食前、みんなで一緒にお祈りをしています。 |
その後、僕はいさどんによるケア滞在者との面談に同席しました。そのケア滞在者は理屈っぽいところのある人なのですが、彼に対して、いさどんは以下のように語りました。
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理屈っぽい人は理屈で先に結論を出す傾向がありますが、それは良くないことです。そうすると「あなたはなんでそんなふうに断定するの」となって人間関係が壊れていく原因にもなりえます。結果は常に現象をもって判断する必要があります。大事なのは常に努力していくことで結果はいただくものです。やってみること。試すことは必須です。理屈をこねる人は、結果を想定し、そこに持っていこうとするのだから、それは傲慢とも言えるのです。いただく姿勢が大事です。
人に対しては、相手の行動をあなたの理屈の中で分析しようとしています。分析してはいけません。相手には相手の好き嫌い、モードがあります。理屈なしで生きていきたい人もいるし、理屈抜きでやり取りをする必要がある場面もあります。それを無視すると、相手があなたを避けて通るという現象になって表れます。相手を感じて相手に合わせて接していく必要があります。そういうことは、相手の目線を意識するとだんだん分かるようになります。人にはそれぞれ生きてきた経緯があります。それを理解することです。これは無理に合わせるということではなく、人はそれぞれ違うということを理解し、それを踏まえて行動することが大切なのです。
あなたは「どうせ理屈で分かり合えないのだからいいや」と言いますが、そこに投げやりな姿勢を感じます。その状態だとお互いに嫌な感情を残します。どういう結論が出るにしてもその場の出来事を完熟させ、しこりのない状態にする必要があるのです。違いがあるならば、お互いの違いを認め合って終わりにする必要があります。
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ケア面談の話題は最近の北朝鮮にも及びました。そして、その後の大人ミーティングでは、いさどんブログ「天の川銀河と対話して~北朝鮮を語るPARTⅡ」をみんなで読みました。以下、一部を引用します。
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今、北朝鮮は核兵器を持つことによってアメリカと対等になろうとしているが、そもそも地球上の今の核兵器バランスというものはどのような形で始まったのかといえば、核不拡散条約により、核兵器を持つのは良心的で優れた国とされているアメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国。この5ヶ国は核兵器を持ってもいいが、これらの国は平和のために持っている。しかし、他の国はならずもの国家で、核兵器を保有したら何をしだすかわからない。平和の脅威だ。だから、5ヶ国以外の国には持たせないという話なのだ。しかし、そもそもこのような核兵器はなしにするべきだったのに、自分たちだけが善良な国で、あとはならずものだから持たせないという話にしてしまった。
核兵器というものは、隣りが持っていると不安だからといって、アメリカが保有したらソ連も持ち、ソ連が持ったからイギリスやフランスも持ち、それで中国が保有したら対抗してインドも持った。それでインドが持ったら、今度はパキスタンが持ったんだよ。そうすると、中東諸国に囲まれているイスラエルは事実上核兵器を持つことになった。
つまりこの状態は、自分の主張が通ったものが善良で正しいという考え方だ。そうすると、北朝鮮のように核兵器だけを持っているのではなく、今は経済と軍事力の時代だから、経済も核兵器も両方持っているのは、アメリカだ。だから現状の世界は、アメリカが自らの尺度で「これはならずものだ」「これは善良だ」「仕方がないからこれは認めよう」と判断しているという姿になっている。
そのような世界に平和が訪れるわけがない。そうすると、北朝鮮の主張もわからないわけでもないという話にもなるだろう。
~ 中略 ~
人間は、自分の見える目線から判断し、認められるものを正しいとする。それが認められない、もしくは理解できなければ、間違っているとする。その徒党を組んだ極めつけが国家だ。
しかし、伝統的な暮らしも、動植物の個性も、地域による文化の違いもすべて多様性を認め合って初めて、平和がある。ところがグローバル化によって、人間の豊かさの価値観が単一化してしまった。そこで、お金があって欲しい物が手に入るアメリカ型豊かさだけが豊かさになっていると、それを阻害するものは悪で、そのようなものたちが築き上げてきた多数決の世界観が正義になっている。それが現代の問題を生んでいるのだ。そのような価値観はこれまで爆発的に広がってきたが、それは地球の多様性という生命世界からしたら、非常に貧しく単一的な世界だ。そのツケが今、世界中に現象化してきているのである。
そして、その単一化された価値観を阻害するような今までの動きも、実は宇宙からのメッセージであり、その矛盾を人類に示しているとも言える。「ひずみがあるとこうなるよ」と。逆に、ひずみを消すと悟りに向かっていくのだから、悟りに至ることはある意味味気ない世界とも言える。そういったことを宇宙が教えてくれている。
その宇宙の意志が観えるものになること――。それを今の時代に生きる人々に伝えたい。
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この日は秋分の日、その天体の配置が「最後の審判の始まり」を意味するとも言われています(「魂の本当の価値が試される時」参照)。僕は大人ミーティングでそんなことを紹介しました。その僕の言葉を受けて、いさどんは以下のように語ります。
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世の中には知識が豊かな人がいて、それが語られています。例えば、「最後の審判」の話です。こんなふうに語られてみんな分かりますか?天を見て判断出来ますか?僕はこういう話を聴くと「すごいな」と思います。ですが、それが人々の目覚めには繋がっていきません。僕自身はそういう知識はないけれども、9月になったら違うと感じ宣言をしました。そしてその節目が秋分でこれから現象化が進んでいきます。大切なのは、何も知らなくても宇宙のリズムときっちりと合っていくことです。
先に読まれたブログ、あれは銀河との対話が元になっています。翌朝、突然、渡り鳥をタモ(網)で捕らえる映像が現れ、そこから北朝鮮、世界平和の話へと繋がっていきます。これは最初からこういう話をしようとして組み立てられてものではありません。自分で意図した思考ではなく湧いてくるものです。
宇宙をひも解くことも、宇宙を科学することも大切ですが、一番の大事は宇宙を生きることです。それは天体の動きが日常の自分に繋がるということであり、優れた心が優れた現実を生み出し、愚かしい心、宇宙の法から外れた心は矛盾を発生させるのです。生活の中に宇宙を生きるということを表現する。それは自分を空にして「いただきます」ということであり、宇宙のスケールで生きることで現象化をスムーズにしていくのです。そこには難しい話はいりません。
その人の意識レベルで観たものがその人にとっての正解です。ですが、それをやっていたら狭い生き方です。自分の視点を超えたところに自分を持っていったら、新しい自分と出会えます。
僕は思考をしていません。僕の話はどっかから来て勝手に出て来るものです。自然にそれが湧き出してくる状態、囚われのないフリーな状態で宇宙を生きているのです。
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現代社会では、多くの人が自らの思考に囚われ理屈っぽくなることで数々の問題が発生しています。そこを超えるためには自らを離れ、他者を理解すること、多様性を認め合うことです。その姿勢で先に進み結果は現象をもって判断していく。そんなふうに生きていくことで未来は切り拓かれていくのだと思います。それが木の花ファミリーの生き方であり、その先には希望があります。
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