思考の奥へと行って世界と響き合っていく

2018年1ヶ月間の真学校終了パーティの写真です。

今、1ヶ月間の真学校を受講していた中国医のボーシャンが再び木の花ファミリーを訪れています。そして、昨晩の大人ミーティングで以下のようなシェアをしてくれました。

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何か一つのものを見ようとして集中すればする程、それが見えなくなる。何かを見ようと思ったらもっと引いた意識で全体を眺める姿勢で見る必要がある。だから僕は上でもなく下でもなくまっすぐ前を見て俯瞰して歩き続けようと思っている。

宇宙を生きる

そんなふうに意識するトキ、遠くに想いを馳せていたが、宇宙は遠くではなく目の前に存在している。宇宙はすぐ近くに日常の中にある。


木の花ファミリーの人たちの施術をしていて、そこに結び目があることに気づいた。その結び目がしこりとなっている。木の花の人たちは目の前のことに集中しているが、それが囚われとなって宇宙そのものである今を生きることを難しくしている。今を生きるためには、僕らは目の前のことだけでなくもっと深く物事を見ていく必要がある。

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ちょうどこの日、僕はボーシャンに施術を受けていました。ボーシャンの施術を受けているトキ、ボーシャンのエネルギーが流れてきて、自分は自分の思考を眺めている状態となっていました。リラックスした状態で思考の奥から思考を眺めていました。その思考が普段の自分の枠となり、自分の体験を規定しているのです。純粋に今を生きるためには、そして完全に自由に生きるには、思考の奥で世界を感じてみんなと響き合っていく必要があります。だから僕はそんな感覚を磨いていこう。そんなふうに思っていたので、ボーシャンのシェアにはとても共感出来ました。

そして、ボーシャンの施術を受けた後、僕はらぶちゃんに髪を切って貰いました。らぶちゃんもボーシャンの施術を受けたことがあって髪を切って貰いながらお互いの体験を語り合いました。そのトキ、らぶちゃんはこんなことを語りました。

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ボーシャンの施術を受けたら脱力状態になってそのまま眠ってしまった。そしてたくさん夢の見たのだが、ほとんど忘れてしまった。だけれども一つだけ覚えていて、それはオフィスでなかのんが自殺をした夢。オフィスで首をつって自殺をしていて、だけれどもその姿はとてもきれいだった。きれいだったからはじめは何も思わなかったのだけれども、すぐにはっとして「これって大変なことでは」と思って、大慌てでいろいろな人に連絡したりした。後は覚えていないのだけれども・・・

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髪を切ってもらう機会があったから、らぶちゃんはこんな話を僕に語ったのでしょう。そうでなければ、わざわざ語ったかどうかは分かりません。なんにせよ、この話に出会ったのは面白いと思いました。「諦めることで明らかにする」に書いたように、9月9日は括りの日でした。そして僕はこの機会に自分視点が生み出す世界を締め括りました。それは今までの自分の「死」とも言えるでしょう。トキが生み出す流れに心を開くために、僕は自ら「死」を選んだのです。

カタカムナで「シ」は現象として示されているもの。細胞が新陳代謝を繰り返す僕らの中には「死」は常にあって、「死」を通して新しいものが生み出され、僕らの存在は現象としてこの世界に示されているのです。それは常に変化変容を繰り返し常に新しいところへと進んでいく世界です。

そこに「固定」という幻を生み出すのが思考です。だから僕はその思考を眺め、思考を認めながら、その奥へと行って世界と響き合って今を生きていくのです。

昨日はそんなことを感じた一日でした(^-^)



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