みんなの中でよみがえり生きていく(4)

今、台風や水害、地震等で地方が破壊されている。今年は九州、大阪や広島、北海道など各地で災害が起きたが、そのうち大都市に災害がやってくるだろう。そうなると、日本は再生できないような状態に陥る可能性がある。そうすると、人々の生きる方向は群れることでしか選択肢はなくなる。これは今の社会の延長に新しい生き方を見つけようとするような生ぬるいものではなく、その選択肢はなくなり、群れで生きるしかない時代が来るだろう。そのときに精神性が伴っていなければ、それは限りなく混乱の方向へ向かい、そこで人々は群集化し、さらに混乱へと向かっていく。人々の精神性が伴えば、群れ化して、人々のライフスタイルが再編される。ライフスタイルの転換が今、人類に必要になってきたのである。確かに我々はそのさきがけなのだ。

来年のテーマである「軌道修正」というものは、まずは人々が目覚めなければ軌道修正はできない。目覚めた者たちにはこの星で生きることの意味が理解され、軌道修正ができる。地球の時間軸にたとえれば、ほんの少しの間の工業化の波が人間たちをテクノロジーの依存症にさせてしまった。もう人間の小手先のテクニックで生きていく時代は終焉を迎える。そして、人々が天と共に生きる時代が始まる。それが、新たに始まる時代の求める軌道修正だ。だから、来年2019年のテーマは「軌道修正」ということなのだろう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

上記は、ジイジのブログ「時代が縮小のサイクルに入った今~2018年11月28日(天赦日)」からの引用です。来年のテーマとして「軌道修正」が挙げられていますが、「軌道修正」については、12月9日に行われた収穫感謝祭のトキにもジイジは語っています。以下、その言葉を引用します。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今年は再出発の年でした。再出発とはどういうことでしょうか。それは、今までのことを振り返り、初めは何だったのか、この歩みは何だったのか、そして未来に向けて私たちはどのように進んでいけばいいのか、ということを考え、そのことを見極めることです。そこで、来年は軌道修正の年です。しかし、それは木の花ファミリーを指しているのではありません。私たちは、自然と共に生き、そのメッセージをいただき、生きる立場にいるからです。そろそろ人間たちの地球上での生き方は、軌道修正をしなければいけないところに来ているのです。この軌道修正は、世界観を広くして軌道修正しないと、これからの社会は成り立って行かないというところまで来ているのです。

そのような現状の中で、私たち木の花ファミリーは、今の方向に向かって、世の中の指針となるということです。ですから、私たちには、社会に軌道修正をもたらす自覚がいるのです。その自覚の元に、スケールの大きな世界観を生きたならば、私たちはとても大事な役割をしているということが分かります。そうすると、その自覚は一人ひとりにも必要ですが、全体を通して大きな役割があることが見えてきます。今、そのために世界の人たちと交流しているのです。今も、タイに二人そのメッセージを伝えに行っています。

そして、これから人類が進む方向性に対して、この暮らしがモデルとなります。私たち一人ひとりが大切な役割をしていくという自覚と誇りをもって、謙虚に自然から命をいただいているという自覚が大切です。自然に対する謙虚な姿勢は、これからの世の中の見本です。それがモデルとなるのです。生きることをいただいていくという精神です。それをもって、私たちは、そういった方向に社会が軌道修正するための役に立っていきましょう。

ここにはたくさんの人が共に暮らしていますが、それは一つの生き物です。私たちは、ひとつの生き物として歩んでいきますから一体です。それが今の世の中に足りないところです。それを示していきましょう。時間を積み重ねるたびに、日を積み重ねるたびに、月を積み重ねるたびに、季節が巡るたびに、年がたつたびに、私たちの役割は大きくなるのです。ですから、毎年毎年、その自覚を深め、高め、一緒にその役割を果たしていきましょう。みなさん一緒にやりましょう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

そして、収穫感謝ということで言えば、昨年の収穫感謝祭にて、ジイジ(当時はいさどん)は以下のように語っています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

私たちは自らが美しい響きを響かせ、美しい響きのものを生産し、そして健全に生きていく。それを社会に還元し、社会を健全にしていくのが私たちの生きる本当の目的です。

美しい生産物は、霊的な美しい心によってもたらされます。ならば、収穫感謝とは、物理的に生産をして、それが良い収穫であったかどうかということの前に、それに携わる私たちの心が美しいものであったかどうかを振り返ることです。畑や田んぼ、その他の様々な活動を通じて、この1年間、自らの心が美しい響きを発するものであったかどうか。1年を通して何が自分自身に定着したかということも、収穫なのです。そこを考えなければ、本当の収穫としての意味がないのではないかと思うのです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

今年は再出発の年でした。今までのことを振り返ることで、初めは何だったのかを確認した年です。そんな今年1年を通して定着したことと言えば、この暮らしに対する確信と言えます。その確信をもって、木の花ファミリーは、これから軌道修正していく社会の指針となっていくのです。そのためには常に自分を振り返り心を美しくしていく必要があります。

僕個人で言えば、今年のはじめに堕天使ルシフェルの存在に触れてこんな文章を書いています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ルシフェルは悪い役割を自ら担いました。なぜそのような存在が必要だったかというと、人々が自分のことを見て来なかったからです。悪とは何かと言ったら、自分の都合を求めてきた人々に排除された存在です。人間は自分の都合を求めていろいろなものを切り捨ててきました。その結果、地球環境は悪化し、社会の分断と孤立が深まっています。その状態は偏りであり均衡を取り戻す必要があります。だから、人々が切り捨てているものが何かを教える存在が必要となるのです。役割としての悪。それは人々の姿を映すことで学びへと導いているのです。

人類はずっと正義の名の元に争ってきました。自分の行為を正当化し、争いを生み出している心の種を見ることはありませんでした。悪は自分の中にあるのにそれを認めずに外を改善しようとしてきたのです。それは自分の都合を求める心です。自分の都合を求めて争いが起き緊張しているのが今の人間社会と言えます。だから天に心を向けてすべてリセットするのです。そして「すべてをいただく心」でみんなが再スタートをすれば、全ての存在と出来事が認められ、今ある問題はすべてなくなっていくでしょう。なぜならいつでもどこでも、

何ももらってはいないのに、ありがとうございます。

ただ今があるだけなのに、ありがとうございます。

という心で生きていけるからです。


☆彡 ☆彡 ☆彡

そして今年の終りが近づく中で、僕は自分の中で両親と再会し、煩悩と再会しました(「僕と父と木の花ファミリー」や「煩悩のために努力をするけれども煩悩を求めない」を参照)。それは自分の原点との再会と言えますが、乗り越えるべき性質として、ある意味、「悪」としてきた性質との再会でした。例えば、高い目標、精神性を求めたとしても、それが何かを切り捨てるものであるならば、心に緊張が生まれ、いただく姿勢ではなくなっていきます。相反するものの統合、全体性を生きることが高い精神性であり、そして一人ひとりがそこに至ることで世界に調和と平和が広がるのだと思います。だからこそ、両親や煩悩との再会は僕にとってとても大切なものです。

例えば僕は、理解を求めるのではなく、他者や世界を理解していくことを心掛けています。だけれども、まるでコインが反転するように、自分の中から理解を求める心が湧いてくることがあります。その理解を求める心を無理に切り捨てようとしても、どこかで反動が起こり、二面性の表現となっていきます。

他者に理解を求める弱い自分を認め、そして受け入れることで癒し、他者に理解を求める必要をなくしていきます。その上で世界や他者を理解していく。自分の中にある揺らぎとゆるぎのない心、相反する性質をしっかりと見通し、統合させていくことが大切です。

だから僕が、この1年の成果としてこれから定着させるものは、自分の中の相反する精神を生き抜き、統合させる姿勢です。そんな姿勢を定着させ、みんなと一体となって、美しい調和の響きをこの世界に広げ、これから軌道修正する社会の指針となっていくのです。

今日、12月22日は冬至、光が最も弱い日であり、生命の死と再生のトキとも言われています。闇から光、死から生へと反転するこのタイミングは、生と死、相反するものの出会いであり、統合するタイミングとも言えます。

自我は自分視点という闇を生み出しますが、それはなくすものではなく、世界という光の中で溶かしていくものです。自我が世界に溶けることで、ヒトは、みんなの中でよみがえり生きていくのです。それがイエス・キリストが示したメッセージだと僕は思っています。

1999年に創った箱庭です。



0 コメント:

Your left Slidebar content. -->