一年に一度の境地

もうすぐ2015年が終わります。

年が明けたら、農事組合法人の決算処理と個人の確定申告の準備をすることになります。
これらについては「世界のお金がみんなのお金になるように。」に詳しく書いていますが、
やり遂げるためには、自分の能力以上の力を発揮する必要があります。
僕は毎年2月、そのプレッシャーから身体を壊しています。

来年は身体を壊さないように。
今から心の準備をしておく必要があります。

毎年2月はとても苦しい時間を過ごします。
ですが、その苦しみを超えると、一つの境地に達します。

木の花ファミリーのお金の流れすべてが、自分の身体に一部のように感じるようになるのです。

 世界のお金がみんなのお金。

それはそんな感覚から生まれた言葉です。

木の花ファミリーは、農事組合法人やNPO法人ぐりーんぐらすなどの法人経営をしており、
80名近いメンバーが共に暮らしています。
多種多様な存在から成り立っていると言えます。
そのどこにお金があろうと全部同じ、
すべてはみんなの暮らしを豊かにし、
その結果、世の為人の為になるように使われるのです。

それは世界の縮図です。

世界には多種多様な組織、そして人々がいますが、
みんなでみんなの暮らしを豊かにするようにお金を使っていくことが出来るのです。

その姿を確かにイメージできるようになるのです。

農事組合法人の決算&個人の確定申告のプレッシャーは僕を憂鬱にします。
そこから目を反らしたくなります。
ですが、自分が辿りつく境地は重要なのではないかと思えました。

僕の感覚は宇宙の感覚です。

僕が苦しみを超えて、この世界のお金を一つと感じる境地に至る時、
宇宙がその境地を経験していくのです。

それはもしかしたら、宇宙が初めて経験する感覚かもしれません。

市場経済が発展する前は、お金の循環は社会全体を豊かにしていたのかもしれません。
ですが、その頃のお金の循環はとても単純だったと思うのです。
こんなにお金の流れが複雑になり、だけれども、それを一つの流れとして捉える。
そんな境地は歴史上初めてなのではないでしょうか?

ならば、今自分がここで感じている境地はこれからの歴史を創ることになる。
僕の境地が宇宙に伝わり、それが少しずつ蓄積され、そして歴史となっていく。

なんてね。

ちょっと誇大妄想?????

かもしれませんね。

でもそんなふうに思えた今、きっと僕はプレッシャーに負けないでいられると思います。
苦しみを超えて、一年に一度の境地に至ります。

そしていつかきっと、それは一年に一度ではなく、ずっと続く境地となるのでしょう。

僕は山を登ると同時に川を下る。

つまり世界に遍満するということ。

その時、世界のすべてのお金の流れが、自分の身体に一部のように感じているでしょう。









逆さまな世をひっくり返す

COP21にて「パリ協定」が採択されました(The Huffington Post 参照)。
これは先進国と途上国が共に助け合いながら、地球を守っていくための約束であり、
不十分ながらも歴史的な一歩を踏み出したと言えるのでしょう。

ですが、大切なのは実行に移すことです。

経済成長と環境保全。
個人の利益と全体の調和。

今の社会は経済成長、そして個人の利益を優先しているのではないでしょうか?
今の危機的な状況はその結果起きていると言えると思います。

物事が逆さまになっているのです。
その逆さまなものをひっくり返す必要があるのです。

2016年1月30日に開催される木の花祭り
そこに登場する金神さまと翁の問答(「鬼の心を育む」参照)にもそのことは描かれています。


艮の金神さまです。

逆さまなものをひっくり返す。
そのために一人一人が「御魂(みたま)」を磨く必要があるのです。

ところで話は変わって、年末になると実家に帰ることが頭をよぎります。
両親に会いたくなって帰りたいなと思ったりします。
この時、僕の心には「温もり」の記憶が呼び覚まされています。
そして、愛おしくなります。
ですが、僕も両親も未熟な人間です。それぞれ独自の性格を抱えています。
だから、実際に会った時には想像とは違ったものになるのです。

自分の未熟さに向き合うことが大切なのだと思っています。
浮かび上がる幻想的な「温もり」に流されるのではなくて。
自分の未熟さと向き合い超えていく時、僕と世界が変わっていくのです。

「温もり」は特定の人に対する幻想的な記憶の中にだけあるものではありません。
心を開けば、それはこの世界の至るところに存在します。

個人の利益と全体の調和。

自分のという意識に囚われているからそれらは対立するのです。
自分という意識が広がっていて、境界がなくなっていけば、世界と自分は一つです。
その時、みんなと繋がり、そこに「温もり」も生まれてきます。
特定の存在は必要とせず、すべての存在とこの世界の豊かさを味わえるのです。

それが「御魂磨き」だと思います。

今、多くの人が個人の願望を叶えることで、
幸せになれると思っているのではないでしょうか?

ですが、願いが叶うと「思い通り」という狭い世界に入っていくことになります。
そして、そこから見える世界を生きて、実際の世界からは切り離されていきます。

願いを手放し、すべてを委ねる時、「思いもよらない」出来事が起こります。
それは想像を超える出来事で心を開けば、わくわくドキドキして生きられます。
そして、その出来事は世界からの投げ掛けであり、世界と自分が一つになるのです。



こんなふうに逆さまになっている価値観をひっくり返していく必要があります。

11月21日~23日、木の花ファミリーで開催された大人サミットから生まれた宣言は
そんな言葉となっています(※「大人サミット宣言」参照)。

こんなふうに世の中をひっくり返そうとしている人たちが増えています。
みんなで一緒に逆さまな世の中をひっくり返していきましょう(^ー^)

その一つの取り組みとして、木の花祭りで共に舞い踊りましょうね。








鬼の心を育む

12月7日は24節気の「大雪(たいせつ)」でした。
地球暦のサイトでは「大雪」について以下のように書かれています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

【TIME】2015/12/07 19:53
大雪(たいせつ)Great Snow
地心黄経240度、日心黄経60度
地球暦が二十四節気のひとつ「大雪」をお知らせします。
A bitter wind blows and snow falls heavily.

春分から255度経過した、仲冬のはじまりの地点です。

冬のまんなか、仲冬のはじまりの「大雪」は、山岳ばかりでなく平野にも雪が降り積もる季節ということからついた呼び名です。氷が張り出して、街はクリスマスの飾りでにぎやかになるころ。一年を一日にたとえると午後11時くらいにあたります。

本格的に冬の充足期間に入り、精神的、哲学的により思索を深めるときです。立春までの2ヶ月間の冬の取り組みで、来春の流れが変わってきます。今は現実的に物事が動かなくても、理想や信念を大切に行動しましょう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

2ヶ月後の立春を前にした2016年1月30日(土)には、富士浅間 木の花祭りが開催されます。



木の花祭りは、愛知県東栄町で行われている国の重要無形文化財花祭り
富士の地で継承したもので、今度で4度目の開催となります。

 生まれ 清まり 舞い踊り うれし たのしの 世が開く

木の花祭りは、観客も「セイト衆」と呼ばれ、
舞手と共に主役となり、みんなで歌い、舞い踊るお祭りです。

そこでは、世界中からご聖水が集まり、湯釜に注がれ、交じり合い、火にかけられます。
その周りをみんなで舞い踊り、心も一つに溶け合っていきます。
 ※「世界中のご聖水と共に~2016富士浅間木の花祭り~」参照

皆さんも是非、ご参加下さい(^-^)

立春までの2ヶ月間は、木の花祭りまでの期間となるのです。

山見鬼と伴鬼です。
さらに説明を加えると、このお祭りは鬼たちが主役となっています。その鬼についてカタカムナの単音で調べると以下のような意味となります。

「オ」 6方(前後左右上下)へ限りなく拡散、または凝縮する思念。大きい 重い 奥の方・潜象の場  ※潜象界とはカタカムナでは「ない世界」のこと

「二」 定着する

この意味を発展させて「いさどんと鬼の面」では鬼について以下のように説明しています。

☆彡 ☆彡 ☆彡

「オニ」とはマクロにもミクロにも限りなく広がる現象界、および現象界の元になる潜象界をも含む、両方の世界の働き(仕組み)を定着させるものである。そして、「鬼が云う」と書いて「魂」となる。魂とはこの世界の仕組みのもとにある心で、鬼は人間に、この世界の道理を伝えるものなのである。

☆彡 ☆彡 ☆彡

怖い顔をして怒っている鬼。その怒りは道理を伝える人間への鬼の愛なのです。
そんな存在の鬼たちも木の花祭りを創っていきます。

榊鬼(さかきおに)です。
その鬼たちの中でも特に重要なのが榊鬼(さかきおに)で、鬼の総大将です。

榊鬼は、木の花祭りの中で、斧を振るって、
「反閇(へんべい)」と呼ばれる大地を力強く踏みしめる所作を繰り返し、
大地を祓い(はらい)清め、
真冬になって地中に沈み込んだ精霊たちを、呼び覚まし復活させます。

新しい生命が次々と鼓舞されて出てくる瞬間であり、
それは春の訪れの瞬間(立春)と言えるでしょう。

来春以降の新しい生命の息吹に向けて。
大雪だけに大切にしよう!とみんなで確認をしました。

 「今は現実的に物事が動かなくても、理想や信念を大切に行動する」

それは鬼が伝えてくれる道理に従って生きていくことであり、
そのために精神的に、哲学的に思索を深めていくのです。

ところで僕は他者に対して文章を書く時、
「攻撃的になっている」というフィードバックを貰うことがあります。
最近もそのようなフィードバックを貰いました。

それは技術的に「どうこうする」ということではなく、僕の人間性が現れているのです。
そのようなフィードバックを通して、僕は「自分」を教えて貰っているのです。

この攻撃的ということに関しては、ハリネズミの姿が浮かびました。
自分を守るために攻撃的になっているという感じです。
決して積極的に攻撃しようとしているわけではなくて、
それだけに自覚が難しくもあるのです。

ですが、この攻撃性の種は見えています。

 自分を守ることで自己主張をする。
 違いを際立させることで自己主張をする。

そんな心が自分の中にあり、刺激を受けると反応するのです。

 繋がり合う安心感。

そんな心に自分が満たされていたら、きっと攻撃性は出ないと思います。

そして、安心感は、道理や筋を通すこと、自分の中心を保つことで育まれます。
道理を通すことで、宇宙の法則が明らかになり、
それに生かされていることが明らかになるからです。

道理の伝えるのが鬼の存在。

自分の中に鬼の心を育むことにより、
安心感が生まれ、攻撃性はなくなっていくのでしょう。

日々の暮らしの中で、そんな実践をしていきます。

そして僕は木の花祭りで鬼を演じるのですが、
日々の実践により、そこに魂をこめていくのです。

さて、先に鬼の総大将として榊鬼(さかきおに)を紹介しましたが、
僕たちは榊鬼を地球神である「国常立大神(くにのとこたちのおおがみ)
・「艮(うしとら)の金神(こんじん)」と捉えています。
国常立大神は、地獄では閻魔(えんま)様となり人々に喝を入れますが、
弥勒菩薩となり幸福な未来へと人々を導く存在でもあるのです。

この艮の金神ですが、長い間、封印されてきました。
それは好き勝手したい八百万の神々が道理を通す艮の金神を疎ましく思ったからです。
そのことにより世は乱れ、現代に至っています。

今、艮の金神は復活の時を迎えました。
木の花祭りではこの艮の金神の復活もみんなで祝い、共に舞い踊ります。
以下、その時、翁と金神が交わす問答を紹介しますね。

※富士浅間木の花祭りに艮の金神が登場するまでの物語を、
 こちらにてご覧いただけます! →『木の花記〜金神様の巻〜』


艮の金神です。

☆彡 ☆彡 ☆彡

金神様と翁の問答              

 
  
伊勢天照皇大神 熊野権現 富士浅間 ところは当初の氏大神。木の花の佐久夜の御庭におわします、金色(こんじき)の尊き姿の御身は、どなた様にてござりましょう。

金神  

この方(ほう)は、艮の金神と申す。
時いよいよ来たれり。この度は、地球(くに)最後の天意転換(たてなおし)。一度に清める神幽顕の三千世界(みちよかい)。 汝らの宇宙(うつ)、光一つ上ぐる仕組み。今の世は「我よし、力よし」の獣の世、蛇の「あやま知」支配する、穢れ(けがれ)逆巻く魔釣りの世。

      

艮の金神とはいかなるお方にてござりましょう

金神
 
この方(ほう)は、宇宙(うつ)を創りた元つ神。こ度の宇宙(うつ)の天意転換(たてなおし)、始原(はじまり)の、時より決まりてありた事。この方隠れている間、「我よし」「あやま知」逆巻いて、神が息の出来ぬほど、穢れ(けがれ)汚れたこの世界、最後の最後の大仕上げ。この方再び現れたなら、光に穢れ(けがれ)混じること、適わぬ(かなわぬ)世となるべきなり。古き仕組みに変わりたる、新たな仕組み始まれり。
縁ある御魂引き寄せて、掃除洗濯 済みしものより、神の使える器となりて、こ度の尊き天意転換(たてなおし)、汝らご用に使うてやる。


一度はお隠れなされた御身が、再び現れ出る(いでる)と申されるか

金神  

いかにも。この世は逆さまじゃ。どうにもならぬ者どもを、今から改心させるため、世の中ひっくりかえすぞよ。これからは、神人(かみびと)、天地が一体の「弥勒の世」が始まるぞ。
故に皆々様、御魂磨いて下されよ。御魂磨かずおられては、使えるものにはならぬぞよ。
神多くの人民の、御魂目覚めて欲しいのぞ。汝ら皆々大切な、地球(くに)の日月の神々じゃ。
一なる花を二の花へ、二なる花を三なる花へ、大和の御魂を呼び覚まし、腹にまことを据えるのじゃ。
この心、天教山より日の本の、隅々にまで広げるぞ。汝らその役、引き受けられい。

      

引き受けましょう。我らこれより「弥勒の世」、創らんがためありましょう。

金神  

一度は渡したその榊。天の元に供えられい

(金神は後ろを向く。翁が榊の枝を金神の腰に差して退場する。
金神、根付きの榊に持ち替えて、四方でへんべいを踏んだ後、神座に戻る)

皆々様、いよいよ金神動くぞよ。さすればこの世、嬉し嬉し、愉し愉しの世となりて、真(まこと)の世が花開く。皆々笑え、愛し合え。真(まこと)次々現れくるぞ。
あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり、日本晴れ。
オー、オー、ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト オー。
真(まこと)の神が現れる。神人(かみびと)共に現れる。弥勒の世の幕開けじゃ。
真(まこと)の真釣り(まつり)始まるぞ。新たな時代へ、船出の時じゃ。幕開け祝い踊ろうぞ。


☆彡 ☆彡 ☆彡

これより うれし たのしの 世が始まります。
道理の光が人々の心を照らし、世界を照らします。
光の中を共に舞い踊り、新たな時代を楽しみましょう(^-^)


みんなで舞い踊っています。

不寛容や違いを超えて生きていく。

昨年のノーベル平和賞授賞式の際、
僕は「不寛容の心と向き合う」という記事を書きました。

昨年はカイラシュさんとマララさんがノーベル平和賞を受賞しましたが、
僕は児童労働に取り組むカイラシュさんの話を一度だけ聴いたことがありました。

カイラシュさんは平和賞の授賞式で、今日の最大の危機は不寛容であり、
思いやりにより不寛容を超える大切さを訴えました。

不寛容は社会の断絶をもたらします。
その断絶を超えるために必要となるのが対話です。
その対話の重要性を示したチュニジアの「国民対話カルテット」が
今年のノーベル平和賞を受賞しました。

国民対話カルテットについては、六辻さんのブログ
チュニジア「国民対話カルテット」のノーベル賞受賞-その軌跡と意味
がとても参考になりました。

人々の意見を尊重する民主主義は、違いが表面化し、時に分断の危機を迎えます。
ですが、その分断の危機を国民対話カルテットは対話により乗り越え、
統合へと導き続けているようです。

その国民対話カルテットは、ノーベル平和賞の受賞式で、

「今こそ世界で対話を進め、お互いの多様性や違いを認め、
平和的に共存する方法を見つけなければならない」

と対話の重要性を訴えたようです。
 ※あとで全文を確認します。

ですが、対話も「ただすればよい」というわけではなく、
思いやりなど他者を尊重する心をそれぞれ育む必要があるのでしょう。
そういう心が育てば、自然と対話が生まれるのだと思います。

ところで、民主主義はイギリスの産業革命に後押しされ発展してきました。

産業革命から現在まで250年経ちました。
それは地球の誕生から現在までを1年と例えるとたったの2秒だそうです。
その2秒の間の価値観が大きく自分たちに影響を与えていると思いませんか?

個人の幸せを追い求めることが今では当然とされていますが、
それは近代から現代に掛けて形成された価値観です。

みんなの幸せを追い求めることが結果自分を幸せにする。

そんな暮らしもあるのです。

たった2秒の価値観。

そこを離れて人間そのものを見ていく。

その時、違いよりも共通するところが見えて人と人とが分かり合えます。

そんなふうに生きていくことを心掛けましょう。

木の花ファミリーのみんな@日本平動物園



時代はすべてを生かし進んでいく。

11月21日~23日まで大人サミット「地球会議in木の花ファミリー」が開催され、
賑やかな時を過ごしました。その報告は後日、参加したメンバーからあると思いますが、
ここでは最終日の夜、大人ミーティングでいさどんが最後に語った言葉を紹介しますね。


大人サミット参加者(1日目)です。


☆彡 ☆彡 ☆彡

シリアでの空爆、そこから生まれる難民、そしてパリの同時多発テロ。
世界では今、様々なことが起きています。
それらを見ると20世紀型の価値観が終わろうとしていることを感じます。
そして、その後につなぐ新たな時代の仕組みが模索されています。
この暮らしはその一つのモデルを提示しています。

今回の大人サミットでは様々な出会いがありました。
内モンゴルの青年ムルンは今回の出会いは大きいと言っています。
ムルンからは現実化していくエネルギーを感じます。
今まで心で確認していたことを、
これからは現実で確認するようになるではないかと思います。

今日、大人サミット参加者の面談も行いました。
彼は問題ごとを抱えながら、それに対してアプローチをして来ませんでした。
ここにはカルマ読み地球暦、そしてカタカムナという分析方法があります。
それらを通して人生を分析することが出来ます。
人生を通して分析をしたら、分析したことを実行し、それを達成すること。
その時、生きていてよかったと思えるのです。
彼はそのことに気づき一歩を踏み出します。
実際に自分の人生を的確に分析していく。
そして、人生を通して変化していく。

それが新たな時代の仕組みへと繋がっていくのです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

大人サミットで語られたことがこれから参加者によって実行されていくのでしょう。
その先にどんな未来が開かれていくかとても楽しみです。

ところで、大人サミットの期間、僕は玉ねぎの苗取り&定植をしていました。


玉ねぎ苗の畑です。


木の花ファミリーでは、昨年から玉ねぎの定植には機械を導入していて、
僕は今年初めて少しだけ経験をしました。




機械に合わせて動く時、様々な心の動きが起きて面白かったです。
まず初めは慌てて行動する自分がいて、
少しして、そんなに慌てる必要がないことに気づきます。
そして、落ち着いて作業をすると、自分の作業の精度が見えます。
その精度も自分の中の僅かな心の動きによって変化します。

能力には限界があって、自分の出来ることは当然その範囲内のことなのですが、
感情の動きによって精度やスピードが変化するのも事実です。

それを感じて楽しむことが出来ました(^-^)

僕はマハトマ・ガンジーの「大衆による生産」という言葉が好きです。
機械が人間から仕事を奪うとガンジーは言っています。

人々が自分の手でモノを作るようになると、
生産性は機械よりも落ちますが、
多くの人に仕事を提供することが出来ます。

多くの人が手作業を楽しみながら、
みんなでみんなが必要とするものと生み出していく。

それは機械で大量生産をして、
人々が暇になるよりはるかに豊かな世界です。

そんな世界になるといいなと思っています。

ですが、初めて飛行機が空を飛んだ時、
人類は大きな感動に包まれてのではないかと思います。

そして世界が広がり、夢が広がったのではないでしょうか?

機械が持つそういう側面は素晴らしいものだと思っています。

機械は人間から仕事を奪うこともあれば、夢を与えることもあるのです。

その違いはどこから生まれるか?と言えば、
きっと機械に接する人の心によって生じるのだと思います。

僕は玉ねぎ定植機を通して心を見つめ楽しむことが出来ました。
そして、さつまいも収穫の時はトラクターが心を育んでくれました。
 ※「物資的豊かさを通して心を豊かにしていく」参照

近代化、物質文明の繁栄は時代の流れです。
今、その時代が終わりを告げようとしています。(「文明周期説」参照)
そして次の時代は心の時代です。
それは今まで物質文明を否定したものではなく、それを生かしたものになるでしょう。

時代はすべてを生かし進んでいきます。

木の花ファミリーの畑(暮らし)はそのような実践を心掛けています。

このような実践の場を土台として、大人サミットという語り合う場が生まれています。
参加者はそこで語られていることの実践にその場で触れることが出来るのです。

それがきっと実行への勇気となっていくと信じて。
これからの未来を楽しみにしています(^-^)





みんなが神さまでみんな好き

昨晩、お風呂場で小学校1年生の菜織(なり)とこんな会話をしました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

菜織 : なかのんは誰が一番好き?

僕 : 神さまだよ。菜織は?

菜織 : 僕も神さま。

僕 : そうだよね。神さまってことはみんなってことだよね?神さまはみんなだから。

菜織 : そうだよ。みんなだよ。みんな好き。

畑で大豆を拾っている菜織くん(左)


☆彡 ☆彡 ☆彡

みんなが神さまでみんな好き。

みんながこんな意識になると世界が平和になるのだろうなと思いました。

ところで、パリの同時多発テロから1週間が過ぎました。

その間いろいろな記事に触れましたが、その中に偽装テロ事件説もあります。
滝沢泰平さんの天下泰平ブログもその一つで、
その根拠として「クライシスアクター(Crisis actor)」の存在を挙げています。

「クライシスアクター(Crisis actor)」とは偽りの報道を作成する際に登場する役者で、
今回のテロ事件の報道で映っている女性が、
以下3つの事件の報道でも登場していたというのです。




僕はこの滝沢さんのブログを読んで湧き上がってきた言葉があったので、
それをそのまま滝沢さんに伝えました。その内容は以下の通りです。

☆彡 ☆彡 ☆彡

今回のパリのテロ事件について、911同様に陰謀説があること。
そしてその根拠としてクライシスアクターの存在があること。
とても貴重な情報をいただいたと思っております。

陰謀説についてですが、確かにその通りなのかもしれません。
ですが、陰謀説を唱える時、人々に起きる心の動きが気になります。

大きな悪を外に作りだすことにより、
自分を見詰める作業を怠ってしまうのではないかと思うのです。

支配者が悪で、その悪がいなくなれば、
平和が訪れるという発想になるのではないかと思います。

ですが、その支配者を生み出したのは、人類です。
私たち一人一人の心が支配者を生み出し、
この世界に悲劇を生み出しています。

陰謀説により支配者を悪とする。

それは人々が自分の中の悪を見ないようにするために
支配者を利用しているとも言えるのではないでしょうか?
つまりそんな人々の心が支配者を支え続け、
その構造が変わらないのではないかと思うのです。

この世界がすべて自分自身の現れ。
全人類で創り上げている世界です。

この世界で起きることは、悲劇も苦しみも、
反対に、喜びも希望も全部、自分事です。

それをみんなで共有したいと思っている今日この頃です。

だから滝沢さまにどうしろということではないのですが・・・
触発されて思ったことを書いてしまいました。

読んでいただきありがとうございます。

滝沢さまが伝えてくれているように、
星々の動きは人類の目覚めを示しています。

その流れにのって共に世界を創っていけたらと思っております。

☆彡 ☆彡 ☆彡

それに対して、滝沢さんからは以下の返事をいただきました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ありがとうございます。
逆に悪を見て自分の内側の悪に気づく、
そこが重要であり次に進むステップだと思います。

中庸を知るには陰陽両方を知り、
その中でも陰を知るきっかけは1度は外の世界の陰も見て、
自分自身で内側の陰も知る段階が必要だと考えます。

臭い物に蓋をするではないですが、
外でもうちでも光だけを見ても
中庸を知ることは難しいと個人的には思います。

☆彡 ☆彡 ☆彡

滝沢さんは自分自身の内側の陰を知るきっかけとして
外の世界の陰を見ると書いています。

この世界には陰謀が溢れているのかもしれません。
そうならば、それを知っていく過程は大切になります。

ですが、陰謀を知ることが人類に目覚めではありません。
陰謀を必要とする人類の意識、自分自身の意識を知り、
そこから解放されることが本当の意味での目覚めなのだと思います。

一人一人が広い世界観を持って、自我から解放されること。

そんな精神革命が起きた時、人々は中庸を知り、世界に真の平和が訪れます。

今日から始まる大人サミット「地球会議in木の花ファミリー」は、
精神革命を世界中に広げるための取り組みです。



昨晩、南太平洋のバヌアツでコミュニティを創設したステファン・クィトさんと
タイのお坊さん、ブラ・サンコンさんが木の花ファミリーに到着しました。
彼らは大人サミットに参加するために来日したのです。

大人ミーティングでそれぞれの熱い想いを語ってくれました。

それを受けて、僕らはみんなで「お帰りなさい」を歌いました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

お帰りなさい

大地を流れる川のように
曲がりくねってみたり
急いでみたり
何かにぶつかって 
砕けてみたり
立ち止まったり

長い長い 夜を越えて
長い長い 旅を続ける
魂たちよ 兄弟たちよ
お帰りなさい もとのひとつに

空にまたたく星のように
すべてのいのちの幸せ 
祈っているよ
空に輝く 太陽のように
心の奥に 変わらぬ愛があるよ

長い長い 夜を越えて
長い長い 旅を続ける

魂たちよ 兄弟たちよ
お帰りなさい もとのひとつに
お帰りなさい 本当のあなたに
お帰りなさい 本当のあなたに

本当のあなたに


☆彡 ☆彡 ☆彡

そして、いさどんは語りました。

☆彡 ☆彡 ☆彡

ここにゲストで来る方は、今まで違った人生を歩んで来たのですが、
出会ってみるとここを自分のふるさと、魂のふるさとのように感じます。

「お帰りなさい」というのは、我々は元は共通の世界にいたということです。

たまたま分かれて今に至っていますが、
元々、兄弟だということを確認するのです。

今の時代を迎えて、私たちは一つの地球、
一つの宇宙に暮らしているということを
もう一度思い出す時が来ています。

そういう時代が来たのだと思うと、
決して人類は不幸な時代を迎えるのでなくて、
本当のことに目覚めたら、素晴らしい時代を迎える存在になることでしょう。


私たちはここに一つの家族として暮らしいますが、
こうやって新しい家族を迎えて、大人サミットを開催していきしょう。

☆彡 ☆彡 ☆彡

僕たちはもとは一つ。

みんなが神さまでみんな好き。

そんな世界がきっと実現します。

今日からの大人サミットはそんな世界へ向けた場となるでしょう。

今から楽しみです(^-^)








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