた。「ただし、その道を歩んだものにだけな」と。「すべてのものの中に真実の種があり、すべてのものに悟りへ行く道があるんだけれど、その道を歩まないものにはないぞ」と言われた。

そして、「これからは、ひとりびとりがイエスやブッダであるぞ」ひとりびとりが自分の中にある、宇宙の中心からくる神性、真理の種を開花させて、自分の中から光を外にほとばしらせる。そして、人に救われることばかりのもの、亡者として生きるのではなく、自分の中から光を出して他を救えるようなものになる。自分で自分を救えるもの。それが連鎖していけば、誰も救われる必要がない。ひとりひとりが目覚めて、キリストとしてブッダとして人々があったならば、この世界は救うものも救われるものもなく、それこそが理想の世界。地上天国になる。

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この文章はみかちゃんの提案によりみんなにシェアされましたが、提案した理由についてみかちゃんは以下のように語りました。

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八鏡文字

カタカムナで8(ヤ)は飽和安定、ヒフミヨイムナヤ(1・2・3・4・5・6・7・8)まで来て八鏡文字が完成します。八方ふさがりや闇(ヤミ)(8・3)という言葉がありますが、「8」まで来ると安定しますが、それは動きのない状態とも言えます。ですが、それは動き出す準備とも言えて、「9(コ)」で転がり出ることで「10(ト)」の統合、悟りへと至ります。これはヒトの歩む道を示しています。

過去の聖者が7つの席を埋めています。そして8番目の席、そこに一切衆生が座ることにより八鏡文字は完成し、世界は統合、悟り、コミュニティの仏陀へと転(コ)がり出ていきます。その時、人々は個(コ)の花を生き生きと咲かせています。7年前、いさどんの生前葬ではそのことを表現しましたが、現状は不十分です。そこから7年が経った今、本当にこの場でそのことを実現する時が来ています。

みかちゃんによる「八番目の聖者」の説明

冥王星の周期、庶民の目覚め、白陽期の開始は八鏡文字の「8」の場所になっています。

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『いさどん」が『ジイジ』となった大きなターニングポイントを迎え、時代はさらに目覚めへと進んでいます。その時代の流れの中で自分は以下のように思っています。

世界の中に浮かび上がった波としての自分。それが自我。その自我を天に向かって導くこと。それが今生の自分の役割です。長い間、波としての自我を自分と勘違いして来ましたが、それは本来の自分ではなく、愛し導く対象として与えられたものです。自我は反応体で目の前の出来事に独特のパターンで反応しますが、その反応を識別し、調和へと導くこと。それが僕に与えられた使命です。

自我は盲目だから、今までいろいろなトラブルを起こしてきましたが、僕はそれらすべてを刻み込んだ上で許します。なぜならそれらは見えない中で現実に翻弄されながら一生懸命に生きてきた結果だから。ですが、これから先は不調和な振る舞いは許されません。なぜなら、海としての僕が波としての自我を導くからです。もうこれ以上、自我が愚かな行いをすることを許しません。僕の自我は天へと導かれます。

そう、僕は愚かで未熟な自我を抱えていますが本当の自分に目覚めています。それは木の花ファミリーの暮らしの中でいさどんをはじめとするみんなに育まれたから。上記の文章に続いていさどんは以下のように語っています。

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僕は、この世界を救うものとして、この世界に派遣されるような立派なものではない。この世界を救うようなもの、イエスやブッダや他の聖者のような立場に立てるのだろうか。僕の中から、そんなおこがましいと自分をへりくだる心が湧いてきて、どうもしっくりいかない。それをずっと考えてきた。

富士山の頂上で、「その心、これからは、日の本の国全体に説くがよい」と言われた時も、「そんな、私にそんな大それたことができるわけがありません。
私にどうして、そんな能力がありましょうか」と、そうやって言われるたびに、
ずっとその言葉を否定してきた。

でも、最近になって思うのは、人間いさどんがひとりでそれをすることはできない。けれど、このいただいた心を自分の隣の人に伝えることはできる。ちょうど、自然の仕組みが利他であるように、自然は自らが存在することによって、自分が関わる両隣のために生きている。その仕組みが、いのちの仕組みとして、この世界すべてをつなげている。それが、いのちの仕組みであり、神様がこの世界をそれで治めておられる。

そして、この尊い仕組み、尊い心を自分が今もっている。それを両隣の人に伝えることができる。そして、この精神、想いは、人と人、いのちといのちのつながり、ネットワークにひとたび解き放たれれば、それが連鎖して、この世界にすべて行き渡る。そうなった時に、この世界が理想の世界になる。

「その心を日の本の国全体に説け」と言われたこと。そして、「尊きものを見つけ、そこに行き、救われることよりも」という言葉からくる、ひとりびとりがイエスやブッダ、すべての衆生に仏性がある、ということ。それは、この宇宙のもとにある一番のエッセンス。その心にひとりひとりがなれる。

そうして、八番目の聖者というのは、ひとりの人間ではなく、すべての人々の中にある仏性、神としての心。宇宙の根源から分かれてきて今がある。それを思い出した時に、すべての人の中に八番目の聖者たる資格がある。

それに皆が目覚める時代、それが今の時代。自分も八番目の聖者だけれど、すべての人が八番目の聖者である。そういう時代が幕を開けようとしている。そういう時代がこれからの時代なんだ、ということがわかってきた。

その見本とする生活が今ここにある。ベトナムの僧侶、ティク・ナット・ハンが言った言葉、「次のブッダは人間の姿で現れることはないだろう。次のブッダはコミュニティの姿で現れるだろう。それは他者を理解しようと努め、互いを慈しむ優しさを持ち、大事なことを常に意識しながら、人々が暮らすコミュニティである。これこそ地球の命をつなぐために私たちにできる、最も大切なことではないだろうか」という言葉にもつながる。

僕は、瞑想の時代にお釈迦様に問うた。「こうやって私もいつか人々の心の問題に答えながら、人々が集まり、組織ができ、新興宗教の教祖のようになるのでしょうか。」そうしたら、お釈迦さまが言葉を返されて、「これからの時代、組織をつくるのではないぞ。人々が集え。集い語り合え。語り合う中から真理が生まれる時代である。そういった中から世は開かれる」と言われた。

「そのひとりひとりはすべて今の仲間、そして地球にいる仲間たち」、そこに気づくことができた。

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いさどんが尊い心を両隣の人に伝えてきたように、そしてこれからも『ジイジ』としてその実践を続けるように、僕も自我を天へと導くことで育まれた尊い心を伝え続けていこうと思っています。

うれしたのしの世界を生み出す

木の花ファミリー通信2017冬至号が発行されました。今回のファミリー通信は世界情勢をテーマにしていて、時代を大きな流れで捉える視点を提供すると共に、環境、農・食、経済、社会、政治、教育などの分野の現状の分析をしています。その中で政治についてはトランプ大統領に触れています。以下、その内容を転載します。

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時代の申し子・トランプ米大統領の出現

時代は新たな価値観を求めている

アメリカの建国から約250年、ニューヨークに高層ビルが建てられるようになってから約130年。それは、46億年の地球の歴史からするとほんの少しの出来事ですが、素晴らしく発展したマンハッタンも、宇宙から観たら本来の自然の美しさが失われた皮膚癌の状態であり、それは地球の病巣とも言えるのです。

20121221日の「銀河の冬至」という大いなるターニングポイントを越えて光が差してきた今、そこで見えてきた本音が「アメリカファースト」です。その本家がイギリスであり、今、イギリスも「イギリスファースト」という姿勢を取っています。元々、アメリカという国家は度量の大きな他民族国家でした。ですから、アメリカは偉大な国だとされてきたのですが、その本音では自国の利益ばかりを求めていたのです。これまで公開されてこなかった過去の文書によると、アメリカは世界戦略として戦争をつくり、戦争によって繁栄してきた国だということが観えてきています。そして今や、アフリカやアジアといった貧しい国を搾取することによって栄えてきた国でもあるのですから、アメリカが世界の名士であるということは幻想にしか過ぎません。

自分たちが豊かになろうとする欲望の延長に、イギリスやアメリカが覇権主義で世界をリードし、その結果世界中の国々がそれに追随してきた時代が終焉を迎えている証として、トランプ大統領が誕生したとも言えるでしょう。時代が必要として産み出されたトランプ大統領には、既存の国家主義を壊すために大混乱を引き起こす重要な役割があるのです。そして、本来アメリカという国家は度量の大きな他民族国家なのですから、自分たちの欲を手放し、今まで抱えてきた富をこの世界に還元する時を迎えています。そのように、現代を生きる人々が地球レベルで世界のことを考え、人類の本来の目的に目覚めた時、地球に真の平和は訪れることでしょう。

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先日、国連総会の緊急会合が開かれ、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定したことに対して、認定の撤回を求める決議案が圧倒的多数で採択されました。採択に先立ち、トランプ大統領は決議案に賛成する国への支援を停止すると警告していましたが、多くの国はそれでも賛成票を投じました。トランプ大統領によるエルサレム首都認定の動機については、中間選挙での人気巻き返し、ロシア疑惑の話題を反らすためなどと報じられており、「アメリカファースト」どころか「トランプファースト」とも言える姿勢となっています。国が自国の利益ばかりを求めているのは、国を構成している人々が自分の利益ばかりを求めているからであり、そのような国民に選ばれた指導者が自分のことばかり考えているのはある意味当然と言えます。トランプ大統領は繕うことなくその姿勢を打ち出すことで既存の国家主義を壊すための役割となっているのでしょう。トランプ大統領の姿勢は人々の鏡であり、その姿から人々が自分の姿勢を改めることで今の混乱を抜け出し希望ある未来を生み出すことが出来るのです。

冬至の夜、木の花ファミリーでは富士浅間木の花祭りについてのプレゼンが行われ、その意味を共有しました。木の花祭りは鬼が主役のお祭りです。鬼は人々に忌み嫌われていますが、鬼は本来、人びとに道理を説く存在なのです。鬼についてカタカムナの単音で調べると以下のような意味となります。

「オ」 6方(前後左右上下)へ限りなく拡散、または凝縮する思念。大きい 重い 奥の方・潜象の場  ※潜象界とはカタカムナでは「ない世界」のこと

「二」 定着する

この意味を発展させて「いさどんと鬼の面」では鬼について以下のように説明しています。

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「オニ」とはマクロにもミクロにも限りなく広がる現象界、および現象界の元になる潜象界をも含む、両方の世界の働き(仕組み)を定着させるものである。そして、「鬼が云う」と書いて「魂」となる。魂とはこの世界の仕組みのもとにある心で、鬼は人間に、この世界の道理を伝えるものなのである。

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「鬼が云う」で魂となります。ということは、鬼を忌み嫌っているということは自らの魂を忌み嫌っているのと同様なのです。自我を与えられ、この世界を自らと切り離して認識することが出来る人間は自分だけの世界を生み出します。それは宇宙と一体となった本来の自分(=魂)から離れた幻想の世界と言えます。多くの人が自我から世界を眺め世界と関わりますが、自分と世界を切り離しているため世界に認めてもらうためのアピールが必要となるのです。好き勝手に行動しているように思えるトランプ大統領ですが、中間選挙を意識し支持層にアピールをしています。それが本来の自分の望み、考えかどうかは関係がないのです。このトランプ大統領の姿は多くの人の日常の姿なのではないでしょうか?ここで2013年9月にいさどんと交わした会話を紹介します。


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なかのん:

質問があるんだけれども、自分らしく生きていることと自己主張をしていることの境界ってどこにあるのかな?

いさどん:

自己主張は主張でしょ?誰かに何かを主張している。分かって欲しいと求める対象がいる。自分らしく生きることには対象はない。ただただ淡々と生きているだけ。自分らしく生きている姿は美しく気持ちがいいけれども、自己主張は気持ちよくない。正直に生きていても、それが自己主張になってしまっている人がいる。それはアピールして人に分かって欲しいと求める気持があるため。そういう人は気持ちよくない。世界と自分、両方から離れて眺め、自己主張を超えていく必要がある。

なかのん:

何かを分かって欲しい気持ちがあるか?それが一つのチェックポイントになるんだろうね。僕は、自己主張はいろいろなところに入り込むって常々思っているんだ。例えば、一生懸命に働くことの中にも自己主張は入り込む余地がある。「俺はこれだけ仕事をしているんだぞー」みたいに。

いさどん:それは誰にアピールしているの?

なかのん:みんなかな・・・

いさどん:その時はみんなと自分を分けているんだよ。

なかのん:そうか・・・アピールするってことは分けているってことか・・・

いさどん:

そうだね。僕なんかそんな感じはまったくないよ。僕が淡々と仕事をすることは木の花全体の仕事を進めることで、全体に仕事が進むのは良いことだしね。

仕事に関しては、こんなことがあったんだ。今、家を建てているでしょ。その家の壁の漆喰塗りを進めようと思っていて、特に僕の部屋の部分は自分でしたいと思っていた。僕が一番丁寧に出来るし、これからずっと眺めるものだから。でも、普段から養蜂や面談などで忙しく、加えて、蜜蜂がスズメバチに襲われるなんていう突発的に事故が入ったりして、なかなか取り掛かることが出来なかった。そこでまっちゃんりょうちんが仕事を進めることになった。まあこれも流れかなと思っていた。これには良い面もあって、もし僕が漆喰塗りに取り掛かったら、僕が主となってやることになり、まっちゃんやりょうちんには従属する気持ちが生まれてしまう。でも、僕が取り掛かれなかったことで、2人とも主体性を持って伸び伸びと仕事に取り組んでいた。加えて、2人は僕の部屋の部分は後に取っておいてくれたので、時間が出来て僕が塗ることが出来た。僕は漆喰塗りを手放した。手放したらより良い形で僕がやる流れが来た。これは覚悟が出来ているから生まれる流れ。覚悟とは執着のない心。捕らわれない心。潔い心。覚悟が出来ていると、自分がやるべきことと手放すことの冷静な判断が出来て、結果良い流れを生み出す。

人間だから僕も人間的意識で物事を体験し捉える。と同時に上の意識でも物事を捉えている。日常生活の奥には現象を生み出すバイパスがあって、そこから物事を眺めているとすべての出来後が繋がってくる。この世界は一つだから現象の元を辿りバイパスに至ればすべての出来事が繋がっている。一人一人に相応しい現象が生まれるこの世界。生きてそれを味わい自分を知りあらためていく。それは一人一人オリジナルな体験で、いつでもどこでも出来る実践。お金も掛からなければ、誰かに頼る必要もない。日常の現象からただただ自分を知って改善していく。それは最も正攻法で手法もいらない、人生オール心磨きの実践と言える。

なかのん:

日常を眺める視点を頂いたように思える。背景に流れる意図を感じ、そこから眺める。そうすると一本の糸のようにすべての現象が繋がっていくように思えた。その視点を共有したい。

いさどん:

その視点をみんなで共有しようというのが、僕がずっと言ってきたこと。視点の位置は同じでも、みんなが僕の真似をするわけではない。それぞれの個性の応じた景色が見えてくる。独自の視点から流れを捉えることが出来る。それをみんなで共有することでこの場所はもっと豊かな場になっていく。これは現象を味わう身体を頂きながら、現象の作り手の位置へいこうとする道。人間でありながら、人間を超えていく道。


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アピールするということは自分と対象を分けているから。

それが自我を与えられた人間の日常の意識です。本来、自分らしく生きることに対象はないのに、分かって欲しいと対象を求めるようになります。そして本来の自分である魂を忘れていくのです。鬼が忌み嫌われている今の世の中は人々が本来の自分を失っていることの現れなのです。この状態では好きなように生きていても満たされることがありません。

日常の奥にある現象を生み出すバイパス。

それがこの世界の法則であり、天の意志であり、鬼が伝えてくれる道理です。そこに意識を向けることで、人は本来の自分、魂を取り戻せるのです。

鬼が主役の富士浅間木の花祭り。それは自我から生まれるアピールする心を忘れ、生まれ清まり舞い踊る、うれしたのしの地球のお祭りです。祭りの精神により本来の自分を取り戻すこと。それは自他の区別により分断が進んでいるこの世界に光を射しこみます。道理を大切にし本来の自分を取り戻すこと。それはどこでも誰でも出来る世直しであり、唯一の世直しの方法なのです。この世界で共に舞い踊りうれしたのしの世界を生み出しましょう(^-^)








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